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22 Aug 2026

 



椰子の実

 少しずつですが、秋の気配を感じるようになりました。空にうろこ雲、小鳥たちも山から住宅街に下りてきた。囀っている。夜になると虫の声が聞こえる。猛暑や災害に緊張した心が、少し寛ぎます。

 まだまだ暑さは続くと思うので要警戒。そんな中、10月に控えた都内でのグループ展に向けてゆっくりゆっくりではありますが、歩を進めています。小さな星たちをチクチク縫って、中に「雲」を詰めている。星は希望。雲は夢。このシンプルな形に、様々な思いをこめて。




 Instagramの方には、いつも好きな曲をBGMに選んでシェアしています。この画像に選んだのは、英国のミュージシャン、ピーター・ゲイブリエルの最近の発表曲、'I Belong to the Sky'。この言葉が突然、胸にピーンと響いたのです。

 世界中の異常気象。権力者たちも同じように不安に違いない。時間のかかる問題を時短で解決しようとすることに、ひどく抵抗を感じます。

 以前も紹介しましたが、いつでも見える場所に貼ってあるバックミンスター・フラーの言葉があります。

 Environment to each must be
     'All that is excepting me.'
     Universe in turn must be
     'All that is including me.'
     The only difference between environment and universe is me ...
     The observer, doer, thinker, lover, enjoyer.

 これはだいぶ前に、新潮社ウェブで立花隆さんが紹介していた言葉。「環境」という言葉に「私」は存在しない。蚊帳の外です。一方「宇宙=森羅万象の世界」という言葉には「私」が含まれる。二つの言葉の違いはそこに「私」が在るか否か。「私」とは観察する者、行動する者、考える者、愛する者、そして愉しむ者・・・。

 ピーター・ゲイブリエルの長く意味ある活動を想うとき、問題山積の現世界への希望を、高齢になった今も変わらずクリアに、かつ詩情を保ち表現しているそのパワーに感動し、このフラーの言葉に通じると思った。Sky はUniverse だと思った。




 先日ある生徒さんが、「天然生活」9月号を見せてくださった。「ヒロ先生の絵ですよね」。ページを開くと、お世話になった庄野潤三先生の『貝がらと海の音』(新潮文庫)の写真が。エッセイストの小川奈緒さんが「人生を変えた本」として紹介されているのです。うれしかった。7冊担当させていただいた先生の表紙画のうち、これは第一作目で、当時毎日新聞にも評価を頂いたブックデザインでした。編集者のSさん、装幀部のKさんのおかげです。

 小川さんも書かれていますが、庄野先生の文学は、読むと、読者もいつの間にか家族の一員になったような思いになれるのが不思議。「ユニヴァース文学」です。




 Instagramの方には、BGMに「椰子の実」を乗せた。庄野先生は、夕食後にハーモニカを吹き、奥様はそのメロディに合わせて歌う。そんな素敵な習慣をお持ちの enjoyer であられた。

 たしか「椰子の実」もレパートリーのひとつで、私も大好きな歌。父と合奏もした。ハーモニカ奏者の南里沙さんの演奏がまた素晴らしくて、我ながらよい投稿になったとマンゾクでした。

27 Jul 2026

 


ささやかな収穫

 庭のアイコトマトが元気に色づいて、毎朝収穫しています。長雨の影響か、こちらの未熟さゆえか、実の中に少し芯が残っている。でもスープやパスタに使うには問題ありません。

 昨日のお昼は、極細パスタのカッペリーニでスープパスタにしました。具はベーコンとアイコトマトに小松菜、しめじです。味付けは茅乃舎の野菜だし。美味しかった。冷製にしてもいいですね。

 



 袖口にのぞくレースはアームカバー。リサイクルショップで古着の安いブラウスを見つけ、袖をカットしてゴムを入れて、もう何年も使っています。庭仕事の虫除けや、自転車に乗るときの日焼け防止にも役立ちます。レースってなんだかプチ優雅な気持ちになれる。しかも化繊ですからガンガン洗えます。




 リサイクルショップは、チャリティショップ的に時々覘きます。チャリティショップとは、慈善団体が運営しているリサイクルショップ。イギリスの街のハイストリートには、必ずいくつかの店があります。一般市民が不用品を持ち込み、その売り上げが慈善活動に役立てられるのです。ウィンブルドンのチャリティショップは質が良く、目を皿のようにして、いくつも掘り出し物を見つけたものです。日本にもあったらいいのにと思います。

 しかし商業目的のリサイクルショップも、資源を大事にすることにおいては同じですね。例えばボタン。洋服は好みではなくても、ボタンは使えることもある。手芸店で買うと、貝ボタンや宝石っぽいボタンなど、結構なお値段がするものです。でも古着なら丸ごとでもお安い。躊躇なくコラージュに使うことができます。アクセサリーのビーズやチャームにも、たまに良いものがあります。新品ではない、時を経てきた魅力も感じます。

 書いていたら、久しぶりに訪ねたくなってきますが、夏場は朝活以外、ほぼひきこもりと決めています。涼しくなったらまた。



24 Jul 2026

 

愛用の栞たち。

本を読む

読書好きの生徒さんたちに、時々尋ねます。今どんな本を読んでいるの? 好きな作家はいますか? 答は筆跡のように、それぞれ違う。誰もが大切にしている世界を持っていて、よりよい何かを求めている。それが静かに伝わってきて、たとえオンラインであっても、横たわる空間にやさしい雲や天体がぽっかりと浮かぶ。


5歳の頃。お気に入りの青い皮靴をはいて。


子供の頃から、絵を描くことと本を読むことが好きでした。新しい本の匂い、装幀の美しさ、手に伝わる存在感、知らなかったことを知る喜び。たった数ページでも、読めば心の澱みをすっきり掃除し清めてもらえる。顔を上げたときの、次の一歩を導いてくれる。

悲しみも喜びも、若かった頃よりずっしり迫って来る近年の傾向として、「わかりやすくない本」に一層惹かれる自分がいます。例えば英国の小説家、ヴァージニア・ウルフ。彼女の本は長年ハードルが高かった。それがある時突然、ギギーッと重い扉が開いた。

 ‘out of the blue’。天から雷鳴が、じゃなくて次のような考えが轟いたんです。

「わからなくたっていいじゃないか。前の頁のことなど忘れちゃっていいんだよ。未知と既視感がないまぜでいいの。小舟をこぐようにゆっくりゆっくり。惹かれる言葉や表現が、ほら水面に反射する光のようにキラキラ輝くでしょう?」

すると堰を切ったように、その魅力を感受できるようになった。ウルフの著作、立て続けに読みました。


V.ウルフのクッションは、友人のBeckyさんが刺繍してくれた。


精神が洗われる本たちを小さなキッチンワゴンの「移動本棚」に納め、枕元に置いています。寝る前読書で今読んでいるのは『トーべ・ヤンソン短編集』。ヤンソンは、ギリギリまで言葉を節約して綴るヘキがあるのだそう。例えば、35の言葉を5つまで削る、とか。

行間は余白。読むことで完成する。日々溢れる小さな思いのかけらを、そこにそっと納めることができる。読書は、読むたび本も自分も変化します。


表紙の絵がまたよくて。


13 Jul 2026

 

以前Mさんから頂いたボタンのマグネット。

冷蔵庫ウィーク

 先日のこと、うちのご長寿冷蔵庫が突然冷えなくなってしまった。三十年近くもトラブルなくお世話になってきたのだから、少しは覚悟していたものの、ショック。じわじわと温度が上がって、冷蔵室が野菜室に、冷凍室が冷蔵室にヘンシンしてしまった。

すぐに量販店をはしごして、タイプのものをみつけ注文する。ただ配達までに5日もかかってしまうという。そんな~。

買いためてあった食材たちが、刻々と解けてゆく。勿体ないから毎日冷凍コーンと冷凍枝豆の炒め物を食す。嫌いじゃないから別にいい。でも飽きる。お肉は残念だったけど半分捨てました。

災害で停電に遭ったら、こうなるということだ。しかも災害時には、精神的ダメージも加わる。いかに文明の利器に寄りかかって生きているかが、よおく分かった。月の電気代230円の稲垣えみ子さんのようには、とてもなれない。


今のところ何も貼らずにスッキリと。いつまでもつでしょう。

新しい冷蔵庫は201リットル。小型の2ドアにした。充分だし、動かしやすいしと選んだ。このコと早く親友になりたい。保存の仕方も少し変えてゆこう。今日は冷凍野菜(きのこ3種にお茄子にパプリカ、ショウガなど)をせっせと仕込んだ。

食べるものが自分を作り、メンテナンスしてくれるということ。それが切実となってきた最近。そういえば尊敬する画家のジョージア・オキーフの伝記にあった。彼女の寝る前読書は、料理本だったと。庭にハーブや野菜を植えて、オキーフはかなり食生活に気を配る人だった。

アメリカ、ニューメキシコ州にあるアドベ造りの邸宅のキッチンは、シンプルで手作り感があってカッコいい。私が小さなキッチンツールを立てるのに使っているマスタード瓶と同じものを写真集のページに小さく発見した時は、ミーハーにうれしかった。

11 Jul 2026

 

暑くなってきたのでテーブル掛けをブルーにした。


小さな小さな菜園から

初夏の頃、野菜の直販所でミニトマトの苗を4本とピーマンの苗を1本求め、小さな花壇に植えた。すくすく育って愉しみにしていたのが、梅雨と台風の長雨で、1本がかなりダメージを受けてしまい、残念。引き抜かざるを得なくなった。もう1本もアヤシイ。

でも健康な苗たちから、アイコトマトを10個ほど、ピーマン2個をすでに収穫して、ピーマンは昨日のお昼の焼きそばに使った。美味しかった。


ライブで見ると虹のように輝いている。


ハーブ以外の食べられる何かを自ら育てるのは初めてです。花が次々咲いていた梅雨前の景色に、これはお店が開けるゾと喜んだが、自然が相手。そうは問屋が卸さない。「日々の食事に色合いを添えてくれるだけでも、ありがたいと思いなさい」。「はい、その通りです」。心でつぶやく。

「人はより多くを望み、より少なく成し遂げるもの」と、昔読んだ本(たしかエーリッヒ・ケストナーの児童文学)の一節にあった。初めにワクワクと身の丈を超えたスケールで望みを抱き、そこへ向かって励んだのなら、たとえ六、七割しか達成できなかったとしても、希みの元の大きさゆえ、意味のある結果となるものである。若い自分はそう理解した。

何十年も経て思い返す。なるほど。心当たりがいくつかあります。


ピーマンの赤ちゃん


25 Mar 2026



春を迎えて

 4か月近くもブランクを経ての投稿です。こちらにもっと書きたい気持ち、いつもあったのですが、昨秋のグループ展の後から今に至るまで、言ってみれば「冬眠」。脳の一部が、ぐっすり眠りこけていたみたいです。

 休息を取ったおかげで、新しい日々が始まった。そんな気持ちもしています。
 



 現在発売中、「私の花生活」(日本ヴォーグ社)春号の巻頭連載ページです。スタートしてなんと丸7年。今、夏号のための原稿を執筆中で、8年目に突入です。編集長はじめ、スタッフの皆さんにご理解いただき、思いのままに制作させていただいています。だから毎回発見と喜びがある。有り難いことです。

 一昨年まではスタジオで構成し撮影していただくアッサンブラージュでしたが、昨年からしっかり糊付けをするコラージュに変更。創作のこぼれ話や素材についてのエピソードを語るモノクロページも設けていただきました。
 



 撮影から戻ってきた作品を、こんな風にスタジオに飾っています。10月の明日館、JMショップギャラリー展でご覧いただく予定です。

 



 26年前に購入して以来ずっとお世話になっているサイクルショップで、愛車にピカピカの荷台を付けてもらいました。もう今はない会社の自転車ですから、ほかのメーカーのものを取り寄せて、うまく付けてくださった。これまたお気に入りのピクニックバスケット。これを括り付けたかったのです。 Dean and Deluca のバスケットです。すごく頑丈で、形も可愛い。卵もお肉もお魚も、たま~に求める魚がし寿司のパックなんかも平らに入れられて便利。

 ・・・てな具合に、またぼちぼちこちらに投稿をしたいと思っています。読んでくださり、ありがとうございます♪

5 Sept 2025

 



不真面目な寄り道

 先延ばしにしていた紫陽花の剪定作業を、先月の暑い中、エイヤッとようやく片づけた。大きめの株が2つあり、昨年の剪定の仕方が悪くなかったようで、今年もたわわに咲いてくれた。

 枯れてゆくさまも美しく、得も言われぬ色彩とテクスチャーを見せてくれる紫陽花の花。今年も目と心に焼き付ける。



 イギリスのCountry Living誌の仕事をしていた時、与えられるテキストから自由に題材を選ぶことが出来た。無理せずに好きな物を選んだ。もともと克明に描くことはしない、というか出来ないので、これをこんな風に描いてくれと言われなかったことで、自分らしさを発見し育てることが出来たと思う。

 日本の文芸誌の仕事も同様で、編集者さんからあれこれ言われることはなく、自由に描かせてもらうことができた。

 こんな風に甘やかされて育ったためか、描けない花というものがある。紫陽花はその一つ。何故かはわからない。




  絵には描かない。でもこの感動はきっといつかどこかで生きる筈。だから、無理はしない。

 目にした感動を、すべて描くことはできない。描けないことに悩むより、今の自分にできることを一歩踏み出せば、きっと次の景色が見えてくる。記憶に刻まれた、たとえば紫陽花の朽ちた色合いがふっと現れ、助けてくれることもあるだろう。

 もうひとつ、ずっと先延ばしにしていたことがあった。パソコンの買い替えです。買い替えることで生じる労働を想像するだけで息苦しくなりながら、重~いパソコンをずるずる引きずっていた。でも、もうへとへとの玄界灘。これもついこの間、とうとう敢行した。

 そんなわけでここ数日、頭がパンパンになっていました。

 長く使った、前のパソコンの時代と今では、ものすごい進化が起こっていた。錆びたブリキみたいな脳に油を注し注し、検索 → ダウンロード → 設定 → 検索 → ダウンロード → 設定・・・を繰り返し、なんとか頑張った。メールアドレスも、今使っているものが、そのうち使えなくなることがわかり急いでメインを変更した。

 11月のグループ展のことも考えなくちゃいけないし、定期的に制作している雑誌の仕事もある。草取りもやらなくちゃ。運動もしなくては・・・。must や have to の日々が続くと、「あ、まずい」と警報が鳴る。

 「もっと不真面目でいーよ」

 暗い空の雲間から声が聞こえる。そうだった。「そんなに必死にならなくても」いーんである。ハッとして「真面目」にブレーキをかける。急ブレーキは危ないから、車の教習所で教わったように、ジュワーッとゆっくり踏む。で、久しぶりにこの、寄り道みたいなブログを書いているというわけです。

 やなせたかしさんは、仕事のエンジンを切らなかったという。先日観た、NHKのアーカイブ番組でそう仰っていた。切っちゃうと、戻るのに時間がかかるのでしょう。小者の私も、この仕事を始めた若い頃からそう感じていたので、恐れ多くも共感した。


「休養してると、だらっとなるんですね。要するに絶えずエンジンをかけっぱなしにしとかないとね、あとの案がもう出なくなっちゃうんです。一日休むともうわからなくなっちゃう。なんというか、ひとつの反射神経みたいなので描いているんで、ちょっと休むともうわからなくなっちゃうんですね。ほんの少しでも仕事してる。寝ててもギャグを考えてる」


 やなせさん、83歳のお言葉。

 このブログを書くこと、意味のないスケッチやコラージュは、エンジンを切らずにできる「寄り道」なのかもしれない。

 しかし、雲間からこっちを見てくれてるのは、いったい誰なんでしょうね?

4 Aug 2025




公園にて

 暑い日が続いています。皆さん、いかがお過ごしでしょう。

 うちのあたりでは、街を歩いている人がとても少なくなっています。皆、クルマで移動するから。歩いているのはそれができないお年寄りばかり。出会うたび、「お互い気を付けましょうね」と心でつぶやく。

 自転車やバスで移動すると、こんな風に今まで目に留まらなかったことが見えてきます。お年寄りばかりが炎天下を買い物に歩くという、地方都市の異常事態。自治体は何か解決策を考えなくちゃいけないです。

 自分も、長い距離の自転車移動の際は、途中で休むようにしている。この写真の公園も、休憩場所のひとつ。

 ちょうど正午の頃でした。もしアスファルトの通りを歩いていたら、日陰は皆無でしょう。しかしここには木立があります。大きな傘のように無料の日陰を作ってくれている。ベンチに腰掛け、風が葉っぱを震わせながら立てるザーーーッ、ザワザワ、というコーラスに耳を澄ませた。




 この日は台風が遠くを通過するとの予報でしたから雲の流れも速く、クリアに風があっておかげで意外にも涼しかった。「風はやわらかな化石」と表現された星野道夫さんの言葉を思い出し、土ぼこりが舞う様子、木の葉の揺れ、浮かぶ雲をしばらく眺めながら水筒の冷たいお水を飲み呼吸を整えました。

 そろそろ、と立ち上がると、公園のトイレを掃除している人が居る。市の職員の方かと思った。でもAさんでした。

 うちの近くのゴミステーション掃除は、自治会のメンバーである私たち居住者が順番にやることになっています。しかしお仕事の都合で、その務めが夕方以降になってしまう人も少なくない。Aさんはその前に、カラスが食い散らかした痕や、ルールを無視して出されたごみの片付けなど、人の嫌がる仕事をコツコツとボランティアでやって下さっている。簡単に真似のできることではありません。近所のみんながその労に感謝している。

 しかしあそこからだいぶ距離のある、この公園のトイレまできれいにしてくださっていたとは! 首にタオルを巻き、ペットボトルで水を流しているAさん。感謝の気持ちを伝えた。クルマで動いていたら、知る事のない光景だった。

 休憩しても、ペダルはそれほど軽くなるわけじゃないけれど、心のうちにも風が抜けた。大きな力で背中を押されたような思いのする、昼過ぎの出来事でした。



16 Jul 2025

 



朝めし前の朝めし

 早朝に適した仕事はものを書く事と庭仕事、午前から午後はレッスンと自分の絵の仕事をし、夕方はイギリスから届いた雑誌を観てインスピレーションを高める。就寝前はたっぷり読書。こんな時間割が理想なのだけれど、天気によって左右されたり、たまった仕事を片付けたり、くたびれて昼寝したり、今は家の中の整理も始めていて、思うようにはなかなかゆかない。

 それでも朝一番にこのブログを書くことは大きなよろこびのひとつで、日々の励ましにもなる。書くことや読むことは、少々過剰な感受性を持つ自分にとって、「ごちゃごちゃ荘」的頭の中の掃除になる。散らばった思考のコレクションを、それぞれ適当な場所、後々呼び出しやすい棚に収めてくれる。

この早朝の作業にはそれなりにエネルギーが必要で、パンを数切れ胃袋に入れて、脳に糖分を供給します。一仕事終えたら正規の朝食を「いただきます」と頂く。だからいつの間にか一日4食になってしまった。来客のある時以外はお菓子というものをほぼ食べないから、早朝の一食はおやつと思えばよい。都合よく後づけ解釈した。



 先日 I 家から贈って頂いたボローニャのデニッシュ食パン3斤。有り難く、赤ちゃんを抱くように台所に運んだ。そのままでもイケますが、ちょっと焼いてジャムやマーマレードを塗る。美味しい。ごちそうさまです。



 キラキラ黄金色に輝く柚子のマーマレード。美しくてしばし見とれてしまう。以前、クラスのスケッチ会を2度ほどさせてもらった、埼玉のグリーンローズ・ガーデン。あの素晴らしいオープンガーデンのオーナー、斉藤よし江さんから頂戴したホームメイドです。もったいなくてなかなか開けられずにいましたが、開けてびっくり、こんなの食べたことない!ってほどの絶品でした。

 ここ数日、穏やかならぬ雨と湿度が続いていますね。ガラス窓の向こうの灰色の空。こんな天気でもシジュウカラの夫婦がお隣のアンテナにやってきてキョロキョロしている。きっと、朝ごはんを探しているんだ。

 その向こうに広がる空の景色も、静止画ではない。マーマレードパンを食べながら5分も観ていると、ゆっくり、ドラマチックに変化しているのがわかる。

 この星に生まれた私たちが命を保てるのは「対流圏」と言って、高度たったの10㎞まで。卵の薄皮みたいなこの薄い薄い空間に、命を持つ様々な仲間たちとともに肩寄せ合って生きている。

 この間、ピーター・バラカンさんがラジオで紹介していた Lead Belly の'We're in the Same Boat, Brother' という曲があり、とてもよかった。繰り返し聴いている。女優の高峰秀子さんの料理エッセイ『台所のオーケストラ』にあった言葉、「四海の内 皆兄弟(けいてい)なり/ 顔淵」はいつも胸にある。

 雲の切れ目に朝日が顔を出した。しかし相変わらず雨がザーザー降っている。不思議な光景。薄皮の中の、黄金色のドラマ。

 さて、今朝も対流圏スペクタクルを拝むことができました。私も今日ならではのドラマを、ささやかに始めるとしましょう。

7 Jul 2025

 



響く紫陽花

 この美しい花瓶は、あるとき沼津の生徒さんたちが贈ってくれたもので、大事にしている。私が篠田桃紅さんの作品と著書の大ファンであることを知って、ある生徒さんがネットでみつけてくれたもの。もとはお茶のリキュールが入っていた。

 1960年代の古いもので、蓋のコルクが破損していたため飲むことはためらわれたが、濃い緑でしっかりとしたお茶の香りがした。調べるとサントリーはこのリキュールを現在も販売している。いつか手に入れてみようと思う。紙のラベルには、今も桃紅さんの書が使われている。




 手まり咲きの紫陽花を描くのが苦手で、イラストレーターとしては恥ずかしいことだけれど、気に入ったものができたためしがない。どうしても子どもの頃に流行ったアレ、ぎっしりとカラフルな花で飾られたスイミングキャップみたいに見えてしまうのだ。

 ある年の夏、婦人之友社さんから『花日記』という、大判の3年連用日記に絵を描いてほしいとの依頼を頂いた。期間をひと月半ほど頂いただろうか。すべてのページに絵が入るので、今数えてみたら花の絵を66点(うち数点はガーデングッズ)。それから表紙画も描かせて頂いた。

 性分ってこういう事を言うのだろう。私の小さな水彩イラストレーションの描き方は、下描きなしに何枚も何枚も描いて、一番よくできたものを選ぶというとても非効率なやり方。描きながら、次第に「描き順」も決まってゆく。この手法を、自分は「習字」と呼んでいる。コマーシャルな仕事の場合は、このやり方でないとなかなか納得いくものが生まれない。

 描き順が決まってからが本スタートで、1点につき少なくとも5枚。10枚以上になることも多い。あの夏は来る日も来る日も、小さな花の絵を描く日が続いた。

 当然、梅雨の季節には紫陽花を描かなくてはならない。手まり咲きではない紫陽花。庭のヤマアジサイならひとつひとつの花が独立している。描けると思い試みた。

 でももしかしたら今日の自分、この桃紅さんの器と父が植えた庭の花のコラボレーションを目の前に観た自分なら、新しい気持ちで描けるかもしれないと思ったりする。何を描くにも、心にひどく響くものがないと難しい。今は自由に絵を描く日々なので、特にその思いが強い。

 絵を描く身には幸せなこと。心に深く響く何かは、若い頃より確実に増えている。



29 Jun 2025

 


Haste makes waste

 しばらく見て見ぬふりをしていたので、小さな庭の草が元気いっぱいに茂ってしまった。例年通り「草取り」を朝活の項目に加えている。

 可愛いシロちゃんとシジちゃん(先日から居ついてくれているモンシロチョウとシジミチョウ)に励まされながらの労働。応援団よありがとう!ではあるけれど、どうしても時間の経過とともに作業が雑になっていく。雑になればストレスが心中に澱んでいく。

 絵を描くときも同じだ。フレッシュな気持ちを長時間持続するのは難しく、疲れたまま続けると手と心の距離がどんどん離れて行ってしまう。新鮮な気持ち無しに、手は良い仕事をしてくれない。筆や鉛筆はこの身体の、この手の先の延長のようなものだから、疲れや嫌々やることがストレートに紙の上に表れる。だからいかに心を新鮮に保つか。その工夫をしながら、長年この仕事をしてきたように思う。

 一方、疲れた時こそ良い絵が描けることもあるのだと、篠田桃紅さんが昔、雑誌「銀花」に「手」というタイトルで書かれていた。描いて描いて疲れた頃には、雑念や妙な欲が消えてゆく。透明人間のようになった自分を媒介にし、何ものかが思わぬよい仕事をしてくれる。そのように、芸術家の存在迫る文章を理解した。

 これも昔読んだことだが、タモリさんが、「『等身大』ってのが自分にはわからない」と仰っていた。よくわからない言葉、というものが、こんなに明晰な頭脳を持つ方にもあるのだ。どういうことだろう? それはこの言葉がタモリさんの辞書の中に無い、と言うことかもしれない。等身大でないご自身はいないのかもしれない。自分にも、我が辞書にない言葉ってあるだろうか。

 実は最近流行りの「タイムパフォーマンス」、これがよくわからない。そもそも時間の感覚はその時々、また状況によって伸びたり縮んだりするものだと感じる。集中できない、やる気が起こらない、そのような時間が意味のないことにも思えない。ぼんやり眺める窓の外に、突然幸せの青い小鳥がやってくるかもしれないし。



 幼い頃から急ぐこと、競争する事が苦手だったからだろう。だから自然、ひとり絵を描くことを選んできた。なのに、自分が描いている動画を観ると、小鳥の食事みたいに、または早送りの動画みたいに、チョコマカものすごいスピードで筆を動かしている。これはもちろん「タイパ」とはまるで違う仕組みで起こる現象。

 「勝つ話ばっかりしているから、今は。結果を出すことばかり考えてる。人間が使っている言葉って、植物から来ている。『成熟』とか・・・。『結果』ということは実がつくということ。」

 You Tube で視聴した田中泯さんの言葉。「結果」とは、今すぐそこで点数が出る事ではない。そう泯さんは仰る。(ああ、「国宝」観に行かなくては!)

 地味な草取り作業にミニスツールを動員し、雑になるまでの時間がいくらか長くなったのは幸いです。しかし今度は熱中症に注意。急がば回れ=Haste makes waste な、夏の朝です。

3 Jun 2025


 


It's a Good Day

 イギリスのジャズシンガー、Clare Teal のアルバム 'They Say It's Swing' で知ったこの曲は、ペギー・リーと当時の夫、デイヴ・バーバーが作曲した1946年のヒット曲。instagramの投稿にはBGMとしてシェアしました。

 歌詞を読むと、「大河 蔦重」の一週前、太田南畝が放った「めでたし」に通じる人生讃歌に思え、訳してみたくなった。

 
  歌を歌うにめでたき日
  前進するにめでたき日
  何も間違っちゃいないよね
  朝から晩までめでたき日

  靴を磨くにめでたき日
  鬱を払うにめでたき日
  得るはあっても失うはナシ
  朝から晩までめでたき日

  お天道さんにおはようさん
  日は上り輝いてる
  すぐに出発できるよね
  ここゾと気合を見せたなら
  通行証は君の手に

  病気を治すにめでたき日
  料金払うにめでたき日
  深呼吸しよう 薬を捨てよう
  朝から晩までめでたき日



 レッスンの無い日はたまっていた片付け作業、庭仕事、欲しかったものを工夫して作ったり、絵を描きたい気持ちをちょっと脇に置いといて、さもない「めでたき事」をするのが愉しくてなりません。

 この日は、だいぶ前にインテリアファブリックの某輸入会社で求めたサンプルの布を正方形に袋縫い。パン生地を発酵させる際の保温用カバーを作りました。この生地が好きで好きで、以前ひざ掛けに仕立てて、クラフトの個展に出したこともあります。料理研究家、野口英世さんが気に入ってお求めくださり、ブログで紹介してくださったのは有難き思い出です。

 ウールのように見えるけれど、ずっしり重くてちょっとひんやりする。麻、または麻と何かの混紡だと思う。ソファーのカバーやクッション、カーテンなどに使われる上等な布。色も明るさの中に落ち着きがあって好みだし、こんなのもう二度と出逢えないよなぁ・・・。そんなわけで残り数枚を出し惜しみ。なかなか手が付けられずにいたのでした。

 でも、そんなこと言って後生大事に取っておくような年齢ではなくなってきました。好きな物はどんどん暮らしに生かすべし、です。

 コラージュクラスもその方向へ向かっています。新たに素材を買うこともたまにはアリですが、なるべく「今ここにあるもの」をめでたき何かに生かそうという試みを実践中です。またこちらでもご紹介したいです。



23 May 2025




梅雨入り前に

 今年も水蒸気の季節がやってきました。小さな庭の紫陽花は3種類。ヤマアジサイの紅がいち早く咲き始めた。父が植えた濃い紫と淡いブルーは昨年の強剪定にもメゲないで、蕾がどんどん顔を出して愉しみです。梅雨は鬱陶しいけれど、この大振りの花たちを愛でられるのが救いです。

 思いがけず、お隣さんからピンクのバラをたくさん頂いた。蔓バラの一種? 小さめの花が溢れるように咲いた、鮮やかなお美人さんです。棘に気をつけて細い茎をゆっくりほどき、3つの花瓶に生けました。



 
 これは玄関の靴箱スペース。バラは鏡や銀製品と相性が良い。




 May Blossom という名の花瓶に。

 


 ワークルームの棚にも。ハーブと生けると動きが出ますね。これからの酷暑にも耐える強者フェンネル。頼りにしています。

 この日はバラの色に元気をもらって勢いがつき、「新芽、出切ったかな?」のイヌツゲの剪定に、やっと踏み切りました。

 掃除も庭仕事も、やらねば、の気持ちではなく、自然とやりたくなった流れでするのがストレスフリーでいいなと思います。絵を描くのと同じで、そのタイミングがやってくるのを信じて待つのがいい。料理家の有元葉子さんが、掃除は汚れに気付いた時にササッとするから、あえて掃除の時間は設けないとご著書に書かれていて、なんて自由な!と思ったのがきっかけです。

 うちのイヌツゲは、トピアリーみたいな三段刈り。首に手ぬぐい巻いて注意深く脚立に乗り、電気バリカン。高枝切りバサミも駆使する。ふーっ。なんとか無事にやり終え、達成感。自分を誉めてあげる。

 この手のヘビーデューティーをやるときいつも思い出すのは、庄野潤三先生のお嬢さま、夏子さん。尊敬する亥の子の先輩は、こういうことを何でも軽々と、いかにも愉しそうになさるからです。先生の書かれた物語に、そのようなシーンは幾度も登場する。少しでもあのスピリットに近づくのが、庭師ヒロ・ミミ・コットンテイル(庄野夫人と夏子さんが付けてくださった私のニックネーム)の目標です。

 夏子さんたちのお庭とは比べ物にならないほどミニミニサイズなうちの庭ですが、まだ椿2本と金木犀、金柑の木が、スタンバっています。やるからね。みんな信じて待っててね。

9 May 2025



Another Green World

 最近リーズナブルで、しかも美味しい静岡茶を見つけた。朝いちばん、少し冷ましたお湯でゆっくりと淹れる。この写真のような手入れされた美しい「トピアリー」お茶畑を思い浮かべながら頂くと、香りが一層豊かに感じられ、格別です。

 もう何十年も前になるが、原田泰司さんの小さな画集を、入院していた祖母に持って行ったことがある。日本の田園、里山の風景が描かれた画集。田舎で育った祖母、目を細めて喜んでくれた。

 ところでお米。ニュースでは5キロ4,000円台と盛んに言うけれど、この辺りでは5,000円台が続く。1年経たずに倍以上。お米さえあれば、だったのが、突然高級食材になりつつある日本のお米。

 仲買業者が高値を付けてくれる。しかしコメ離れが起こる心配から値段を下げてくれと頼む農家の方がいる、なんて報道が。

 三食ご飯でもいいくらいご飯大好きな自分でさえ、パンや麺類を食べることが増えた。パンを焼くのは前からだけれど、以前より頻繁になった。




 いったい今までと何が変わってしまったのか。理由は一つではないだろう。未来を見据えて知恵を絞り、この状況を改善してゆく方向へ向かいますように。庶民の胃袋はもちろん、日本の田園や里山の美しい原風景を守るためにも。 




 これは 'HOME FARM' という洋書(Paul Heiney 著 / Dorking Kindersley 刊)より。Country Living magazine のガーデニングページに絵を描いていた頃、向こうで求めた。資料として、大いに頼りがいがあった。多岐にわたる自給自足農業についての本で、内容のほとんどはヨーロッパの農業や牧畜についてなのだが、日本の稲作についての記述もあり、うれしかった。

 当時はロンドンのチャイナタウンのスーパーで、スペイン米を求めていた。粒が大きかったが贅沢は言えません。まあまあ美味しかったし。カリフォルニア米は水田ではなく乾いた土地に空から種を蒔いて育てる大規模な農法だと少し前にテレビで観たが、同じことを試みている日本の若い農家さんもいると、昨日知る。

 農業人口の減少や気候変動への対応・・・。日本の水田は消え、グローバルな農法に移行してゆくのだろうか。

 でもでも、世の中から和服を着る人、居なくならないですよね。水田もその姿をいつまでも留めてほしいと、夢見る「アウト老」(←みうらじゅんさんの新語)、ブツブツつぶやく。

4 May 2025



For the Roses

 instagramの投稿には、好きな音楽をBGMに付けることが出来る。それが愉しくて投稿するというのもある。DJになったような気分がわずかながら味わえるから。

 90秒がMAX。好きな音楽がブチっと途切れるのは嫌だ。エンドレスで聴いて貰えたらといいなと思い、木馬が回転するようにうまくつなげるため、こだわって秒数を加減する作業もする。

 おそらくほとんどの方はミュートでスルーしているだろう。でも中には愉しみにして下さっている方も。選曲に共感のコメントを頂くことがたまにあり、うれしくなる。

 たとえば、バラの花のドローイングには、ジョニ・ミッチェルの 'For the Roses' 「バラにおくる」をのせた。私が最初に買ったジョニのアルバムのテーマ曲で、あのレコードはジャケットデザインも凝ったものだった。彼女の声を聴くと、身体をヒューっと冷たい風が抜けるような感覚をおぼえる。枕の冷たいところを探すような、未知の場所を一人旅するような、緊張と解放を感じる。そしてその哲学的な詩に、勇気を与えられる。

 などと言うと、歌詞を全て理解しているかのようだけれど、リズムに乗った流れるような彼女の言葉を鼻歌でそらんじていたとしても、その意味が深いところでピンと来るようになったのは最近のこと。若い頃に出逢った芸術作品の数々が、年月を経て今の自分に新しく沁みる。音楽に限らずアートにも文学にも、同じことがまま起こる。

 パウル・クレーは若い頃に描いた絵を、晩年になり、再び描いてみたという。面白い実験だと思う。

2 May 2025



'HAPPY HORMONE'

 季節がめぐって春から初夏へ。今日はあいにくの雨模様だけど、GWの頃は毎年気持ちのいい日が続く。うちの小さな庭にも、宿根草たちがハロー、ハローと顔を出し、一年ぶりの再会が続いています。

 気のせいか、今年は花の付きや色が鮮やかなように思う。去年より寒暖の差が大きいからか。または年を経るごとに、この世界の美しさが身に迫ってくる。そのおかげなのだろうか。




 これは、4月18日にクラスの有志と一緒に出掛けた、東京文京区の小石川植物園です。作り込まれたガーデンとは違う。ロンドンに暮らしていた頃に時々歩いた「コモン」と呼ばれる広大な緑地に近い風景。都会のど真ん中に、大きな樹木や林に触れられるこんな場所があるなんて。やっぱり東京は歴史ある都なのだ。

 開けた所には親子連れや園児たちが。しかし混みあう感じはない。奥に入った明るい林にも適度に人が散歩している。コモンよりずっと安心してスケッチが出来る。

 メンバーの多くは、外で絵を描くなんて小学生時代のスケッチ大会以来と。外で食べるご飯が美味しいのと同じに、外で描くのも「美味しい」に近い、独特な感覚を呼び起こす。発見がいっぱいありました。

 お日さまの光というものが関係しているのではないかと思う。セロトニン serotonin は、心の安定や睡眠の質を上げる「幸せホルモン」、英語で 'happy hormone' 'feel-good hormone' とも呼ばれる大切な神経伝達物質。調べるとその効果がたくさん出て来る。

 神経伝達物質の中には、喜びや意欲をもたらすが過剰になると問題もある「ドーパミン」と、集中や積極性をもたらしストレスに打ち勝つのを助けるけれど、やはり過ぎると攻撃性やパニックを引き起こす「ノルアドレナリン」があり、この二つのバランスを「まあ、まあ」となだめ保つ重要な神経伝達物質が、この「セロトニン」なのだという。

 セロトニンの分泌を促すためには、日光浴30分が効果的との事。限界値があるから、30分ほどでいいのだそうです。これから夏に向かうと熱中症や日焼けも気になってくる。早朝の時間を大事にしたい。雨や曇りの日にも、直接空からの光を浴びるのは有効らしいです。




 ここは、好きでよく行く場所、愛鷹自然公園。園内にある宿泊施設 「inn the park」のショップで、先日このお日さまのような、お月さまのような、お皿を求めました。




 セロトニン・プレートと呼ぼうかな。コラージュを愉しむように、料理や小さな器をのせて遊んでいます。猪熊弦一郎さんが、昔テレビの取材に応えていたのをよく憶えている。ハワイの別荘で檀ふみさんに「焼き飯を作りましょうか」と、手早く調理。よそったお皿にミニトマトをバランスよく飾り、「絵を描くのと同じ」と仰っていた。

 それ以来、私もいつもそう思ってよそうようになった。はたから見たら、ヤヤコシイヤツかも。でも愉しいし、ご飯が一層美味しくなる。

 「コラージュ向き」のフラットなお皿は重宝。このお日さま皿はホックニーっぽくて、今の気分に願ったり叶ったり!




 最近、鉛筆のドローイングが面白い。絵を描く行為もまた、セロトニン効果に似たものがあるかもしれない。他にも、楽器を奏でる、歌を歌う、踊る、スマートフォンで写真を撮ることだって、芸術は皆、心の平和をもたらす大切な活動だと思う。




 世界には戦争や紛争、災害の爪痕に辛い日々を堪えている人たちが大勢いる。彼の地にも季節のサインが、人々の喉を潤す、たとえ一滴の水のようにでも届いているだろうか。平和な日常の有難さを思う時、それを幸いと喜ぶ自分がいるのと同時に、思いを馳せる荒々しい景色というものがある。心はいつもうつろうが、それが生きるということだと思う。 


 セロトニン、セロトニン。今日も補給して、一日を大事に過ごせたらと思います。