29 Dec 2016



おしまいのページ

 文藝春秋の雑誌「オール讀物」の巻末、「おしまいのページで」の小さなカットを、一年担当させていただきます。先日、第一回の一月号が届きました。これは気に入っている四角いぐい吞みを描いたもの。この調子で手持ちの器を題材に、あと11枚描くつもりです。

 器を描くと気持ちが落ち着く。Instagram でフォローし合っているスコットランドの絵本作家、Alice Melvin さんが、だいぶ前だけれどこんなことを書いていた。

 
     <私のモットー>

     日々のスケッチブックに何を描いていいかわからなくなったら、
     ティーポットを描きなさい。または鳥でもいい。
     または小鳥が描かれたティーポットならなおいいでしょう。


 そしてその通り、小鳥の絵付けがされたブルー&ホワイトのティーポットを、色画用紙に色鉛筆で描いて切り張りしたスケッチブックが post されているのです。こんな投稿に接すると元気が出る。Instagram を始めてよかったなーと思います。 

 ※私のインスタグラムのページにスマートフォンから飛ぶには、こちらをタップしてください。登録していなくても見られますヨ。





パウル・クレー

 タブレットの調子がイマイチでショップに持っていったら、機種交換を勧められた。二年ちょっと使っていた前の機種からデータを移動してもらい、さてすぐ前みたいに使えるかと言えばそうではなかった。アプリを再びダウンロードしたり、PCのアドレスを使えるようにしたり、そういうことは自分でやらなくちゃならない。ややこしい。

 年々メモリーが目減りしている自分を痛感するねと、すぐ下の妹と話す。

 それに比べて、壁紙を替える、というカスタマイズは愉しい作業。今回はクレーの水彩画にしました。一発で決まった。本当はもっとグリーンぽくて澄んだ絵です。すごく気に入っています。
 



ダイアナ・クラール

 は、エルビス・コステロの奥さん。このアルバムを作るにあたって、コステロは協力をまったく惜しまなかっただろう。私世代にはたまらない選曲の、とても素敵なカバーアルバムです。

 古い車の古いカーステレオの、壊れたMDプレーヤーがなぜだか息を吹き返し、4年前にセットしてあったMDが突然鳴り出したのはついこの間のことでした。すっかり忘れていたけれど、この人のパリのライブが録音されていた。最後の、これはボーナストラックかな、スタジオ録音による 'Just the Way You are' 、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」が、なにしろよい曲であること。このことに、これまたなぜだか急に気付いた。

 そしてこのアルバム、'Wallflower' はその延長線上に灯った12本のキャンドル。ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」、イーグルスの「デスペラード」、カーペンターズの「スーパースター」、ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」、そしてタイトル曲のウォールフラワーは、ボブ・ディランの曲。ウルウルしそうな懐かしの名曲はまだ続く。

 歌にダイアナのハートがこもっていて、ぜんぶダイアナの曲になっている。ここのところ、毎日こればかり聴いています。大みそかもお正月も、たぶんしばらくはこればかりと思う。私の台所は。




11 Dec 2016




詩について

 時が止まった。タブレットで観る You Tube の小さな画面越しでさえ、そう感じた。

「ごめんなさい。お詫びします。とても緊張しているんです。」

 紳士淑女で満席の会場に、あのパティ・スミスが弱々しくそう言うと、つまずいた2番の最初の部分に戻って歌いなおした。言葉というものがこの世界の一部であることを感じる瞬間。言葉が消えた世界を、まるで疑似体験するようだった。

 ディランは世界のどこかでこの様子を観ていただろうか。もしそうなら、少し心配しながらも、感謝とともに「それでいいんだよ、パティ」と思ったのではないか。

 こじつけだと言われても気にしない。たるんだ綱か割れたガラスを渡るように危うい、この世界と人間のことを詠ったこの「はげしい雨が降る」に、これほどふさわしいパフォーマンスはない。朝から何べんも聴いていて、そう思う。

 長い曲の終盤に向かうにつれ、パティは力を取り戻し、息を吹き返し、勇敢に歌い切った。涙があふれた。客席の紳士淑女の中にも、私と同じ気持ちの人がいるのがわかった。ディランやパティ・スミスと同じ時代を生きていることに感謝する。



 
   私が見るものと 私が言うこととの間に
   私が言うことと 私が黙っていることとの間に
   私が黙っていることと 私が夢みることとの間に
   私が夢みることと 私が忘れることとの間に
   詩は、ある


 これは、ディランじゃなくて、1990年にノーベル文学賞を受賞した、オクタビオ・パスというメキシコの詩人の言葉。ずっと前に新聞で読んでメモしてあった言葉。

9 Dec 2016




クリスマスの支度

 月が替わって、もう今日は9日。ハッキリ言って、早すぎです。まだ家の中は、11月を引きずっていて、段ボール箱こそ減ったものの、個展でお求め頂いたプリントたちが額装を待っていますし、12月のレッスンの材料も「早く仕分けしてよ~」。小さな庭では、伸びきった芝が「早く刈ってよ~」。」いずれも無言の訴え。

 よし、なら、と、昨夜寝る前にするべきことのリストを日記に書き出してみたら、その多さに益々途方に暮れて、最後に「さて、今日は寝て、明日だ。」で締めくくる自分て、なんて軟弱なのでしょう。

 なので、クリスマスの飾りもまだほとんどなにもしていない。11月のレッスンで、このバンティングを作っておいてよかった! これさえあれば、気分はとりあえずフェスティバル&カーニバルですから。

 メンバーから、飾りつけの写真をメールで続々頂いております。みなさん素敵に飾られている。うれしいです♪

 ↓は、先月の沼津クラスと東京クラスの様子です。

 



 そして12月のレッスンももうじきです。

 今月はほんとは、「アートジャーナル」と称した小さなスケッチブックの表紙をコラージュで作る、というのをやるつもりでしたが、その土台にするスケッチブックをロンドンの画材店から取り寄せるのに、思ったより時間がかかってしまいました。それで間に合うか心配だったので、別の企画に。

 満を持して(?)、とうとう切手の小箱をつくることにしたのです。というのも、実にタイミングよく、素敵な外国の切手が沢山手に入ったから。手のひらに載る小箱ですが、きっとずっと大切にしたくなる、素敵なものに仕上がると思う。ご参加の皆さま、お愉しみに!(先ほど、Lesson のページに、持ち物などを更新しましたのでご覧ください。)

 そして今月やるはずだった、アートジャーナルは来年1月に行います。そちらの素材も、乞うご期待です。東京クラスはグループ展の準備もありますが、欲張りに両方頑張ってまいりましょう。(スケッチブックの数が限られていますので、お申し込みがまだの方はぜひお早めに!)

 ここでお知らせですが、毎年作ってきたカレンダー、今年はそんなわけでどうしても時間が取れそうになく、泣く泣くお休みいたします。愉しみにしていてくださった皆さま、ゴメンナサイ。

 やることリストはいっぱいでも、心の余裕は持っていたい。クリスマスの飾りも、少しずつ少しずつ。冬休みの子供たちを招く日までには、ささやかでも気持ちよく仕上げたいなと夢見ているところです。

1 Dec 2016



Galerie 412

 いつにもまして、夢のような6日間でした。初日には11月の雪! 思えば準備段階から、急用に次ぐ急用でスケジュールが定まらなかった。にもかかわらず、奇跡のようにつじつまが合い、何かに守られているかのように無事に会期を終えられたこと。ただただ感謝です。

 新作は少なく、今までやってきた仕事から、気に入っているもの、特に文芸誌の挿絵を沢山ご覧いただけたのはよかったと思う。

 白と黒の絵は一見地味で、ましてや挿し絵は小さな絵ですから、今までじっくりご覧いただく機会があまりなかった。目立たずに小説を支えるという存在の仕方が好ましく思え、実はひそかに力を注いでいた仕事です。

 「墨の濃淡に色が見える」と言っていただくのがうれしかった。意識してそうしているわけではないけれど、そのものらしさを表そうとするとき、自然と頭に色が浮かんでいるのでしょうね。
 



 毎日多くの方においでいただき、かつて篠田桃紅さんも囲んだ白いテーブルの上での水彩デモンストレーションも、大好評でした。(インスタグラムに動画をUPしています。)

 そしてその同じテーブルで、最終日のクロージングタイム。お客さまも皆帰られた後、去年と同じように、ギャラリーの千鶴香さんがすっとワインの用意をしてくださる。搬入から手伝ってくれた anzu さんと3人でカンパーイ。(カワダは帰り、最寄り駅から運転のため、泣く泣く葡萄ジュースで。)このために用意してくださったのでしょう。ギャラリー仕様?の世にも美しいチーズも絶品。

 「余韻を愉しみたいじゃない?」と千鶴香さん。

 時間が来たら、次の週の人が傍で待っている中、大慌てで搬出するのでは、その「余韻」は味わえない。

 「オーナーの村越さんとね、もしそうしなくちゃいけないなら、私たちがギャラリーをする必要はないわね、って話すの」

 前回もそうでしたが、会期中、こうして様々な話をしながら、いろんなことを学ぶのです。そういえば村越さんと、私がかつて装画を担当した本の主役、彫刻家のワグナー・ナンドールとの縁にも、驚かされた。

 Galerie 412 に、私はある種のスピリットを感じている。そのおかげで居心地がよく、いつまでもいつまでも、ここでゆっくり絵を見ていていいんだという気持ちにさせてもらえる。それ以上のギャラリーって、あるでしょうか。ご来廊の皆さまも、そう感じませんでしたか? 




 お時間を作ってご覧いただき、ありがとうございました。

 そして自分、おつかれさま~!