22 Feb 2020




沼津クラスのグループ展

 お知らせです。沼津クラスのグループ展を、3月12日(木)から17日(火)まで、三島市のGallery PLAZA にて開催いたします。↑はその案内状。

 今回は特にバラエティに富んでいます。メンバーそれぞれの個性、経験、思いがどんどん豊かになっていることの証拠。ご自身の心の赴くままに制作していただくのが、そもそものレッスンの目的です。Hiro's 'Art' Class (HAC) としているのも、それが理由です。

 水彩あり、ペン画あり、アプリケや刺繍あり、コラージュ、アッサンブラージュ、すっごいチャーミングな縫いぐるみも登場します。懐かしのツイッギーも!

 心の落ち着かない日々が続く、誰にとっても試練のときではありますが、この1週間は水の美しい、そして三嶋大社の桜もほころび始めるかも。通りに面した明るいギャラリーで、我らがメンバーの工夫と手業の賜物、愉快な作品と一緒にニッコリ過ごしたいです。どうぞお気軽に観にいらしてください。

 詳しくは、メニューバーから exhibit のページをご覧くださいませ。私の在廊日などは、3月5日過ぎに決まりますので、またお知らせします。

 先日、地元のFM局「ボイスキュー」の番組、「パレット・アート・プラザ」にメンバーの山口さんと出演してまいりました。このグループ展のPRです。放送は3月10日の火曜日、17:40から17:55です。インターネットでも聴けるそうです。

10 Feb 2020



新しい画材

 好きなように作るとは、自分が今見たいもの、自分が今ともにありたいもの、人にこう言われたからとか、評判がいいからとかではなくて今ここに生きる、自分の感受性を信じて作る事なのだと、改めて思います。

 自分の持ってるものを総動員する。ものに限らず、思い出や胸に焼き付いた景色、言葉、友情、受けた親切、後悔や悲しみも、その日その日に浮かぶ有形無形の持ち物をゆっくりゆっくりかき集めると、小鳥が巣を作るように自然と、これが私と言える作品が生まれるのではないか。


「自分にとって自然な事をするのは、いつだってとても難しい事なのです」


 もう30年以上前に読んだ、ジョージア・オキーフのこの言葉は励みになる。本当にそう。簡単じゃない。でも面白い。

 新しい鉛筆は、水で溶ける。粉っぽい画材、油っぽい画材は、若い頃一通りはやってみたけれど、あまり相性が良く無くて敬遠してきた。たとえば、鉛筆、木炭、パステル、クレヨン、油絵具も、扱っていてあまり気持ちがノラなかった。

 でもこの鉛筆はいい。すごくしっくりくる。今までもあったのでしょうか? いつもの画材店のページで偶然発見して、ドイツの STEADLER とイギリスの DERWENT 、2種類取り寄せてみました。

 アクリルガッシュも本格的に使い始めた。やりたかった抽象にも適している。「ヒロさん、ずっと抽象、抽象って言ってるよ」と、親しいデザイナーの友人に言われてハッとした日からさえ、もう数年たつ。やりたいのにやってないことがあるのは、不自然で不健康だ。何十年ぶりだろう。画室にイーゼルを据えました。
 




 ミクストメディアのお教室では、アッサンブラージュというのを始めた。雑誌の仕事で1年やってみて、これはやる価値があると思ったから。

 'assemble' とは、集める、組み立てる、集めて整理するというような意味で、美術用語 'assemblage' は、立体物のコラージュを表します。クラスでは糊付けしないで自由に作った作品を撮影。データとプリント作品として残そうという企て。1月の第一回は慣らし運転のつもりでしたが、皆さんよく表現されていた。これから益々愉しみ。

 自分の持っているものを総動員する。日々の気持ちの波もなにもかも。その象徴が、このアッサンブラージュという技法のような気がしていて、メンバーの皆さんに支えられ、大事に育ててゆきたいと思っているところです。






6 Feb 2020



トーべさん

 またしても、間が空いてしまいました。この間、父が体調を崩し、年が改まり、色々ありました。幸いひと月ほどの療養で、父の体調は穏やかに。ほっとしたところです。

 最近、自分のために始めたことがあります。朝、日の出を観ること。ゴミ出しの日に目にした朝焼けの山並みがあんまり美しく、たぶんその時ちょっと参っていたんだと思う。心に焼き付いて、大きな救いを感じました。すぐに描いたのがこの小さな絵です。Instagram には、若い頃から好きな句と一緒に投稿しました。


 

「峰朝焼 力は登りつつ溜める」 加藤知世子


 それから早朝、眺めのいい近くの山に何度か車で出掛けたりもしましたが、その朝のような感動はもう無いのです。そうだった。探してはいけないのだ。求めてはいけないのだ。ヘッセの『デミアン』にもそう書いてあったじゃないか。

 それでゴミ出しのついでのような気楽な気持ちで、毎朝近所を歩くことにしました。通学途中の小学生はとぼとぼ歩く。中学生は速足。朝日のよく見えるスポットも発見した。ミーアキャットみたいな具合に道端に立ち、小中学生に「おはようございまーす」なんて声掛けしてるヘンなオバサンがいたら、それは私です。

 昨日の朝のことです。暖冬の今年らしく、それにしても早咲きの河津桜を見上げていると、「昨日から咲き始めたわね」。声をかけてくださる年配の女性がいました。その日はそれだけでしたが、今朝もお会いした。

 何処まで歩かれているのか訊くと、往復1時間の「ある場所」までと仰るんで驚く。私の足では、もっとかかりそうな山の上だからです。もう二十年以上欠かさずやってるからと、こともなげに。「60歳の頃から」ということは・・・「満で84歳」とにっこり。とてもとても、そうは見えません。10歳、いやそれ以上お若く見える。溌溂として小柄で、誰かに似ている。そうだ、トーベ・ヤンソンだ。

 サラッとした短い会話の中に、心根の温かさや芯の強さを感じ、なんていい出会いに恵まれたんだろう。低く差すオレンジ色の朝日の中で感謝しました。

 「やっぱり積み重ね、かしらね」

 毎日繰り返される日常の中にこそ、本当の朝日は昇る。いつも行き当たりばったりの私に、朝の光がそっと囁いてくれたような、一日のはじまり。