10 Dec 2020
8 Dec 2020
すべての人の心に花を
今年は誰にとっても特異な年となりました。瞬きの瞬間みたいにあっという間のようで、眠れない夜のように長かったとも思える。時間の感覚とは妙なものだと、あらためて思う。
二つの展覧会の間にオンラインレッスンを立ち上げ、その間ずっと家族の介護もあったから、記憶が飛ぶような日々でした。生徒さんにもあらゆるポカで迷惑をかけた。コロナが始まったころ毎朝山を歩いていたのに、それも次第にできなくなって、すっかり運動不足です。
しばらく展覧会はない。自分の仕事を耕す季節が、久しぶりに始まる。仕事部屋を父が使っていた部屋に移動することにした。父はありがたいことに健在だが、もう階段は使ってほしくないもので、怒涛の一年、物置と化していたその部屋を、思い切って改造することにした。
床材や壁のクロス、ドアの素材を悩みながら決め、メジャーとメモを片手にIKEAのサイトにどっぷりはまる。先日からは一番苦労に思っていた片付け作業を渋々始めた。がしかし、身体を使う仕事は気持ちいい。この労働の後には、狭いながらも自分の気に入った空間ができ上がり、ここで少人数のレッスンができたらと考えているんです。そのためと思えば、頑張れる。
イギリス人のアーティストは、仕事場のことをアトリエとは言わずスタジオと呼ぶ。ロンドンに暮らしていた頃は、たびたびあるスタジオに出掛けた。そこにはとてもお世話になった日本人のMさんと、その後家族ぐるみで大事にしてもらった画家のミリアムがいた。
彼らのスタジオは古い倉庫の一室だった。そこでの思い出は沢山あるが、今やエリザベス女王のオフィシャルな肖像画を描くほどに「超」の付く活躍を遂げているミリアムと、よく食事やパーティに呼んでくれた彼女のお父さんで画家のホセ、お母さんのアルマからは、本当にかけがえのない多くを学んだ。彼らについては拙著『イギリス暮らしの雑記帖』にも書かせてもらった。
その後ミリアムは、今の住居兼スタジオに移り、帰国後の旅行の際は長く泊めてもらったりもした。そのスタジオが素晴らしかったので、住環境は違い過ぎるものの、若干参考にさせてもらおうと思っています。
去年訪ねた、キャロライン・ズーブさんのワークルームもよかったなあ。こちらも若干参考にさせてもらおう。
来年は、すべての人によい一年になりますように。
その願いもあり、一旦は諦めかけたカレンダーづくりを、東京、沼津のメンバーに背中を押してもらって作りました。このサイトにも、あらたに shop というページを加えてみた。アナログで「名ばかりショップ」ですけれど、よかったらご覧ください。少しずつ、アイテムも増やしてゆきたいです。
3 Nov 2020
28 Oct 2020
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ギャラリーに入ってすぐお出迎えは、初参加の安倍さんの水彩画。 |
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こちらも初参加の白鳥さんによる、フードイラストレーション。 |
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昨年の英国アートツアーの収穫物も、見ごたえあります。 |
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額装にもそれぞれのこだわりが。グッズの販売も好評です。 |
17 Oct 2020
25 Aug 2020
20 Aug 2020
18 Aug 2020
オラファー・エリアソンの言葉
昨日の続きです。
私は言葉に支えられ、言葉に守られて生きている。ずっとそう思っている。もちろんほかのさまざまな外界、絵を描く自分にとっては特別に、景色やオブジェ、自然物、人工物、もちろん人の笑顔、表情、哀しみにさえ、とにかく目に映り触れられる、この世界のすべてに支えられている。
それでも、言葉は特別に重要だと思う。特に「詩」精神は、人が発明した、最も崇高な救いの一つだと思う。
若い日々に言葉の不思議を教えてくれたある方が、「詩人には家がない」と言ったのが忘れられない。「画家には家があるでしょう? 芸術家、音楽家、工芸家、作家、文筆家、みんな家がある。詩人には、でも、家(と言う字)がないでしょう?」
昨日のオラファー・エリアソンの言葉を、画面を止めながら書き写してみた。
「私たちはものごとの見方を知らないがゆえに、いろんなことが見えないと思うんです。でも見方を変えれば見えなかったものが見えてきます。」
「それは不可能なことを可能にすることに通じます。見方を変えれば、川は橋となるんです。世界をよりよく理解するために、見方を変える。知覚を変化させる。そういう意味です。」
「今まで見えなかった『時間』が、ほんの少しの水と波だけで見えるようになったんだから・・・。環境や気候に関してもそうです。見方を変える、知覚を変えることで、地球を今一度理解し直さなければならないと思います。」
表現の手法は問題ではないと、オラファーは言う。
「アートとは、ひとつの言語であり、形式です。より重要なのは、そのアート作品がなぜ作られて、なにを伝えようとしているのかです。伝えることによって、使う言語も変わってくるでしょう。」
「ただ私の場合、より、詩的な言語を使いたいと思っています。」
詩精神。
「美術館には美術をよく知る人だけでなく、あまり知らない小さなこどもやお年寄りにも来てほしい。初めて来た人にとっても、居心地のいいところにしたいんです。まるで私と一緒に、あなたが展覧会を作っているような気持ちになってほしい。」
「私は創作者ではないし、あなたは消費者ではない。私とあなたは、共同制作者なんです。」
人々が美術館に来られない今、アートが自宅にやってくるということや、自然を部屋の中に取り入れることが出来ると、オラファーは考えている。
「確かに今、私たちは物理的に離れています。でも社会的にはつながっていなければいけないと思うんです。その役割をアートは担うことが出来ると思います。なぜなら、他の手法では表現しづらいことでも、アートであれば表現することが出来るからです。」
「『アート』はただ鑑賞する対象ではなく、プラットフォームのような場所なんです。人々が集まり、それぞれ違う意見を言い合い、その意見を尊重するところ。そんな場所がアートなんです。」
14年前、自分の始める講座に名称を付けなくてはならなかったときに、「アート」と言う言葉を使うべきだと思ったのは、教室を限定されたスタイルに収めたくない思いがあったから。おかげで私のクラスには、初心者、経験者入り混じった、様々に探究心のある方々が集ってくれています。可能性が無限。コロナ禍で始めたリモートレッスンからも、それを強く感じていたところでした。HACもHICも、みんなのプラットフォームになってほしい。そして常にそうでありたい。
「アート単体では解決策にはなりません。でも物理的ではなく、社会的につながることのできるアートと言う場所で私たちが対話を交わすことで、今何が重要なのかを考えることが出来るのだと思います。」
リモートでつながったベルリンのスタジオ。アーティストの後ろに、ギターが一本立てかけてあったのが印象に残った。
詩人には家がない。光のように自在な存在。
光をありがとう、オラファー・エリアソン。
17 Aug 2020
残暑お見舞い
皆さま、いかがお過ごしでしょう。コロナに豪雨、長梅雨に酷暑。心はなるべく平穏にと努めています、とかカッコいいことではゼンゼンなく、出来る日には短い昼寝を。
「パワーナッピング」と言うそうですね。たとえ5分でも仮眠すると、そのあとの「パフォーマンス」が俄然違ってくるんだとか。確かに、脳内がすっきりします。
昨日もまた、暑くて辛い一日の始まりと思いきや、幸いにも違った。日曜美術館でオラファー・エリアソンの展覧会の様子を観ることができたから。この展覧会は始まる前からずっと愉しみにしていたのが、コロナで延期になり、再開してもまだ行けないでいる。9月下旬の最終日までに、都内へと出掛けられるだろうか?
この偉大な芸術家の作品を初めて体験したのは時を17年も遡り、2003年のロンドン、現代美術のミュージアム、テートモダンででした。会場に一歩足を踏み入れた途端、この景色。
ウェザー・プロジェクトと名付けられた、これは巨大なインスタレーションです。発電所だった建物を美術館にリノベーションしたテートモダンの、信じられないくらいどでかい空間に、これまたどでかい太陽を、オラファー・エリアソンは設えて見せた。今思い出しても、モダンアートから受ける最大級の刺激的体験でした。
歩道橋の向こうや天井に映る人影で、この空間の巨大さが伝わるでしょうか? あらゆる年代の人間が、思い思いの姿で、この人工の太陽を仰いでいた。
平和な気持ち、とも違う。畏れのようなもの、とも違う。それまで経験したことの無い、フラットな気持ちにさせられたのを思い出します。アインシュタインは「遠方では時計が遅くなる」ことをつきとめましたが、その実験の粒子の一つに自分がなったような。たとえて言えばそんな感じ。記憶を反芻すると、ある実験者がどこか遠くにいるのをかすかに感じるような、そんな気持ちもよみがえります。
その後、2005年には東京の原美術館で、「Olafur Eliasson 陰の光」という展覧会を体験。今回の展覧会にも出品されている虹の作品を観ることが出来た。(原美術館が今年の12月で閉館するというニュースは、本当に残念です。)
日曜美術館では、オラファー・エリアソン自身の言葉を多く聞けたのがうれしかった。
まず展覧会場の最初に飾られているという、1,5000年から20,000年前の氷河で描いた大きな水彩。氷が溶けるままに時が描いた不定形の抽象画に「規則性のある形をドローイングで加え、より確かな存在感を出すようにしました」。創作の際いつも漠然と思っていることを、私のつたない思考の一万倍馬力で仰ってくれた。
TV画面を通してだって、この作品を前にしたら、悠久の時を感じないわけに行かない。作家が「光が放たれるような特徴を持たせようとした」この作品は、観客に向けての「ちょっとしたグリーティング(ご挨拶)なんです」という言葉にも、しびれました。
私たちの東京クラスも、秋のグループ展に向けて、あるささやかなプロジェクトを進めています。このコロナの時代にあって自分たちに何ができるかを考えたとき、自然に浮かんだその企画への心優しい励ましにも思え、頭の中に大きな風力発電の羽根がゆっくりと回り始めた思いがするのです。
つづく
11 Jul 2020
2 May 2020
お元気ですか?
皆さん、いかがお過ごしでしょう。心身ともにご無事でありますように。
世界がこのようなことになってしまい、思うこと、考えることがいっぱい。しかし仕事と目の前のやるべきことで、幸いカワダは落ち込む暇もない毎日を送っています。
個展の会期を短縮してから、もうひと月が経とうとしています。銀座までの長い距離を自転車でいらしてくれた方、仕事帰りに寄ってくださった方、自宅待機の時間に公共交通機関を使って緊張の中いらしてくれた方、Stay Home の状況下、遠くから応援をしてくださった方、本当にありがとうございました。
ACギャラリーでは、引き続き写真展「HOMEWORK」の作品を、オンラインギャラリーでご覧いただけます。ネットショップでの通信販売も可能です。これから他の作品も、オンラインで発表させて頂く予定。お求め安くて愉しい気持ちになる作品をと、考え中です。
世界はこれからどう変化してゆくのか。自分に何ができるのか。自分は何をしてゆきたいのか。自分の好む生き方って、なんだっけ。
絵を描くこと、創作をすることは、とても個人的な作業。HICとHACの教室も通信講座に切り替えていますが、ほとんどの方がご参加くださり、この機会をよいものと受け止めてくださっている。家から出られない。親しい人に会えない。そんな生活の中で、創作が「毎日の支えになっている」「日課になった」など、うれしいメールやお便りに、心底やってよかったと思っています。
おひとりおひとりの作品をじっくり拝見できて、今まで見えていなかったことが私も見えてくる。パーソナルなアドバイスをお送りし、それをまた生徒さんたちはご自分のラケットで受け止めて返してくださる。いつもより静かな、そして青々とした広い芝生で、シングルスのテニスをしているような感覚です。
毎日のように、皆さんからの作品が届く。それがまたうれしい。わくわくしながら封を切ります。
自粛生活の中、オンラインレッスンが盛んになって来たと、TVのニュース。PC画面でレッスンするそのような本格講座に比べたら、私の通信講座はぐっとアナログ。元が教室でのレッスンなので、小さな画面でのご指導は欲求不満になりそうだし、画面の大きいPCを自由に使える方ばかりではないという理由もあります。それでもスマホでのインターネットやSNS環境をお持ちの方がほとんどですから、そちらも補助的に使いたい。そんなことも考えています。
と、ここまで書いて、私の大きな課題に気付く。考えていることと、手のスピードや行動のスピードを同期させること。がんばれ自分。