19 Jul 2021

 


ポケットをたたくと

 7月の課題に選んだのは、ヴィンテージボタンで作る指輪とブローチです。以前からやりたかったことでした。ポケットをたたけばビスケットが出て来るように、レッスンのたびに新しい「宝石」が生まれる。魔法みたいだね。うん、ほとんど魔法だね。心で独り言をつぶやく。

 コロナになってから不思議なもので、イギリスの友人たちとの距離が縮まった。長年の友、ブロカントのフェアを企画したり、ヴィンテージの販売もしている Cary には、素材の調達でお世話になっている。 今回も予算を先に伝え、ヴィンテージ素材をたくさん送ってもらった。ヴィクトリアンの硝子ボタンや、古い貝ボタン、アールデコ調、キャンディみたいにカラフルなの、今後の創作のインスピレーションを刺激する小物が次々箱から出てきて、クリスマスの前借りみたいにワクワクした。いつもあてにしていた都内の某ショップはずっとクローズだし、その前に東京には行けないし、この状況下、最高の好物をこうしてロンドンから直送してもらえるなんて! その幸運を、少しずつ生徒さんたちとシェアしているところです。

 黄昏たもの、懐かしい何か、埃をかぶったもの、忘れ去られた何か・・・。私がイギリスの文化に惹かれるわけはそこだと思う。古いものが内包する「時間」にときめき、屋根裏部屋から、見たこともないパンチの効いた何かを生み出すパワーに惹かれる。断捨離はできない。

 問題を抱えていない人など、この世の中にいないと思う。その問題をどうやって解決するか。絵を描くことや、物をこの手で作る事、こうして文章を紡ぐことなどは、一瞬一瞬が壁との遭遇、解決探しの連続。刻々問題が起こり、刻々解決する必要がある。直面する壁を、今までと少し角度を変えて観る事ができて、未来の自分がオッケーを出す予感がしたなら、やっと前に進むことが可能になる。

 昨日たまたま観ることが出来た、NHKの「まいにち 養老先生、ときどき まる」がとてもよかった(あとでまたNHK+で観よう)。冒頭、養老孟司先生は、人が眼で見ることは1割。9割は脳で見ていると、興味深い言葉を発せられた。脳で見ている。なんだろう。視野に映った映像、それと思い出の重なりのことではないだろうかと、番組を観ながら自分なりに腑に落ちた。

 最近絵を描く生徒さんたちに、私は盛んに「思い出」を描く話をしている。赤い花を描くとします。その赤に、その形に、重なるなんらかの思い出、記憶の断片がきっとあるはず。それが作品に表れることが何より大切なことのように、近頃特に思うのです。そうでなければ、自分がその絵を描く必要があるでしょうか、とさえ思う。

 さて、ではこのポップなブローチはなんの記憶から? これを作る時、私の脳内には6歳の自分がいた。生まれて初めて読んだファンタジー、度肝を抜かれた『不思議の国のアリス』の世界がBGMで流れていたことを白状します。


17 Jul 2021

 


旅の途中

 またまた、そしてまた、長く間が空きました。もうこのブログを訪れる方もほとんどいないのではないかと少し心配しながら、やはり私は、描くことと書くことが好きなので、このちっとも終わらないコロナ禍。もっとできる事、好きなことをすべきだと思い、再び書き出します。

 この間、みなさんにも様々なことがあったことでしょう。私にも。その一番大きなことは、眼の手術でした。

 病名は「黄斑前膜」または「黄斑上膜」などと言われるもの。2年ほど前、健康診断の結果に「え?!」だった。左眼に、まだ全く自覚症状はなかった。しかしその数か月後から徐々に違和感。すぐに手術をすべきものでもない。経過観察しましょうと主治医のT先生。

 それでも今年に入って、アレレ。PCの文字の行が重なって見えたりし始めた。症状のある左目を手で隠して、メールを打つ日が続いた。検索すると、やるなら早めの方が視力が戻るというようなことも書かれている。

 もう、どうせ原因は加齢でしょ! しょうがないよね! プンプン!! で、決意。介護をしている身としては、出来る時にやらないと、という事情も。術前は父のショートステイの準備やなにかでてんてこまいで、親友や生徒さんにさえ伝えることなく、バタバタと入院、手術を迎えました。

 忙し過ぎてビビる暇もなかった。しかし視力が安定するまでひどい見え方がして、不安に苛まれるの巻、、、とは想像していなかった。そこそこ我慢すれば、すぐに世界が元に戻ると楽観視していたのです。でも現実は違った。

 手術翌日の診察時、手術した方の眼球の動きが、もう片方の眼球とシンクロしないことに愕然。そりゃあ当たり前か、とその時は思う。でもそれが術後から2週間ほど続くと、不安にもなる。それが一番キツかったです。視力はある。でも、世界が大きくずれてダブルに見える。たとえば髪の分け目をつけようと、鏡に向かって若干上目になるとしましょう。すると世界が上下二つに分離される。周期道上の惑星2つほどに、自分の顔が二つに引き離されて見える。

 退院してひと月ちょっと経つ今、その惑星問題は幸いにもほぼ解消され、疲れた時や寝起きの時間だけ、ギクシャクするのみまで回復しました。安定するには少なくとも数か月はかかるみたいですが、これから一生(と言っても、平均寿命まで25年)続いたらどうしようと不安だったから、心底ほっとした。一日4度の目薬苦行も、うっかり忘れそうになるほど、今は回復しました。

 もうひとつ、もし同じ経験をされる方がいたら要注意。この手術をすると白内障になりやすいとの事で、左目だけ白内障の手術もします。人工レンズになり、左だけ見え方がぐんとよくなる。おかげで、眼鏡に苦労しています。一定期間、レンズの交換が無料のZoff頼み。スタッフの可愛い女の子たちに、「あ、あのおばさん、また来た」と呆れられるんじゃないかと思うほど、レンズを小刻みに交換してもらいながら、徐々に見えやすい眼鏡に近づいています。あと一歩というところです。

 おなじ手術を、作家の上橋菜穂子さんがされていて、その克明なブログにはずいぶん励まされました。

 人には2種類いて、一方は自分が受ける手術の内容を全部しっかり知りたいという人、もう一方は怖いから何も知りたくないという人。私は断然前者なので、上橋さんの作家ならではの繊細な描写に、恐怖ではなく安心させられた。(惑星問題は上橋さんには起こらなかったみたいで、そこだけは誤算。)

 とにかく、今現在、色彩も形も今までよりずっとよく見えることに、ひたすら感謝しています。眼鏡なしには生きてゆけないほど、裸眼ではたよりない両目のアンバランスではあるけれど、それでも観ることを仕事にしてきたこの40年余りにピリオドを打つ羽目に陥らず、感謝しかありません。病院のベッドでの非日常、また退院後の試練にも、様々な気付きがあったように思う。それが何なのか、どのように作品に表現されていくのか、我ながら愉しみでもあるのです。