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22 Aug 2026

 



椰子の実

 少しずつですが、秋の気配を感じるようになりました。空にうろこ雲、小鳥たちも山から住宅街に下りてきた。囀っている。夜になると虫の声が聞こえる。猛暑や災害に緊張した心が、少し寛ぎます。

 まだまだ暑さは続くと思うので要警戒。そんな中、10月に控えた都内でのグループ展に向けてゆっくりゆっくりではありますが、歩を進めています。小さな星たちをチクチク縫って、中に「雲」を詰めている。星は希望。雲は夢。このシンプルな形に、様々な思いをこめて。




 Instagramの方には、いつも好きな曲をBGMに選んでシェアしています。この画像に選んだのは、英国のミュージシャン、ピーター・ゲイブリエルの最近の発表曲、'I Belong to the Sky'。この言葉が突然、胸にピーンと響いたのです。

 世界中の異常気象。権力者たちも同じように不安に違いない。時間のかかる問題を時短で解決しようとすることに、ひどく抵抗を感じます。

 以前も紹介しましたが、いつでも見える場所に貼ってあるバックミンスター・フラーの言葉があります。

 Environment to each must be
     'All that is excepting me.'
     Universe in turn must be
     'All that is including me.'
     The only difference between environment and universe is me ...
     The observer, doer, thinker, lover, enjoyer.

 これはだいぶ前に、新潮社ウェブで立花隆さんが紹介していた言葉。「環境」という言葉に「私」は存在しない。蚊帳の外です。一方「宇宙=森羅万象の世界」という言葉には「私」が含まれる。二つの言葉の違いはそこに「私」が在るか否か。「私」とは観察する者、行動する者、考える者、愛する者、そして愉しむ者・・・。

 ピーター・ゲイブリエルの長く意味ある活動を想うとき、問題山積の現世界への希望を、高齢になった今も変わらずクリアに、かつ詩情を保ち表現しているそのパワーに感動し、このフラーの言葉に通じると思った。Sky はUniverse だと思った。




 先日ある生徒さんが、「天然生活」9月号を見せてくださった。「ヒロ先生の絵ですよね」。ページを開くと、お世話になった庄野潤三先生の『貝がらと海の音』(新潮文庫)の写真が。エッセイストの小川奈緒さんが「人生を変えた本」として紹介されているのです。うれしかった。7冊担当させていただいた先生の表紙画のうち、これは第一作目で、当時毎日新聞にも評価を頂いたブックデザインでした。編集者のSさん、装幀部のKさんのおかげです。

 小川さんも書かれていますが、庄野先生の文学は、読むと、読者もいつの間にか家族の一員になったような思いになれるのが不思議。「ユニヴァース文学」です。




 Instagramの方には、BGMに「椰子の実」を乗せた。庄野先生は、夕食後にハーモニカを吹き、奥様はそのメロディに合わせて歌う。そんな素敵な習慣をお持ちの enjoyer であられた。

 たしか「椰子の実」もレパートリーのひとつで、私も大好きな歌。父と合奏もした。ハーモニカ奏者の南里沙さんの演奏がまた素晴らしくて、我ながらよい投稿になったとマンゾクでした。

18 Sept 2025

 



あんぱんと詩とメルヘンと

 朝ドラも、大河も、毎回必ずということではないのですが、今年は両方が面白く、もれなく観ています。「あんぱん」、「べらぼう」、どちらも絵描きが登場すること、マスコミュニケーションの世界に生きる人々が描かれていること、自分が歩んできた道と重なる部分もあるので共感が大きい。それに役者、スタッフの方々の情熱あふれるお仕事がまた興味深くて、どちらも画面の隅々まで目を見開いて観ています。

 「あんぱん」はとうとうアンパンマン登場で、クライマックスに近付いていますね。このキャラクターに、私は詳しくはないのですが、幼かった甥や姪の様子から、子供たちの心を鷲づかみにしていることはもちろん知っていました。

 私にとってのやなせ・たかしさんは、世代的に雑誌「詩とメルヘン」。ただ、興味の対象が爆発的に増えるちょうど中高生の頃でしたから、あまりよい読者とは言えませんでした。

 それでもあの頃は「詩」というものが、いつも身近に感じられた時代で、詩やファンタジーが含まれる書籍や雑誌がたくさん出版されていたし、私も少ないお小遣いをはたいて、せっせとそれらを求めました。

 この「やなせ・たかし責任編集 詩とメルヘン」1974年8月号をピンポイントで探し当て、フリマサイトでゲットできたことは、ほとんど奇跡のようです。

 若かった私が偶然出会うこととなったある詩人の方がいらして、不定期ではあったけれどその「本の巣」のようなお部屋に、まるで私塾に通うようにお邪魔していた時期がありました。本だけではなく、ピアノがあって、ヴァイオリンがあって、名札を付けたぬいぐるみの動物たちが大勢いて、キャンバスがあって、本棚のないわずかな壁には香月泰男の小さな絵が飾ってあって、おいしいスープやコーヒーを頂き、本のこと、詩のこと、芸術のこと、とめどなくお話を聴くことができる、当時の私にとってまさに「不思議の国のお部屋」でした。この「詩とメルヘン」を見せてくださった日のことは特に印象に残り、ずっと覚えていた。

 やなせさんによる見開きの挿絵の上に印刷された、その方の詩。まっすぐなまなざしと感受性の賜物。シュールとユーモアが重なりコントラストを生む独特の作風。貨物列車に記されたカタカナの文字が冒頭から躍るコトバの編み物。やなせさんがこの作品を選び、2色や1色ではないカラーの絵を、この詩のために描かれた理由がわかる気がします。





 大好きだった東君平さんの作品も掲載されていました。

 今思えば、高度成長期とはいえ、日本がボロボロに壊れた敗戦から、まだ30年も経っていないころです。親類にも、外地で戦って帰還した伯父、明日の命はないという覚悟で神経を失うような日々を送った伯父たちが何人かいた。幼かった自分にはその心のうちまでは見えなかったけれど、「あんぱん」を観ていると、烈火をかいくぐり生き延びた伯父たちの笑顔の向こうが見えるようで、胸が苦しくなります。

 詩人の加寿子さんからも、街が空襲を受けた時のことを聞いたことがある。飼い犬の繋がれていた杭、たぶん鉄柱だったのでしょう。それだけがぽつんと立っていた光景が忘れられないと。

 父は徴兵を間一髪で免れた世代だったけれど、中高年になるまで、爆撃機が頭上を飛ぶ夢にうなされたという。これもだいぶ後になってから、やっと教えてくれた。思い出すのさえ恐ろしい景色だったのだと想像します。

 『ひとはなぜ戦争をするのか』はアインシュタインとフロイトの往復書簡の本で、図書館で借りてはみたものの読めないまま時間切れで返した。すると間もなくのこと、「駄目だよ」と言わんばかりにラジオで、宗教学者の山折哲雄さんがこの本について語る場面に遭遇した。

 フロイトの説によれば、戦争のひとつの理由は、愛と生、子孫を残すための 「エロス」と、攻撃的、破壊的な欲求の「タナトス」。 人間がそれから逃れることは困難かもしれないが、「文化」が心に与える影響が、その誤った勢いを抑制することはできる。そのような意味のことを語られていた。

 加寿子さんがよく仰っていた言葉。

「人類に残された資源は、想像力だけ」

 もしかしたら創造力? でもきっと「想像力」。真の創造力は、想像力なしにはありえないもの。

 自分の世代は育ててくれた親たちが、若き日に戦争に翻弄された最後の世代だと思う。だからこそ感じること、思うことがある。文化や日々の暮らしを通じて、それを表してゆけたら・・・。ドラマ「あんぱん」とやなせさんの仕事は、その思いを励ましてくれた。残り少ない回も、大切に観届けたいです。

16 Jul 2025

 



朝めし前の朝めし

 早朝に適した仕事はものを書く事と庭仕事、午前から午後はレッスンと自分の絵の仕事をし、夕方はイギリスから届いた雑誌を観てインスピレーションを高める。就寝前はたっぷり読書。こんな時間割が理想なのだけれど、天気によって左右されたり、たまった仕事を片付けたり、くたびれて昼寝したり、今は家の中の整理も始めていて、思うようにはなかなかゆかない。

 それでも朝一番にこのブログを書くことは大きなよろこびのひとつで、日々の励ましにもなる。書くことや読むことは、少々過剰な感受性を持つ自分にとって、「ごちゃごちゃ荘」的頭の中の掃除になる。散らばった思考のコレクションを、それぞれ適当な場所、後々呼び出しやすい棚に収めてくれる。

この早朝の作業にはそれなりにエネルギーが必要で、パンを数切れ胃袋に入れて、脳に糖分を供給します。一仕事終えたら正規の朝食を「いただきます」と頂く。だからいつの間にか一日4食になってしまった。来客のある時以外はお菓子というものをほぼ食べないから、早朝の一食はおやつと思えばよい。都合よく後づけ解釈した。



 先日 I 家から贈って頂いたボローニャのデニッシュ食パン3斤。有り難く、赤ちゃんを抱くように台所に運んだ。そのままでもイケますが、ちょっと焼いてジャムやマーマレードを塗る。美味しい。ごちそうさまです。



 キラキラ黄金色に輝く柚子のマーマレード。美しくてしばし見とれてしまう。以前、クラスのスケッチ会を2度ほどさせてもらった、埼玉のグリーンローズ・ガーデン。あの素晴らしいオープンガーデンのオーナー、斉藤よし江さんから頂戴したホームメイドです。もったいなくてなかなか開けられずにいましたが、開けてびっくり、こんなの食べたことない!ってほどの絶品でした。

 ここ数日、穏やかならぬ雨と湿度が続いていますね。ガラス窓の向こうの灰色の空。こんな天気でもシジュウカラの夫婦がお隣のアンテナにやってきてキョロキョロしている。きっと、朝ごはんを探しているんだ。

 その向こうに広がる空の景色も、静止画ではない。マーマレードパンを食べながら5分も観ていると、ゆっくり、ドラマチックに変化しているのがわかる。

 この星に生まれた私たちが命を保てるのは「対流圏」と言って、高度たったの10㎞まで。卵の薄皮みたいなこの薄い薄い空間に、命を持つ様々な仲間たちとともに肩寄せ合って生きている。

 この間、ピーター・バラカンさんがラジオで紹介していた Lead Belly の'We're in the Same Boat, Brother' という曲があり、とてもよかった。繰り返し聴いている。女優の高峰秀子さんの料理エッセイ『台所のオーケストラ』にあった言葉、「四海の内 皆兄弟(けいてい)なり/ 顔淵」はいつも胸にある。

 雲の切れ目に朝日が顔を出した。しかし相変わらず雨がザーザー降っている。不思議な光景。薄皮の中の、黄金色のドラマ。

 さて、今朝も対流圏スペクタクルを拝むことができました。私も今日ならではのドラマを、ささやかに始めるとしましょう。

19 May 2025




東京国立博物館

 昨夜も笑わされ、唸らせてもらいやした。大河ドラマ「べらぼう」。その蔦重に会いに、先日上野へ行ってきました。

 ↑の建物ではなく、この奥の平成館という建物で開催されている、「特別展 蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」。予想通りの結構な混み具合で、前半はじっくり観るというわけにはゆかず。が、盛況展覧会アルアルで、中盤からは少し空いてくる。ドラマでもいよいよ登場の喜多川歌麿作品を、ゆっくり観ることが出来ました。

 この大河ドラマが無ければ、これほど気合を入れて浮世絵を観ることはなかったと思う。ものすごい数の傑作が展示され、歌麿、写楽以外にも多くの才気あふれる絵師の絵が並んでいました。それでも歌麿という才能が特別な存在だということ、浮世絵に明るくない私にもよく伝わった。

 信じられないような細かな描写、美しい線、テレビも映画も、写真さえなかった時代とは言え、浮世絵師、彫師、摺師の三つ巴の力量。圧倒されます。ドラマの展開が益々愉しみですし、機会があったらもっと浮世絵の世界を知りたいとも思った。

 イギリスにいた頃親しくしてもらった画家一家、エスコフェット家のお父さん、ホセが私の絵を観て「とても日本的だ」と言った。自分なりに西洋の影響を受けて描いていると思っていたので、びっくりした。無口なホセに「それはなぜか」と、英語の下手な私は深く尋ねることをしなかったけれど、日本に帰って来てからその意味が少しずつわかるような気がしています。これについては、またの機会に。




 展示の最後はアミューズメントパークのようでした。ここだけ写真撮影が可能とあり、バチバチ撮りました。おそらく日本中から集まった、大河のファン、蔦重のファン、横浜流星さんのファン・・・、老若男女とはこういうことですね。展覧会としてはとても珍しい、まさに江戸市中のような賑わいの光景。(画像は人が入らないようトリミングしました。)




 アミューズメントコーナーの展示の中に、衣装デザイナーの伊藤佐智子さんによるスケッチもあり感激! このドラマの美しさや人物描写における、とても重要な要素のひとつだと思う。伊藤佐智子さんは、私がティーンエイジャーの頃スタイリストとして活躍されていて、購読していた雑誌、「装苑」だったか「服装」だったか、「an an」だったか・・・、忘れたけれど、カッコいいロックなアイデアに魅せられ、影響を受けたものでした。




 ドラマでは治郎兵衛さんの衣装に、いつも「カッケー!」。心で叫んでおります。

 さて、国立博物館に行ったら必ず訪ねるのは、正面向かって右側に建つ東洋館です。ガンダーラの仏像を拝むためです。ギリシャ彫刻の影響を受けた彫像群。これまた「カッケー!」です。ディスプレイが以前とだいぶ変わって展示が減っていた。それでもこの三体には会えました。




 中国の古い器にも惚れ惚れ。




 戦車や爆弾の代わりになる、「ホメホメ大作戦」というのを若い頃に考えたことがあります。相手にカチンと来たら、そんな時こそお互いの文化を褒め讃え合ってはどうかと思ったのです。どんな国にも地方にも、人が苦労して遺した、素晴らしい文化、文学、芸術作品があるでしょう? お互いにそれを讃え合ううちに、殺し合いがどんなに馬鹿らしいことかハッと気づく。「いや、悪かった」と握手する。そんなストーリーを考えたのです。若気の甘過ぎる妄想? 幻想? でも文化や芸術にはその力があると信じたい。

 上野駅に久しぶりに降り立ったら、「ここって外国?」でした。海外からの観光客が、日本人より多いほどに感じます。世界中、どの観光地もきっと同じでしょう。世界はこれだけグローバルに変化している。共通の悩みもいっぱい抱えている。そろそろ地球は「違い」を尊重しながらの、「共感」の星にならないでしょうか。蔦重と鱗の旦那のように。

3 Sept 2018




言葉の混ざり糸

 ある方にご依頼を頂き、小さな贈り物のための絵を描きました。どんな絵にしようか。おめでたい場への贈り物ですから、やっぱり花。一束の花を描いた。

 小さな絵にも時間をかけ、少しずつ手を加えてゆく。その過程が難しくも面白い。額はどれにしよう。額にも小さな細工をしよう。そんな具合に絵が歩いてゆく。一歩。また一歩。

 その間にも、様々な日常が過ぎてゆく。

 読書はバージニア・ウルフに、相変わらずはまりっぱなし。「春樹さんはなぜ自分の考えていることがわかるのだろう」。村上春樹さんの読者の多くが、そう思うのだと聞いたことがある。私も、バージニア・ウルフは、なぜ私の考えていることがわかるのだろうと思う。

 でもそれを正面切って言うのは、作家に対しちょっとずうずうしいような。私はそれを、自ら掘り起こしてはいないし、考えてもいなかったのだもの。バージニア・ウルフという作家が、絶え間なく創作への衝動に突き動かされて、突き動かされて、やっとのことでみつけた水脈。それが私や多くの読者の抱えているある「喪失感」を潤す、ということなのかもしれない。(所有しているものについてはなかなか共感できないが、喪失したものについてなら人は共感ができるのだと、どこかで読んで妙に納得したばかり。)

 デザインもまた表現。たしか三宅一生さんも言っていた。デザインは、それを観た人が、まるで既視感のように「あ、これを私は知っている」と思うことで成功する・・・というようなことを。それを見た瞬間、初めて目にするにもかかわらず、瞬時に気持ちに馴染む何かを、優れたデザイナーは今日も世界中の街のどこかで、惜しげなく大衆の前に差し出している。

 最近、アメリカの画家、ヘレン・フランケンソーラーの言葉に感動しました。

 「本当に素晴らしい絵とは、まるで一瞬のうちに起こったように見えるものです。もしある絵が、労力と過剰な仕事によって生まれたかのように見え、あなたが作品から、『そうか、これをああして、そうしてから、ああしたのだな』と読み解くようなものならば、それは私にとって美しいアートではあり得ない」

 中森明夫さんが、一度だけさくらももこさんに会った時に、姪にサインをお願いした。そのとき、鉛筆で下書きをしてから、まる子の顔を描く様子、そしてあとから鉛筆の線を丁寧に消しゴムで消すさくらさんの様子に驚いたという。さくらさんは、そうしないと描けないのだと仰ったそうです。

 画家が絵をささっと描けると思うのは、間違い。でも、あたかも迷いなくササッと描いたもののように観てもらえたとしたら、フランケンソーラーの言葉のように、その絵はある程度上手くいったと思っていいのかもしれません。




 亡くなってから、毎日アレサ・フランクリンを聴いて、パワーをもらっています。パンチの効いた 'Think' という曲がある。ビル・クリントンはアレサへの弔辞の中で、自らのスマホを取り出し、この曲を会場の参列者に贈った。こういう場面を見ると、憂いの多い今のアメリカに、一筋の光を見る思いがする。

 私も ’Feel' と 'Think' の間を行ったり来たりしながら、混ざり糸でセーターを編むような気持ちで、今日も仕事ができたらいいなと思う。

 

15 Aug 2017




ことば

 先日の「クローズアップ現代プラス」は、よい内容だった。子どもたちと一緒に世界中で起こっている、紛争や戦争について、テロについて、考えるという企画で、人気子役の子どもたちによる、美輪明宏さん、池上彰さんたち大人との対談を、興味深く観ました。

 美輪さんの戦争体験、被爆体験。「そこから得たものはなにか」と問う子どもに、「反骨精神」と言い切る美輪さんの姿には胸打たれた。

 難民として、文字通り必死の思いで国を出た子どもたちの描いた絵。それをアニメーションにした映像は、意味ある試み。↑にリンクした番組のサイトで観られます。

 シリア難民の15歳の少女の言葉を思わずメモした。


  「私は絵を描くことが好き。希望も悲しみも、絵に込められるから」


 過去の戦争のこと。この季節は特別によくよく思いを馳せ、特集番組を観て、直視に堪えないひどい出来事に向き合う。体験した人の苦しみは、ひ弱な自分がいくら頭に描いてもしきれない、想像を絶するものであるのだから。

 近年、私たちの親の世代が、これまで誰にも言えずにいた酷い体験について語り始めています。自らの老い、今語らねばと言う思いと、他にも様々な思いに突き動かされてではないでしょうか。そのような貴重な証言を含む番組が、今日もオンエアされていた。

 翻訳家で東大名誉教授の柴田元幸さんが、こんな本を出されている。




 日本国憲法制定時に、外国の国々へ向けて英訳された平和憲法。それを、また日本語へと柴田さんが翻訳なさった本です。社会の授業で教えられたものとは言葉づかいが違います。身近で平易な文体となっている。名翻訳家の手によって、内容のニュアンスもよく伝わる。木村草太さんが監修しています。朗読CDも付いています。

 ご興味のある方もおいでかと、紹介したく思いました。今日のこの日に。祈りとともに。




 もう一冊、最近読んだよい本。料理家の有元葉子さんの『使いきる。』と言う本。

 このキッチンミトンは、もう何年もこんな風に繕いながら愛用しています。有元さんのようにおしゃれな方も道具を繕って使われているのだと知り、身近に感じて嬉しかったし、「台所には、台が必要」との一文に刺激され、活用されていなかったミニワゴンをプチ改造したりしました。これは本当に、あると便利です。




 副題の「整理術」と言う言葉に引かれて図書館で借りたのですが、終わりに近づくにつれ、食材や道具を使いきることに限らない、有元さんの深い思いが伝わってきます。

 必要な言葉とは不思議なもので、数珠をつなぐように、続けて目の前に現れることがありますね。昨夜の日曜美術館は魯山人が特集でしたが、ゲストの樹木希林さんの言葉がよかった。


  「持って生まれたほころびを、繕いながら生きている」


 これからこれを私のマントラにしたいくらい。有元さんの本に教わった「使いきる」にぴったりと重なり、番組を観ることができた偶然に感謝しています。

29 Jan 2017



ニュースを見て

 今日は本当に久しぶりに、心解き放たれる思いがした。こんなニュースを心底見たかった。カナダのトルドー首相のツイッターより。


  To those fleeing persecution, terror & war, 
  Canadians will welcome you, 
  regardless of your faith. 
  Diversity is our strength.                         


  迫害、恐怖、戦争を逃れようとしている人たちへ。
  信仰にかかわらず、カナダ人はあなたたちを歓迎する。
  多様性は私たちの力だ。

                    Justine Trudeau

 
 写真は、2015年にシリアから到着した難民を迎えたときのものだそうです。