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5 Dec 2025





This Must be the Place

 おかげさまで、素晴らしいグループ展を開催することができました。

 地元はもちろん、遠く東京や関東からも多くのお客さまがいらしてくださった。うれしい!が連続の1週間。本当に本当にありがとうございました。(まだお礼のメッセージが行き届かず、スミマセン)

 来年の夏、Hiro's Art Classは20周年を迎えます。沼津クラスは5年遅れて始まったので、やはり15年という節目の年。遡れば贅沢にも、この Gallery OKUWA をお借りしてスタートしたのです。

 今回の展覧会にはその頃から受講くださっている秋山さんをはじめ、関東や北海道の生徒さんも加わってくださった。メンバーに恵まれ、長く続けて来られたことの幸せをかみしめながら会場に立ちました。

 


 こちらは初日のスナップショットです。初日だけでなく、連日どの時間もお客様が途絶えることがなかった。感謝でいっぱいです。

 「ひもの和助」の2階「Gallery OKUWA」は1階のレストラン同様、特別な雰囲気を持っています。おおらかで温かく、なお静謐な空気。お客様はその空気に守られながら、私たちの多様な作品をじっくり御覧くださる。




 交代でメンバーがお当番を務めてくれて、遠く東京、神奈川からも朝早くにやってきてくれました。

 この25年の間、有難いことに個展とグループ展の機会をたくさん得てきました。お客様がどんな感想、反応を見せてくださるか。静かに観て行かれる方からも、熱心に質問を投げかけてくださる方からも、ともに励ましをもらい、作品を通じてその場に何かが生まれる。






 沼津の地元紙、「沼津朝日」に掲載いただいた記事がまた有難かったです。搬入の日に、取材頂きました。多様な作品から、メンバーと私の心の赴くままに変化してきたこのレッスンの「今」をよく理解してくださり、まだ見ぬ未来に進んでゆく勇気を頂きました。




 今年は水彩もコラージュも、「日記」をテーマに進めてきました。

 「型にはまらない自由な時間の移ろい」

 記事の終盤のこの言葉。イギリスでの体験から実感した創作の自由、そして帰国後、庄野潤三先生の文学から学んだ、何でもない日常の大切。大好きで毎回愉しみに観ていた、そして昨夜終了したNHKドラマ、「ひらやすみ」スピリットにも通じるように思います。

 作品には自分のその日が、いつだって自然と表れる。絵を描くことで、今まで知らなかった自分、今まで知らなかった世界を発見することができる。




 食べることと、愛すること。それが何より大切だと、デイヴィッド・ホックニーが言っていました。和助さんで頂く「ひものランチ」も幸せでした。



 


 結構な距離を愛車「ポニー・ヒューチヒェン号」で毎日通い、多くの方にびっくりされた。期間を終え、ゴールに倒れこむマラソン選手・・・とまではいかないけれど、1週間近くたって、やっとそろりそろり、通常運転に戻りつつあります。

 次は何をしよう。今月18日は明日館でのワークショップ。20日から25日は、長年お世話になった銀座ACギャラリーの閉廊に伴うファイナルグループ展。来秋10月には、東京メンバーを中心にした明日館のJMショップギャラリー展があります。和助さんでの次回は2年後?かな。またワクワク考えてゆきたいです。

 期間中、お運びくださった皆さま、遠くからエールを送ってくださった皆さま、そして温かく見守ってくださった和助の敬子店長はじめスタッフの皆さま、ほんとうにありがとうございました。

 そしてそしてこの展覧会のために、長い期間創作に向かって励んできたメンバーたち。よく頑張りました。ありがとう♪

8 Nov 2025

 



グループ展@沼津

 この画像をInstagramにシェアしたのが10月20日だったのに、すぐにこちらにお知らせできずに失礼しました。先ほど、exhibit のページを更新。24日から始まります。ぜひ観にいらしてください。





 和助さんの店内です。素敵でしょう? あの白洲正子が「最後の目利き」と讃えた、どこかでそう伝え聞いた覚えがある、以前銀座にあった「ギャラリー無境」の塚田晴可さん。「沼津には『和助』さんがある」と教えていただいた。もう20年近く前のこと。いまさらのように、ご縁に感謝です。

 久しぶりの沼津でのグループ展です。多くの方にご覧頂きたく、準備も大詰めに近付いています。アイアンの手すりのある階段を上って、和室ひとつを含む3つの部屋があるギャラリーに、どんな風に展示を試みましょう。

 近隣の方はもちろん、遠くからもよかったらぜひお越しください。沼津港もほど近いですし、沼津御用邸の趣も訪ねる価値あり。秋の一日、遠足気分でお出かけいただけたら幸せです。

18 Jun 2025



Stepping Stone

 昨日のレッスンで作ったこのポケットスケッチブックのことを、メンバーのYさんが「チビスケブ」と名付けた。「紫式部」みたい。由緒正しき響き(?)が気に入った。

 この夏で20年目を迎える Hiro's Art Class。講師が「こんなもの欲しいな」と思ったものを作る無手勝流で、ありとあらゆるハンドクラフトを作ってきました。メンバーの皆さん、よく付き合ってくださり、面白がってくださって、あっという間の19年でした。

 最近は、講師が準備する素材や道具は最低限、または無くてもできるアイデアを試みています。周囲を見渡せば、皆さんすでになにかしらの素材をお持ちだからです。

 コロナ禍の波にもまれた後、オンラインや自宅での少人数レッスンを通して、お一人お一人の個性を今まで以上に感じるようになりました。みんなで同じ素材、同じものを制作するのではなく、それぞれの生き生きとした感受性を発揮して頂いて、それぞれに合ったレッスンをしたい。水彩クラスでは一足お先に試みていて、よい結果を生んでいます。コラージュとクラフトのレッスンでも、同じようにと少しずつ軌道修正しているところです。

 今回も思わぬアイデアが生まれたり、お手持ちの素材をうまく生かしてくださった。おそらくレッスンの後で一層アイデアが湧いてくるのでは? 私の投げかけるアイデアはシンプルであればあるほどよい。しかし可能性をはらむもの、ワクワクする「何か」でなければなりません。


 この形のミニスケッチブックは、以前イギリスの友人たちに頂いたものを参考に作りました。この通りに作らなくてもよいので、お手持ちの布を使ったり、厚紙を使ったり。工夫すること、自由な発想を形にすることが、脳と心を活性化させます。


 こちらは紙と布でカバーを制作。スナップボタンのパチンという音が快い。やったー!と思ったら一つ失敗に気付く。この位置だと、左ページに跡がついてしまうのです。次に作る時は要工夫。

 失敗には意味があります。こんな小さな何かでも、失敗なしに作ろうとすると心が固まってしまって、のびのびとしたプラスアルファが生まれません。自分で転んで、自分で学べば、この先忘れることもありませんし、失敗が成功のもとであることをこうして身をもって感じれば、生きていく過程での励ましにもなる。大げさなようですが、心からそう思います。 

 Failure is the stepping stone to success.

 願わくば、この「チビスケブ」のページのいくつかが、自分の絵を育てるちっちゃな布石となりますように。

9 Jun 2025




鉛筆

 鉛筆は最も身近な筆記具であり画材です。誰もが幼い頃、掌がまだちっちゃなもみじみたいだった頃から手に馴染み、削りながら大事に使うことを心得る。この筆記用具には、木の匂い、芯の匂い、紙への抵抗、デジタルドローイングでは味わえない趣があります。

 道具として歩んできたその歴史を調べてみると、誕生の地はイギリスでした。1560年代に鉱山でみつかった高品質の黒鉛をそのまま、または糸で巻いたり板にはめこんで使ったのだそう。

 そのうち硫黄の粉と練り固めて、1760年にドイツのカスパー・ファーバーが進化させ、「芯」化。カスパー・ファーバーは、ご存知、ドイツの文房具メーカー、ファーバー・カステルの創業者です。

 


 木の匂いはよいものですが、この全身黒鉛のグラファイト鉛筆は安定感抜群。よく使います。鉛筆にしては少々値が張るけれど、amazonで求めることができます。




 お次はフランス。画家であり化学者でもあったニコラス・ジャック・コンテという人が1795年に、黒鉛を粘土と混ぜ焼き固めることにより、芯の硬度をアレンジできるようになったとか。そうやって今使われている鉛筆の「芯」に「進化」(シツコクテスミマセン)していったのだそうです。スケッチや素描に使われるコンテ(黒や茶の角形棒状のチョーク)は、彼の名から来ている。

 最近、イラストレーターを目指していた若い頃、盛んに使っていたコンテ型のハードパステルが出てきて、新たな気持ちで使い始めています。硬度があるから、ハッチング(斜線の集合で描く事)が可能。粉にすることも可能です。何十年も経てこその発見もあるかもしれない。




 絵には「動き」が必要だと思う。気をつけて観ると、どんなに静謐な世界であったとしても、時代を超えて愛されてきた絵画には大きな、または微かな動きが表現されている。動きがあれば、観る人がその絵に感じるものが立体的になり、時間も感じる。自分が描いているような気持ちになることさえある。描かれた世界に入りこむ事が出来るのですね。だからこそ共感され、愛される絵となる。「動き」について、この画材から学ぶことは大きいです。

 色鉛筆は、昔からイギリスのメーカー、Derwent の水彩色鉛筆を使っています。水を使ったり、水彩とのミクストメディアとして使うこともあれば、そのまま普通の色鉛筆のように描くこともあります。色調で分け、立てて使うと、パッと取り出しやすい。いつまでもお行儀よくケースにしまって置かないでねと、生徒さんたちにもお話します。




 このスケッチは、普通の色鉛筆として使い描きました。筆圧とハッチングの向きに気を配って。



 田植えの季節ですね。先日、新幹線の窓から「おお、お米よ!」と水田を写したら、手前の木々が色鉛筆画のように! 偶然の産物に、また鉛筆愛が高まりました。



31 May 2025



散歩道から

 運動不足でひどい目に遭ったことがあります。わけあって家に引きこもりがちだったある冬の後、腰椎を傷めた。痛みは数か月続いた。以来、毎朝の腹筋運動、ストレッチ、骨を丈夫にするコツコツ体操、クルマは使わずなるべく歩きか自転車、そして手のひらを太陽に!日に当たる事を心がけています。

 「カルシウムはサプリではなく毎日の食べ物から摂りましょう。それならいくら摂っても害にはなりませんよ」。整形のドクターにアドバイス頂く。煮干し、ナッツ類、海藻類、大豆食品に、青菜類もよい。パスタ料理に入れたりする。(余談ですが、お米不足で心配なのは、和食離れです。現にお醤油の減り具合が前と違いますもの)

 先日、少し遠出の散歩をしました。新緑の季節、このトンネルをくぐりたくて。




 緑の景色には、よーく観ると、多様な色が隠されています。レッスンで緑の描写が難しいと質問されることが時々あるのですが、写真を資料に使う際は、そこに写る色に頼り切らないほうがよいとお伝えします。写真や画像の光学的仕組みはよくわからないのだけれど、飛んで消えてしまう色、つぶれてしまう色がかなりあるように思う。この場合、写真は充分ではないのです。

 その場でスケッチできれば一番。でもいつもとはゆきませんね。画像や写真を頼りにするには、まず紙に出力、プリントアウトします。そうすることで、光源として光を発するスマホやPCの画面からより、その時の「印象」がずっと深く心に呼び覚まされる。その「記憶」と「印象」を描くことが何より大切で、そうであればこそ、絵を介し、それを観てくださる人と共感が出来る。これは抽象でもコラージュでも、同じだと思う。

 ただ表面を写すのではなく、その形、色彩、陰影から自分がキャッチした「思い」を表現する。例えば上の写真なら、 


  少しひんやりした空気
  新緑のトンネルに道が一本伸びている
  その向こうには
  いったい何が待っているんだろう


 この風景の要素全てが私に与えるワクワクした気持ちを描かずに、何を描くか、ということです。 

 ここではなく別の道ですが、ハニーサックル(忍冬:スイカズラ)の花があちこちに咲いていた。少し摘んで帰宅。蔓植物の形の面白さ、甘い香りをしばし愉しみました。

7 May 2025




絵を描くこと

 庭のスズランが可愛らしくてたまらない。画家の堀文子さんは、絵を描くには対象に「逆上する」くらい感動が無いと、と書かれている。わかる。逆上するくらい愛おしい、我がスズランよ。

 よく水彩の生徒さんから、白い花はどう描いたらよいか尋ねられる。何か特別の描法があるかと言えばそんなことはなく、その時々によって変わる。充分に感じることが出来れば自ずとその日の「白」が見えてくると思う。

 それからあまたの偉大な画家たちが、白い花をどう表現しているかを観て学び、「共感」することも大事だと思う。

 先日図書館で借りた、若松英輔さんの『本を読めなくなった人のための読書論』が面白い。まず、本を読むには「書く」ことが大事、とある。なるほど、と膝を打つ思いがした。もしかしたら本を読むことは美術館やギャラリーを訪ねたり、画集を開いて芸術作品を感受する事。書くことはそのまま絵を描くことに当てはめてもよいと思った。

 印象的な言葉がいくつも出て来る。「待つ」こともそのひとつ。そして「まず、『ひとり』の時間を確保する。そして、『ひとり』の時間の快適さを実感することから始める」。

 イラストレーターとして締め切りと格闘していた頃のこと、描けない、と思うことがよくあった。長年そのデッドラインに鍛えられてきたのだから、自分がいずれ描くことはわかっている。でもそれを先延ばしにしたい。正直、できれば描きたくない。でもでも描かなくちゃ。

 そんなときやっていた「ひとり芝居」がある。「絵なんか描きたくなーい。描かないもんね。ぜったい」などと心でうそぶく。しかし白い紙を敷いた机の前に座ってはいる。この矛盾するつぶやきをしばらくくり返し、雑誌をパラパラしたり、引き出しの掃除をしたりして意味のない小さな作業をしていると、ふっと風向きが変わる瞬間があり、いつの間にか、描きだしている自分に気付く。

 描きたくないときは、肩に力が入っている。上手く描こうと欲をかいている。上手く描きたいとは、他と自分を比べる事から来る不自由さで、一番避けたい事。そんなときに無理をすれば面白くないし、絵がよいものにならないことは嫌というほど知っている。それで意識下の自分が工夫して、自然とこんな下手な芝居を編み出したんだろう。「『ひとり』の時間の快適さ」を手に入れるための、自分なりの儀式のようなものだったんだろう。

 『本を読めなくなった人のための読書論』にはこんな風に、こと読書に限らず気付かされることがあり、読者に寄り添ったとても読みやすい本。メモを取りながらゆっくり思考して、レッスンにも生かせたらと思います。

2 May 2025



'HAPPY HORMONE'

 季節がめぐって春から初夏へ。今日はあいにくの雨模様だけど、GWの頃は毎年気持ちのいい日が続く。うちの小さな庭にも、宿根草たちがハロー、ハローと顔を出し、一年ぶりの再会が続いています。

 気のせいか、今年は花の付きや色が鮮やかなように思う。去年より寒暖の差が大きいからか。または年を経るごとに、この世界の美しさが身に迫ってくる。そのおかげなのだろうか。




 これは、4月18日にクラスの有志と一緒に出掛けた、東京文京区の小石川植物園です。作り込まれたガーデンとは違う。ロンドンに暮らしていた頃に時々歩いた「コモン」と呼ばれる広大な緑地に近い風景。都会のど真ん中に、大きな樹木や林に触れられるこんな場所があるなんて。やっぱり東京は歴史ある都なのだ。

 開けた所には親子連れや園児たちが。しかし混みあう感じはない。奥に入った明るい林にも適度に人が散歩している。コモンよりずっと安心してスケッチが出来る。

 メンバーの多くは、外で絵を描くなんて小学生時代のスケッチ大会以来と。外で食べるご飯が美味しいのと同じに、外で描くのも「美味しい」に近い、独特な感覚を呼び起こす。発見がいっぱいありました。

 お日さまの光というものが関係しているのではないかと思う。セロトニン serotonin は、心の安定や睡眠の質を上げる「幸せホルモン」、英語で 'happy hormone' 'feel-good hormone' とも呼ばれる大切な神経伝達物質。調べるとその効果がたくさん出て来る。

 神経伝達物質の中には、喜びや意欲をもたらすが過剰になると問題もある「ドーパミン」と、集中や積極性をもたらしストレスに打ち勝つのを助けるけれど、やはり過ぎると攻撃性やパニックを引き起こす「ノルアドレナリン」があり、この二つのバランスを「まあ、まあ」となだめ保つ重要な神経伝達物質が、この「セロトニン」なのだという。

 セロトニンの分泌を促すためには、日光浴30分が効果的との事。限界値があるから、30分ほどでいいのだそうです。これから夏に向かうと熱中症や日焼けも気になってくる。早朝の時間を大事にしたい。雨や曇りの日にも、直接空からの光を浴びるのは有効らしいです。




 ここは、好きでよく行く場所、愛鷹自然公園。園内にある宿泊施設 「inn the park」のショップで、先日このお日さまのような、お月さまのような、お皿を求めました。




 セロトニン・プレートと呼ぼうかな。コラージュを愉しむように、料理や小さな器をのせて遊んでいます。猪熊弦一郎さんが、昔テレビの取材に応えていたのをよく憶えている。ハワイの別荘で檀ふみさんに「焼き飯を作りましょうか」と、手早く調理。よそったお皿にミニトマトをバランスよく飾り、「絵を描くのと同じ」と仰っていた。

 それ以来、私もいつもそう思ってよそうようになった。はたから見たら、ヤヤコシイヤツかも。でも愉しいし、ご飯が一層美味しくなる。

 「コラージュ向き」のフラットなお皿は重宝。このお日さま皿はホックニーっぽくて、今の気分に願ったり叶ったり!




 最近、鉛筆のドローイングが面白い。絵を描く行為もまた、セロトニン効果に似たものがあるかもしれない。他にも、楽器を奏でる、歌を歌う、踊る、スマートフォンで写真を撮ることだって、芸術は皆、心の平和をもたらす大切な活動だと思う。




 世界には戦争や紛争、災害の爪痕に辛い日々を堪えている人たちが大勢いる。彼の地にも季節のサインが、人々の喉を潤す、たとえ一滴の水のようにでも届いているだろうか。平和な日常の有難さを思う時、それを幸いと喜ぶ自分がいるのと同時に、思いを馳せる荒々しい景色というものがある。心はいつもうつろうが、それが生きるということだと思う。 


 セロトニン、セロトニン。今日も補給して、一日を大事に過ごせたらと思います。

9 Apr 2025



Arrival of Spring

 春ですね。ホックニーが言うように、「春の到来」、これ以上のよいニュースはない。特に最近の世界情勢、地球のことも、なんでそうなるの?ということばかり。こんな風に穏やかな春を愛でられる。それを幸せと感謝し、心身を健やかに保つ小さな工夫を重ねています。




 絵を描く事、創作すること、課題や発表のプランを立てる事は、明日への待歯石。大きな励みです。

 桜の花を描きたいと仰る水彩クラスの生徒さんに昨日お伝えしたことは、花だけが独立して美しく見えるのではなくて、空の色、周囲の新緑、建築物など、それらとのハーモニーによって、花が生き生きと目に飛び込み、魂が震える=感動するのだということ。

 色に汚い色はないと、何十年も前、イラストレーターとして駆けだした頃に気が付いた。朝から晩まで、描いて、描いて、描いて・・・。そのうちふっと、隣り合う色との響き合いによって、どんな色彩も美しく輝くことを知った。嫌いな色というものが無くなった。
 


 周囲とのハーモニーがあるからこそ、どんなものも光を放つ。響き合いに敏感になると、対象をよく観ないわけにゆかなくなる。色彩ばかりではなく、光と陰、象(すがた)を知ることにつながってゆく。



 絵を描くことは、発見すること。探すのではなく。世界は美しいものに溢れています。

30 Sept 2024

 


HIC & HAC

 今日で9月もおしまい。先週急いで案内状をお送りしました。明日から切手代が値上がりしますから、少々慌てました。直筆でご挨拶も書けずにハガキだけが届くと思います。お受け取りの皆さま、どうか失礼をお許しください。

 お届けできなかった皆さまも、よろしければぜひ足をお運びくださいませ。お待ちしています。詳しくは exhibit のページをご覧ください。

 縁あって、国の重要文化財、自由学園明日館でお教室を開くことが出来たこと、あらためてなんて幸運だったことかと感謝の思いでいっぱいになります。最初は2006年のことでした。それまで関連する婦人之友社さんのお仕事をたびたびさせて頂き、編集者さんから明日館の素敵なことは聞いていました。担当者との面談を経てお許しいただき、はじめは単発でのレッスン。間もなく月に一度コラージュクラスをさせて頂くようになり、そのうち生徒さんたちからご希望を頂いて水彩クラスを2つ。毎月3回もあののどかな校舎に通っていたのです。コロナ禍が起こるまでは。

 今はZoomクラスが中心になっていて、教室での対面レッスンは年に数回。それでもこの貴重なご縁が途切れずに、スタッフの皆さんにも本当によくして頂き、明日館への思いはまさに故郷を想う気持ちです。

 さて、グループ展搬入日まで、秒読みとなってきました。参加メンバーみんな、頑張って下さって、素晴らしい作品が生まれています。こういうとき、謙虚にケンソンしたほうがいいのかな。いや、できません!いいものはいい!ですもの。

 販売を中心に据えた、クラスとしては初めての企画展です。グッズや作品は、お求めくださったお客さまがその日にお持ち帰りいただけるものがほとんどですので、もし可能ならお早めに!



 案内状のこのお家、お気づきの方がいらっしゃるか・・・。仲間への思いを込めて、「HAC」のアルファベットをコラージュしました。

 なお、会期中23日の絵日記ワークショップについては、明日にも lesson ページとinstagram にサンプル作品と共にアップします。残席僅かではありますが、コラージュ日記にご興味のある方、よろしければぜひご参加ください。

26 Sept 2024

 


ちいさな工夫

 こんな箱を作って、10月のレッスンとワークショップの準備をしています。コラージュに使う紙切れをカットして、色別に平たい箱に収めて机の上に置いておけば、気が向いた時にパッと取り掛かれるでしょう? だからこれは私のコラージュパレット。来月のレッスンとワークショップで提案します。

 気分を「そっち」に持ってゆく工夫は、いつもしています。どうしたらごく「自然に」描いたり物を作ったりする事ができるか。ヘンな力が加わらずに。
 



 赤いボタンはイギリスの友人Gillさんから以前いただいたもの。グリーンはGUのカーディガンのボタン、ブルーはアメリカで幼少期を過ごしたSさんの子ども時代のお洋服に付いていたボタン(どんなに可愛いお洋服だったことでしょう!)、黄色はポートベローでヴィンテージボタン一袋を買った時に混ざっていたもの、透明の飾りボタンはロンドンのCaryから、最後の黒い花の貝ボタンは浅草橋のボタン問屋でスカウト。すべてに小さな思い出があります。




 このカードは去年レッスンで作ったもので、高村智恵子の切り絵へのオマージュです。

 水彩の絵日記が愉しく、そうだ!コラージュで日常を貼ってゆくのもいいなと考えました。

 そんなわけで10月からのレッスンは、絵日記がテーマ。10月のグループ展では、instagramに更新している水彩植物日記の現物をご覧に入れたいです。

 また会期中の23日には、明日館のお教室で、絵日記ワークショップもする予定です。愉しみです♪

9 Sept 2024

 


本への尊敬

 物心ついた頃から、本を読むのが好きでした。字が読めるようになった5歳か6歳の頃から、その年にしては少し難しい本を父が与えてくれたこと。今も感謝しています。若い頃はずっと読書ノートをつけていて、そのボロボロの大学ノートには、今もよく助けてもらう。

 今年は気象状況が特別激しく、気持ちのざわつくことが多いので、こういう時どうしたらいいだろう。不安なTVニュースは視聴率が上がるそうだから、観すぎるとザワザワが増すばかり。

 amazon Prime の映画もいいし、NHK オンデマンドで美しいドキュメンタリーを観るのも心洗われる。でもそうだ、毎日の読書が一番いい! そう気付きました。

 本を読むって、心の内のお掃除みたい。窓を開けてチリやホコリを外へ掃き出し、乱雑に散らかった部屋を、棚に戻すべきものは戻し、要らないものはゴミ袋に詰める。古今東西の偉大な知恵人たちの声が、耳元に聴こえ胸にしみ入ってくると、自分にとって何が大切なことなのか、何をしようとしていたのか、どこへ行こうとしているのか、気付くことができる。

 オルダス・ハクスレーの小説、『島』に出てくる鳥のさえずりは「キヅキナサイ」「イマココデ」だった。今ここで、すっかり忘却していた大切なことや、思いもよらない全く新しい考え方を、本は気付かせてくれる。本にはそんな目に見えない不思議な力があるのだと、いまさらのように感じ入っている最近です。

 昨年の末に観たヴィム・ヴェンダースの映画 'Perfect Days' の主人公、平山の読書も印象的だった。一時に一冊と決めている。古本屋で文庫本を、一時に一冊買う。そして寝る前のひととき、その一冊を大切に読む。役所広司さんのあの、読書をいつくしむ姿が浮かぶと、頭上に静かな星空の広がる思いがする。

 Hiro's Art Class の課題で、今月は書帙を縫います。古風な言葉。「しょちつ」と読みます。節子・クロソフスカ・ド・ローラさん(私がスラスラとこの長い名前を口にすると皆さん驚かれるので、ちょっと得意)の本で知った、本を入れる布袋のこと。ずっと気になっていて、ずっと欲しかった。水彩クラスのメンバー、Tさんは縫い物名人なので、お知恵を借りました。

 実際サンプルを縫って使ってみて、思い違いに気付くことになる。節子さんとバルテュスのように、お部屋が何十何百もあるお城のようなお邸に住んでいるわけではないのだから、はじめは外出時にバッグの中で、本を傷めないために便利だろうと思うくらいだった。それがちょっと違ったんです。この狭いちっちゃな家の中でも、読みかけの本を入れて持ち運んでいる自分に気付いたとき、本への尊敬というものが形になったもの。それが書帙なのだとわかったんです。

 『クレーの日記』も若き日の愛読書だった。ある日パウル・クレーの絵のような、ゴブラン織りのこの布を「発見」。メンバーの人数分調達できたのも幸運でした。





 今日のお昼はコロッケパン。スーパーで三島コロッケを見たら、どう~しても食べたくなって作りました。美味しかった!

8 Sept 2024

 



グループ展開催のお知らせ

 またまたひどく空いてしまいましたー。困った自分です。

 その間に季節は春から夏から夏から夏へ。そして秋・・・とはまだ言えず、昼間は変わらぬ猛暑が続いていますね。皆さま、体調はいかがですか? 私はビタミンCとBにすがって、なんとか踏ん張っております。

 暑さは10月初旬まで続くそうで、となるとやっと本当の秋らしくなる頃でしょうか。10月の16日から27日に、東京池袋の「自由学園明日館」敷地内にある、JMショップギャラリーにて、お教室、HIC と HAC の展示会を催します。参加メンバーみんな、現在出品作制作の大詰め中です。

 今回あえて「展示会」と紹介させて頂くのは、販売をするからです。今まで8回、銀座ACギャラリーさんで、作品の発表会としての展覧会を開いてきました。カード類の販売等はしていましたが、多くの作品は非売品。しかし今回は違います。ほとんどを販売作品としてご覧頂くのです。冒険です。

 水彩画、額装コラージュのほかに、HAC(アートクラス)の課題からインスピレーションを得てメンバーが制作した、ファブリックグッズ、ステイショナリー、ブローチなどのギフトグッズをお披露目。講師自ら言っちゃいますが、どれも手に取る価値あり。素敵です!

 私のクラスには様々なセンスや素養をお持ちの方、プロフェッショナルなお仕事をされてきた方がおいでで、Zoomレッスンになってからは特に、それぞれのキラキラした個性がまっすぐこちらに伝わってきて、これは何かできるゾ!と思いました。

 タイトルの 'HOMEWORK' は、イギリス時代から帰国後もずっとお世話になった雑誌 'UK Country Living’ にその頃あった連載ページのタイトルから頂きました。毎号シンプルで、しかも愛すべき様々なハンドクラフトが紹介されるページでした。1種類のクラフトではなくて、素材も手法も何でもアリ。いつも愉しみでなりませんでした。

 日本ではあまり見ないけれど、イギリスではそういう作家というか提案者がいて、人気でした。当時活躍していて覚えているのは、かつてあのポール・マッカートニーのガールフレンドだった、女優のジェーン・アッシャーです。女優業の傍らケーキ作家でもあり、クラフト作家でもある。クリスマスが近づけば様々なクリスマスグッズのバリエーションを提案、つくり方をTVで披露します。ちょっとした工夫にセンスがあって、心豊かになるハンドクラフト。自由でいいなあ!と思いました。

 そういうことを自分もやりたい、と強く思ったわけではないけれど、気付いたらHACのクラスでは、そういう課題を毎月毎月、もう18年も重ねているのでした。

 私のアートクラスの生徒さんたちはご友人から「何を習っているの?」と訊かれたとき、「何と答えてよいかわからないんです」。笑いながらそう仰います。ワカル、ワカル。ソウデショウ、ソウデショウ。

 というわけで、何が飛び出すかわからない、玉手箱のような 'HOMEWORK'展。ぜひ遊びにいらしてください。詳しくは 'exhibit'のページに更新しました。会場でお会いできますのを、愉しみにしています♪


<追記>

 ※在廊日と時間は変更の可能性があります。日程が近づきましたら、再度ご確認をお願いします。

 ※ショップだけでしたら、入場料は不要なのですが、せっかくなので歴史ある館内を見学できる日にお越しいただくのがおススメです。ウェブサイトをチェックするか、明日館にお電話で問い合わせを。10月19日(日)の月に一度の特別な公開デー以外にも、見学可能な日はあるそうです。

 ※10月23日(水)の午後、明日館小教室にて絵日記制作のワークショップを開催します。詳細は追って lesson ページにお知らせいたしますので、少々お待ちください。



14 Oct 2021

 


わたしの一日

 英国のロックバンド、The Who の名曲に '5:15' というのがあるけれど、これはまさにその時間の写真です。同じ薄暗さでも、夕方とは違う朝の雰囲気が伝わるでしょうか。

 ロンドン暮しのはじめ、1年間下宿させてもらった親しい友人の家では、玄関にキャンドルを灯すのが習慣だった。玄関を入ると廊下があってその壁際に、当時はアイアンのキャンドルスティックが取り付けてあった。地震国の出からすると、アンビリーバボーな景色です。

 夕食のテーブルにも、四季を通じてキャンドルが灯った。夏は庭で夕食をした。庭の木にキャンドルが提げられた。すべての家がそうするわけではない。友人はキャンドルの温かな灯を好んでいたのだ。

 すっかりその魅力を刷り込まれたので、私も向こうで一人暮らしを始めてから、キャンドルを切らすことはなかった。しかし帰国後はそうはゆかない。ちょっと寂しい思いがした。

 だから何年か前に、ニトリでこのLEDキャンドルを見つけた時は、うれしかったな。本当は細いテイパータイプが欲しいけれど、贅沢は言えませんよね。先日の地震も怖かったし。これは単三電池で使えるので、充電式の電池で、毎晩、毎朝、灯しています。もちろん本物とは違うけれど、better than nothing。ないよりはマシです。

 


 さて、朝起きて偽キャンドルを灯したら、台所で水出しの緑茶を温めて2杯飲む。そしてごく簡単な朝ごはんを食べます。

 しっかり作ってみたり、作らなかったり、お茶漬けだったり、パンだったり、おにぎりだったり、ある期間続けると飽きて別なパターンに変わってゆくのですが、とにかくとりあえず、なるべく早くお腹に何か入れることにしている。それが身体にいいとどこかで読んだので。

ふたつの薬缶にお湯を沸かし、一日分のコーヒーとルイボスティーを淹れます。コーヒーは豆乳カフェオレ。牛乳は飲まない。パンはスーパーで必ず手に入るパスコのマフィンかクロワッサンでいいんだけど、ジャムは冷凍のラズベリーで作った自家製に限る。パンに付けるのに、ラズベリージャムほどおいしいジャムは他にないと思う。

 年齢を重ねると、自分が好きなこと、必要なことが、よりはっきりしてくる。四の五の言って迷ってる時間も余裕もない。もう、これとこれとあれとあれがあれば私は幸せ、という気持ちになってくる。(その、あれとかこれが、結構欲深いという事情は置いといて。)

 とはいえ、断捨離とは無縁で、仕事部屋の棚はご覧の通り。細かいコレクションでいっぱい。この小さきものたち全部が、私を元気にしてくれるから、とても整理などできません。




 この部屋で、今日も愉快なオンラインレッスンを行なうことが出来ました。あっ、必要!と思うと、参考資料を出したり、オブジェをご覧に入れたりできるんで、愉しくてたまらない。これでPCの画面越しに、「はい!」と素材を渡せたら最高なんだけど。冗談を言ってみんなで笑う。

 さっき生徒さんのおひとりがLINEで、今日のキーワードをフィードバックしてくれた。


    今日はムード、リズム、説明しすぎない、
    古いものは完璧でないのが面白い、パンクな作風、
    がノートに書かれました。

    さらに「ムードが無形の記憶」だなんて、なんて詩的!


 ノートに走り書きしてくださっているのだ。こうして手ごたえとともに講座が行えた日は一日が充たされた思いがするし、脳も活性化される。ありがたくてありがたくて・・・、ありがたい。




 そしてまた日が暮れて、夜になる。今夜もぐっすり眠って、また明日も5時15分に一日が始まります。

9 Oct 2021



フラーの教え

 今日はオンラインの水彩レッスンで、この絵を描きました。生徒さんのAさんにデモンストレーションをご覧に入れた。グリーンのバリエーションについて、また下描きにとらわれずに描くことについて、描きながらお話しました。

 Aさんにお話しながら、自分も学ぶ。私は下描きが苦手で、ほぼすべての絵は書道のように一発描きで描いてきました。しかし下描きをすることで、もう少し複雑なことが可能になる。生徒さんたちがするのを見て初心に返り、ヨシ、私もやってみようと思ったのです。

 下描きは一度目のデッサン。その上に筆と水彩で描くのは二度目のデッサン。そのくらい気持ちを新たに描いてみたら、好奇心が失せずに面白く描けた。拡大すると、下描きの鉛筆と実際のペインティングが、合ってないことがわかると思います。

 とにかく、面白くなければ、絵なんか描く意味がない。新しい発見に満ちた冒険でなければ、絵を描くことはただの退屈な作業です。一瞬一瞬を愉しみ、一瞬一瞬あたらしくなる自分がいなければ。

 たとえば、幼いこどもはそれを難なく行ないます。私には甥と姪が合計3人ずついますが、どの子も小さな頃はとっても創造的。ここに遊びに来ては「絵の具する」と非常にしつこくせがむ(そのうち何か訊いても「べつに」とか言うくせに)。彼らは色鉛筆では満足できない。絵の具は、粘土細工と同じような「体感」の大きな画材だと思います。

 こどもが「絵の具する」のを見ていると、絵の具を溶くことからもう愉しんでる。いや、白い紙が目の前に置かれ、水入れとか筆が並んだ時点でワクワクの頂点。溶いた絵の具をじゅわっと紙の上に置いた途端、目の前の宇宙がガラッと変わる。その悦び、興奮が伝わってくる。




 亡くなったジャーナリストの立花隆さんが、だいぶ前に新潮社のウェブサイトで、バックミンスター・フラーから贈られた詩を紹介していた。座右の銘の持ち合わせはないけれど、この詩から、その代わり以上の意味を与えられ、机の前にいつも貼っている。


   Environment to each must be
     'All that is excepting me.'
     Universe in turn must be
     'All that is including me.'
     The only difference between environment and universe is me.....
     The observer, doer, thinker, lover, enjoyer

            Richard Buckminster Fuller


 私なりに訳してみます。


   個々の人間にとって「環境」とは
   「自分以外のすべて」を意味する。
   同様に「宇宙」とは何を意味するか。
   「自分を含むすべて」である。
   環境と宇宙のただひとつの違い、それは「自分」。
   観察する、行為する、考える、愛する、愉しむ自分。
   (が含まれるか、含まれないか。)


 バックミンスター・フラー(1895-1983)は、アメリカの思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人。そうWikipediaにある。私はたしか、まだ20代の頃「美術手帖」でその存在を知った。フラーの特集が掲載されていた。

 まだ幼い頃、人はお金を稼がなければ生きてゆけないのだと周囲から知らされる以前の子ども時代に、自分はどんなことを考えていただろう。何を愉しんでいただろう。それを思い出すことにはとても価値がある。そんな内容の一文に出くわして驚いた。そんな時代が、確かに誰にとってもあったのだ。

 芸術は金銭とは何の関係も無いもの。自由に創作したその結果、副産物のように誰かの心の深いところにそっと響くものだと思う。だからレッスンではのびのびと描くこと、その一点をお伝えしたいといつも思う。私の余計なアドバイスで、その方の人生の独自な輝きを消すわけにはゆかない。自分自身に忠実に描くことほど、難しいことはないけれど、それはできない事じゃない。

 けっして勤勉な絵描きではないけれど、絵を描くことから、自分は多くを学んでいると思う。温暖化が進み「環境」という言葉が地球上を大きく行き交っている。その「環境」に「自分」は含まれているだろうか。絵を描くときと同じように、傍観者の立場からではけっして何事も解決しないということ。フラーの言葉に、あらためて教えられます。