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22 Aug 2026

 



椰子の実

 少しずつですが、秋の気配を感じるようになりました。空にうろこ雲、小鳥たちも山から住宅街に下りてきた。囀っている。夜になると虫の声が聞こえる。猛暑や災害に緊張した心が、少し寛ぎます。

 まだまだ暑さは続くと思うので要警戒。そんな中、10月に控えた都内でのグループ展に向けてゆっくりゆっくりではありますが、歩を進めています。小さな星たちをチクチク縫って、中に「雲」を詰めている。星は希望。雲は夢。このシンプルな形に、様々な思いをこめて。




 Instagramの方には、いつも好きな曲をBGMに選んでシェアしています。この画像に選んだのは、英国のミュージシャン、ピーター・ゲイブリエルの最近の発表曲、'I Belong to the Sky'。この言葉が突然、胸にピーンと響いたのです。

 世界中の異常気象。権力者たちも同じように不安に違いない。時間のかかる問題を時短で解決しようとすることに、ひどく抵抗を感じます。

 以前も紹介しましたが、いつでも見える場所に貼ってあるバックミンスター・フラーの言葉があります。

 Environment to each must be
     'All that is excepting me.'
     Universe in turn must be
     'All that is including me.'
     The only difference between environment and universe is me ...
     The observer, doer, thinker, lover, enjoyer.

 これはだいぶ前に、新潮社ウェブで立花隆さんが紹介していた言葉。「環境」という言葉に「私」は存在しない。蚊帳の外です。一方「宇宙=森羅万象の世界」という言葉には「私」が含まれる。二つの言葉の違いはそこに「私」が在るか否か。「私」とは観察する者、行動する者、考える者、愛する者、そして愉しむ者・・・。

 ピーター・ゲイブリエルの長く意味ある活動を想うとき、問題山積の現世界への希望を、高齢になった今も変わらずクリアに、かつ詩情を保ち表現しているそのパワーに感動し、このフラーの言葉に通じると思った。Sky はUniverse だと思った。




 先日ある生徒さんが、「天然生活」9月号を見せてくださった。「ヒロ先生の絵ですよね」。ページを開くと、お世話になった庄野潤三先生の『貝がらと海の音』(新潮文庫)の写真が。エッセイストの小川奈緒さんが「人生を変えた本」として紹介されているのです。うれしかった。7冊担当させていただいた先生の表紙画のうち、これは第一作目で、当時毎日新聞にも評価を頂いたブックデザインでした。編集者のSさん、装幀部のKさんのおかげです。

 小川さんも書かれていますが、庄野先生の文学は、読むと、読者もいつの間にか家族の一員になったような思いになれるのが不思議。「ユニヴァース文学」です。




 Instagramの方には、BGMに「椰子の実」を乗せた。庄野先生は、夕食後にハーモニカを吹き、奥様はそのメロディに合わせて歌う。そんな素敵な習慣をお持ちの enjoyer であられた。

 たしか「椰子の実」もレパートリーのひとつで、私も大好きな歌。父と合奏もした。ハーモニカ奏者の南里沙さんの演奏がまた素晴らしくて、我ながらよい投稿になったとマンゾクでした。

8 Aug 2026

 


みうらさん

 猛暑の中、市の特定検診を受けてきました。会場には同世代の人たちや先輩方が多く、まずみんな、おそろいの検査服に着替えます。

 同じような見た目になることで、群れの一員気分。ああ、自分はこの地球の生きもの、霊長目ヒト科ヒト属なんだなあと実感する。手際のよい看護師さんやお医者さんの助けで、トントンと思いのほか短時間に終え、熱中症にならぬよう気を付けながら(寄り道しながら)、無事帰宅しました。

 少し前ラジオでアリとハチについて、別々の番組でしたが興味深い話を聴いた。なんと、働きアリは皆、高齢のメス(!)なのだそうです。炎天下の庭で巨大なセミの羽など必死の様相で運んでいる彼らが、みなお婆さんアリだと知り驚いた。それだけでなく、ハチもまた。ブンブンと蜜を集めているのは高齢の働きバチばかりなのだそう。高齢というか、寿命の近い個体だということ。うーむ。思わず腕を組み、眉間に新しいしわができちゃいそうです。

 先日、連用日記を読み返していたら、去年軽い熱中症になったと書いてあった。すっかり忘れていた自分にショック。それをレッスン中の雑談で話すと、そこからみうらじゅんさんの話で盛り上がり、みんなで大いに笑いました。ある雑誌のみうらさん記事を、音読してくれた生徒さんも。例の「老いるショック」についてです。

 「老いるショック」ネタには、同世代として共感がいっぱいあります。抗わず沈まず、「老い」を自ら「盛って」いかないと、とみうらさんは真逆な説を唱える。「若づくり」ならぬ「ふけづくり」はその一歩かもですね。盛ることで老いのエピソードをエンタメにまで高め、笑いながら風に吹かれて生きてゆこうよ・・・ということでしょうか(みうらさんはディランのファンだし)。

 その言葉は、老いてゆく自分を笑い飛ばして再び忘れる、とか、カラ元気でマウント取ってやれ、とかとはぜんぜん違います。押し付けがないし、あるイミ哲学的な深みさえ、うっすら感じる。


朝、雨のしずくドームに、逆さまの世界を見る。


 そんなわけで、最近は時々みうらさんの登場する動画配信に、ふわっと爆パワーをもらっているところです。国の無形漢方薬に指定してほしいくらいです。

29 Jul 2026

 



花と祈る

 セミの大合唱を浴びながら朝活サイクリング。先日あるお寺で、蓮の花を拝んだ。しんと静かな境内の空気に包まれて、堂々とした佇まいのこの花を仰ぎ見た。

 光に透ける紅色の細い筋。水彩を描くとき、この「光に透ける」現象は、インスピレーションを大いに刺激する。描かないにしても、じっくり観たくなる。




 毎朝、毎夕、仏壇と神棚に手を合わせますが、祈るとき、願い事を唱えることはない。いつ頃からか、「今日も一日をありがとうございます」。感謝だけを伝えるようになった。

 しかし昨日の熊本の大地震。今こうしているときも、助けを待っている人が大勢いるに違いない。念をこめて祈る。




 道沿いに咲く芙蓉の花。黒い蜂が花粉まみれになって働いていた。




 花期を終えた芙蓉の不思議な形を見つめていたら、蓮の花に座して祈るお地蔵さまの姿に見えてきた。

 このピンクのお地蔵さま、先日旅立った、花の好きな友人からのメッセージではないか。きっとそうだ。

 あなたは今もここにいるね。ありがとう。

25 Mar 2026



春を迎えて

 4か月近くもブランクを経ての投稿です。こちらにもっと書きたい気持ち、いつもあったのですが、昨秋のグループ展の後から今に至るまで、言ってみれば「冬眠」。脳の一部が、ぐっすり眠りこけていたみたいです。

 休息を取ったおかげで、新しい日々が始まった。そんな気持ちもしています。
 



 現在発売中、「私の花生活」(日本ヴォーグ社)春号の巻頭連載ページです。スタートしてなんと丸7年。今、夏号のための原稿を執筆中で、8年目に突入です。編集長はじめ、スタッフの皆さんにご理解いただき、思いのままに制作させていただいています。だから毎回発見と喜びがある。有り難いことです。

 一昨年まではスタジオで構成し撮影していただくアッサンブラージュでしたが、昨年からしっかり糊付けをするコラージュに変更。創作のこぼれ話や素材についてのエピソードを語るモノクロページも設けていただきました。
 



 撮影から戻ってきた作品を、こんな風にスタジオに飾っています。10月の明日館、JMショップギャラリー展でご覧いただく予定です。

 



 26年前に購入して以来ずっとお世話になっているサイクルショップで、愛車にピカピカの荷台を付けてもらいました。もう今はない会社の自転車ですから、ほかのメーカーのものを取り寄せて、うまく付けてくださった。これまたお気に入りのピクニックバスケット。これを括り付けたかったのです。 Dean and Deluca のバスケットです。すごく頑丈で、形も可愛い。卵もお肉もお魚も、たま~に求める魚がし寿司のパックなんかも平らに入れられて便利。

 ・・・てな具合に、またぼちぼちこちらに投稿をしたいと思っています。読んでくださり、ありがとうございます♪

4 Oct 2025





田舎道で

 今年も彼岸花の季節がやってきた。年々気候が厳しくなっているからか、この花の風景につく一息が、しみじみ深くなってきた。

 この日は自転車でちょっと遠出。林を抜けた細い道の先に、ゆっくりゆっくり歩いている人がいた。小柄なシルエット。高齢の方だとわかる。近くまで進み追い越しそうになったところに、彼岸花が数輪咲いていた。「こんにちは」とあいさつしてから、青空をバックにスマホで撮影していると「今年は遅いね」と、おじいさん。「あっちにもっとあるよ」。指差すほうを見ると、この群生があった。

 


  「どっかに白いのも咲くんだけど」

 聞けば健康な人が歩いても、ゆうに1時間半はかかるだろう距離を、毎日のように歩いているという。

 前日、ちょっと胸の詰まる悲しいことがあった。お世話になったある方の体調が思わしくないとの知らせ。心を落ち着けたくてサイクリングに出た。

 おじいさんは83歳だそうで、拝見したところ、足腰、それに眼もそのお年相応の感じがした。ちいさな歩幅でゆっくりゆっくり歩く姿、木陰に腰かけて水筒の水を飲む姿、「指輪物語」に登場する妖精の一族のひとりのように思えて、胸の中がほっと暖かくなった。

 秋の朝に、季節も刻もまるで外れではありますが、こんなときいつも浮かぶ、中村汀女の句がある。

 「外(と)にもでよ 触るるばかりに春の月」 



16 Jul 2025

 



朝めし前の朝めし

 早朝に適した仕事はものを書く事と庭仕事、午前から午後はレッスンと自分の絵の仕事をし、夕方はイギリスから届いた雑誌を観てインスピレーションを高める。就寝前はたっぷり読書。こんな時間割が理想なのだけれど、天気によって左右されたり、たまった仕事を片付けたり、くたびれて昼寝したり、今は家の中の整理も始めていて、思うようにはなかなかゆかない。

 それでも朝一番にこのブログを書くことは大きなよろこびのひとつで、日々の励ましにもなる。書くことや読むことは、少々過剰な感受性を持つ自分にとって、「ごちゃごちゃ荘」的頭の中の掃除になる。散らばった思考のコレクションを、それぞれ適当な場所、後々呼び出しやすい棚に収めてくれる。

この早朝の作業にはそれなりにエネルギーが必要で、パンを数切れ胃袋に入れて、脳に糖分を供給します。一仕事終えたら正規の朝食を「いただきます」と頂く。だからいつの間にか一日4食になってしまった。来客のある時以外はお菓子というものをほぼ食べないから、早朝の一食はおやつと思えばよい。都合よく後づけ解釈した。



 先日 I 家から贈って頂いたボローニャのデニッシュ食パン3斤。有り難く、赤ちゃんを抱くように台所に運んだ。そのままでもイケますが、ちょっと焼いてジャムやマーマレードを塗る。美味しい。ごちそうさまです。



 キラキラ黄金色に輝く柚子のマーマレード。美しくてしばし見とれてしまう。以前、クラスのスケッチ会を2度ほどさせてもらった、埼玉のグリーンローズ・ガーデン。あの素晴らしいオープンガーデンのオーナー、斉藤よし江さんから頂戴したホームメイドです。もったいなくてなかなか開けられずにいましたが、開けてびっくり、こんなの食べたことない!ってほどの絶品でした。

 ここ数日、穏やかならぬ雨と湿度が続いていますね。ガラス窓の向こうの灰色の空。こんな天気でもシジュウカラの夫婦がお隣のアンテナにやってきてキョロキョロしている。きっと、朝ごはんを探しているんだ。

 その向こうに広がる空の景色も、静止画ではない。マーマレードパンを食べながら5分も観ていると、ゆっくり、ドラマチックに変化しているのがわかる。

 この星に生まれた私たちが命を保てるのは「対流圏」と言って、高度たったの10㎞まで。卵の薄皮みたいなこの薄い薄い空間に、命を持つ様々な仲間たちとともに肩寄せ合って生きている。

 この間、ピーター・バラカンさんがラジオで紹介していた Lead Belly の'We're in the Same Boat, Brother' という曲があり、とてもよかった。繰り返し聴いている。女優の高峰秀子さんの料理エッセイ『台所のオーケストラ』にあった言葉、「四海の内 皆兄弟(けいてい)なり/ 顔淵」はいつも胸にある。

 雲の切れ目に朝日が顔を出した。しかし相変わらず雨がザーザー降っている。不思議な光景。薄皮の中の、黄金色のドラマ。

 さて、今朝も対流圏スペクタクルを拝むことができました。私も今日ならではのドラマを、ささやかに始めるとしましょう。

7 Jul 2025

 



響く紫陽花

 この美しい花瓶は、あるとき沼津の生徒さんたちが贈ってくれたもので、大事にしている。私が篠田桃紅さんの作品と著書の大ファンであることを知って、ある生徒さんがネットでみつけてくれたもの。もとはお茶のリキュールが入っていた。

 1960年代の古いもので、蓋のコルクが破損していたため飲むことはためらわれたが、濃い緑でしっかりとしたお茶の香りがした。調べるとサントリーはこのリキュールを現在も販売している。いつか手に入れてみようと思う。紙のラベルには、今も桃紅さんの書が使われている。




 手まり咲きの紫陽花を描くのが苦手で、イラストレーターとしては恥ずかしいことだけれど、気に入ったものができたためしがない。どうしても子どもの頃に流行ったアレ、ぎっしりとカラフルな花で飾られたスイミングキャップみたいに見えてしまうのだ。

 ある年の夏、婦人之友社さんから『花日記』という、大判の3年連用日記に絵を描いてほしいとの依頼を頂いた。期間をひと月半ほど頂いただろうか。すべてのページに絵が入るので、今数えてみたら花の絵を66点(うち数点はガーデングッズ)。それから表紙画も描かせて頂いた。

 性分ってこういう事を言うのだろう。私の小さな水彩イラストレーションの描き方は、下描きなしに何枚も何枚も描いて、一番よくできたものを選ぶというとても非効率なやり方。描きながら、次第に「描き順」も決まってゆく。この手法を、自分は「習字」と呼んでいる。コマーシャルな仕事の場合は、このやり方でないとなかなか納得いくものが生まれない。

 描き順が決まってからが本スタートで、1点につき少なくとも5枚。10枚以上になることも多い。あの夏は来る日も来る日も、小さな花の絵を描く日が続いた。

 当然、梅雨の季節には紫陽花を描かなくてはならない。手まり咲きではない紫陽花。庭のヤマアジサイならひとつひとつの花が独立している。描けると思い試みた。

 でももしかしたら今日の自分、この桃紅さんの器と父が植えた庭の花のコラボレーションを目の前に観た自分なら、新しい気持ちで描けるかもしれないと思ったりする。何を描くにも、心にひどく響くものがないと難しい。今は自由に絵を描く日々なので、特にその思いが強い。

 絵を描く身には幸せなこと。心に深く響く何かは、若い頃より確実に増えている。



31 May 2025



散歩道から

 運動不足でひどい目に遭ったことがあります。わけあって家に引きこもりがちだったある冬の後、腰椎を傷めた。痛みは数か月続いた。以来、毎朝の腹筋運動、ストレッチ、骨を丈夫にするコツコツ体操、クルマは使わずなるべく歩きか自転車、そして手のひらを太陽に!日に当たる事を心がけています。

 「カルシウムはサプリではなく毎日の食べ物から摂りましょう。それならいくら摂っても害にはなりませんよ」。整形のドクターにアドバイス頂く。煮干し、ナッツ類、海藻類、大豆食品に、青菜類もよい。パスタ料理に入れたりする。(余談ですが、お米不足で心配なのは、和食離れです。現にお醤油の減り具合が前と違いますもの)

 先日、少し遠出の散歩をしました。新緑の季節、このトンネルをくぐりたくて。




 緑の景色には、よーく観ると、多様な色が隠されています。レッスンで緑の描写が難しいと質問されることが時々あるのですが、写真を資料に使う際は、そこに写る色に頼り切らないほうがよいとお伝えします。写真や画像の光学的仕組みはよくわからないのだけれど、飛んで消えてしまう色、つぶれてしまう色がかなりあるように思う。この場合、写真は充分ではないのです。

 その場でスケッチできれば一番。でもいつもとはゆきませんね。画像や写真を頼りにするには、まず紙に出力、プリントアウトします。そうすることで、光源として光を発するスマホやPCの画面からより、その時の「印象」がずっと深く心に呼び覚まされる。その「記憶」と「印象」を描くことが何より大切で、そうであればこそ、絵を介し、それを観てくださる人と共感が出来る。これは抽象でもコラージュでも、同じだと思う。

 ただ表面を写すのではなく、その形、色彩、陰影から自分がキャッチした「思い」を表現する。例えば上の写真なら、 


  少しひんやりした空気
  新緑のトンネルに道が一本伸びている
  その向こうには
  いったい何が待っているんだろう


 この風景の要素全てが私に与えるワクワクした気持ちを描かずに、何を描くか、ということです。 

 ここではなく別の道ですが、ハニーサックル(忍冬:スイカズラ)の花があちこちに咲いていた。少し摘んで帰宅。蔓植物の形の面白さ、甘い香りをしばし愉しみました。

9 May 2025



Another Green World

 最近リーズナブルで、しかも美味しい静岡茶を見つけた。朝いちばん、少し冷ましたお湯でゆっくりと淹れる。この写真のような手入れされた美しい「トピアリー」お茶畑を思い浮かべながら頂くと、香りが一層豊かに感じられ、格別です。

 もう何十年も前になるが、原田泰司さんの小さな画集を、入院していた祖母に持って行ったことがある。日本の田園、里山の風景が描かれた画集。田舎で育った祖母、目を細めて喜んでくれた。

 ところでお米。ニュースでは5キロ4,000円台と盛んに言うけれど、この辺りでは5,000円台が続く。1年経たずに倍以上。お米さえあれば、だったのが、突然高級食材になりつつある日本のお米。

 仲買業者が高値を付けてくれる。しかしコメ離れが起こる心配から値段を下げてくれと頼む農家の方がいる、なんて報道が。

 三食ご飯でもいいくらいご飯大好きな自分でさえ、パンや麺類を食べることが増えた。パンを焼くのは前からだけれど、以前より頻繁になった。




 いったい今までと何が変わってしまったのか。理由は一つではないだろう。未来を見据えて知恵を絞り、この状況を改善してゆく方向へ向かいますように。庶民の胃袋はもちろん、日本の田園や里山の美しい原風景を守るためにも。 




 これは 'HOME FARM' という洋書(Paul Heiney 著 / Dorking Kindersley 刊)より。Country Living magazine のガーデニングページに絵を描いていた頃、向こうで求めた。資料として、大いに頼りがいがあった。多岐にわたる自給自足農業についての本で、内容のほとんどはヨーロッパの農業や牧畜についてなのだが、日本の稲作についての記述もあり、うれしかった。

 当時はロンドンのチャイナタウンのスーパーで、スペイン米を求めていた。粒が大きかったが贅沢は言えません。まあまあ美味しかったし。カリフォルニア米は水田ではなく乾いた土地に空から種を蒔いて育てる大規模な農法だと少し前にテレビで観たが、同じことを試みている日本の若い農家さんもいると、昨日知る。

 農業人口の減少や気候変動への対応・・・。日本の水田は消え、グローバルな農法に移行してゆくのだろうか。

 でもでも、世の中から和服を着る人、居なくならないですよね。水田もその姿をいつまでも留めてほしいと、夢見る「アウト老」(←みうらじゅんさんの新語)、ブツブツつぶやく。

12 Apr 2025



シャガの花

 今年はシャガの花が今までになく沢山咲いてくれて、小さな庭が賑やか。コロナ前になるから、もう6、7年経つだろうか。明日館でレッスンをしていた頃、行き帰りにによく立ち寄った目白庭園で、ひと株手に入れたものの子孫です。

 ゆっくりゆっくりと、植物は歩く。

 そもそも目白庭園からスカウトした苗は、今盛んに咲いている場所から少し離れたところに植えた。しかし一年ごとにじわじわと移動し始める。はじめは迷走している感じだった。でも数年後、狙いを定めたかなと感じた。

 日があまり当たらないので日光を必要とする花は植えられないから、アイビーで地面をカバーしていた塀に沿う狭い場所があり、去年あたりからそこが気に入ったのが見て取れた。力強い古株アイビーをものともせず、スッとしたシャガの葉が秋から冬にかけてバリバリと伸び始めたんです。

 そして春。ずらり花穂が景気よく伸び、次々咲いてくれている。ありがとう。うれしいよ。



 肥料も何も与えていないのに、こんなに元気に咲いてくれた。

 NHKのカールさんとティーナさんの番組が好きで、よくオンデマンドで観ています。お二人の庭にもこの花が咲く。ティーナさんが大好きだと仰っていた。共感します。




 うちのシャガのふるさと、目白庭園。これは冬の景色です。池の周囲は5分もかからず一周できる、こじんまりとした回遊式日本庭園。もとは大地主の敷地だったそうで、1990年に江戸時代以来の伝統を踏襲し作庭されたとのこと。案外新しいんで驚く。築地塀も長屋門も風情がある。

 赤鳥庵という数寄屋造りの平屋が園内にある。童話作家の鈴木三重吉がこの近所に住んでいたそうで、三重吉が発行した子供文芸誌「赤い鳥」から名前を取ったのだそうです。

 時には池のほとりの六角浮き見堂で、持参したおにぎりやサンドイッチをサクッと食べてから明日館に向かった。懐かしい場所です。 

9 Apr 2025



Arrival of Spring

 春ですね。ホックニーが言うように、「春の到来」、これ以上のよいニュースはない。特に最近の世界情勢、地球のことも、なんでそうなるの?ということばかり。こんな風に穏やかな春を愛でられる。それを幸せと感謝し、心身を健やかに保つ小さな工夫を重ねています。




 絵を描く事、創作すること、課題や発表のプランを立てる事は、明日への待歯石。大きな励みです。

 桜の花を描きたいと仰る水彩クラスの生徒さんに昨日お伝えしたことは、花だけが独立して美しく見えるのではなくて、空の色、周囲の新緑、建築物など、それらとのハーモニーによって、花が生き生きと目に飛び込み、魂が震える=感動するのだということ。

 色に汚い色はないと、何十年も前、イラストレーターとして駆けだした頃に気が付いた。朝から晩まで、描いて、描いて、描いて・・・。そのうちふっと、隣り合う色との響き合いによって、どんな色彩も美しく輝くことを知った。嫌いな色というものが無くなった。
 


 周囲とのハーモニーがあるからこそ、どんなものも光を放つ。響き合いに敏感になると、対象をよく観ないわけにゆかなくなる。色彩ばかりではなく、光と陰、象(すがた)を知ることにつながってゆく。



 絵を描くことは、発見すること。探すのではなく。世界は美しいものに溢れています。

21 Mar 2025



春の訪れ

 盆栽で求めた侘助椿。この花を知ったのは、庄野潤三先生のお仕事を通じてでした。

 地植えにして、もう10年くらい経つかもしれない。ねじ曲がった茎がやっと上を向き始めたのはいいけれど、ちっとも花を着けずに我慢の年月。ようやく今年、いかにも控えめにいくつかの白い花が咲いてくれた。うれしくてハサミを入れ、以前Cさんに頂いた一輪挿しに生ける。なんて品のある花。

 David Hockney は勝手に心のお師匠さまと慕っている画家だけれど、今どきは幸せなことに、動画でたっぷりインタヴューを拝聴できる。その中で、'arrival of spring' という言葉が印象に残った。

 誰かが教えてくれた話として、テレビのひとこまについて語るホックニー。「どうしたらニュースを見て楽観的になれるでしょう」。その質問にある哲学者が「それがテレビというものです。悪いニュースはお金になる。だから嫌なニュースばかりを流すんです」。ではよいニュースって何でしょう? 哲学者は一言、こう答えたというのです。

 'Well, the arrival of Spring.'
 



 先日小石川植物園で、何十年ぶり? ミノムシに出会いました。子どもの頃、中の虫を引っ張り出して(ゴメンね)、毛糸クズや布切れ、紙切れを一緒に容器に入れ、観察したことがあります。クズを素材に、素晴らしくカラフルで愛らしいお家を、彼はこしらえて見せてくれた。もしかしたらその時の驚きは、今も私の仕事に大きな影響を与え続けてくれている。




  これからしばらく春の訪れに、大きく見開いた目を凝らしましょう。

4 Oct 2024

 



2025 FLOWER CALENDAR

 今年もこの季節になりました。16日から始まる東京のグループ展に、何とか間に合いそうです!よかった。

 今年のテーマは「花」一本に絞りました。とりとめなくスケッチしてきたものを、12か月に配分する、その作業に苦心しつつも愉しくて、また来年も花にしよう!と気だけは早い自分です。

 以前、友人と3人で好きな花について話したとき、ふたりは迷わず大輪の花を挙げていた。私はと言えば守護花にヘザー(エリカ)を選ぶくらいですから、小さな花ばかり。今回もそんなチョイスになりました。

 唯一大輪的カラーリリー(8月)も開花前を描いたもので、楚々として凛として美しかった。8月は暑さに参る季節なので、この花に任せることに。

 精細なプリントに定評のある印刷会社にお願いしました。この花もきれいに色が出るといいな。庭で咲いている、カタバミ科カタバミ属の 'Oxalis Triangularis' です。日本では「紫の舞」と呼ばれる花。とても丈夫で、暑さにも寒さにも負けません。紫の三角の葉が個性的な南米産。ブローチみたいに、小さな庭のアクセントになってくれる。おそらく来年も残暑厳しい、9月を担当してもらいます。




 来週印刷が仕上がってきたら、あらためて写真を撮ってみます。グループ展の準備にパンパンの毎日ですが、到着がとても愉しみ。

 ご予約について、shopページを更新しました。どうぞよろしくお願いします。(グループ展でも、もちろん販売します♪)

19 Oct 2021

 



そんな秋

 外は冷たい雨が降っている。昨夜はとうとう電気ストーブを点けました。このまま季節をスキップして、冬になってしまうのか。最近は春も短いし。四季のある国に生まれたから、それぞれの季節の風情に気持ちが助けられますが、特に寒と暖の境目の春と秋は、色彩がカラフルで想像力を刺激される。その季節が短いのは寂しいこと。景色が一層胸に迫る。

 今日は雨でチャンスを逃したが、近所の散歩コースは、今、柿の実が鮮やか。朱く熟れたものとまだ黄色いものとが混じる。緑の葉は光を受け一枚一枚違って輝き、見上げれば青い空とどちらが背景かわからないくらいに混じり合って映る。向こうに広がる宇宙の無限。一瞬違えば、目に留まらず、立ち止まりもしなかったかもしれない。

 たとえば、歩きながら地面に美しい落ち葉を見つける。ま、いっか・・・と通り過ぎた後、いや、やはり家に持ち帰ろう、押し葉にしようと戻っても、さて絶対に見つからない。

 出合った時が吉日で吉時間。時間は止まらないし、戻らない。ビートルズは 'Life is very short' と歌ったが、私は 'You only live once'「人生は一度」という方が好き。坂東玉三郎さんは「生まれ変わったら?」の質問に「生まれ変わりたくない」ときっぱり答えた。そのくらいの心意気で、柿を見上げたい。そんな秋です。

 


 

10 Dec 2020

 



小鳥たちのために

 小鳥を描きたいという生徒さんに言うアドバイスは、小鳥じゃなくて木の葉を描くような気持ちでまずは形を取りましょう。それから、お顔のこと。特に目の描き方。小鳥の目は本当に愛らしいから、ドギツクならないように。あるちょっとしたヒントをお伝えします。足の踏ん張りの描写も、加点の高い技。

 上の絵は、イギリスで幸運なときにだけ見かけるブルー・ティットという小鳥です。ご覧のように、青い帽子を被っている。ものすごくちっちゃい。ひゅっと目の前を横切るとき、流れ星を見たように幸せな気持ちになる。

 でもこの青い帽子をかっちり描くと、坊主頭の一休さんみたいになっちゃう。だからふわふわっと羽毛を感じさせるように、色鉛筆でやさしく描いてみた。羽の部分にも色鉛筆のタッチを加えています。

 一発でこんな風にうまくゆくことはまず無くて、何べんも失敗して、少しずつシンプルにしながら「私のブルーティット」「私の小鳥」が生まれる。シンプルにする過程で、この小鳥に私が抱く思いが、ギュッと濃縮されてゆく。

 実は今日は大変だった。二階の父の使っていた部屋を来週からの大改造に向かって毎日掃除しているのですが、今年の春、雨戸の戸袋に、たぶん雀たちが巣を作っていた。ピーピーと賑やかだったから、そのことは分かっていた。父は何年もの間、2か所の雨戸を締めきりにしていた。今思えば、さあここに巣を作ってくださいと言わんばかりに。隙間から親鳥たちが入って、天敵からも嵐からも完全にシャットアウトされた、恰好の子育て部屋にしていたのだ。

 困った時にスーパーマンのように助けてくださるSさんにお願いして、掃除してもらうことになった。雨戸を一枚外し、戸袋の中をのぞいたSさんの後ろ姿がギョッとしていた。

 結果を言うと、45リットルのごみ袋にほぼ一杯の藁や小枝が、これでもかこれでもかと出てきたのです。奥の方は、土のように固まっていたという。たいへんな作業の末、窓は何年もの時を経て、全開された。夕日が美しかった。

 この戸袋から、何羽のヒナが巣立ったのだろう。来年からはゴメンネだけど、その分私は、せっせと小鳥の絵を描こうと思う。


25 Aug 2020

 



目に見えるものと見えないもの

 年を取ると早起きになるとよく聞いていたけれど、確かにそうで、でも自動的に早起きになるというより私の場合、早起きをしたくてたまらない感じ。

 最近は4時半に目覚ましをセットしている。起きてすぐに東の空を見る。カリッと宵の明星が輝いている。ここ数日はその時間、外気がぐっと温度を下げた。

 お湯を沸かし、簡単な朝ごはんの支度をしながら、30分後にもう一度見ると、もう金星は消えている。太陽が昇ったからだ。小鳥たちも目を覚ます。

 私たちの星は、毎日毎日これを繰り返している。

 朝のまだ暗いうちの景色は、今までしてきた旅の朝と重なって、目覚めたばかりの五感を刺激する。旅に出ると、とくに移動の日は、早起きをしなくてはならない。見知らぬ街の朝ほど、ワクワクする景色はない。その期待と不安の思い出すべてが重なる。

 静かなホテルのフロント、空港までのタクシー、バス乗り場や駅までの道のり、人がまばらで、空間ばかりが目立つターミナル、刻々変わる空の色、その街その街の澄んだ空気の匂い。これから向かう場所への期待よりも、その一刻が尊く思われる。

 この写真は、去年の5月、HACとHICのメンバー有志と出掛けた南イングランド、ライの街の朝。海のある街。カモメの声がBGMの静かな朝でした。

 


 夜が明けて、世界が色にあふれるまで、しばらくボーっと窓の外を見ていた。



 太陽の圧倒的光でかき消されている、でもそこに確かに存在する満天の星たち。今日はその星のことを意識して、一日を過ごしてみよう。


17 Aug 2020



残暑お見舞い

 皆さま、いかがお過ごしでしょう。コロナに豪雨、長梅雨に酷暑。心はなるべく平穏にと努めています、とかカッコいいことではゼンゼンなく、出来る日には短い昼寝を。

 「パワーナッピング」と言うそうですね。たとえ5分でも仮眠すると、そのあとの「パフォーマンス」が俄然違ってくるんだとか。確かに、脳内がすっきりします。

 昨日もまた、暑くて辛い一日の始まりと思いきや、幸いにも違った。日曜美術館でオラファー・エリアソンの展覧会の様子を観ることができたから。この展覧会は始まる前からずっと愉しみにしていたのが、コロナで延期になり、再開してもまだ行けないでいる。9月下旬の最終日までに、都内へと出掛けられるだろうか?

 この偉大な芸術家の作品を初めて体験したのは時を17年も遡り、2003年のロンドン、現代美術のミュージアム、テートモダンででした。会場に一歩足を踏み入れた途端、この景色。



 ウェザー・プロジェクトと名付けられた、これは巨大なインスタレーションです。発電所だった建物を美術館にリノベーションしたテートモダンの、信じられないくらいどでかい空間に、これまたどでかい太陽を、オラファー・エリアソンは設えて見せた。今思い出しても、モダンアートから受ける最大級の刺激的体験でした。

 歩道橋の向こうや天井に映る人影で、この空間の巨大さが伝わるでしょうか? あらゆる年代の人間が、思い思いの姿で、この人工の太陽を仰いでいた。

 平和な気持ち、とも違う。畏れのようなもの、とも違う。それまで経験したことの無い、フラットな気持ちにさせられたのを思い出します。アインシュタインは「遠方では時計が遅くなる」ことをつきとめましたが、その実験の粒子の一つに自分がなったような。たとえて言えばそんな感じ。記憶を反芻すると、ある実験者がどこか遠くにいるのをかすかに感じるような、そんな気持ちもよみがえります。

 その後、2005年には東京の原美術館で、「Olafur Eliasson 陰の光」という展覧会を体験。今回の展覧会にも出品されている虹の作品を観ることが出来た。(原美術館が今年の12月で閉館するというニュースは、本当に残念です。)

 日曜美術館では、オラファー・エリアソン自身の言葉を多く聞けたのがうれしかった。

 まず展覧会場の最初に飾られているという、1,5000年から20,000年前の氷河で描いた大きな水彩。氷が溶けるままに時が描いた不定形の抽象画に「規則性のある形をドローイングで加え、より確かな存在感を出すようにしました」。創作の際いつも漠然と思っていることを、私のつたない思考の一万倍馬力で仰ってくれた。

 TV画面を通してだって、この作品を前にしたら、悠久の時を感じないわけに行かない。作家が「光が放たれるような特徴を持たせようとした」この作品は、観客に向けての「ちょっとしたグリーティング(ご挨拶)なんです」という言葉にも、しびれました。

 私たちの東京クラスも、秋のグループ展に向けて、あるささやかなプロジェクトを進めています。このコロナの時代にあって自分たちに何ができるかを考えたとき、自然に浮かんだその企画への心優しい励ましにも思え、頭の中に大きな風力発電の羽根がゆっくりと回り始めた思いがするのです。

つづく 

6 Feb 2020



トーべさん

 またしても、間が空いてしまいました。この間、父が体調を崩し、年が改まり、色々ありました。幸いひと月ほどの療養で、父の体調は穏やかに。ほっとしたところです。

 最近、自分のために始めたことがあります。朝、日の出を観ること。ゴミ出しの日に目にした朝焼けの山並みがあんまり美しく、たぶんその時ちょっと参っていたんだと思う。心に焼き付いて、大きな救いを感じました。すぐに描いたのがこの小さな絵です。Instagram には、若い頃から好きな句と一緒に投稿しました。


 

「峰朝焼 力は登りつつ溜める」 加藤知世子


 それから早朝、眺めのいい近くの山に何度か車で出掛けたりもしましたが、その朝のような感動はもう無いのです。そうだった。探してはいけないのだ。求めてはいけないのだ。ヘッセの『デミアン』にもそう書いてあったじゃないか。

 それでゴミ出しのついでのような気楽な気持ちで、毎朝近所を歩くことにしました。通学途中の小学生はとぼとぼ歩く。中学生は速足。朝日のよく見えるスポットも発見した。ミーアキャットみたいな具合に道端に立ち、小中学生に「おはようございまーす」なんて声掛けしてるヘンなオバサンがいたら、それは私です。

 昨日の朝のことです。暖冬の今年らしく、それにしても早咲きの河津桜を見上げていると、「昨日から咲き始めたわね」。声をかけてくださる年配の女性がいました。その日はそれだけでしたが、今朝もお会いした。

 何処まで歩かれているのか訊くと、往復1時間の「ある場所」までと仰るんで驚く。私の足では、もっとかかりそうな山の上だからです。もう二十年以上欠かさずやってるからと、こともなげに。「60歳の頃から」ということは・・・「満で84歳」とにっこり。とてもとても、そうは見えません。10歳、いやそれ以上お若く見える。溌溂として小柄で、誰かに似ている。そうだ、トーベ・ヤンソンだ。

 サラッとした短い会話の中に、心根の温かさや芯の強さを感じ、なんていい出会いに恵まれたんだろう。低く差すオレンジ色の朝日の中で感謝しました。

 「やっぱり積み重ね、かしらね」

 毎日繰り返される日常の中にこそ、本当の朝日は昇る。いつも行き当たりばったりの私に、朝の光がそっと囁いてくれたような、一日のはじまり。