30 Jul 2016



早起きして庭仕事

 先日の青木和子さんとの対談で、青木さんがお庭のお花を「好きな色ばっかり」と形容されていたのが印象に残っています。形よりなにより、「まずは色」ということなのかと目からウロコでした。確かに色はまず目に飛び込んでくる「個性」ですから、絵を描くときにも最重要課題。にもかかわらず、さて何を植えようかと考えるときに、色から入っていなかった。種類から入っていた。

 ご近所のTさんは、生垣の外側の通り沿いに細い花壇を設けて、いつも道行く人を愉しませてくれている。こぼれ種で自然と生えてくるものもあるそうですが、ひとつの季節が終わるとすぐ別の苗を植えられて、その細い花壇を放っては置かない。日当たりもよく、ディスニー映画の「不思議の国のアリス」に出てくる花たちのように、植物の陽気な囁き声が聞こえてきそうです。

 ベニシア・スタンリー・スミスさんの番組で、親友の方がベニシアさんを評し、ひと言「働き者」と。買い物から帰ってきて、普通ならお茶でも飲んでひと休みするところを、ベニシアさんは手際よくパパッと買い物を定位置に片づけ、すぐに庭に出て「草引き」をする。「働き者です」と。思いがけず親友に褒められ、どうしていいかわからないような不思議な表情に固まってしまったベニシアさんが、また素敵でした。

 初めて庄野潤三先生のご自宅にご招待いただき、伺った日のことは忘れられません。門を入ると幾段かの石の階段があります。そこに明るい鉢植えの花がポンポンポンポン・・・と置かれていて、ご挨拶の前から、「ようこそ!」とほがらかなお声が聞こえてくるようでした。どんな景色かしらと思われる方、2014年に出版された先生の小説選集『親子の時間』(夏葉社)の表紙をご覧ください。和田誠さんの描かれたその絵が、写真以上にその通り!です。

 一方、ご長女の夏子さんのお庭は、私にとって憧れ中の憧れの園。ゆるやかな、芝生ではなく苔の緑(というところがたまりません)のスロープに、自らDIYで造られたというレンガの小路やワイルドなブランコにハンモック、ニワトリ(ソトトリ?)小屋。そしてログキャビンまで! 木々にはムササビも来訪するという、広くておおらかなお庭です。

 また、永田ヒロ子さんがくださるハーブや小花をおしゃれにまとめられたプレゼントには少女の心がトキメキますし、埼玉県毛呂山町で立派なバラ園、「グリーン・ローズガーデン」を公開していらっしゃる斉藤よし江さんのことは、ただただ尊敬。イギリスの友人たちの庭、インスタグラムでフォローしているガーディナーの方たち、そのスピリットからも影響をもらうことができる。
 



  広いお庭、緑の指の持ちあわせがない私でも、小さな地面で土いじりをしていると、呼吸が落ちつき、体調がよくなる実感があります。先輩たちを見習って、まずは早起き。そして毎日小さな手入れをするのを日課にしよう。そういうささやかな習慣こそが、生活全体に好い影響を与えるのだという思いがスナオに湧いてくる、まだいくらか涼しい夏の朝でした。

 event のページに、ワークショップのお知らせをUPしました。よろしければご覧ください。10月に、明日館で↓こんな作品を作ります。お申込みをお待ちしております♪



25 Jul 2016



片付けとご褒美

 6月、7月と、イベントが重なったこともあり、いつにも増して時が慌ただしく過ぎてゆきました。先週、7月のレッスンを無事に終え、そろそろ先送りにしていた仕事に取り掛かろうかと。が、昔から試験勉強の前と次の仕事に向かう前には、まずアレですよね。引き出しの中の整理、または部屋の片付けから。

 こまごましたコラージュ素材や、資料の本、失くしては行けない書類に、頂いたお手紙などなどが、クレイジーキルトさながらに散りばめられた(いえ、単に散らかった)部屋を前に、「ひとつずつ、ひとつずつ・・・」のおまじないを唱えながら、座ったり立ったり、背伸びしたり椅子の上に上ったり、記憶の糸をたぐりよせたり、おつかいやゴハンや、大事なお八つタイムもはさんで、まだ不満も残りつつだけど、なんとかスッキリさせました。ふー。

 上の写真は、重たい美術書を畳の部屋の座卓の上に並べたところ。本棚にしまいっぱなしで、取り出すのも億劫になっていると、湿気て古い本から順にシミが出てかび臭くなってしまう。虫干しと思って並べたら、海外のインテリア雑誌によくあるように、出しっぱなしも案外いいかもと思う。もっと気軽にページを開いてインスピレーションを刺激させなくちゃ、高価な美術書が泣きますものね。
 



 これはその片付けのご褒美。イギリスの定番ケーキ、ヴィクトリア・サンドイッチです。本来はスポンジケーキを2枚焼き、そこにラズベリージャムを挟むものらしいのですが、私は包丁で2枚にさばき(?)、マスカルポーネチーズを薄くと、お庭になった実で山口さんが作ってくれた「さくらんぼジャム」(庄野先生のご本を思い出します)をたっぷり。最高に美味しいヴィクトリア・サンドイッチができました。

 実を言うと私は、体質的にこういうものをあまり食べてはいけない。50代になったらアレレと言う感じにそんな身体になってしまって、普段はお煎餅ばかり頂いています。が、たまには愛らしいスイートなお菓子も、少しでいいから頂きたい。自分で作れば、油もノンコレステロールに。ミルクではなく豆乳にしたり、お砂糖の量も加減ができます。山口さん特製ホームメイドのジャムは優しいお味。先日、スタンプワークのラベルも素敵な、ガラス壜に実がゴロゴロ覗く苺ジャムも頂戴したので、少ししたらまた贅沢「ヴィクトリア・サンドイッチ2世」を作りたいなと思っています。

 イギリスらしい簡素なケーキはミルクティーとよく合って、何より簡単にできて、いつになく涼しい夏の午後にぴったりのお菓子でした。 

20 Jul 2016



ポンピドゥー・センター傑作展

 上野の都美術館で開催中のこの展覧会を、先週友人と観てきました。まだ梅雨明け前で天気もちょっとどんよりしていたけれど、潔さいっぱいのマスターピースの数々に、気持ちがカチッとアジャストされた感じです。

 展示の仕方が面白くて、年を追って1点ずつ、作家の言葉も添えられての紹介。今思いだすと、まるでタイムマシンに乗って旅をしたような満足感。

 いくつもある好きな作品から、特に好きだったブランクーシの「眠れるミューズ」とブレッソンの写真「サン=ラザール駅裏」。それに上には載せられなかったけれどアレクサンダー・カルダーの「4枚の葉と3枚の花びら」。前から好きだった作品に、時を経てまた会えたことが、親しい友との再会のようにうれしかったのかもしれない。

 メモしてきたことばを、忘れないうちに記します。

 
 ●当初の構想が消え去ったとき、絵画ははじめて完成する。(ジョルジュ・ブラック)

 ●呼吸するように創造することができたら、それは真の幸福でしょう。そこに到達すべきなのです。(コンスタンティン・ブランクーシ)

 ●私は他の人が自伝を書くように絵を描いている。(パブロ・ピカソ)

 ●人はかたちを見るとき、それを聴かなければならない。(セルジュ・ポリアコフ)

 ●私は作品の手本となる宇宙の体系に、いつも心うばわれていた。宙に浮かぶ天使に魅了されて、最初のモビールを制作した。(アレクサンダー・カルダー)

 ●動くものを動かなくするかわりに、動かないものを動かす。これが彫刻における真の目的である。(レイモン・デュシャン=ヴィヨン)

 ●写真が私を捉える。その逆ではない。(アンリ・カルティエ=ブレッソン)

 最後に私の生まれ年の場所で紹介されていた、エロと言う作家。私はこの人を知らなかったのですが、ダダっぽいコラージュとともに、クラスのみんなにも聞かせたい、弾むようないい言葉が紹介されていた。

 ●切り抜く作業はどんどん進みたやすいが、切り抜いた断片を貼りつけるときは、まるで夢の中にいるようだ。それは本当に愉しい。私が世界で一番好きなこと。それがコラージュだ。(エロ)


 あー、おもしろかった。




 講座の準備をしながら、材料キットのかたまりが、なにか意味深いオブジェに見えてくることが、よくあります。
 



 今回もマスキングメディウムを使ってのレッスン。↑はサンプルのひとつです。日曜の東京クラスに続き、明日は沼津クラス。さて、支度、支度・・・。


12 Jul 2016



EAST MEETS WEST

 フェリシモのSさんには、帰国後まだ間もない頃、大変お世話になりました。当時フランソワーズ・モレシャンさんの監修する雑誌を会員向けに発行されていて、その中でハンドクラフトや雑貨の紹介などを、何度かさせて頂いたのです。Sさんは庄野潤三先生の大ファンでいらして、「波」を定期購読され、挿絵の感想なども頂きうれしかった。以来お忙しい中、私の個展にも足を運んで下さる。

 私が行く日まで決めて愉しみにしていたのを知ってか知らずか(?)、ご好意で展覧会の招待状を送って下さいました。渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の、フェリシモも関わられているトワル・ド・ジュイの展覧会、「アントワネットも愛したフランスの布 西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展」です。

 友人が分けてくれたジュイの端切れを、大事に大事に使った、今年初めの weekend booksさんでのワークショップ。センスのいい友人が、住いのイタリアからフランスまで行って手に入れている貴重な布地でした。端切れとはいえ、しっかりした手触りのあるいい布ばかりで、ご参加の方々にとても喜ばれた。




 ロンドンに居た頃は、工芸品の美術館、V&Aミュージアムで、この布のある展示室によく足を運んだ。ただぼんやり、きれいだなーと眺め浸っていただけで、歴史について考えることも無く。今回この展覧会でそうだったのかと思ったのは、陶器などと同じように、アジアの手仕事がその源だったということ。よく知られる繊細複雑な銅版のデザインがバリエーションを広げて行ったのは、また遡って木版プリントの技法で描かれた植物プリントたちも、我らがアジア、特にインドの更紗にルーツを持つものだったのですね。

 田園風景が盛んに描かれたのは、産業革命の後、人々に素朴な田舎の風景に回帰したい欲求が起こって大評判になったからだということもわかった。そして今、現代の人々がこの布に惹かれる理由も、失われた手仕事への憧れからではないだろうかと思ったり。

 美しい布地にうっとりしながら、リストのお気に入りに印をつけた。小さな端切れを集めてまとめた、更紗帳やサンプルボードの数々。私にはそれが、神経を使って構成された現代アートのコラージュのように見えるのです。サラ・ミッダさんの本のページの様でもあった。なににせよ、小さな私は小さなものが大好き。

 会期は7月31日まで。Bunkamura ザ・ミュージアムのサイトへはこちらからどうぞ。フェリシモさんプロデュースのジュイの布地も、ショップで購入できます。




 銀座ACギャラリーでのグループ展、「ジュエリーとBOX展」も、9日から始まっています。ACさんが、現オーナーの赤瀬さんに引き継がれての10周年展でもあり、オープニングも賑やかに、心温まる集まりでした。35名の作家の様々な作品をお愉しみください。カワダはもう一度、14日の木曜日、夕方4時頃から7時まで在廊いたします。会期は16日まで。

 会場の都合で↑のようには飾れないのですが、スタッフの方にリクエストして頂けたら、奥に隠してある(?)ものも全部見られます。少しずつお嫁入りしているようですので、ぜひお早めに♪


8 Jul 2016



エミリーの小箱

 ふっとそんなタイトルが浮かびました。エミリーと言うのは、詩人のエミリー・ディキンソンのこと。恥ずかしながら、私は彼女の詩を、つい最近まで読んだことがありませんでした。Instagram で知った、Isabelle Arsenault というカナダのイラストレーターが描いた絵本によって、この特別な人生を歩んだ詩人を知ることになった。

 


 絵本のタイトルは、'My letter to the World-And other poems'。英語でダイレクトに詩を理解するのは私には難しい。岩波文庫の『対訳 ディキンソン詩集』を求めました。対訳があることで、自分なりの解釈が容易になる。



  これは世界へ宛てたわたしの手紙
  一方通行の手紙
  自然がその繊細な威厳とともに語る
  ごく地味で単純な近況報告のようなもの
  
  わたしには見ることの出来ない手に
  自然からの伝言はゆだねられます  
  気立てのいい紳士淑女の皆さん
  自然への愛のためにも
  憐れみ深くわたしをお裁きください



 意訳ではありますが、この詩の意味をこんな風に私は受け取っています。そして前半を小さな小さな手紙に書いて、この小箱に忍ばせました。
 



 明日はお天気が気になるところですが、長靴履いてでも上京するつもりです。ACギャラリー到着は夕方4時頃かと。祈・予報がはずれますように・・・。お目にかかれたら幸せです。


6 Jul 2016



心の内側の空間

 先日、クレマチスの丘で行われた、建築家の中村好文さんとデザイナーの皆川明さんによるトークイベントに、ウィークエンドブックスの美和子さんが誘ってくれて、ご一緒してきました。クートラスについての語らいでした。

 私はお二人のことについて、恥ずかしいほど存じ上げていないのですが、皆川さんのミナ・ペルホネンの展覧会が、昨年ちょうど自分の表参道での個展と同じ時期でしたから、スパイラルで観ることができた。ファッションとかインテリアとか、アートとかコマーシャルとか、カテゴリーの垣根をまったく感じさせない、自由で愉快な見応えのたっぷりとある展覧会だった。

 中村さんはもっと気難しい方かとよく知りもしないくせに勝手に想像していたのが、冗談をいっぱい放って会場にリラックスの空気を広げてくださった。生前のクートラスに会ったときのこと、当時共通があると思った有元利夫さんの絵とクートラスの絵の違いについてのお話などが、興味深かった。

 皆川さんが話された、「心の内側の空間」についての話がよかった。クートラスのカルト(カード)にはひとつひとつの中に夜が閉じ込められている。心の内側にある、生き物までいるような広い空間。一生に描ききれないほど、限りない世界。

 空想の領域の豊かさ。全ての人は、それぞれの空想の広い領域を持っているはず、と皆川さんは言う。その世界は、「時間」とともに進むことから、人をしばし解放させる。

 前に、これはどこで読んだか、誰の言葉か、忘れてしまったけれど、時間と言うものを川に喩えたら、その一方向への流れに対し、直角に架かる「橋」というものがある。それが「詩」なのだと。そのことを、別の言い方で言われたのかなと、今思う。

 中村さんはよく双眼鏡でものを観るという。美術館に行ってそこにしか焦点の合わない双眼鏡で、彫刻作品などを観るそうです。こんど真似しよう。皆川さんはルーペをかけて絵を描く。私もルーペをかけるけれど、皆川さんが仰る「もぐるように対象を見つめる」ことは、意識したことが無かった。これもこんどやってみよう。

 また、マイナスに思える感情の方が、自分を安心させることがある、と言う話。仕事をしている時間と、静かな時間があったなら、仕事の時間に価値を置く考え方が、まあ一般的。しかしむしろ静かな時間の方に価値があるように思うと仰っていた。内面の生活。そのような時間を沢山持っていないと、仕事にならない、と。

 6月のイベントでの青木和子さんとの会話の中、だったか打ち合わせの時の会話だったか、同じようなことを話したのを思い出します。私たちはもっと単純に「ボーっとする時間がないとだめですよね」、「そうそう、だめよね」。そんなことを話した。仕事に取り掛かるまでの、他人が見たら非常に非生産的な時間こそが、創作へ向かうのに無くてはならない肥料のようなもので、皆川さんもそのことを仰っているのかしらと、勝手に共感。庭造りは土づくりから、か。

 会場では、あの方にも、あの方にも、あの方にも・・・会えてうれしかった。ロビーでは皆川さんにサインを求める列もできて、お二人のファッションの素敵さも、目に焼き付けました。どんなお洋服?とご興味のある方は、weekend books のインスタグラムをご覧ください。美和子さんが後姿をキャッチ。いつ撮ったんだろう。一緒にいたのにまるで気付かなかった。

 独自でいることに違和感を持たない人たちに会えて、また静かなエネルギーを得た、気持ちのいい午後でした。クートラスのおかげです。




 上の写真も下の写真も、こんど9日から銀座ACギャラリーで始まる、「ジュエリーとBOX展」に出す箱たちです。古いイギリスの本のページ(1700年代の物も!)や手書きの手紙、抽斗の中をかき回すと出てくる愛すべき小さなオブジェで作りました。もとはマッチ箱。目の前にある目立たぬ何かから、ここにもどこにも無い何か、を作りたい。明日中に中身も仕上げて、ギャラリーに発送します。