22 Aug 2017



「花より花らしく」

 好きな本のタイトルです。しばらく手に取っていなかった。画家の三岸節子さんのこの本のことを思い出したのは、水彩クラスのHさんが、うれしいことを仰ってくださったから。

 8月のレッスン課題は、上のゼラニウムの花とジョウロの絵なのですが、「ゼラニウムの花がとてもシンプルに単純化されている(のに、ゼラニウムとわかる!)」。それを「単純化の素敵さ」とメールに書いてくださいました。

 対象が、その物以上にその物らしく見えたらと念じながら描きます。難しい。それはインスタグラムに投稿する写真も同じで、今自分が見ている美しさそのものを、どうやったら少しでも人に伝えられるだろう、と試行しています。世界中の人々がそこに命を燃やしている・・・と言ったら大げさかな。でも、毎日観ていて飽きないのは、それぞれ、ひとりひとりの生命が、あの小さな四角の中で黄色いの赤いの青いの、様々な炎や灯りとなって燃えているのがわかるからだと思う。




 花より花らしく。自分より自分らしく。自分らしくない絵は描けないし、自分の好まない道は歩けない。刻々と選択しながら、自分に出来ることをしてゆく。そうすることで、無駄がそぎ落とされてゆく。

 三岸さんは本の中でこう言う。

 「一本の線でも強靭な、切っても切れない線を描けるまでになりたいものです。」




 ロンドンに暮らすことになった時、二番目の下宿(友人の家)の部屋の外に鉢植えがあった。ガラス越し、アイビーとブラックベリーの生垣を背に毎日見ていたゼラニウムは、懐かしい花です。

 小さな庭に去年二株植えたところ、丈夫で冬でも枯れないどころか花開くこともあるし、温かくなれば堰を切ったように次々咲かす。春先に一度毛虫にやられかけたものの、ほどなくフッカツ。この暑さや湿度や大雨も、ものともしない。それでいて愛らしい。




 今年はセンテッド・ゼラニウムにも目覚め、なん株か植えました。これまたどれも元気。花瓶に生けるときには、この葉を添えるとよい香りがし一層幸福な気持ちになります。

 明日と明後日は、東京の水彩クラスです。さっきデモンストレーションのリハーサルをしました。ポイントをうまく伝えられるといいなと思います。ご参加の皆さま、よろしくお願いします。 

15 Aug 2017




ことば

 先日の「クローズアップ現代プラス」は、よい内容だった。子どもたちと一緒に世界中で起こっている、紛争や戦争について、テロについて、考えるという企画で、人気子役の子どもたちによる、美輪明宏さん、池上彰さんたち大人との対談を、興味深く観ました。

 美輪さんの戦争体験、被爆体験。「そこから得たものはなにか」と問う子どもに、「反骨精神」と言い切る美輪さんの姿には胸打たれた。

 難民として、文字通り必死の思いで国を出た子どもたちの描いた絵。それをアニメーションにした映像は、意味ある試み。↑にリンクした番組のサイトで観られます。

 シリア難民の15歳の少女の言葉を思わずメモした。


  「私は絵を描くことが好き。希望も悲しみも、絵に込められるから」


 過去の戦争のこと。この季節は特別によくよく思いを馳せ、特集番組を観て、直視に堪えないひどい出来事に向き合う。体験した人の苦しみは、ひ弱な自分がいくら頭に描いてもしきれない、想像を絶するものであるのだから。

 近年、私たちの親の世代が、これまで誰にも言えずにいた酷い体験について語り始めています。自らの老い、今語らねばと言う思いと、他にも様々な思いに突き動かされてではないでしょうか。そのような貴重な証言を含む番組が、今日もオンエアされていた。

 翻訳家で東大名誉教授の柴田元幸さんが、こんな本を出されている。




 日本国憲法制定時に、外国の国々へ向けて英訳された平和憲法。それを、また日本語へと柴田さんが翻訳なさった本です。社会の授業で教えられたものとは言葉づかいが違います。身近で平易な文体となっている。名翻訳家の手によって、内容のニュアンスもよく伝わる。木村草太さんが監修しています。朗読CDも付いています。

 ご興味のある方もおいでかと、紹介したく思いました。今日のこの日に。祈りとともに。




 もう一冊、最近読んだよい本。料理家の有元葉子さんの『使いきる。』と言う本。

 このキッチンミトンは、もう何年もこんな風に繕いながら愛用しています。有元さんのようにおしゃれな方も道具を繕って使われているのだと知り、身近に感じて嬉しかったし、「台所には、台が必要」との一文に刺激され、活用されていなかったミニワゴンをプチ改造したりしました。これは本当に、あると便利です。




 副題の「整理術」と言う言葉に引かれて図書館で借りたのですが、終わりに近づくにつれ、食材や道具を使いきることに限らない、有元さんの深い思いが伝わってきます。

 必要な言葉とは不思議なもので、数珠をつなぐように、続けて目の前に現れることがありますね。昨夜の日曜美術館は魯山人が特集でしたが、ゲストの樹木希林さんの言葉がよかった。


  「持って生まれたほころびを、繕いながら生きている」


 これからこれを私のマントラにしたいくらい。有元さんの本に教わった「使いきる」にぴったりと重なり、番組を観ることができた偶然に感謝しています。

2 Aug 2017




センチメンタル

 父が乗っていた古い、白髪のお爺さんのようなカローラを、この4年半、運転していた。マメに点検に出し、出掛ける前には雑巾でキュッキュッと拭いてあげて、IKEA で買った丸いシートをちょこんとアクセントに置いたりして、一頭の象を飼っているような気持ちで頼りにしていた。

 父の通院の付き添い、近隣で開催の個展やグループ展の搬入搬出、weekend books さん通い、たまには伊豆や箱根くらいまでのドライブに、遊びに来てくれた友人たちの案内など、出不精になりがちな私に、行動範囲と活気を与えてくれた。

 この「カローラ・キング」(好きなキャロル・キングにかけて、そう呼んでいました)、致命傷はないからまだ運転しようと思えばできるんですが、さすがに細かい不具合が起こってきて、修理を選ばず、とうとう別の車に乗り換えることになったのです。

 53歳の終わりから教習所に通い、ガリ勉(?)の甲斐あって54歳ちょうどで免許を持った。車との別れに免疫がない。無器用な運転によく付き合って、私や家族を守ってくれたキングは、この後どうなるのだろう。スクラップだろうか。または船でどこかの遠い国に運ばれて、土埃の中、まだまだがんばるのだろうか。

 車庫入れは4年半たった今も苦手。窓から首を出さないとできません。上の写真は違うけど、初めのうちは、某駐車場で父から猛特訓の日々が続いた。目的地に着くと同時に、膝がへなへな崩れてしまうくらい緊張して運転していました。

 前に村上春樹さんが、自分の英会話の力を量るひとつの方法について書かれていた。経験者は知る、ですが、電話で英語を話すのってほんっとに難しいのです。その時、前もって単語やフレーズなどを調べてからかけるのではまだ甘くて、いちかばちかで下準備なしにかけられたら合格点だと。説得力のある、なるほどのたとえ。

 それと同じに、やっと最近です、乗る前の妙な緊張や、バカ丁寧な道順確認が無くなってきたのは。バッグをポンと後部座席に置いて、すっと車に乗り込める。これも従順に仕えてくれた灰色の象、このカローラ・キングのおかげなのだ。
 



 さっきスーパーに最後のドライブ。ありがとう、と言いながらエンジンをかけ、お疲れさまと言いながらエンジンを切った。

 「人生に出会いと別れはつきもの」・・・などという陳腐な言い回しはしないのであ~る(ちかえもん、懐かしいな)。がしかし、年増の新人ドライバーに「いい気にならない」という大事なことを教えてくれたこの地味な車に、お別れを言うのがひどく寂しい。

 明日からいきなり、鮮やかな色の車になりますが(みんなが似合う、似合いそう、と言ってくれて、さっそくいい気になってる?かも。いかんいかん)、調子に乗らず、偉大なるキングの教えを胸に、もうしばらく安全ご近所運転に励もうと思います。