ささやかな収穫
庭のアイコトマトが元気に色づいて、毎朝収穫しています。長雨の影響か、こちらの未熟さゆえか、実の中に少し芯が残っている。でもスープやパスタに使うには問題ありません。
昨日のお昼は、極細パスタのカッペリーニでスープパスタにしました。具はベーコンとアイコトマトに小松菜、しめじです。味付けは茅乃舎の野菜だし。美味しかった。冷製にしてもいいですね。
河 田 ヒ ロ の J O U R N A L / 日 々 の こ と
ささやかな収穫
庭のアイコトマトが元気に色づいて、毎朝収穫しています。長雨の影響か、こちらの未熟さゆえか、実の中に少し芯が残っている。でもスープやパスタに使うには問題ありません。
昨日のお昼は、極細パスタのカッペリーニでスープパスタにしました。具はベーコンとアイコトマトに小松菜、しめじです。味付けは茅乃舎の野菜だし。美味しかった。冷製にしてもいいですね。
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| 愛用の栞たち。 |
本を読む
読書好きの生徒さんたちに、時々尋ねます。今どんな本を読んでいるの? 好きな作家はいますか? 答は筆跡のように、それぞれ違う。誰もが大切にしている世界を持っていて、よりよい何かを求めている。それが静かに伝わってきて、たとえオンラインであっても、横たわる空間にやさしい雲や天体がぽっかりと浮かぶ。
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| 5歳の頃。お気に入りの青い皮靴をはいて。 |
子供の頃から、絵を描くことと本を読むことが好きでした。新しい本の匂い、装幀の美しさ、手に伝わる存在感、知らなかったことを知る喜び。たった数ページでも、読めば心の澱みをすっきり掃除し清めてもらえる。顔を上げたときの、次の一歩を導いてくれる。
悲しみも喜びも、若かった頃よりずっしり迫って来る近年の傾向として、「わかりやすくない本」に一層惹かれる自分がいます。例えば英国の小説家、ヴァージニア・ウルフ。彼女の本は長年ハードルが高かった。それがある時突然、ギギーッと重い扉が開いた。
‘out of the blue’。天から雷鳴が、じゃなくて次のような考えが轟いたんです。
「わからなくたっていいじゃないか。前の頁のことなど忘れちゃっていいんだよ。未知と既視感がないまぜでいいの。小舟をこぐようにゆっくりゆっくり。惹かれる言葉や表現が、ほら水面に反射する光のようにキラキラ輝くでしょう?」
すると堰を切ったように、その魅力を感受できるようになった。ウルフの著作、立て続けに読みました。
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| V.ウルフのクッションは、友人のBeckyさんが刺繍してくれた。 |
精神が洗われる本たちを小さなキッチンワゴンの「移動本棚」に納め、枕元に置いています。寝る前読書で今読んでいるのは『トーべ・ヤンソン短編集』。ヤンソンは、ギリギリまで言葉を節約して綴るヘキがあるのだそう。例えば、35の言葉を5つまで削る、とか。
行間は余白。読むことで完成する。日々溢れる小さな思いのかけらを、そこにそっと納めることができる。読書は、読むたび本も自分も変化します。
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| 表紙の絵がまたよくて。 |
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| 以前Mさんから頂いたボタンのマグネット。 |
冷蔵庫ウィーク
すぐに量販店をはしごして、タイプのものをみつけ注文する。ただ配達までに5日もかかってしまうという。そんな~。
買いためてあった食材たちが、刻々と解けてゆく。勿体ないから毎日冷凍コーンと冷凍枝豆の炒め物を食す。嫌いじゃないから別にいい。でも飽きる。お肉は残念だったけど半分捨てました。
災害で停電に遭ったら、こうなるということだ。しかも災害時には、精神的ダメージも加わる。いかに文明の利器に寄りかかって生きているかが、よおく分かった。月の電気代230円の稲垣えみ子さんのようには、とてもなれない。
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| 今のところ何も貼らずにスッキリと。いつまでもつでしょう。 |
新しい冷蔵庫は201リットル。小型の2ドアにした。充分だし、動かしやすいしと選んだ。このコと早く親友になりたい。保存の仕方も少し変えてゆこう。今日は冷凍野菜(きのこ3種にお茄子にパプリカ、ショウガなど)をせっせと仕込んだ。
食べるものが自分を作り、メンテナンスしてくれるということ。それが切実となってきた最近。そういえば尊敬する画家のジョージア・オキーフの伝記にあった。彼女の寝る前読書は、料理本だったと。庭にハーブや野菜を植えて、オキーフはかなり食生活に気を配る人だった。
アメリカ、ニューメキシコ州にあるアドベ造りの邸宅のキッチンは、シンプルで手作り感があってカッコいい。私が小さなキッチンツールを立てるのに使っているマスタード瓶と同じものを写真集のページに小さく発見した時は、ミーハーにうれしかった。
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| 暑くなってきたのでテーブル掛けをブルーにした。 |
小さな小さな菜園から
初夏の頃、野菜の直販所でミニトマトの苗を4本とピーマンの苗を1本求め、小さな花壇に植えた。すくすく育って愉しみにしていたのが、梅雨と台風の長雨で、1本がかなりダメージを受けてしまい、残念。引き抜かざるを得なくなった。もう1本もアヤシイ。
でも健康な苗たちから、アイコトマトを10個ほど、ピーマン2個をすでに収穫して、ピーマンは昨日のお昼の焼きそばに使った。美味しかった。
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| ライブで見ると虹のように輝いている。 |
ハーブ以外の食べられる何かを自ら育てるのは初めてです。花が次々咲いていた梅雨前の景色に、これはお店が開けるゾと喜んだが、自然が相手。そうは問屋が卸さない。「日々の食事に色合いを添えてくれるだけでも、ありがたいと思いなさい」。「はい、その通りです」。心でつぶやく。
「人はより多くを望み、より少なく成し遂げるもの」と、昔読んだ本(たしかエーリッヒ・ケストナーの児童文学)の一節にあった。初めにワクワクと身の丈を超えたスケールで望みを抱き、そこへ向かって励んだのなら、たとえ六、七割しか達成できなかったとしても、希みの元の大きさゆえ、意味のある結果となるものである。若い自分はそう理解した。
何十年も経て思い返す。なるほど。心当たりがいくつかあります。
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| ピーマンの赤ちゃん |
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| 朝日を浴びるホックニーの本たち |
幼い頃から変わらぬ、絵を描くことへのスピリット。いわゆる「達者な絵描き」になるのを拒み続けたお二人の作品に共通することってなんだろう。ホックニーの座右の銘「Love Life」。それに尽きるのではないか。水丸さんの回顧展に感動の後、ホックニーの他界に接し、あらためて感じ入っているところです。
ホックニーの探求心と知性、そして真心には、1970年代に画学生だった世界中の多くの仲間同様、もう半世紀も魅かれ続けている。図書館で借りてきた本を大学ノートに書写し、それをもう何十年も読み返してきました。最近は、東京で数年前に開催された大きな展覧会で求めた、辞書のように分厚い2冊『春はまた巡る』と『絵画の歴史』を、ことあるごとに開き、絵から言葉から、飛び込んでくるメッセージに活力を貰っています。
この地球にもうホックニーはいないのだと思うと、親を亡くしたように寂しい。遺された多くの作品と言葉は無限の泉。これからもずっと学び続けて行くことでしょう。
描くことは見ることです。見るとは五感の一つ。つまり感受すること。新鮮な気持ちで対象である物や景色、また同じように自分の描いた絵からも何かを感じること。はじめは小さなさざ波であっても、真心で描くことによって、おのずと自分だけの「記憶」や「時間」を込めることになる。感動の振れ幅が静かに増してゆく。探求になってゆくのです。
水丸さんの回顧展、素晴らしかったです。自らを「芸術家ではない」と本の中で遺されている水丸さんですが、観る者にとって、水丸さんの作品はアートです。語りかけてくる何かが半端なく豊かだからです。
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| 本棚からかき集めた水丸さん関連の本 |
「ピカソは、自分は絵を芸術作品として描いたことなどついぞなかった。それはいつだって探求だったし、いつだって時間についてのものだった、と言っている」
ホックニーの言葉からの引用です。一方、こうも言っています。
「楽しくないアートなんて駄目さ。遊びがなけりゃ、なんにもできない。遊びっていうのは、すごく大切なんだ。根本においては真面目なことでもある」
これを私はジャズの名曲「スイングしなけりゃ意味がない」的に「愉しくなければアートじゃない」と意訳して唱えます。唱えながら日々、家事もご飯も仕事も庭仕事も、ぜんぶ地続きに遊びたい。
生きていれば色々あるし、気持ちの浮き沈みもある。でも自分の年齢になると急に押し寄せてくる「別れ」や「悲しみ」は躓きとは違う。それも地続きなんだとわかってくる。
Thank you, Mr. Hockney and Mizumaru san.
Love Life.