5 Jul 2026


朝日を浴びるホックニーの本たち


ホックニーと水丸さん

幼い頃から変わらぬ、絵を描くことへのスピリット。いわゆる「達者な絵描き」になるのを拒み続けたお二人の作品に共通することってなんだろう。ホックニーの座右の銘「Love Life」。それに尽きるのではないか。水丸さんの回顧展に感動の後、ホックニーの他界に接し、あらためて感じ入っているところです。

ホックニーの探求心と知性、そして真心には、1970年代に画学生だった世界中の多くの仲間同様、もう半世紀も魅かれ続けている。図書館で借りてきた本を大学ノートに書写し、それをもう何十年も読み返してきました。最近は、東京で数年前に開催された大きな展覧会で求めた、辞書のように分厚い2冊『春はまた巡る』と『絵画の歴史』を、ことあるごとに開き、絵から言葉から、飛び込んでくるメッセージに活力を貰っています。

この地球にもうホックニーはいないのだと思うと、親を亡くしたように寂しい。遺された多くの作品と言葉は無限の泉。これからもずっと学び続けて行くことでしょう。

描くことは見ることです。見るとは五感の一つ。つまり感受すること。新鮮な気持ちで対象である物や景色、また同じように自分の描いた絵からも何かを感じること。はじめは小さなさざ波であっても、真心で描くことによって、おのずと自分だけの「記憶」や「時間」を込めることになる。感動の振れ幅が静かに増してゆく。探求になってゆくのです。

水丸さんの回顧展、素晴らしかったです。自らを「芸術家ではない」と本の中で遺されている水丸さんですが、観る者にとって、水丸さんの作品はアートです。語りかけてくる何かが半端なく豊かだからです。


本棚からかき集めた水丸さん関連の本


「ピカソは、自分は絵を芸術作品として描いたことなどついぞなかった。それはいつだって探求だったし、いつだって時間についてのものだった、と言っている」

ホックニーの言葉からの引用です。一方、こうも言っています。

「楽しくないアートなんて駄目さ。遊びがなけりゃ、なんにもできない。遊びっていうのは、すごく大切なんだ。根本においては真面目なことでもある」

これを私はジャズの名曲「スイングしなけりゃ意味がない」的に「愉しくなければアートじゃない」と意訳して唱えます。唱えながら日々、家事もご飯も仕事も庭仕事も、ぜんぶ地続きに遊びたい。

生きていれば色々あるし、気持ちの浮き沈みもある。でも自分の年齢になると急に押し寄せてくる「別れ」や「悲しみ」は躓きとは違う。それも地続きなんだとわかってくる。

Thank you, Mr. Hockney and Mizumaru san.

Love Life.

25 Mar 2026



春を迎えて

 4か月近くもブランクを経ての投稿です。こちらにもっと書きたい気持ち、いつもあったのですが、昨秋のグループ展の後から今に至るまで、言ってみれば「冬眠」。脳の一部が、ぐっすり眠りこけていたみたいです。

 休息を取ったおかげで、新しい日々が始まった。そんな気持ちもしています。
 



 現在発売中、「私の花生活」(日本ヴォーグ社)春号の巻頭連載ページです。スタートしてなんと丸7年。今、夏号のための原稿を執筆中で、8年目に突入です。編集長はじめ、スタッフの皆さんにご理解いただき、思いのままに制作させていただいています。だから毎回発見と喜びがある。有り難いことです。

 一昨年まではスタジオで構成し撮影していただくアッサンブラージュでしたが、昨年からしっかり糊付けをするコラージュに変更。創作のこぼれ話や素材についてのエピソードを語るモノクロページも設けていただきました。
 



 撮影から戻ってきた作品を、こんな風にスタジオに飾っています。10月の明日館、JMショップギャラリー展でご覧いただく予定です。

 



 26年前に購入して以来ずっとお世話になっているサイクルショップで、愛車にピカピカの荷台を付けてもらいました。もう今はない会社の自転車ですから、ほかのメーカーのものを取り寄せて、うまく付けてくださった。これまたお気に入りのピクニックバスケット。これを括り付けたかったのです。 Dean and Deluca のバスケットです。すごく頑丈で、形も可愛い。卵もお肉もお魚も、たま~に求める魚がし寿司のパックなんかも平らに入れられて便利。

 ・・・てな具合に、またぼちぼちこちらに投稿をしたいと思っています。読んでくださり、ありがとうございます♪

5 Dec 2025





This Must be the Place

 おかげさまで、素晴らしいグループ展を開催することができました。

 地元はもちろん、遠く東京や関東からも多くのお客さまがいらしてくださった。うれしい!が連続の1週間。本当に本当にありがとうございました。(まだお礼のメッセージが行き届かず、スミマセン)

 来年の夏、Hiro's Art Classは20周年を迎えます。沼津クラスは5年遅れて始まったので、やはり15年という節目の年。遡れば贅沢にも、この Gallery OKUWA をお借りしてスタートしたのです。

 今回の展覧会にはその頃から受講くださっている秋山さんをはじめ、関東や北海道の生徒さんも加わってくださった。メンバーに恵まれ、長く続けて来られたことの幸せをかみしめながら会場に立ちました。

 


 こちらは初日のスナップショットです。初日だけでなく、連日どの時間もお客様が途絶えることがなかった。感謝でいっぱいです。

 「ひもの和助」の2階「Gallery OKUWA」は1階のレストラン同様、特別な雰囲気を持っています。おおらかで温かく、なお静謐な空気。お客様はその空気に守られながら、私たちの多様な作品をじっくり御覧くださる。




 交代でメンバーがお当番を務めてくれて、遠く東京、神奈川からも朝早くにやってきてくれました。

 この25年の間、有難いことに個展とグループ展の機会をたくさん得てきました。お客様がどんな感想、反応を見せてくださるか。静かに観て行かれる方からも、熱心に質問を投げかけてくださる方からも、ともに励ましをもらい、作品を通じてその場に何かが生まれる。






 沼津の地元紙、「沼津朝日」に掲載いただいた記事がまた有難かったです。搬入の日に、取材頂きました。多様な作品から、メンバーと私の心の赴くままに変化してきたこのレッスンの「今」をよく理解してくださり、まだ見ぬ未来に進んでゆく勇気を頂きました。




 今年は水彩もコラージュも、「日記」をテーマに進めてきました。

 「型にはまらない自由な時間の移ろい」

 記事の終盤のこの言葉。イギリスでの体験から実感した創作の自由、そして帰国後、庄野潤三先生の文学から学んだ、何でもない日常の大切。大好きで毎回愉しみに観ていた、そして昨夜終了したNHKドラマ、「ひらやすみ」スピリットにも通じるように思います。

 作品には自分のその日が、いつだって自然と表れる。絵を描くことで、今まで知らなかった自分、今まで知らなかった世界を発見することができる。




 食べることと、愛すること。それが何より大切だと、デイヴィッド・ホックニーが言っていました。和助さんで頂く「ひものランチ」も幸せでした。



 


 結構な距離を愛車「ポニー・ヒューチヒェン号」で毎日通い、多くの方にびっくりされた。期間を終え、ゴールに倒れこむマラソン選手・・・とまではいかないけれど、1週間近くたって、やっとそろりそろり、通常運転に戻りつつあります。

 次は何をしよう。今月18日は明日館でのワークショップ。20日から25日は、長年お世話になった銀座ACギャラリーの閉廊に伴うファイナルグループ展。来秋10月には、東京メンバーを中心にした明日館のJMショップギャラリー展があります。和助さんでの次回は2年後?かな。またワクワク考えてゆきたいです。

 期間中、お運びくださった皆さま、遠くからエールを送ってくださった皆さま、そして温かく見守ってくださった和助の敬子店長はじめスタッフの皆さま、ほんとうにありがとうございました。

 そしてそしてこの展覧会のために、長い期間創作に向かって励んできたメンバーたち。よく頑張りました。ありがとう♪

8 Nov 2025

 



グループ展@沼津

 この画像をInstagramにシェアしたのが10月20日だったのに、すぐにこちらにお知らせできずに失礼しました。先ほど、exhibit のページを更新。24日から始まります。ぜひ観にいらしてください。





 和助さんの店内です。素敵でしょう? あの白洲正子が「最後の目利き」と讃えた、どこかでそう伝え聞いた覚えがある、以前銀座にあった「ギャラリー無境」の塚田晴可さん。「沼津には『和助』さんがある」と教えていただいた。もう20年近く前のこと。いまさらのように、ご縁に感謝です。

 久しぶりの沼津でのグループ展です。多くの方にご覧頂きたく、準備も大詰めに近付いています。アイアンの手すりのある階段を上って、和室ひとつを含む3つの部屋があるギャラリーに、どんな風に展示を試みましょう。

 近隣の方はもちろん、遠くからもよかったらぜひお越しください。沼津港もほど近いですし、沼津御用邸の趣も訪ねる価値あり。秋の一日、遠足気分でお出かけいただけたら幸せです。

4 Oct 2025





田舎道で

 今年も彼岸花の季節がやってきた。年々気候が厳しくなっているからか、この花の風景につく一息が、しみじみ深くなってきた。

 この日は自転車でちょっと遠出。林を抜けた細い道の先に、ゆっくりゆっくり歩いている人がいた。小柄なシルエット。高齢の方だとわかる。近くまで進み追い越しそうになったところに、彼岸花が数輪咲いていた。「こんにちは」とあいさつしてから、青空をバックにスマホで撮影していると「今年は遅いね」と、おじいさん。「あっちにもっとあるよ」。指差すほうを見ると、この群生があった。

 


  「どっかに白いのも咲くんだけど」

 聞けば健康な人が歩いても、ゆうに1時間半はかかるだろう距離を、毎日のように歩いているという。

 前日、ちょっと胸の詰まる悲しいことがあった。お世話になったある方の体調が思わしくないとの知らせ。心を落ち着けたくてサイクリングに出た。

 おじいさんは83歳だそうで、拝見したところ、足腰、それに眼もそのお年相応の感じがした。ちいさな歩幅でゆっくりゆっくり歩く姿、木陰に腰かけて水筒の水を飲む姿、「指輪物語」に登場する妖精の一族のひとりのように思えて、胸の中がほっと暖かくなった。

 秋の朝に、季節も刻もまるで外れではありますが、こんなときいつも浮かぶ、中村汀女の句がある。

 「外(と)にもでよ 触るるばかりに春の月」 



18 Sept 2025

 



あんぱんと詩とメルヘンと

 朝ドラも、大河も、毎回必ずということではないのですが、今年は両方が面白く、もれなく観ています。「あんぱん」、「べらぼう」、どちらも絵描きが登場すること、マスコミュニケーションの世界に生きる人々が描かれていること、自分が歩んできた道と重なる部分もあるので共感が大きい。それに役者、スタッフの方々の情熱あふれるお仕事がまた興味深くて、どちらも画面の隅々まで目を見開いて観ています。

 「あんぱん」はとうとうアンパンマン登場で、クライマックスに近付いていますね。このキャラクターに、私は詳しくはないのですが、幼かった甥や姪の様子から、子供たちの心を鷲づかみにしていることはもちろん知っていました。

 私にとってのやなせ・たかしさんは、世代的に雑誌「詩とメルヘン」。ただ、興味の対象が爆発的に増えるちょうど中高生の頃でしたから、あまりよい読者とは言えませんでした。

 それでもあの頃は「詩」というものが、いつも身近に感じられた時代で、詩やファンタジーが含まれる書籍や雑誌がたくさん出版されていたし、私も少ないお小遣いをはたいて、せっせとそれらを求めました。

 この「やなせ・たかし責任編集 詩とメルヘン」1974年8月号をピンポイントで探し当て、フリマサイトでゲットできたことは、ほとんど奇跡のようです。

 若かった私が偶然出会うこととなったある詩人の方がいらして、不定期ではあったけれどその「本の巣」のようなお部屋に、まるで私塾に通うようにお邪魔していた時期がありました。本だけではなく、ピアノがあって、ヴァイオリンがあって、名札を付けたぬいぐるみの動物たちが大勢いて、キャンバスがあって、本棚のないわずかな壁には香月泰男の小さな絵が飾ってあって、おいしいスープやコーヒーを頂き、本のこと、詩のこと、芸術のこと、とめどなくお話を聴くことができる、当時の私にとってまさに「不思議の国のお部屋」でした。この「詩とメルヘン」を見せてくださった日のことは特に印象に残り、ずっと覚えていた。

 やなせさんによる見開きの挿絵の上に印刷された、その方の詩。まっすぐなまなざしと感受性の賜物。シュールとユーモアが重なりコントラストを生む独特の作風。貨物列車に記されたカタカナの文字が冒頭から躍るコトバの編み物。やなせさんがこの作品を選び、2色や1色ではないカラーの絵を、この詩のために描かれた理由がわかる気がします。





 大好きだった東君平さんの作品も掲載されていました。

 今思えば、高度成長期とはいえ、日本がボロボロに壊れた敗戦から、まだ30年も経っていないころです。親類にも、外地で戦って帰還した伯父、明日の命はないという覚悟で神経を失うような日々を送った伯父たちが何人かいた。幼かった自分にはその心のうちまでは見えなかったけれど、「あんぱん」を観ていると、烈火をかいくぐり生き延びた伯父たちの笑顔の向こうが見えるようで、胸が苦しくなります。

 詩人の加寿子さんからも、街が空襲を受けた時のことを聞いたことがある。飼い犬の繋がれていた杭、たぶん鉄柱だったのでしょう。それだけがぽつんと立っていた光景が忘れられないと。

 父は徴兵を間一髪で免れた世代だったけれど、中高年になるまで、爆撃機が頭上を飛ぶ夢にうなされたという。これもだいぶ後になってから、やっと教えてくれた。思い出すのさえ恐ろしい景色だったのだと想像します。

 『ひとはなぜ戦争をするのか』はアインシュタインとフロイトの往復書簡の本で、図書館で借りてはみたものの読めないまま時間切れで返した。すると間もなくのこと、「駄目だよ」と言わんばかりにラジオで、宗教学者の山折哲雄さんがこの本について語る場面に遭遇した。

 フロイトの説によれば、戦争のひとつの理由は、愛と生、子孫を残すための 「エロス」と、攻撃的、破壊的な欲求の「タナトス」。 人間がそれから逃れることは困難かもしれないが、「文化」が心に与える影響が、その誤った勢いを抑制することはできる。そのような意味のことを語られていた。

 加寿子さんがよく仰っていた言葉。

「人類に残された資源は、想像力だけ」

 もしかしたら創造力? でもきっと「想像力」。真の創造力は、想像力なしにはありえないもの。

 自分の世代は育ててくれた親たちが、若き日に戦争に翻弄された最後の世代だと思う。だからこそ感じること、思うことがある。文化や日々の暮らしを通じて、それを表してゆけたら・・・。ドラマ「あんぱん」とやなせさんの仕事は、その思いを励ましてくれた。残り少ない回も、大切に観届けたいです。

5 Sept 2025

 



不真面目な寄り道

 先延ばしにしていた紫陽花の剪定作業を、先月の暑い中、エイヤッとようやく片づけた。大きめの株が2つあり、昨年の剪定の仕方が悪くなかったようで、今年もたわわに咲いてくれた。

 枯れてゆくさまも美しく、得も言われぬ色彩とテクスチャーを見せてくれる紫陽花の花。今年も目と心に焼き付ける。



 イギリスのCountry Living誌の仕事をしていた時、与えられるテキストから自由に題材を選ぶことが出来た。無理せずに好きな物を選んだ。もともと克明に描くことはしない、というか出来ないので、これをこんな風に描いてくれと言われなかったことで、自分らしさを発見し育てることが出来たと思う。

 日本の文芸誌の仕事も同様で、編集者さんからあれこれ言われることはなく、自由に描かせてもらうことができた。

 こんな風に甘やかされて育ったためか、描けない花というものがある。紫陽花はその一つ。何故かはわからない。




  絵には描かない。でもこの感動はきっといつかどこかで生きる筈。だから、無理はしない。

 目にした感動を、すべて描くことはできない。描けないことに悩むより、今の自分にできることを一歩踏み出せば、きっと次の景色が見えてくる。記憶に刻まれた、たとえば紫陽花の朽ちた色合いがふっと現れ、助けてくれることもあるだろう。

 もうひとつ、ずっと先延ばしにしていたことがあった。パソコンの買い替えです。買い替えることで生じる労働を想像するだけで息苦しくなりながら、重~いパソコンをずるずる引きずっていた。でも、もうへとへとの玄界灘。これもついこの間、とうとう敢行した。

 そんなわけでここ数日、頭がパンパンになっていました。

 長く使った、前のパソコンの時代と今では、ものすごい進化が起こっていた。錆びたブリキみたいな脳に油を注し注し、検索 → ダウンロード → 設定 → 検索 → ダウンロード → 設定・・・を繰り返し、なんとか頑張った。メールアドレスも、今使っているものが、そのうち使えなくなることがわかり急いでメインを変更した。

 11月のグループ展のことも考えなくちゃいけないし、定期的に制作している雑誌の仕事もある。草取りもやらなくちゃ。運動もしなくては・・・。must や have to の日々が続くと、「あ、まずい」と警報が鳴る。

 「もっと不真面目でいーよ」

 暗い空の雲間から声が聞こえる。そうだった。「そんなに必死にならなくても」いーんである。ハッとして「真面目」にブレーキをかける。急ブレーキは危ないから、車の教習所で教わったように、ジュワーッとゆっくり踏む。で、久しぶりにこの、寄り道みたいなブログを書いているというわけです。

 やなせたかしさんは、仕事のエンジンを切らなかったという。先日観た、NHKのアーカイブ番組でそう仰っていた。切っちゃうと、戻るのに時間がかかるのでしょう。小者の私も、この仕事を始めた若い頃からそう感じていたので、恐れ多くも共感した。


「休養してると、だらっとなるんですね。要するに絶えずエンジンをかけっぱなしにしとかないとね、あとの案がもう出なくなっちゃうんです。一日休むともうわからなくなっちゃう。なんというか、ひとつの反射神経みたいなので描いているんで、ちょっと休むともうわからなくなっちゃうんですね。ほんの少しでも仕事してる。寝ててもギャグを考えてる」


 やなせさん、83歳のお言葉。

 このブログを書くこと、意味のないスケッチやコラージュは、エンジンを切らずにできる「寄り道」なのかもしれない。

 しかし、雲間からこっちを見てくれてるのは、いったい誰なんでしょうね?