言葉の解像度
ニュース番組で福岡伸一さんが面白い言葉を使っていた。「言葉の解像度」。明快で、信じるに足る言葉について、「(言葉の)粒が立つ」とも言っていた。
好きで読んでいる作家、ヴァージニア・ウルフが書く文章の解像度を思わずにいられなかった。表現のひとつひとつが貴石の粒になり、物語宇宙に乱反射しているかのよう。『オーランドー』はじめ、実際「意味を超える」ほどの解像度。好きと嫌いがはっきり分かれるとは思うけれど、私には、ああ、今までなぜ読まなかったのか。とくにイギリスにいるときに読めばよかったと、少し後悔。
イギリスで一番好きなガーデンは?と訊かれたら、迷わず「シシングハースト」と答えます。その邸の女主、ヴィタ・サックヴィル・ウェストの息子、ナイジェル・ニコルソンが描いた伝記『ヴァージニア・ウルフ』(岩波書店刊)が面白い。当時子どもだった眼と心で、母親の恋人であるヴァージニア・ウルフを至近距離から観察する幸運(?)を授かった著者。この伝記、粒が立っている。ヴィタも詩人で作家であったから、文才のDNAもあるのでしょう。翻訳もいい。あと少しで読了するのが寂しい。
冒頭、子ども時代のナイジェル氏とヴァージニアのエピソードが印象に残った。
蝶捕りをしながら、彼女は言っていた。
「言葉で表現しなければ、
何事も本当の意味で
起こったとはいえないのよ。
だから、家族や友達に
たくさん手紙を書きなさい。
日記もつけなさいね」。
以前から気持ちに馴染む、というか、画家の記した随筆が好きで、愛読書が何冊もある。その中でも、扇の要は篠田桃紅さん。桃紅さんの言葉もまた、解像度が相当に高い。
心底思っていること、感じていることをそのままに表現し、自分以外の人に伝えたいという欲求が、画家も作家に劣らず高いのだ。自分が抱いた何かを、とにかくきちっと、自分に出来うる限りの簡略な表現で誰かに伝えたい。
それを為すためには、書き終えて何度も読み返すだろうし、仕上がったと思った後も、不明瞭を発見すればひと刷毛加えることを厭わない。饒舌や目障りを無いものにする潔さも必要。リズム、バランス、色彩、読む人の存在。桃紅さんの本を読むたびに、あ、そうだった、と反省ばかり。事は文章に限らず、日々の生活においてもです。
私の日常では、香を聞くことは滅多になく、
印度の人から貰ったお線香を薫らせる
ぐらいであるが、細い長いお線香を、
木の葉型の皿に受けて立てるかたちがまず好きである。
煙が一筋、真直ぐに立つ時は、
部屋が静かであるあかしのようで心が休まる。
上の写真の古い本は1978年の初版、桃紅さん初めての随想集『墨いろ』を、ある方が「自分が持っているよりも、あなたが持っていた方が」と、くださった。書き込みのいっぱいあるこの本は、命を渡されたように大切な本。もう30年も前の話です。
ページを開いたとき、あっ、私のお香立てと同じ。雲の上の存在、桃紅さんと、細い煙でつながったようでうれしかった。
今は本当に雲の上の人になってしまったこの本の元の持ち主とも、思い出の中の、その方の図書室のようなお部屋とも、また、教えられた様々な言葉のプリズムとも、この本を開くだけで瞬時につながることができる。