15 Dec 2018



類は友を呼ぶ

 年の瀬は、人との縁を思う季節。慌ただしい中に、様々なゆかりの方々のお顔が浮かぶ。

 先日のこと。打ち合わせに表参道、スパイラルで待ち合わせをする。早めに着いたら、何か面白そうな展覧会。ピンクの変わったドレスを纏った女性が、静かなダンスパフォーマンスをして、人だかりがしている。私も引き寄せられるように足を踏み入れたところ、

「ヒロさん!」

 見ると友人のSatomiさんではないですか。なんという偶然! なんというピンポイント! しかも、先日、英国の知人でジュエリー作家、齋藤佳世さんの日本初個展をインスタグラムで紹介したところ、たまたま近くに用事のあったSatomiさん。初日に訪ねて、ピアスを求めてくださった。その小さな葉が二枚寄り添う、シルバーの素敵なピアスも耳に輝いていた。「今度見せてね」と言ったものの、それはいつかの先のことと思っていたから、よほどの強い引き寄せパワーが働いたに違いない。

 Satomiさん、佳世さん、彼女の義理の妹に当たるイギリスの親友ミリアム・エスコフェット、それからその日のミーティングの相手、ベッキーさん、それからそれから、打ち合わせはCall で、だったので、Callスタッフの西原さん。強い will power を持っている人ばかり。起こるべくして起こったことのようでもある。いや、でもでもやっぱりすごいシンクロニシティ。

 Satomiさんにベッキーさん、西原さんをご紹介すると、愛らしい笑顔の目が、一層三日月のようになって喜んでくださった。Satomiさんの笑顔は本当に素敵で、こんな方をお嫁さんにもらったご主人、お母さんに持った息子さんは、とても幸運だといつも思う。彼女とのご縁も不思議なもので、もう10年以上前、星野道夫さんの映画「ガイア・シンフォニー」を観に行ったときに、ロビーでなんとはなしに話したのが始まりでした。

 大人になってから、そんな風に、なんとなく親しくなった方々が、他に何人もいる。友情には力やストレスがかかってはダメで、お互いに自分の空気、日常を纏いながら距離を保ち、たとえ滅多に会えなくても、そこはかとなく大切に想い想われるというのが嬉しく有難いと、歳を重ねるごとに思う。

 私が長年主宰するコラージュと水彩のお教室も、そのような仲間の集まりでありたいし、実際そうであることが自慢です。

 「類は友を呼ぶ」という言葉の意味を、作家のリチャード・バックは著作、『イリュージョン』の中で、こう述べている。


    やりたいことだけをだな、やり続けていくと、
    類は友を呼ぶの法則に従って、
    俺たちから何かを学ぼうと思う人達を引きつける。
    そして俺たちもまた、その人達から
    何かを学ばなくてはいけない。





 12月は忙しい月で、そんな類友クラスも参加者が少なめ。だからこそいつにも増して、面白いレッスンにしたくなる。

 水彩クラスは東京はお休みで、沼津だけになります。年賀状のための絵にしようか、初春に咲く花?などと色々考えてみましたが、どれもピンとこない。そこで思いついたのが、手彩色。題材に、1543年のフランスの書物の扉絵を選びました。クリスマスに飾って頂けるよう、額装にも工夫します。

 中世の宗教画や本の扉絵、挿絵は、銅版画や木版画に、手彩色で仕上げられていた。イラストレーションの起源です。当時の絵師や修道士の気持ちになって、と言ったら大げさだけれど、筆先の使い方や色の濃度の調整など、よい練習になると思います。lessonページに、持ち物を更新しました。

 丁寧に作業すると心落ち着く。師走はやることてんこ盛り・・・ではあるのですが、その気持ちを忘れたくない。最近自分は、ますます急ぐことが苦手になってきた。ゆっくり仕事をなすと、仕事が悦びに変わるから。悦びから生まれる仕事は、心からの仕事。これからも、人に心が伝わる仕事ができたらと願います。
 



P.S. ちょっと早めの還暦祝い、いただきました。ホワイトキルト。還暦とは、一周巡っての新たなスタート。白い色が気持ちに沿います。Yさん、素晴らしい作品を、本当にありがとうございました。


3 Dec 2018




Viv さんのベレーと小さな絵

 思いがけないプレゼント。今一緒に新しいプロジェクトをプランしている、イギリス人の友人、Becky さんから頂きました。私が Viv Hen'steeth さんのファンであることを知っていた・・・にしても、サプライズ作戦は大成功! その日はうれしくてうれしくて、家の中でもずっと被っていました。自分で言うのもナンですけど、似合うんです。

 Viv さんを知ったのは、同じくイギリスの友人 Helen さんから。いつだったか彼女が気になっている女性アーティストの名をいくつか、メモに書いて教えてくれた。「Hen'steeth?」。不思議な名前だと思い尋ねると、英語の独特の言い回しだという。「めったにないもの、まるで『雌鶏の歯』みたいにね」と教わった。もちろん、雄鶏にだって歯はない。

 そのうちインスタグラムを始めた。Viv さんのアカウントを発見してフォローしたところ、びっくりするようなコメントが返って来た。私が雑誌 'Country Living' に描いたイラストレーションを、今も大事に取ってあるというのです。ここで出会えたことに、とても感激しているとも。

 11年もの長きにわたり、毎月イラストレーションを掲載してもらった Country Living は人気雑誌で、発行部数もかなりあり、イギリスはもとより世界に多くの読者がいる。同じ言葉を、有難いことに他にも何人かから聞いている。私の小さな絵に心を寄せてくれた人との出会い。どんなに有難くうれしいことか。よい仕事に恵まれたことにただ感謝です。

 当時のイラストレーションから、特に気に入っているもの、季節感のあるガーデニングに因んだもの12枚を選んで、2019年のカレンダーにしました。A4サイズを3等分した短冊形のシートのみというシンプルなものですが、先日のグループ展でも好評でした。お好みのクリップやプッシュピンで留めて使ってください。

 グループ展のあと、沼津が誇る人気古書店でありセレクトショップでもある 'weekend books' さんに、扱ってもらっています。一部1,080円。





 買いに行けないわ、という方には郵送でも受け付けています。ご希望の方は、河田まで「件名:カレンダー」とし、メールでご連絡ください。メールアドレスは、メニューバーの lesson ページにあるお問い合わせ先と同じです。お待ちしています♪




 そして、ベレーにこんなに素敵な刺繍をされる Viv Hen'steeth さんに、来年もしかしたら会えるかもしれない。実現しますように。Fingers Crossed!


25 Nov 2018




とりとめのないもの

 「とりとめのない気ままなものに どうしてこんなに惹かれるのだろう」

 これは私世代には言わずと知れた、ユーミン、荒井由実さん(だった頃)の名曲「紙ヒコーキ」の一節。アルバムタイトルまで「ひこうき雲」なので、70年代当時の、ベトナム戦争、アポロ、高度成長期に高層ビル・・・と、自由な空に憧れる空気がよみがえる。

 抽象画というのもまた、「気まま」であるかどうかは別にして、自分にとって「とりとめのないもの」に分類されていて、常に気になる。

 12月のHACで取り上げるのは、1950年前後から美術の中心と言われたニューヨークの抽象表現主義時代を駆け抜けた画家、ジャクソン・ポロックです。

 特にポロックが好きというわけではなかったけれど、圧倒的な存在感は、人に好きとか嫌いとか言わせることを、軽く超えていると思う。年表を見ると、1943年、第二次大戦の時代に、すでにドリッピング描法を始めていたというから驚く。

 前に丸の内のファッショナブルなショウウィンドウに、ポロック的ドリッピングのプリント地でデザインされたワンピースが飾られていて、心奪われた。カラフルで、ポップで、ドレスの生地としてはアバンギャルドでありながら意外に自然で、とにかくあんまり素敵で、しばらく見とれてしまった。それがこの12月の課題の下敷きになっているかもしれません。

 材料の見積もりを出さないといけないので、早めにサンプルを作ってみたのですが、これが面白くてたまらない。

 絵の具が一瞬なりとも、空中に浮いてから画用紙に届く。色が自分の手を確実に離れる。たよりない落下のあと、画用紙にイメージが置かれる。こんな自由な描写経験、初めて! エアブラシだって、手と画用紙の間を、絵の具の霧がつないでいるでしょう? でもドリッピングは違う。自分と画面がくっきり分離している。画布も、絵具も、私自身も、それぞれが一瞬空に浮いているとも言える。

 さてレッスンで、皆さんはどんな感想を聞かせてくれるでしょう。今からとっても愉しみ。

 lesson ページにHAC情報、更新しました。





9 Oct 2018




完璧な空

 「きれいな空だ、ドン」
 
 「完璧な空だと思うか?」
 
 「完璧って何だ」
 
 「完璧な人格っていうだろ?そういう意味でさ」
 
 「空はいつだって完璧さ」
 
 「一秒ごとに変化してるのに完璧だって、そう思うか?」
 
 「ああ、海もそうだ。完璧だ」
 
 「完璧であるためには、一秒ごとに変化しなくてはならない。
  どうだ、勉強になるだろう」

         リチャード・バック『イリュージョン』より


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 若い日に読んだこの言葉、今まで数えきれないほど、様々な場所、様々な状況のもとで思い出し、心のバランスを取る助けにしたと思う。

 写真はイマソラじゃなくてキノソラ。近くにこんな大きな空が見える場所があることが、有難い。




 一方こちらは、イギリスを代表する風景画家、コンスタブルが「空」を描いた習作。イギリスのインテリア誌 'The World of Interiors' がだいぶ前に特集したもの。

 この絵は 'Cirrus Clouds' 「巻雲」というタイトルで、1822年にロンドン北部のハムステッドで描かれた。

 この頃、コンスタブルは100枚もの空の習作を、比較的小さな画用紙やカードに描いていた。特に好んだ空は、正午の頃と夕暮れ時だったらしいが、夜明けから日没まで、晴れても雨でも嵐でも、その目を天に向けて描いていた。記事には、一枚にかけた時間は約一時間とある。

 後で時間をかけて、ちゃんと読んでみようと思う。

 この巻雲の絵がプリントされたカードを、長らく机の前に貼っている。17、8年は貼っている。今、久しぶりにひっくり返してみたら、Victoria & Albert Museum で買ったものだった。


5 Oct 2018




我らが 'Ladies' の作品展

 今年は春に沼津のお教室展が三島であり、この秋には銀座で東京の生徒さんの展覧会です。今まで一年半に一度のペースで行なってきて、今回が東京は第6回。もう6回もやったのか、とか、あっという間だった、などとは思わない。思い返しても一回一回に、ぎっしり中身がありました。お客さまの反応から感じる手ごたえも、年々大きくなってきました。

 新しく入った方も、以前からなさっている方によい影響を受け、搬入日に向けて制作に集中されています。

 作品を作るとは、自分自身を知ること。ちっともノラナイ自分、ああ、また失敗の自分、それでも作品に向かってゆくうち、あ、これがいい!・・・と思える瞬間は、ダメダメな自分にくたびれた頃かもしれません。人に好まれたいという肩の力みたいなものが、ストンと抜ける時が来る。ただただよろこびの回転で、創れるときが来る。

 仕事や日常の些事のなか、グループ展に出品し人様にお見せするもの、しかもオリジナルの作品を作るとは、大変な事だと思います。それでも自分ひとりだけで満足するのとはぜんぜん違う面白さがある。

 展覧会は夢の「目標」。だけど展覧会は締め切りのある苦しい「制約」。でも同時に「解放」でもある。作品作りは未知の自分に出合うチャンス。自分のことを何も知らないお客さまと、作品でつながる面白さ。そして気付くと、あんなに頑張った作品は、次第に小さな自分を離れてゆく。

 よくお客さまから「生徒さんは先生と同じ作品を作るのではないんですね」と驚かれます。クラスのメンバーには様々な方がおられ、どなたも今までなさってきた経験や日々の感動をいっぱい、身の内に湛えていらっしゃる。他の人にはできない、その人にしか作れないものがある。それは何かというと、自分がよく知っているもの、馴染んでいるもの、または単純に大好きなもの、ではないかと思うのです。

 そんな作品作りをお手伝いしながら、その方の未知の感受性を一緒に経験できる瞬間は、かけがえのない喜びです。教室にギャラリーに、おひとりおひとりの作品が、モザイクのかけらのようにキラキラ存在すること。それが私の好む、グループの在り方。

 exhibit のページに、詳細をUPしました。どうかぜひ時間を作って、我らが 'Ladies' の作品たちを、観にいらしてください。

3 Sept 2018




言葉の混ざり糸

 ある方にご依頼を頂き、小さな贈り物のための絵を描きました。どんな絵にしようか。おめでたい場への贈り物ですから、やっぱり花。一束の花を描いた。

 小さな絵にも時間をかけ、少しずつ手を加えてゆく。その過程が難しくも面白い。額はどれにしよう。額にも小さな細工をしよう。そんな具合に絵が歩いてゆく。一歩。また一歩。

 その間にも、様々な日常が過ぎてゆく。

 読書はバージニア・ウルフに、相変わらずはまりっぱなし。「春樹さんはなぜ自分の考えていることがわかるのだろう」。村上春樹さんの読者の多くが、そう思うのだと聞いたことがある。私も、バージニア・ウルフは、なぜ私の考えていることがわかるのだろうと思う。

 でもそれを正面切って言うのは、作家に対しちょっとずうずうしいような。私はそれを、自ら掘り起こしてはいないし、考えてもいなかったのだもの。バージニア・ウルフという作家が、絶え間なく創作への衝動に突き動かされて、突き動かされて、やっとのことでみつけた水脈。それが私や多くの読者の抱えているある「喪失感」を潤す、ということなのかもしれない。(所有しているものについてはなかなか共感できないが、喪失したものについてなら人は共感ができるのだと、どこかで読んで妙に納得したばかり。)

 デザインもまた表現。たしか三宅一生さんも言っていた。デザインは、それを観た人が、まるで既視感のように「あ、これを私は知っている」と思うことで成功する・・・というようなことを。それを見た瞬間、初めて目にするにもかかわらず、瞬時に気持ちに馴染む何かを、優れたデザイナーは今日も世界中の街のどこかで、惜しげなく大衆の前に差し出している。

 最近、アメリカの画家、ヘレン・フランケンソーラーの言葉に感動しました。

 「本当に素晴らしい絵とは、まるで一瞬のうちに起こったように見えるものです。もしある絵が、労力と過剰な仕事によって生まれたかのように見え、あなたが作品から、『そうか、これをああして、そうしてから、ああしたのだな』と読み解くようなものならば、それは私にとって美しいアートではあり得ない」

 中森明夫さんが、一度だけさくらももこさんに会った時に、姪にサインをお願いした。そのとき、鉛筆で下書きをしてから、まる子の顔を描く様子、そしてあとから鉛筆の線を丁寧に消しゴムで消すさくらさんの様子に驚いたという。さくらさんは、そうしないと描けないのだと仰ったそうです。

 画家が絵をささっと描けると思うのは、間違い。でも、あたかも迷いなくササッと描いたもののように観てもらえたとしたら、フランケンソーラーの言葉のように、その絵はある程度上手くいったと思っていいのかもしれません。




 亡くなってから、毎日アレサ・フランクリンを聴いて、パワーをもらっています。パンチの効いた 'Think' という曲がある。ビル・クリントンはアレサへの弔辞の中で、自らのスマホを取り出し、この曲を会場の参列者に贈った。こういう場面を見ると、憂いの多い今のアメリカに、一筋の光を見る思いがする。

 私も ’Feel' と 'Think' の間を行ったり来たりしながら、混ざり糸でセーターを編むような気持ちで、今日も仕事ができたらいいなと思う。

 

16 Aug 2018



朝の庭

 ここのところ、急にワッと降ったりするので数日休んでいるけれど、早朝目覚ましも頼らず起き上がると、褪せたダンガリーとだぼだぼズボンの作業着、手袋オッケー、蚊取り線香オッケー、サングラスと帽子オッケー、の指差し確認。すでにムッとした外気にたじろぎながら、草取りや、忘れられたまま湿って朽ち果てそうになっている庭の隅っこなどを掃除しています。世界で一番狭い庭、と言ってもいいような地面でも、ひれ伏すように作業するうち、次第に「小地」が「大地」に感じられ、心が落ち着いてゆく。

 草にもいろんな個性がある。引っ張ればすぐに抜ける者もあれば、根元でブツッと切れて、しつこく根っこを維持し続ける者もいる。根っこ維持派の代表はシダ。

 ある日、ブツッでもいい。どうせすぐに出てくるんでしょ、と、汗を拭き拭き抜ききった。抜いた翌日にハッとした。この暑さの中、山紫陽花の根元がカラカラに干上がっているではないですか。シダが適度な日陰を作って、この花の木を守ってくれていたことを知った。シダも庭の仲間として、大事にしなければと思った。

 シダは気づいてはいないだろうな、自分が山紫陽花を守っていることを。




 細っこい庭の、これまた細っこい花壇は、父がまだ足腰丈夫な頃にありものの石や瓦で囲って作ったもの。今は私のささやかなキッチンガーデンです。

 バジルは鉢植え。花壇は手前からオレガノ、チャイブ、イタリアンパセリ、サラダバーネット、スープセロリ・・・なのですが、そしてひさしの下なので雨にやられないし、外に出なくても手を伸ばせば摘める位置なので便利、のはずなのですが、日照りに負けてご覧の通り、バジルとオレガノ以外はちっとも大きくならない。前にターシャさんがドキュメンタリーの中でやっていたのを思い出して、布で日除けをした。そのせいか、この頃は少し元気になってきました。

 山口県でいなくなった2歳の男の子を発見し保護した、尾畠春夫さんの奇跡のようなニュースに、力を貰っています。報道陣に囲まれ話をする尾畠さんの指に、トンボがすっと来てとまったシーンには、妖精物語を見るような感動すら覚えました。


14 Aug 2018



山の上の家

 思いがけない贈り物でした。庄野潤三先生の新刊です。包みを開けた途端、あ、先生の書斎。表紙の写真に、胸がいっぱいになった。

 我に返って、これは何の本? 小説・・・ではない。開くと庄野潤三先生のご自宅、山の上のお家の美しいお写真が何枚も、何枚も。

 庄野先生の晩年のお作品、7冊の表紙と、2作の連載挿絵を描かせて頂いた私は、先生と千壽子夫人、夏子さん、龍也さんはじめご家族の温かいお心、担当編集者であられた鈴木力さんのご配慮、装幀デザイナーの方々のお力により、惑星が一直線に並ぶような幸運に恵まれ、何度もこの山の上のお宅におじゃまする光栄を得ました。先生のお作品に、僅かばかりのお手伝いができたことは、私の人生に与えられた、大きな大きな幸いです。

 先生はご自分とご家族の過ごす豊かな時間を、小説に描かれた。小説でなければできない方法で、読む者にそっと、山の上のお家の日常を共有させてくださった。自分も家族の一員になったような気持ちでつい熱の入る私のような読者に、雑誌「クウネル」のインタビューで応えられていたように、「なんとはなしに」読んでくれればと願って。

 山の上のお家で経験させていただいた宝物のような想い出は光。その光は、愉しい時間をより一層愉しくさせてくれる。時には温かな灯台の光になり、導いてくれる。いつかあの頃の想い出を、ほんの少しでも書き残すことができるだろうか。あの時の想いや感動を、それを必要とする人に伝えられるような質を携えながら、表すことができるだろうか。

 そんなことを考えるときは決まって、詩人の高田敏子さん(シューズデザイナーの故・高田喜佐さんの母上)が、『娘への大切なおくりもの』という本のあとがきに書かれていた一文を思い出します。


   堀口大学先生には、数々のお教え、ご好意を頂戴してきました。
   それは私の身には余り過ぎることで、軽々しく筆にすることを
   ひかえてまいりました。

   いまここではじめて、ご好意の中のいくつかを書かせていただきました。
   感謝の思いを込めて、拙い文ですけれど。


 この本で髙田さんは、師である堀口大学について、多くのページを割いている。そのことに、髙田さんのような立派な詩人であっても、こんなに大きな決意が必要だったことをかみしめる。

 当たり前のように過ごす日々の中で、人は充分に心豊かで在ることが可能なのだ。貧弱の水たまりにどぼーんと落ち込む代わりに、その水面に映る青空を見ることを、先生は教えてくださった。毎日の小さな出来事をたっぷりと感じる。自分の持ち時間を慈しむ。笑ったり、歌ったり、味わったり、この世界を感受する時間をケチらないこと。

 山の上のお家での、夢のような想い出に今も育てられ、毎日を過ごしながら、自分の描く絵に向きあってゆくのが、現在(いま)の私に出来る最上のことと信じて。


 『庄野潤三の本 山の上の家』(夏葉社刊)
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12 Jun 2018




言葉の解像度

 ニュース番組で福岡伸一さんが面白い言葉を使っていた。「言葉の解像度」。明快で、信じるに足る言葉について、「(言葉の)粒が立つ」とも言っていた。

 好きで読んでいる作家、ヴァージニア・ウルフが書く文章の解像度を思わずにいられなかった。表現のひとつひとつが貴石の粒になり、物語宇宙に乱反射しているかのよう。『オーランドー』はじめ、実際「意味を超える」ほどの解像度。好きと嫌いがはっきり分かれるとは思うけれど、私には、ああ、今までなぜ読まなかったのか。とくにイギリスにいるときに読めばよかったと、少し後悔。

 イギリスで一番好きなガーデンは?と訊かれたら、迷わず「シシングハースト」と答えます。その邸の女主、ヴィタ・サックヴィル・ウェストの息子、ナイジェル・ニコルソンが描いた伝記『ヴァージニア・ウルフ』(岩波書店刊)が面白い。当時子どもだった眼と心で、母親の恋人であるヴァージニア・ウルフを至近距離から観察する幸運(?)を授かった著者。この伝記、粒が立っている。ヴィタも詩人で作家であったから、文才のDNAもあるのでしょう。翻訳もいい。あと少しで読了するのが寂しい。

 冒頭、子ども時代のナイジェル氏とヴァージニアのエピソードが印象に残った。


   蝶捕りをしながら、彼女は言っていた。

   「言葉で表現しなければ、
   何事も本当の意味で
   起こったとはいえないのよ。
   だから、家族や友達に
   たくさん手紙を書きなさい。
   日記もつけなさいね」。

  
  


 以前から気持ちに馴染む、というか、画家の記した随筆が好きで、愛読書が何冊もある。その中でも、扇の要は篠田桃紅さん。桃紅さんの言葉もまた、解像度が相当に高い。

 心底思っていること、感じていることをそのままに表現し、自分以外の人に伝えたいという欲求が、画家も作家に劣らず高いのだ。自分が抱いた何かを、とにかくきちっと、自分に出来うる限りの簡略な表現で誰かに伝えたい。

 それを為すためには、書き終えて何度も読み返すだろうし、仕上がったと思った後も、不明瞭を発見すればひと刷毛加えることを厭わない。饒舌や目障りを無いものにする潔さも必要。リズム、バランス、色彩、読む人の存在。桃紅さんの本を読むたびに、あ、そうだった、と反省ばかり。事は文章に限らず、日々の生活においてもです。


     私の日常では、香を聞くことは滅多になく、
     印度の人から貰ったお線香を薫らせる
     ぐらいであるが、細い長いお線香を、
     木の葉型の皿に受けて立てるかたちがまず好きである。
     煙が一筋、真直ぐに立つ時は、
     部屋が静かであるあかしのようで心が休まる。


 上の写真の古い本は1978年の初版、桃紅さん初めての随想集『墨いろ』を、ある方が「自分が持っているよりも、あなたが持っていた方が」と、くださった。書き込みのいっぱいあるこの本は、命を渡されたように大切な本。もう30年も前の話です。

 ページを開いたとき、あっ、私のお香立てと同じ。雲の上の存在、桃紅さんと、細い煙でつながったようでうれしかった。

 今は本当に雲の上の人になってしまったこの本の元の持ち主とも、思い出の中の、その方の図書室のようなお部屋とも、また、教えられた様々な言葉のプリズムとも、この本を開くだけで瞬時につながることができる。

25 May 2018




HAC for CHILDREN

 突然ですが、アートクラスをもうひとつ、期間限定で開きます。子どもたちのためのレッスン、Hiro's Art Class for Children です。先ほど、event のページにお知らせを更新いたしました。よかったらご覧ください。お子さん、お孫さん、お知り合いのお子さんなど、ご興味のある方がいらっしゃったら、お気軽にお問い合わせ頂きたくお願いします。

 なぜ急に?と言いますと、親類でドイツに嫁いでいる者がおり、只今幼い娘と一緒に帰省中。以前から、滞在中に子どもの美術教室をやってほしい、娘を参加させたい、とリクエストをもらっていました。

 私の自宅ででも、と言ってくれたんだけど、ここだとなんだかダラダラしちゃいそう。彼女がじゃなく、私がです。以前、幼かった甥や姪と遊ぶ時もそうでした。緊張感がなかなか生まれない。自宅だとスイッチが入らないというか、自分がなかなか愉しめない。

 だったら、きちっと場所と時間を設けて、私も本気でカリキュラム組んで、後に有形無形の何かが残る会にしたいと思ったんです。

 子ども時代というものを思うとき、谷川俊太郎さんの言葉が浮かぶ。人は人生を、長い棒か何かのようにたとえては、棒の片方の端が生まれた時。もう片一方が死ぬ時。端から端までが一生であるかのように考えがちである。でも本当は違って、木というかバウムクーヘンというか、年輪の一番中心が誕生の時であり、一番外側が現在で、それは日々筋を刻みながら外へ外へと育っている。

 だから子ども時代は常に「ここ」に、自分の芯にあるのだ。人はいつでも、自分の子ども時代とコンタクトできるということなのだ。

 レッスンを通して子どもたちから、たくさんの大事な事、キラキラしたこと、教えてもらうことでしょう。

 以前東京郊外の某ショッピングセンターで、お子さんのためのワークショップの機会を頂いたことがある。今回の会場は、大人のレッスンでお世話になっている、沼津のプラサヴェルデ。広々とした館内。天井も高いし、明るくて清潔、建築デザインも素敵なあの建物で開催できることに感謝です。


10 May 2018




黄瀬の里

 御殿場が源の黄瀬川と言う川があります。先日ジャズライブに出掛けた裾野市中央公園内にある5つの滝も、黄瀬川の一部です。下流に向かって長泉町には「鮎壺の滝」もある。その流れが伊豆の狩野川に合流する少し手前、沼津市と清水町の境目当たりに、黄瀬の里がある。

 「黄瀬の里」はお相撲の「稀勢の里」とは縁もゆかりもない私の勝手な造語。川を挟んで、東にお花屋さんの giverny さんが、西に古書店ギャラリーの weekend books さんがあり、私にとって地元文化圏の横綱的位置づけというか・・・、あれ、やはり相撲か。とにかくそこへ出かけることは、都会の人が、仕事帰りにちょっと一杯やりにバーへ、みたいな感じといいましょうか。ほっとする。

 何年も前のある寒い夕方、西の weekend books さんへ出掛けた日のことです。ちょうどイベントの「庭マルシェ」の相談会か反省会かをなさっていた。若くて礼儀正しい男性や女性に、高松さんが私を紹介してくださった。私が東京のレッスンを、自由学園明日館で毎月行なっているというと、びっくり顔の人たちがいた。「僕たち来月、そこで結婚式を挙げるんです!」と仰ったのが、何を隠そうお花屋さんの giverny のお二人。日程を伺うと、なんとぴったり私の講座の日時ではありませんか。シンクロニシティ? セレンディピティ?

 ゾゾっとするほどの遭遇のおかげで、光栄にも素敵な結婚式にも参列させて頂き、以来時々お花をお願いしたり、油を売りに行ったり。愛らしい奥さん、Satomiさんは、私が新しい帽子を被って行けば決して見逃さず、「センセイ、かわいい~~」と褒めてくださる。可愛い人から可愛いと言われるのは、二倍にうれしい。ご主人の三保さんは、私と入れ違いくらいにロンドンへお花の勉強に行った方。彼の地での思い出話に花が咲く。トップの写真、ちっちゃなちっちゃな、チーズみたいなお家の置物も、giverny さんで頂いたもの。お花も小物もおしゃれ。




 これは今年 giverny さんにご依頼頂いた、母の日のためのミニカードです。なんの制約もなく、嬉しく有難く描かせてもらえて、デザインまで任せてくださった。母の日の前のお花屋さんは、徹夜態勢での仕事だそうです。今年も頑張られていると思います。このカードが、少しでもお役に立ったなら幸せです。(母の日の切り花やアレンジメント受注は終了されたようですが、鉢物はまだ店頭にあるそうですよ。)

 話戻って「油を売る」と言えば、weekend books さん。giverny のお二人は私の子どもと言っていい年代の方々で、いつも若いエネルギーを充電させて頂くのですが、weekend のおふたりは、ちょうど私を挟んでちょっと先輩のご主人、高松さんと、ちょっとお若い奥さま、美和子さん。知識豊かなお二人との同世代トークは尽きることがない。音楽、映画、本、文化、同じ時代を観てきた者同士の他愛ないおしゃべりが愉しい。

 多くの魅力的なイベントを次々企画されて、大忙しのお二人ですが、なるべくゆったりされているような時を狙ってお伺いする。おしゃべりしたいから。 




 これはアーティストの Uqui (雨氣)さんの作品。weekend books さんでの展覧会で、左と中央のお作品を分けて頂いたとき、「ほんとは10個も20個も欲しい」と私が口走ったのを覚えていてくれて、先日の三島のグループ展のお祝いにと、右のひと瓶をくださった。ちょうどお忙しい企画展の最中でしたから、観に行けなくてすみませんとのお言葉と共に。うれしかった。本当にありがとうございました。

 小さな小さな薬瓶の蓋に、美しい貝殻やサンゴのかけらが金継ぎであしらわれている。ラベルも中身も魔法がかっている。

 どこでどうやって、こんな不思議な作品を作る人々に出逢われるのでしょう。

 


 この13日、日曜日からは「Lu Ra Luu ~ル・ラ・ルゥ~2 あの日の少女たちへ」というお洋服やぬいぐるみやブローチ、ベレー、付け襟、かごバッグなどなどの展覧会が始まるそうです。来月6月3日からは「ドライフラワーミュージアム」、24日からはかごの展覧会「水無月のかごマルシェ」と、案内状も素敵です。




 都内や遠くからもファンが駆けつける素敵なお店。高松夫妻の笑顔とともに、私の木の葉のポスターもお客さまをお迎えしています。(光栄!)

 ぜひ、初夏の黄瀬の里へ♪

8 May 2018




サラ・ムーン展に魅せられて


 先日観た、サラ・ムーンの写真展の残像がまだ消えません。銀座のシャネル4階にある 'Nexus Hall' で開催されていました。


    サラ・ムーンの写真のメイクは、
    いわゆる品のいい優しい女ができ上がるようですが、
    セルジュ・ルタンスのメイクにおいては、
    電光の冷たい情熱と、スピードに狂う
    知性を秘めた女性が出現するかのようです。


 1979年に刊行された、パステル画家のまりの・るうにいさんによる、もはや伝説と言ってもいい一冊、『月街星物園(つきまちせいぶつえん)』より。どこかにサラ・ムーンの名があったような気がして、特別大切な本をしまう古い戸棚から、久しぶりに取り出してみた。

 松岡正剛さんの奥さまだということは、だいぶ後になって知ったこと。稲垣足穂の本の装画で人気だった画家は当時、写真家セルジュ・ルタンスに多くの行を割いている。70年代の記憶の糸をたどると、確かにルタンスの女性から得た印象は強烈でした。資生堂の広告にも登場したのをよく覚えている。

 でもファッション雑誌やスウィンギング・ロンドンのブティック、 'BIBA' の広告のサラ・ムーン・ワールドに、少女の自分は、雲のカーテン越しに遠い天を仰ぐような、トキメキと憧れを抱いたものでした。自分をロンドンへと導いた、魔法の杖の一本だった。

 長い時を経て再び接する、現代に生きるサラ・ムーンの写真は、スリリング。スローモーションめいて神秘。細かい振動やひっかきをまとったモノトーンの世界を、ほかになんと形容しましょう。昔の作品が天上的誘惑だとしたら、アンダーグラウンドの誘惑。または時の止まった深海の誘惑。

 人物、ドレス、工場、動物・・・。人物、ドレス、工場、動物・・・。そしてまた人物、ドレス・・・。キューブリックの映画みたいに白く静かな会場の罠に捉えられ、抜け出られなくなってしまった。




 会場では自由に撮影ができた。たくさん撮ってきたけれど、上はその中の一枚。キャプションには、'Yohji Yamamoto'。




 短編フィルムの上映も面白かった。日本のどこか、工場のある風景がざわざわと、それでいて静かに、映し出されていた。

 帰りの新幹線の中から、すでに「誘惑」に勝てません。タブレットの画面にサラ・ムーンへのオマージュをいくつも作る。見慣れたオブジェや景色が、フィルターの魔法で永遠の時を得る。お試しください。面白いから。 









3 May 2018




「きつねうどん」と心の余裕

 連休中の過ごし方。定番は庭仕事です。先日も書いたように、周囲の様子が違うので、どうも落ち着かない。そういう時は、確実に成果のあらわれる手仕事や庭仕事が、精神衛生上とてもよろしい。アレ、今日も何もしないで終わっちゃった、という間に連休も終わっちゃった、とならないために。

 と言うわけで、すでに緑のごみ袋、6つも仕上げました。この超・狭い庭でこの数。どんなに草ボーボーだったことか、想像されると恥ずかしいのですが、黄色やピンクの草の花も可愛いもので、つい先延ばしにしていた・・・というのは言い訳です。

 廊下のような狭いスペース、「蔦の細道」に敷いたレンガも、ホースの水とたわしでゴシゴシ磨いたおかげで、水彩レッスンでよく使う色、バーントシェンナみたいな赤茶色にやっと戻った。温かくなったころから急に勢いを増したアイビーも、余分な枝をカットする。

 蔦の細道(と言っても3mちょっと)の両側には、たった5本ほどの苗から増やした、この緑の葉が繁っているのです。日当たりも水はけもよくない地面には、アイビーくらい頑丈な植物でないとなかなか繁殖しないだろうと植えたものですが、季節を問わず愉しめる。花が全くない時にも、枝を切って挿すと、そこから根っこが伸びて、またどこかに植えたくなります。「我がアイビーよ永遠に」です。

 今年はバラをどうしようか、迷っています。いつだったか、青木和子さんがTVで? 雑誌で? お会いした時? ・・・忘れましたが、バラをやめたと仰っていた。バラのために薬剤を使わなくなって、体調もすっきりしたような気がすると。私も毎年、虫の退治に気が進まなくなっている。

 殺虫剤が一切いらない植物と言うのもある。紫陽花や鉄線、お隣のSさんに頂いてだいぶ増えた紫蘭などは、放っておいても美しい花が咲く。そういう手間のかからない植物、おそらくは日本古来の花々に、少しずつ切り替えてゆけたらと思う。 

 虫と言えば、昨日は椿の剪定をしました。あの「にっくき」チャドクガが卵を産む前に、急いでやった。きらきら光る新芽は美しいが、込み入った枝をチョキチョキ切り、風通しを良くしてあげた。

 チャドクガに掛かる「にっくき」という形容詞を初めて聞いたのは、庄野潤三先生のご長女、夏子さんからのお手紙でした。チャドクガの幼虫が持つ、あの無数の針のスティルス攻撃に遭った悲惨な経験が、私にもある。夏子さんが言葉で彼らに復讐してくれた。スカッとして、いまやチャドクガの「名字」と言ってもいい。

 夏子さんからは、「チャドクガにはキンチョールがいいわよ」ともアドバイス頂きました。剪定後も念のため、定期的に「ハエハエカカカ(チャドクガも)」を吹き付けなくてはいけません。

 庄野先生の物語の中には、夏子さんがたびたび登場され、読者には weekend books の美和子さんのように、夏子さんファンがとても多い。大掃除や木の剪定に、先生と奥さまの暮らす山の上のお家へ夏子さんは行かれる。一仕事終えてお昼時になると、奥さまが夏子さんの好物、きつねうどんを作られる。


    お昼は、妻は長女の好きなさぬきうどんの
    きつねうどんを作って食べさせてやる。
    長女よろこぶ。

           『けい子ちゃんのゆかた』より

 
 このシーンが大好きで、何度も読み返してしまう。読むたび、私もきつねうどんが食べたくなる。で、庄野先生ご一家のひそみに倣い、昨日のお昼、作りましたヨ。きつねうどん!


 


 食べる事と言えば、大好きなお二人の、新しい料理のご本が出版されています。

 左は『旬の野菜でシンプル・イタリアン』。 今まで忘年会やオープニングのケータリングで何度もお世話になっている、東京小石川にある「シンプル・リトル・クチーナ」オーナーシェフ、佐藤夢之介さんの初めてのご本! 先日の個展でお祝いにと、新刊情報をキャッチされた永田ヒロ子さん、京子さんから頂きました。

 夢之介さんは、お肉や卵を使いません。チーズ以外の乳製品も使いません。「なのに物足りなくない、お肉好きも大満足の美味しいイタリアン」。この帯の言葉の通りです。本の中で夢之介さんが語る、お料理や素材への真摯な言葉も素晴らしい。世に出るべくして出た一冊。ファンとして、本当にうれしく思います。

 右はNHK「あさイチ」にレギュラー出演でもお馴染みの、料理家であり、スタイリストであり、キッチンツールのスペシャリスト、野口英世さんのご本、『フライパンクックブック』です。光栄にも、親友の京子さんと一緒に銀座の個展にいらしてくださった、野口さんご自身から頂戴しました。

 さっそく大好物の焼きそば、「上海風の海鮮焼きそば」から作りました! おーいーしーー! また作りたい。すぐにでも。

 ドイツ製、鉄のフライパン 'turk' を使われてのご本ではありますが、うちの Vita Craft のフライパンでももちろんオッケー。

 野口さんは、TVで拝見するときと、直にお目にかかったときのギャップが何もない。いつも自然体。飾らないお人柄が、よいお仕事を次々生むのだと思います。

 昨秋から、介護と仕事と家事で、脇目もふらず前のめりに突っ走らざるを得なかった私ですが、やっとお料理にも少しずつ心が向かうようになってきた。この素敵なお二人とのご縁に感謝して、久々に新しいお料理にも挑戦したくなってきました。

 

30 Apr 2018



ウォーホルへのオマージュ

 大型連休が始まり、公の休みにほぼ無関係人生の私も、なんだか妙にソワソワする。と言って、どこに出かけるわけもなく、たまった仕事、家事、庭仕事エトセトラ・・・の日々。5月のレッスンの準備もしています。

 今年の Hiro's Art Class では、毎回ある芸術家にスポットを当て、彼らの作品への尊敬の念とともに作品を作る「オマージュ」をテーマに制作を進めています。

 5月はペンとインクを使うレッスンをやりたいと、ずっと思っていた。それでアンディ・ウォーホルをやってみよう!と思いました。ご存知、70年代に地球をカラフルに染め上げたポップアート。その中でも特に特に華やかに、アンダーグラウンドと地上を直線最短距離で結んだような芸術を発明した人。

 キャンベルスープやセレブリティの肖像画も好きですが、私が惹かれるのは、この人がまだイラストレーターだった頃の作品群です。もう30年以上前に、まだ神宮前のワタリウムがギャルリーワタリだった頃、ウォーホルの版画展があった。その時に、初めてこのペンとインクの作品を知りました。以来もうずーっと、好きでたまりません。

 上は、猫の絵だけれど、他に花や蝶々や、アクセサリーや靴や、女性の横顔や天使などなど、本当におしゃれで愉しい作品を、山のように作っている。偉大な芸術家は、本当に働き者。先日観た藤田嗣治の「本のしごと」展でも思ったことです。







 これももうかなり前になりますが、ユニクロが、今となってはまだこじんまりしていた頃に出してくれたTシャツ。よくぞやってくれました! お店の中で拍手したくなったのを覚えている。もちろん!オトナ買い。

 彼がこのスタイルの絵を描くときの、独特のテクニックがあり、HICのレッスンではそれをご紹介したいです。またご自身の好きなテーマで資料を持って来てもらって、そこから洗練されたラインを起こすコツみたいなものも、お伝えできたらと思っています。仕上がった作品は、グリーティングカードに仕立てましょう。

 HICは単発でのご参加も可能です。詳しくはこのブログの lesson のページをご覧のうえ、お気軽にお申し込みください。まずはトライアルでと言う方には、画材をお貸ししますのでご安心を。

 5月の東京HICは20日(日)の午前~午後、沼津は17日(木)の午後です。今回も皆さんに、愉しんでいただけますように♪


18 Apr 2018




都会と田舎

 銀座での個展を終えて、早10日。日々があっという間に飛んでいきました。

 お忙しい中お時間を作って観にいらして頂き、本当に本当にありがとうございました。銀座では6年ぶり、3回目の個展でした。

 一度目は東北の震災、そして原発事故のすぐ後でした。見たことの無い、暗い暗い銀座だった。そんな中でも、公共交通機関を使って観にいらしてくださった皆さまへの御恩は忘れない。

 二度目は父が体調を崩した直後でした。

 今回はじめて何事もなく、無事に多くのお客さまを迎えられた銀座展。ギャラリーの赤瀬圭子さんと谷相さんに温かいサポートをいただき、搬入搬出を手伝ってくれたAさん、K子さん、そして姪のKちゃんにも感謝! とにかく無事に終えられたことにほっとしています。

 次回は地元、三島市での展覧会。2019年4月1日からひと月弱とたっぷりの期間、そして広くて素晴らしい会場で企画頂いています。すぐにそちらの準備に取り掛かるつもりです。




 沼津クラスの展覧会準備に始まった、めまぐるしい数か月でした。その間に冬が終わり、春も駆け抜けていった。新緑の自然に目を向ければ、おいしいお茶を「一杯どうぞ」と淹れてもらったように、疲れも取れ、心が整う思いがします。

 タイミングよく、友人のジャズベーシスト、金子健さんのライブが、車ですぐの裾野市中央公園内にある江戸時代の古民家、旧・植松邸で行なわれました。これは前日に道順を確かめるため、出掛けた時の写真です。




 上を見上げたり、足元に目を凝らしたり、園内にある五つの滝の水音に圧倒されたり。

 沼津から、長泉、裾野、御殿場を走るJR御殿場線というローカル線が大好きで、急ぐ必要のない上京時など、以前は時々乗っていた。松田まで出て、小田急に乗り換え新宿へ出ると、驚くほど交通費が浮くだけでなく、景色がいいので時間がかかっても飽きないのです。

 そんな時、イヤホンでジャズを聴きながら車窓を眺めるのが、たまらなく好きでした。運がよければ、富士山の勇壮な景色を角度の変化を味わいながら拝めますし、野山や田園の風景ばかりでなく、エメラルド色の渓谷が突如姿を現したりもします。

 ジャズと言えば、都会、夜、お酒、バー、というイメージですが、昼間の自然の風景とジャズの組み合わせもまた格別。




 旧・植松邸は、農家の家。保存状態がとてもよい、国の重要文化財です。




BEFORE



AFTER


 大黒柱、太い曲がった梁、囲炉裏越しに見るライブは、都会のジャズバーで聴くのとは違う趣。金子さんとピアノの田村和大さんの息の合った掛け合いに引き込まれ、素晴らしい演奏を堪能しました。茅葺屋根の下に集まった満員のお客さまも大喜び。一緒に行った父(何を隠そう、昔バンドをやっていた)は、金子さんとご挨拶ができて感激の様子でした。築300年のこのお邸も、こんな愉しいことをしてもらえて、どんなにか嬉しかったことでしょう。

 レイ・ブラウン、オスカー・ピーターソン、ナットキングコール、デューク・エリントン、チャーリー・パーカー等のナンバーに加え、アンコールにディズニー映画「ピノキオ」から「星に願いを」を聴けたのもよかった。この曲には、庄野潤三先生の思い出があるからです。

 大きな演奏会の予定もあるそうで、富士の裾野でジャズPart2が、今からすごく愉しみ。詳細が分かり次第、こちらでもお知らせしたいです。


6 Apr 2018



菜画展

 インスタグラムにリポートするだけで精一杯で、こちらには何も書けないまま、あっという間に4日目が終わりました。毎日多くのお客さまにおいでいただき、本当に本当に感謝でいっぱいです。

 

 これは初日の朝に撮りました。まだがらんとしたギャラリーですが・・・

 オープン間もない時間に、サプライズ! 沼津の隣の清水町から、私の大好きなお花屋さん、giverny の三保夫妻が、素敵にアレンジされたお花を抱えて登場してくれたんです。お忙しいお二人なのに、遠くから本当にありがとう!




 その後もさまざまなお客さまが続々いらしてくださり、赤丸をいくつも頂いた。野菜の絵も好評です。

 夕方からはオープニングレセプションをしていただきました。オーナーの赤瀬圭子さん作の器に(圭子さんは陶芸作家とギャラリーオーナーの二刀流)、美味しそうなおつまみがどんどん並んで出てくる。そこへ麻布十番時代からお世話になっているYさんが、天むすを30個も(!)差し入れしてくださって感激。




 その間、このようにみなさん作品をとても丁寧に観てくださって、様々な感想や質問を投げかけてくれたのが、うれしかったです。

 そのうち青木和子さんもいらしてくださり、みんなも私も超・大興奮! 思い出に残る初日となりました。




 これは今回初めて発表した、野菜の絵のコーナーです。私の絵は女性ファンの方が多くいてくださいますが、この作品に関しては、男性の方々からも有難い感想を頂いています。

 3日目のこと、誰よりも遠くからのお客さまが来てくれた。南アフリカのケープタウンから。帰郷が重なった昔からの仲良し、Mちゃんです。「Hirolyn(私のニックネーム)、これは『禅』だね」だなんて、最高にうれしいことを言ってもらう。戦友のようなMちゃんにそう言われて、そこへ少しでも近づけるように、これからもがんばろうと誓う。




 作品展はあと二日、明日7日(土)と8日(日)で終わりです。もうすでに今から寂しい。ACさんの白く四角いスペースに、私の世界がカチッとはまっているのを観るのは、本当に幸せな事。個展は幸せ。心新たにそう感じています。

 exhibit のページをご覧の上、よろしければ、ぜひぜひ観にいらしてください。両日とも在廊します。