10 Dec 2020

 



小鳥たちのために

 小鳥を描きたいという生徒さんに言うアドバイスは、小鳥じゃなくて木の葉を描くような気持ちでまずは形を取りましょう。それから、お顔のこと。特に目の描き方。小鳥の目は本当に愛らしいから、ドギツクならないように。あるちょっとしたヒントをお伝えします。足の踏ん張りの描写も、加点の高い技。

 上の絵は、イギリスで幸運なときにだけ見かけるブルー・ティットという小鳥です。ご覧のように、青い帽子を被っている。ものすごくちっちゃい。ひゅっと目の前を横切るとき、流れ星を見たように幸せな気持ちになる。

 でもこの青い帽子をかっちり描くと、坊主頭の一休さんみたいになっちゃう。だからふわふわっと羽毛を感じさせるように、色鉛筆でやさしく描いてみた。羽の部分にも色鉛筆のタッチを加えています。

 一発でこんな風にうまくゆくことはまず無くて、何べんも失敗して、少しずつシンプルにしながら「私のブルーティット」「私の小鳥」が生まれる。シンプルにする過程で、この小鳥に私が抱く思いが、ギュッと濃縮されてゆく。

 実は今日は大変だった。二階の父の使っていた部屋を来週からの大改造に向かって毎日掃除しているのですが、今年の春、雨戸の戸袋に、たぶん雀たちが巣を作っていた。ピーピーと賑やかだったから、そのことは分かっていた。父は何年もの間、2か所の雨戸を締めきりにしていた。今思えば、さあここに巣を作ってくださいと言わんばかりに。隙間から親鳥たちが入って、天敵からも嵐からも完全にシャットアウトされた、恰好の子育て部屋にしていたのだ。

 困った時にスーパーマンのように助けてくださるSさんにお願いして、掃除してもらうことになった。雨戸を一枚外し、戸袋の中をのぞいたSさんの後ろ姿がギョッとしていた。

 結果を言うと、45リットルのごみ袋にほぼ一杯の藁や小枝が、これでもかこれでもかと出てきたのです。奥の方は、土のように固まっていたという。たいへんな作業の末、窓は何年もの時を経て、全開された。夕日が美しかった。

 この戸袋から、何羽のヒナが巣立ったのだろう。来年からはゴメンネだけど、その分私は、せっせと小鳥の絵を描こうと思う。


8 Dec 2020

 


すべての人の心に花を

 今年は誰にとっても特異な年となりました。瞬きの瞬間みたいにあっという間のようで、眠れない夜のように長かったとも思える。時間の感覚とは妙なものだと、あらためて思う。

 二つの展覧会の間にオンラインレッスンを立ち上げ、その間ずっと家族の介護もあったから、記憶が飛ぶような日々でした。生徒さんにもあらゆるポカで迷惑をかけた。コロナが始まったころ毎朝山を歩いていたのに、それも次第にできなくなって、すっかり運動不足です。

 しばらく展覧会はない。自分の仕事を耕す季節が、久しぶりに始まる。仕事部屋を父が使っていた部屋に移動することにした。父はありがたいことに健在だが、もう階段は使ってほしくないもので、怒涛の一年、物置と化していたその部屋を、思い切って改造することにした。

 床材や壁のクロス、ドアの素材を悩みながら決め、メジャーとメモを片手にIKEAのサイトにどっぷりはまる。先日からは一番苦労に思っていた片付け作業を渋々始めた。がしかし、身体を使う仕事は気持ちいい。この労働の後には、狭いながらも自分の気に入った空間ができ上がり、ここで少人数のレッスンができたらと考えているんです。そのためと思えば、頑張れる。

 イギリス人のアーティストは、仕事場のことをアトリエとは言わずスタジオと呼ぶ。ロンドンに暮らしていた頃は、たびたびあるスタジオに出掛けた。そこにはとてもお世話になった日本人のMさんと、その後家族ぐるみで大事にしてもらった画家のミリアムがいた。

 彼らのスタジオは古い倉庫の一室だった。そこでの思い出は沢山あるが、今やエリザベス女王のオフィシャルな肖像画を描くほどに「超」の付く活躍を遂げているミリアムと、よく食事やパーティに呼んでくれた彼女のお父さんで画家のホセ、お母さんのアルマからは、本当にかけがえのない多くを学んだ。彼らについては拙著『イギリス暮らしの雑記帖』にも書かせてもらった。

 その後ミリアムは、今の住居兼スタジオに移り、帰国後の旅行の際は長く泊めてもらったりもした。そのスタジオが素晴らしかったので、住環境は違い過ぎるものの、若干参考にさせてもらおうと思っています。

 去年訪ねた、キャロライン・ズーブさんのワークルームもよかったなあ。こちらも若干参考にさせてもらおう。

 来年は、すべての人によい一年になりますように。

 その願いもあり、一旦は諦めかけたカレンダーづくりを、東京、沼津のメンバーに背中を押してもらって作りました。このサイトにも、あらたに shop というページを加えてみた。アナログで「名ばかりショップ」ですけれど、よかったらご覧ください。少しずつ、アイテムも増やしてゆきたいです。










3 Nov 2020

 



Charity Cards

 先日の土曜日、銀座ACギャラリーでの、東京クラス、グループ展を終えました。4月の私の、あの寒々しい個展が脳裏をよぎります。お運びいただけないことを覚悟で、なんとか意義のある会にしたいと、様々に思いを込めた展覧会。準備を進めて参りました。

 ところが初日から毎日、予期した以上のお客さまをお迎えすることが出来、メンバーとありがたい思いでいっぱいになっています。少なからず緊張を伴いながらの外出。どんなにお礼を言っても足りない気持ちです。本当に、本当に、ありがとうございました。

 ムーミンシリーズの作者として有名な、作家のトーベ・ヤンソンのある言葉から、私は特別な響きを、長い間与えられ続けています。

「作家が物語を書くときにいちばん大切なことは、ああそうだ、こういうことがあったなあとか、自分もあたらしい発見をするためになにかをはじめようとか、そういった欲求を読者に与えることができるかどうかということです」

 この言葉の中の「作家」を、広く「アーティスト」としても一向に差し支えないと思う。メンバーが様々に揺れ動く思いの中で作り上げた作品が、このコロナの時代に観る人の心に届いたこと。それだけで、明日も明るく生きてゆけます。

 今回、チャリティと言う新しい試みもいたしました。カード作品の収益をすべて、ユニセフの「新型コロナウィルス緊急募金」に寄付したいとメンバーに提案した時、だれもが快くこの考えに応じてくれました。

 会場では期間中、数多くご賛同いただきました。心よりありがとうございます。お運びいただけなかった方から、お問い合わせも頂いています。明日、11月4日の午前10時から15日まで、このサイトの charity ページにて、通信販売の注文をお受けいたします。ずいぶんアナログな通販で、発送に若干手間取るかも知れませんが、もし気になるカードがありましたらメールにてご連絡いただけますよう。




 私がフルタイムのイラストレーターになれたのは、カードやステイショナリーのイラストレーションの需要があったからでした。イギリス時代には、リバティのカード売り場で私のカードが売られていた。こういうのも、三つ子の魂と言うのかしら。カードの可能性について、年月を経て、また思いを巡らせているところです。




 ACギャラリー、オーナーの赤瀬圭子さん、スタッフの江藤さんには、今回もたいへんお世話になりました。また日本ヴォーグ社の「私の花生活」編集長、青木久美子さん、エディターの高澤さんによる誌面でのご紹介も励みになりました。今回の展覧会リポートを、12月初めの冬号に掲載していただきます。多くの方に支えられて、この困難の中、7回を数えるグループ展を開催できたことに、ただただ感謝です。

 よく励まれたメンバーの皆さん、ありがとうございました!


28 Oct 2020

 



7回目のグループ展

 一昨日、私たちの東京クラスメンバーによるグループ展がスタートしました。15年目に入ったお教室の、7回目となる展覧会。

 余談ですが、この場合、展示会と私は言いません。展示会と言う言葉には、量産するものを販売するというニュアンスを感じますから。私たちのはどんなにささやかであっても、特別なオリジナルの作品をご覧頂く、だんぜん「展覧会」です。

 初日から、多くの方にお越しいただきました。このような時に、ありがたい思いでいっぱいです。久しぶりにお目にかかる方、初めての方、マスク&ディスタンスでも直接お話するのが愉しくて、人の写った写真を撮るのをうっかり。無人の写真ばかりですが、お客さまには、工夫いっぱいの作品を熱心にご覧頂いています。

 作品を単体で撮影した画像を、 hac & hic のページ(メニューバーにリンク)に公開しております。作者の言葉も添えていますから、会場でスマートフォン片手にご覧頂くのもよいかと思います。


ギャラリーに入ってすぐお出迎えは、初参加の安倍さんの水彩画。


こちらも初参加の白鳥さんによる、フードイラストレーション。

 
抽象、具象、インスタレーション、クラフト、写真、なにを作ってもいい。


昨年の英国アートツアーの収穫物も、見ごたえあります。


額装にもそれぞれのこだわりが。グッズの販売も好評です。


 会場、会期などの詳細は、メニューバーから exhibit のページをご覧ください。

 つづく

17 Oct 2020

 



HAC、HIC、HAP

 ホップ、ステップ、ジャンプ、みたいな。

 今月、26日から、いつもお世話になっている銀座のAC, ギャラリーで、東京クラスのグループ展を行ないます。この時期の開催については悩みました。しかし、ギャラリーの予約を取り消すわけにはいかない。無理をして延期したとしても、来年状況がどうなっているかもわかりません。

 会場の接客はギャラリーのスタッフの方にお任せし、当番を設けない。もちろんあの夢のようなオープニングパーティも諦める。しかしオンラインでの発表をすることで、足を運べない多くの方、海外の方にもご覧頂けるし、と決断しました。

 5月からLINEやZoomを使ったオンラインレッスンをスタートしましたが、先の見えない状況の中、HAC(Hiro's Art Class = ミクストメディアのレッスン)では、オリジナルのハンドメイドカードを制作する事に、まずは没頭しました。

 作るにあたって、そのカードをグループ展で販売してはどうか。そして売り上げを、以前協力させて頂いたご縁のある「ユニセフ」に寄付してはどうかと提案。ささやかではありますが、コロナ禍のなか、世界各地で困窮している子どもたちの役に立てばと言う願いです。メンバーも快諾してくれました。Hiro's Art Project = HAP のスタートです。

 「コロナで寂しくて残念なグループ展だったね」としてはいけない。年々オーガナイズ能力が低下気味の講師ですが、それだけは強く思っています。コロナに勝つとか負けるとかじゃなく、アートがこんなときにどんな風に自分を励まし、他を励ますのかを確認する、実験のような気持ちでもあります。

 自分の4月の個展は搬入日に、若い頃から大好きだったコメディアン、志村けんさんの訃報(どんなにか無念だったことでしょう・・・)。お客さまも、ごく限られた方のみがいらしてくださっただけで、会期も短縮して緊張の中終えました。残念でしたが、終えることにほっともした。自転車で来てくれた、友人で画家の武藤良子さんが帰り際「生き延びましょう!」と言ったのが忘れられない。銀座はゴーストタウンのようで、その言葉が切実に響く暗い時期でもあったから。

 自粛期間中、そのあとも、メンバーは集中して素晴らしい作品やカードを仕上げてくれました。そのほとんどは、素材を新たに買い求めるのではなく、自宅にあったものをリユースし新しい命を吹き込んで生まれた作品、また身辺に題材を得た作品です。講師として、この16名のレイディーたちのこと、本当に誇らしく思います。

 展覧会の詳細については、exhibit のページをご覧ください。河田のインスタグラム、そしてこのブログの中に、'hac & hic' と 'charity' というページを作り、そちらに出品作品と、カード作品の画像をアップしてゆきます。

 華麗なウェブギャラリーではないですが、きっと愉しんでいただけるよう、せっせと撮影しているところです。

 ご覧いただき、チャリティにもご賛同いただけましたら、とてもうれしいです。よろしくお願いします。



25 Aug 2020

 



目に見えるものと見えないもの

 年を取ると早起きになるとよく聞いていたけれど、確かにそうで、でも自動的に早起きになるというより私の場合、早起きをしたくてたまらない感じ。

 最近は4時半に目覚ましをセットしている。起きてすぐに東の空を見る。カリッと宵の明星が輝いている。ここ数日はその時間、外気がぐっと温度を下げた。

 お湯を沸かし、簡単な朝ごはんの支度をしながら、30分後にもう一度見ると、もう金星は消えている。太陽が昇ったからだ。小鳥たちも目を覚ます。

 私たちの星は、毎日毎日これを繰り返している。

 朝のまだ暗いうちの景色は、今までしてきた旅の朝と重なって、目覚めたばかりの五感を刺激する。旅に出ると、とくに移動の日は、早起きをしなくてはならない。見知らぬ街の朝ほど、ワクワクする景色はない。その期待と不安の思い出すべてが重なる。

 静かなホテルのフロント、空港までのタクシー、バス乗り場や駅までの道のり、人がまばらで、空間ばかりが目立つターミナル、刻々変わる空の色、その街その街の澄んだ空気の匂い。これから向かう場所への期待よりも、その一刻が尊く思われる。

 この写真は、去年の5月、HACとHICのメンバー有志と出掛けた南イングランド、ライの街の朝。海のある街。カモメの声がBGMの静かな朝でした。

 


 夜が明けて、世界が色にあふれるまで、しばらくボーっと窓の外を見ていた。



 太陽の圧倒的光でかき消されている、でもそこに確かに存在する満天の星たち。今日はその星のことを意識して、一日を過ごしてみよう。


20 Aug 2020



単なる気分転換と言う目的を超えて

 オンラインのレッスンを始めて、4か月目に入りました。今のところ、得るものが多く、毎回やりがいのある個人講座になっている。そういう手ごたえがある。

 もちろん、直接みんなで会っておしゃべりしながら進めるレッスンにとって代わるものではない。あの賑やかで自由で刺激いっぱいの集まりは特別なもので、フッカツの日が待たれる。・・・のだけれど、あれはあれ、これはこれ。今できる最善のことを試みていると、今まで見えていなかった発見がある。

 思えば、絵を描くこと自体がそういうことで、オンラインにチャレンジしたように、とにかく一筆置いてみることからしか始まりません。迷いながら、悩みながら思い切って始めてみると、知らない間に夢中になって進んでいる自分に気づく。もしそうなっていなかったなら、それは今やるべき事じゃない。頭を切り替えて別のことをすればいい。その意味で、この試み、なかなかいい感じに描き始めることが出来ていると思うんです。

 今までとまず違うのは、個人との対話です。みんなで集まる時には、どうしたってある妥協点が必要で、個人の思いや希望に心を砕くには、時間が短すぎる。

 一方、オンラインの個人レッスンだと、とくに水彩は、ディスカッションしながら、それぞれの好みや大切にしていることがよく見えてくるので、アドバイスしやすい。模写を続けたい方、育てた植物や花を描きたい方、大切なコレクションを絵にされてゆく方、他のお稽古事とコラボレーションされる方、会話を通して発見する方向は様々です。

 絵や作品は、好きなように描くのが一番。ずっとそう思って試行錯誤してきました。皆さんにも「こうであらねばならない」を取っ払い、のびのびとした創作を愉しんでほしい。好きなように描く。その難しさを乗り越えて。

 先日、イギリスのガーデンデザイナー、Dan Pearson と言う方の言葉に触れて、忘れないようにメモをした。


    単なる気分転換と言う目的を超えて
    心身の健康を回復させる。


 庭づくりを趣味として愉しまれる方に発せられたメッセージですが、絵を描く人にも、全く同じことが言えると思います。

 子供の頃に家に生き物やペットがいることは、よいことだそうですね。自分の思うようにゆかないことがある。そのことを学ぶチャンスなのだそうです。

 思うようにゆかないから面白い。困難なことは、人に何かを教えてくれる。人は困難さを探している。イラストレーターになりたての頃、あることがきっかけでそのことに気付きました。この話は、またいつか。 




18 Aug 2020

 


オラファー・エリアソンの言葉

 昨日の続きです。

 私は言葉に支えられ、言葉に守られて生きている。ずっとそう思っている。もちろんほかのさまざまな外界、絵を描く自分にとっては特別に、景色やオブジェ、自然物、人工物、もちろん人の笑顔、表情、哀しみにさえ、とにかく目に映り触れられる、この世界のすべてに支えられている。

 それでも、言葉は特別に重要だと思う。特に「詩」精神は、人が発明した、最も崇高な救いの一つだと思う。

 若い日々に言葉の不思議を教えてくれたある方が、「詩人には家がない」と言ったのが忘れられない。「画家には家があるでしょう? 芸術家、音楽家、工芸家、作家、文筆家、みんな家がある。詩人には、でも、家(と言う字)がないでしょう?」 

 昨日のオラファー・エリアソンの言葉を、画面を止めながら書き写してみた。

 「私たちはものごとの見方を知らないがゆえに、いろんなことが見えないと思うんです。でも見方を変えれば見えなかったものが見えてきます。」

 「それは不可能なことを可能にすることに通じます。見方を変えれば、川は橋となるんです。世界をよりよく理解するために、見方を変える。知覚を変化させる。そういう意味です。」

 「今まで見えなかった『時間』が、ほんの少しの水と波だけで見えるようになったんだから・・・。環境や気候に関してもそうです。見方を変える、知覚を変えることで、地球を今一度理解し直さなければならないと思います。」

 表現の手法は問題ではないと、オラファーは言う。

 「アートとは、ひとつの言語であり、形式です。より重要なのは、そのアート作品がなぜ作られて、なにを伝えようとしているのかです。伝えることによって、使う言語も変わってくるでしょう。」

 「ただ私の場合、より、詩的な言語を使いたいと思っています。」

 詩精神。

 「美術館には美術をよく知る人だけでなく、あまり知らない小さなこどもやお年寄りにも来てほしい。初めて来た人にとっても、居心地のいいところにしたいんです。まるで私と一緒に、あなたが展覧会を作っているような気持ちになってほしい。」

 「私は創作者ではないし、あなたは消費者ではない。私とあなたは、共同制作者なんです。」

 人々が美術館に来られない今、アートが自宅にやってくるということや、自然を部屋の中に取り入れることが出来ると、オラファーは考えている。

 「確かに今、私たちは物理的に離れています。でも社会的にはつながっていなければいけないと思うんです。その役割をアートは担うことが出来ると思います。なぜなら、他の手法では表現しづらいことでも、アートであれば表現することが出来るからです。」

 「『アート』はただ鑑賞する対象ではなく、プラットフォームのような場所なんです。人々が集まり、それぞれ違う意見を言い合い、その意見を尊重するところ。そんな場所がアートなんです。」

 14年前、自分の始める講座に名称を付けなくてはならなかったときに、「アート」と言う言葉を使うべきだと思ったのは、教室を限定されたスタイルに収めたくない思いがあったから。おかげで私のクラスには、初心者、経験者入り混じった、様々に探究心のある方々が集ってくれています。可能性が無限。コロナ禍で始めたリモートレッスンからも、それを強く感じていたところでした。HACもHICも、みんなのプラットフォームになってほしい。そして常にそうでありたい。

 「アート単体では解決策にはなりません。でも物理的ではなく、社会的につながることのできるアートと言う場所で私たちが対話を交わすことで、今何が重要なのかを考えることが出来るのだと思います。」

 リモートでつながったベルリンのスタジオ。アーティストの後ろに、ギターが一本立てかけてあったのが印象に残った。

 詩人には家がない。光のように自在な存在。

 光をありがとう、オラファー・エリアソン。



17 Aug 2020



残暑お見舞い

 皆さま、いかがお過ごしでしょう。コロナに豪雨、長梅雨に酷暑。心はなるべく平穏にと努めています、とかカッコいいことではゼンゼンなく、出来る日には短い昼寝を。

 「パワーナッピング」と言うそうですね。たとえ5分でも仮眠すると、そのあとの「パフォーマンス」が俄然違ってくるんだとか。確かに、脳内がすっきりします。

 昨日もまた、暑くて辛い一日の始まりと思いきや、幸いにも違った。日曜美術館でオラファー・エリアソンの展覧会の様子を観ることができたから。この展覧会は始まる前からずっと愉しみにしていたのが、コロナで延期になり、再開してもまだ行けないでいる。9月下旬の最終日までに、都内へと出掛けられるだろうか?

 この偉大な芸術家の作品を初めて体験したのは時を17年も遡り、2003年のロンドン、現代美術のミュージアム、テートモダンででした。会場に一歩足を踏み入れた途端、この景色。



 ウェザー・プロジェクトと名付けられた、これは巨大なインスタレーションです。発電所だった建物を美術館にリノベーションしたテートモダンの、信じられないくらいどでかい空間に、これまたどでかい太陽を、オラファー・エリアソンは設えて見せた。今思い出しても、モダンアートから受ける最大級の刺激的体験でした。

 歩道橋の向こうや天井に映る人影で、この空間の巨大さが伝わるでしょうか? あらゆる年代の人間が、思い思いの姿で、この人工の太陽を仰いでいた。

 平和な気持ち、とも違う。畏れのようなもの、とも違う。それまで経験したことの無い、フラットな気持ちにさせられたのを思い出します。アインシュタインは「遠方では時計が遅くなる」ことをつきとめましたが、その実験の粒子の一つに自分がなったような。たとえて言えばそんな感じ。記憶を反芻すると、ある実験者がどこか遠くにいるのをかすかに感じるような、そんな気持ちもよみがえります。

 その後、2005年には東京の原美術館で、「Olafur Eliasson 陰の光」という展覧会を体験。今回の展覧会にも出品されている虹の作品を観ることが出来た。(原美術館が今年の12月で閉館するというニュースは、本当に残念です。)

 日曜美術館では、オラファー・エリアソン自身の言葉を多く聞けたのがうれしかった。

 まず展覧会場の最初に飾られているという、1,5000年から20,000年前の氷河で描いた大きな水彩。氷が溶けるままに時が描いた不定形の抽象画に「規則性のある形をドローイングで加え、より確かな存在感を出すようにしました」。創作の際いつも漠然と思っていることを、私のつたない思考の一万倍馬力で仰ってくれた。

 TV画面を通してだって、この作品を前にしたら、悠久の時を感じないわけに行かない。作家が「光が放たれるような特徴を持たせようとした」この作品は、観客に向けての「ちょっとしたグリーティング(ご挨拶)なんです」という言葉にも、しびれました。

 私たちの東京クラスも、秋のグループ展に向けて、あるささやかなプロジェクトを進めています。このコロナの時代にあって自分たちに何ができるかを考えたとき、自然に浮かんだその企画への心優しい励ましにも思え、頭の中に大きな風力発電の羽根がゆっくりと回り始めた思いがするのです。

つづく 

11 Jul 2020




オンライン・レッスン

 また長いこと書くことが出来ずにいました。

 この間、皆さまにも様々なことがあったでしょう。私もです。あったというか、現在進行形。各種試練が続きますけれど、基本、家にいるのが大好きなので、外出できない苦しみはほとんどなく暮らしています。

 前回の投稿では、まだオンラインレッスンを始めていませんでした。その後、ストレージの足りないタブレットを新調し、LINE と Zoom で、リモートレッスンをスタート。続けています。郵便の通信講座を希望される生徒さんも僅かにいらっしゃいますが、ほとんどはスマホやタブレット、PCでオンライン。予期した以上に成果が表れて、すっかり気を好くしています。

 まず、私の手元をクローズアップでご覧いただける事。教室ではどんなに近づいたとしても、一定の距離がある。オンラインではカメラをぐっと近づけてご覧いただけます。好評です。

 今日も、ある技法を丁寧にお教えしたら、ソク、仕上がりが変わった様子を生徒さんが伝えてくれました。デモンストレーションを見てレッスンを終えた直後、すぐに絵を描くといい感じに描ける。そんなお言葉も頂き、益々木に登ってしまいます。

 それから私の小さな仕事部屋にある、いろんな素材や資料を速攻ご覧頂けます。「玉手箱みたいにいろんなものが出てきますね」。教室では充分にお伝え出来ずにフラストレーションを感じていたことが、一気に解消です。

 一方、クラスメートに会いたい、おしゃべりしたい、お互いの作品から刺激を欲しい。メンバーの気持ちも切実にわかるし、もちろん私も皆さんに会いたい。この14年間通い続けた明日館のことを思えば、涙が出そうにもなる。

 誰にもこの先のことは分かりません。分かることは、自分は絵を描いたり物を作ることが昔から好きで、これからも好きだろうし、ずっと続けてゆくんだということです。

 もともと、今ここにあるものでやりくりすることに幸福を見出し、物欲があまりない。矢野顕子さんの歌にもそんな歌詞がありました。ここにあるものを材料に、ここにないものが欲しい。

 それからだいぶ前に読んだ、桐谷エリザベスさんのエッセイ。物を買うより、形のない何かを買うことが大切になってくるという考え方。たとえば、何かを学ぶことに形はない。目に見えるものではない。でも学んだことは、その人の一部になって生き続ける。

 何十年も前に知って歌っていた歌と、20年近く前に読んだエッセイです。両方ともずっと心に引っ掛かっていて、今、その通りだと、この地球の変動を思うにつけ、強く感じています。

 考えることは山積です。ひとつづつ実行し、わかるところから変えてゆかないと。そう思います。

 皆さまも、どうかお元気で!

2 May 2020




お元気ですか?

 皆さん、いかがお過ごしでしょう。心身ともにご無事でありますように。

 世界がこのようなことになってしまい、思うこと、考えることがいっぱい。しかし仕事と目の前のやるべきことで、幸いカワダは落ち込む暇もない毎日を送っています。

 個展の会期を短縮してから、もうひと月が経とうとしています。銀座までの長い距離を自転車でいらしてくれた方、仕事帰りに寄ってくださった方、自宅待機の時間に公共交通機関を使って緊張の中いらしてくれた方、Stay Home の状況下、遠くから応援をしてくださった方、本当にありがとうございました。

 ACギャラリーでは、引き続き写真展「HOMEWORK」の作品を、オンラインギャラリーでご覧いただけます。ネットショップでの通信販売も可能です。これから他の作品も、オンラインで発表させて頂く予定。お求め安くて愉しい気持ちになる作品をと、考え中です。

 世界はこれからどう変化してゆくのか。自分に何ができるのか。自分は何をしてゆきたいのか。自分の好む生き方って、なんだっけ。

 絵を描くこと、創作をすることは、とても個人的な作業。HICとHACの教室も通信講座に切り替えていますが、ほとんどの方がご参加くださり、この機会をよいものと受け止めてくださっている。家から出られない。親しい人に会えない。そんな生活の中で、創作が「毎日の支えになっている」「日課になった」など、うれしいメールやお便りに、心底やってよかったと思っています。

 おひとりおひとりの作品をじっくり拝見できて、今まで見えていなかったことが私も見えてくる。パーソナルなアドバイスをお送りし、それをまた生徒さんたちはご自分のラケットで受け止めて返してくださる。いつもより静かな、そして青々とした広い芝生で、シングルスのテニスをしているような感覚です。

 毎日のように、皆さんからの作品が届く。それがまたうれしい。わくわくしながら封を切ります。

 自粛生活の中、オンラインレッスンが盛んになって来たと、TVのニュース。PC画面でレッスンするそのような本格講座に比べたら、私の通信講座はぐっとアナログ。元が教室でのレッスンなので、小さな画面でのご指導は欲求不満になりそうだし、画面の大きいPCを自由に使える方ばかりではないという理由もあります。それでもスマホでのインターネットやSNS環境をお持ちの方がほとんどですから、そちらも補助的に使いたい。そんなことも考えています。

 と、ここまで書いて、私の大きな課題に気付く。考えていることと、手のスピードや行動のスピードを同期させること。がんばれ自分。




 今、うちの小さな庭にはスズランが満開です。紫蘭もきれい。ギボウシもバリバリ音を立てて(?)葉を茂らせています。

1 Apr 2020




会期短縮のお知らせ

 残念ながらコロナの影響で、会期を短縮せざるを得なくなりました。週末の銀座は外出自粛で、まるでゴーストタウン。これからしばらく、ACギャラリーは土日を休業することに決めたそうです。営業時間も11:00から17:00となるそうです。私も賛成です。

 ですので会期は、明日と明後日となります。

 明日、4月2日(木)は、12:00から16:00まで在廊いたします。帰りが早めなのは、新幹線が通勤ラッシュになる前にと思ってのことです。スミマセン。

 明後日、4月3日(金)はギャラリーは11:00から16:00まで。搬出搬入があるので、早めに終わります。ご注意ください。(私はおりません。)

 その代わり、お知らせしたWeb Gallery は会期後もしばらく公開していただけます。ゆっくりご覧ください。

 とりいそぎお知らせでした。


31 Mar 2020




Web Gallery

 今回の個展では、初めて写真表現でご覧頂いています。そのきっかけは、雑誌「私の花生活」(日本ヴォーグ社)の連載「コラージュの花箱」で掲載いただいた糊付けしない立体コラージュ、アッサンブラージュの写真。絵を描くようにコレクションを組み合わせ構成し、カメラマンの渡辺さんに、お互いが響き合う瞬間をとらえて頂く。とても愉しい仕事で、現在二年目を迎えています。これも、良き理解者、編集長の青木さんのお陰です。ショートエッセイも含め、100%自由に創作させて頂いています。



作品 「Beachcombing / ビーチコーミング」
400 x 305 x 20 mm(額外寸)
16,000円(額付き)

撮影:渡辺淑克


 AC, Gallery のサイトでは、Web Gallery がスタートしています。とてもいい感じに特設いただき、うれしい! このような時期ですので、お運びいただけない方がご覧になれるよう、特別に作ってくださったのです。こちらをクリックするか、exhibit のページに貼ったリンクからご覧ください。

 カートのボタンを押すと、WEB SHOP に飛びます。そちらで額装の様子をご覧いただけます。気に入って頂き、ご自宅に、またはギフトに、お考えいただけましたらとてもうれしいです。ギフトラッピングも承ります。

 インスタグラムやこのブログでも、作品の紹介を続けていきたいと考えています。よろしくお願いします。






30 Mar 2020





自分の身に起きることはすべて

 搬入完了。厳戒態勢とも言える東京へ行くのは正直気が重かったですが、ACギャラリーに到着すると、オーナー夫妻がマスク姿の笑顔で待っていてくれて、心底ほっとしました。

 夫妻とは美術大学が一緒で、たぶん構内ですれ違ったり、同じ講義を受けてたりしていたかもしれません。共通の友人もいる。だからでしょうか。ずっと会っていなくても、なんだか昨日も会ったような気持ちになる不思議なお二人。本当にお世話になっている。

 飾りつけのテンポもよく、またいろいろな話もでき、しばらく重い気持ちだったのが、救われました。




 全28点、ちょうどぴったり壁に収まった。

 写真作品とは言え、会場で直にご覧頂けたらどんなにいいだろうと思う。しかし今回は、手放しで来てくださいとはとても言えません。どんな会期になるかわかりませんが、いずれにせよ、思い出に残る個展となりそうです。(在廊日は、exhibit のページをご覧ください。)

 


 ここのところ、寝る前読書はボルヘスばかり。自分がかなりヤバイときに読む作家の筆頭がボルヘスです。読書と言っても、疲れきってほぼバタンキューなので、傍線を引いたところを読み直すくらいですが。


   作家あるいは人は誰でも、自分の身に起きることはすべて
   道具であると思わなければなりません。あらゆるものは
   すべて目的があって与えられているのです。この意識は
   芸術家の場合より(「より」に傍点)強くなければならない。
   彼に起きることの一切は、屈辱や恥ずかしさ、不運を含め、
   すべて粘土や自分の芸術の材料として与えられたのです。
   それを利用しなければなりません。

  『七つの夜』 / ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 野谷文昭訳 より



 この部分を、今まで私は何べん読み返したことでしょう。

 ひと気のない灰色の銀座を目の当たりにし、コロナへの不安はいや増しますが、帰りがけ、デザイナーと陶芸家である赤瀬夫妻とも似た話をしてギャラリーを後にした。しばし清々しい思いで満たされました。 

 ACギャラリーでは、会期中、Web ギャラリーを開設します。URLが分かり次第、またこちらとインスタグラムでお知らせいたします。少々お待ちください。お運びいただけなくても、そちらで私の新しい試みをご覧頂けましたら幸せです。よろしくお願いします。
 

19 Mar 2020




個展のお知らせ

世界がこんな風になってしまうなんて、今まで思ったことはなかった。若い頃、SF小説が好きだったけれど、SFはSF。架空の世界だと・・・。

特に好きだったのは、カート・ヴォネガット・ジュニアと、フィリップ・K・ディックという、今思えば両極端な作家ふたり。このコロナウィルスの影響の中、思い出したのもこの二人の言葉だった。

ヴォネガットが、これを主人公に語らせたのは、たしか小説『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』でだったと思う。短い言葉です。誰でも暗記できる。それは、


「愛より親切を」


なんというシンプルなメッセージ。「愛」と言われると重くなっちゃう人もいる。方向を誤る人もいるかもしれない。でも「親切」なら誰にだってできる。コロナが自分も含め、人心をどこかでマヒさせるようなことがあったなら、この短いマントラを唱えるといいんじゃないか。「愛より親切を」。

映画「ブレードランナー」の原作者として知られるディックの方は、もうちょっとエッジが鋭い。インスタグラムにアップした画像をここにも上げさせてください。






このような難しい時期に、個展を開きます。初めての写真展です。

プロのカメラマンに撮って頂いた雑誌の仕事をはじめ、ここ数年の間に撮りためた、日常、好きなブロカント、花、イギリスで撮ってきた写真など、自分が壁に飾りたいと思える、一緒にいたいと思える写真を選びました。

写真は若い頃から大好きだった。アッジェ、アーバス、ブレッソン、アンセル・アダムス、星野道夫、テーマにこだわらずに、好きな写真家がいる。写真を撮ることは、私にとって絵を描くことと同じように、バランスを保つ手段であり表現なのだと、インスタグラムを始めて感じるようになった。

にしても、写真展とは我ながら大胆。でもやりたいことは、やりたいのです。こうなるには、きっと何か理由があるのでしょう。

詳しくは、exhibit のページをご覧ください。AC, Gallery オーナーの赤瀬さんから、Web Gallery のご提案も頂いた。お運びいただけない方にも、ぜひご覧頂きたいです。よろしくお願いします。








幸せな講師

沼津クラスのグループ展、無事終了いたしました。

この様な難しい時期にもかかわらず、有難いことに多くのお客さまにお運びいただきました。皆さま、マスク着用、手指の消毒にもご協力下さり、毎日なごやかに会期が進んだこと、ただただ感謝です。

お運びいただけない方が多くおいでと思い、インスタグラムに作品の画像を次々postしたところ、予想を超える数のコメントを頂戴しました。国内は勿論、イギリスからも! どんなに励みになったことでしょう。

以前、震災の直後に、銀座ACギャラリーで個展をしました。福島の原発事故の影響で、銀座の駅は薄暗く、人も少なかった。よいことなのかどうかわからないまま、しかし開きました。

いつもと同じとは行きませんでしたが、おいでくださったお客さまと会場で静かに話す。心細さが少し晴れました。そしてお客さまも皆そうだったと思います。

原発事故とコロナウィルスは違うけれど、沈みがちな心に、かすかながら風が通り、特に今回のグループ展では多くの方が、「よし、自分も何かを始めてみよう」と思ってくださったような気がします。皆さんが笑顔で会場を後にするのを見て、そういう実感がありました。

生徒さんの作品が、また素晴らしかった。

まだの方は、ぜひインスタグラムでみんなの作品をご覧ください。Gallery PLAZA の白く広々した空間にあふれた光を、きっと感じて頂けると思います。

私は幸せな講師です。

13 Mar 2020


Before

After

And after

グループ展

 昨日始まりました。

 このような情勢の中、迷って迷って、決断しました。お客さまも少ないだろうと予想していましたが、例年ほどではないにしても、昨日は多くのお客さまが見え、有難い思いでいっぱいになりました。

 東京の生徒さんもお二人ほど、気を付けて気を付けて、来てくださった。ありがとう。

 しかし、ご無理は禁物。インスタグラムにそれぞれの作品を、少しずつポストして参ります。ご覧いただけましたら幸せです。


9 Mar 2020




バーバラさん

 沼津クラスのバーバラさんは、みんなの人気者です。なんと言ってもその笑顔が素晴らしい。沼津の教室がレギュラーになるまでは東京のクラスに、こちらから高速バスで通ってくださっていました。だから東京のレッスンにも仲良しがいて、その笑顔は以前からみんなに評判でした。そういう声が、講師の私の耳に入ってくる。そのたび、本当にそうだなあ。バーバラさんの笑顔は絶品だなあ。いつも思うのでした。

 あ、バーバラさんは日本人です。念のため。この名前は、お孫さんが生まれて、自ら名乗りだされた別名。でも今では立派な「雅号」。

 これは昨年のUKアートツアーに参加下さったときのことを、バーバラさんが一枚の大きなシートに絵と言葉でまとめられた作品の一部です。あっ、ベッキーさんと私がいる! インスタグラムに投稿したら、ベッキーさんも大喜び。それに刺繍作家のキャロライン・ズーブさんも「Love this, Hiro-san!」、この絵の舞台、「Great Dixter House & Garden のみんなも、きっと観たがると思うわ!」とコメントをくださいました。キャロラインさんはこちらのチーフガーデナーの方と懇意なのです。

 さっそく有難い感想をいただけた今回のグループ展、出品作品。新人も古参も、自由でのびのびとした、アイデア一杯の水彩画やコラージュたちを作ってくれました。

 新型コロナの影響を、気にしていない人はいないと思います。私たちも迷いました。でも、いろんな工夫と用心をして、12日(木)から17日(火)まで、時間を少し短縮しますが、予定通り開催することに決めました。

 時間その他、注意事項は exhibition のページをご覧ください。そしてどうぞ、どなたもご無理のありませんよう。

 メンバーを見渡しても、お孫さんのお世話に忙しい方、お仕事のこと、私のように高齢の親を持つ人、そしてやっぱりそれぞれこの件には少なからず不安があります。バーバラさんはそんな仲間に、「皆さん無理せずバーバラにお任せ下さい」と、そのお日さまのようにあたたかな笑顔が浮かぶメールを送ってくれ、毎日でも在廊する勢いで当番を買って出てくれました。なんという仲間。なんというバーバラさん!

 ほかにも頼もしい若手がいてくれたり、ギャラリーに近い方が重責を担って下さったり、長いこと生きて来ても、自分に自慢できることは何一つありませんが、私の生徒さんはすごい。沼津も東京も同じように、個性豊かで率直で、明るくて優しくて、素晴らしい女性の集合。私の誇りです。みんなで支え合い、きっと会期を無事に送りたいと思っています。

 そしてこの困難な時期に、ご覧くださった皆さまの心が、少しでも軽やかになったなら、メンバー皆の何よりの幸せです。

22 Feb 2020




沼津クラスのグループ展

 お知らせです。沼津クラスのグループ展を、3月12日(木)から17日(火)まで、三島市のGallery PLAZA にて開催いたします。↑はその案内状。

 今回は特にバラエティに富んでいます。メンバーそれぞれの個性、経験、思いがどんどん豊かになっていることの証拠。ご自身の心の赴くままに制作していただくのが、そもそものレッスンの目的です。Hiro's 'Art' Class (HAC) としているのも、それが理由です。

 水彩あり、ペン画あり、アプリケや刺繍あり、コラージュ、アッサンブラージュ、すっごいチャーミングな縫いぐるみも登場します。懐かしのツイッギーも!

 心の落ち着かない日々が続く、誰にとっても試練のときではありますが、この1週間は水の美しい、そして三嶋大社の桜もほころび始めるかも。通りに面した明るいギャラリーで、我らがメンバーの工夫と手業の賜物、愉快な作品と一緒にニッコリ過ごしたいです。どうぞお気軽に観にいらしてください。

 詳しくは、メニューバーから exhibit のページをご覧くださいませ。私の在廊日などは、3月5日過ぎに決まりますので、またお知らせします。

 先日、地元のFM局「ボイスキュー」の番組、「パレット・アート・プラザ」にメンバーの山口さんと出演してまいりました。このグループ展のPRです。放送は3月10日の火曜日、17:40から17:55です。インターネットでも聴けるそうです。

10 Feb 2020



新しい画材

 好きなように作るとは、自分が今見たいもの、自分が今ともにありたいもの、人にこう言われたからとか、評判がいいからとかではなくて今ここに生きる、自分の感受性を信じて作る事なのだと、改めて思います。

 自分の持ってるものを総動員する。ものに限らず、思い出や胸に焼き付いた景色、言葉、友情、受けた親切、後悔や悲しみも、その日その日に浮かぶ有形無形の持ち物をゆっくりゆっくりかき集めると、小鳥が巣を作るように自然と、これが私と言える作品が生まれるのではないか。


「自分にとって自然な事をするのは、いつだってとても難しい事なのです」


 もう30年以上前に読んだ、ジョージア・オキーフのこの言葉は励みになる。本当にそう。簡単じゃない。でも面白い。

 新しい鉛筆は、水で溶ける。粉っぽい画材、油っぽい画材は、若い頃一通りはやってみたけれど、あまり相性が良く無くて敬遠してきた。たとえば、鉛筆、木炭、パステル、クレヨン、油絵具も、扱っていてあまり気持ちがノラなかった。

 でもこの鉛筆はいい。すごくしっくりくる。今までもあったのでしょうか? いつもの画材店のページで偶然発見して、ドイツの STEADLER とイギリスの DERWENT 、2種類取り寄せてみました。

 アクリルガッシュも本格的に使い始めた。やりたかった抽象にも適している。「ヒロさん、ずっと抽象、抽象って言ってるよ」と、親しいデザイナーの友人に言われてハッとした日からさえ、もう数年たつ。やりたいのにやってないことがあるのは、不自然で不健康だ。何十年ぶりだろう。画室にイーゼルを据えました。
 




 ミクストメディアのお教室では、アッサンブラージュというのを始めた。雑誌の仕事で1年やってみて、これはやる価値があると思ったから。

 'assemble' とは、集める、組み立てる、集めて整理するというような意味で、美術用語 'assemblage' は、立体物のコラージュを表します。クラスでは糊付けしないで自由に作った作品を撮影。データとプリント作品として残そうという企て。1月の第一回は慣らし運転のつもりでしたが、皆さんよく表現されていた。これから益々愉しみ。

 自分の持っているものを総動員する。日々の気持ちの波もなにもかも。その象徴が、このアッサンブラージュという技法のような気がしていて、メンバーの皆さんに支えられ、大事に育ててゆきたいと思っているところです。






6 Feb 2020



トーべさん

 またしても、間が空いてしまいました。この間、父が体調を崩し、年が改まり、色々ありました。幸いひと月ほどの療養で、父の体調は穏やかに。ほっとしたところです。

 最近、自分のために始めたことがあります。朝、日の出を観ること。ゴミ出しの日に目にした朝焼けの山並みがあんまり美しく、たぶんその時ちょっと参っていたんだと思う。心に焼き付いて、大きな救いを感じました。すぐに描いたのがこの小さな絵です。Instagram には、若い頃から好きな句と一緒に投稿しました。


 

「峰朝焼 力は登りつつ溜める」 加藤知世子


 それから早朝、眺めのいい近くの山に何度か車で出掛けたりもしましたが、その朝のような感動はもう無いのです。そうだった。探してはいけないのだ。求めてはいけないのだ。ヘッセの『デミアン』にもそう書いてあったじゃないか。

 それでゴミ出しのついでのような気楽な気持ちで、毎朝近所を歩くことにしました。通学途中の小学生はとぼとぼ歩く。中学生は速足。朝日のよく見えるスポットも発見した。ミーアキャットみたいな具合に道端に立ち、小中学生に「おはようございまーす」なんて声掛けしてるヘンなオバサンがいたら、それは私です。

 昨日の朝のことです。暖冬の今年らしく、それにしても早咲きの河津桜を見上げていると、「昨日から咲き始めたわね」。声をかけてくださる年配の女性がいました。その日はそれだけでしたが、今朝もお会いした。

 何処まで歩かれているのか訊くと、往復1時間の「ある場所」までと仰るんで驚く。私の足では、もっとかかりそうな山の上だからです。もう二十年以上欠かさずやってるからと、こともなげに。「60歳の頃から」ということは・・・「満で84歳」とにっこり。とてもとても、そうは見えません。10歳、いやそれ以上お若く見える。溌溂として小柄で、誰かに似ている。そうだ、トーベ・ヤンソンだ。

 サラッとした短い会話の中に、心根の温かさや芯の強さを感じ、なんていい出会いに恵まれたんだろう。低く差すオレンジ色の朝日の中で感謝しました。

 「やっぱり積み重ね、かしらね」

 毎日繰り返される日常の中にこそ、本当の朝日は昇る。いつも行き当たりばったりの私に、朝の光がそっと囁いてくれたような、一日のはじまり。