24 Sept 2021

 



きっちり足に合った靴

 新しい靴を買いました。靴を履いて出かける機会もめっきり減ったけれど、スペインのメーカー、カンペールの靴が好きで、これでかれこれ4足目。

 私の足はなにしろ問題がいっぱいなのです。まずひどい外反母趾。これは若い頃からひとりでタッタッタ・・・、速足で歩く癖が災いしたのだと思う。ヒールの靴は、ほとんど履いていませんでしたから。そして甲高幅広。しかも年齢と共に足の裏が妙に敏感になり、近年厚底がありがたいことに気付きました。

 若い頃、イギリスで靴を初めて買った時(イタリア製とスペイン製だった)、履きやすさに感動だった。やっぱりヨーロッパは靴の歴史が違うんだと思った。冬用のコートを買った時(これは英国製)もそうだった。厚手でも、腕をぐるぐる回せるんでびっくりした。

 ファッション性が高いのに不思議なネーミング。カンペールとは、スペイン語で「農夫」とか「田舎の」とか「素朴な」という意味だそうです。

 今回求めたのは、幼い少女の頃履いていたような、甲の上にストラップがあるタイプ。がしかし、かなりヘヴィーデューティー。靴底↓をご覧ください。スニーカーなのです。




 そのごつさに、ちょっとひるんだ。でも意外にも鏡に映すと暑苦しさがない。これこそデザインの技というものですね。いつものように足入れもばっちりだった。スペインでは、私のこの不格好な足みたいなのが定番なのだろうか? そんなわけない。でもなぜかぴったりなんだ。我らが近所の田舎道も、これで恐れる必要はない。どんどん歩くぞ!

 靴を求める時に、必ず思い出す本がある。作家の須賀敦子さんの本。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。この印象深い書き出しで始まる『ユルスナールの靴』。

 書き出しで心つかまれたわりに、私には難解な内容で、須賀さんが淡々と紡がれている言葉に惹きつけられるものの、テーマであるフランスの作家、マルグリット・ユルスナールという女性の輪郭さえつかめず、なにか煙のような雲のようなぼんやりとした塊としてしか、心にイメージが結ばれなかったのを覚えている。私の経験や知識が少なすぎるせいだと思う。 




 しかしその煙は、薫り高く、気高く、胸にずっと残る煙。自分の小さな力では計り知れない何かこそ、自分を育ててくれる大切な教えなのだという、いつもの予感があった。

 幼い日に与えられた本に、まだやっとひらがなが読めるようになった自分には不釣り合いな、小さな文字の分厚い文学全集の一冊があった。読んでも読んでも意味が分からない。でもその表紙にはひどく惹かれた。大きな森の大樹の根元に小さな鹿が一頭佇んでいる。ヨーロッパのおそらくは古い絵画。ヴィタ・サックヴィル・ウエストの生家で、ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』の舞台となった英国ケント州のノール城を訪ねた時、それと似た景色を観た。ああ、あの本が私をここへ導いたのだなとわかった。そんな、理解を超えた何かというものが確かにあることを、私は信じます。

 横道にそれました。

 とにかく、ユルスナール本人の本を読んでみたくなった。きっと難しいだろう。でも分からなくたっていい。須賀さんがここまで思い入れを持つ作家なのだもの。つまらないわけがない。この『東方綺譚』には、ウルフや、それからもう一人私の好きな難解作家、ボルヘスにも通じる、奇妙、不思議、悪夢のような物語が静かに繰り広げられる。

 久しぶりに本を開くと、たとえば、こんな言葉に私は傍線を引いている。


 「人種や民族のかぎりない多様性が全体の神秘的な統一を乱していない」


 再び読んでみよう。またきっと発見があるはず。

 須賀さんは『ユルスナールの靴』の最後の方で、ユルスナールが実際に履いていた靴について書かれている。ピンタレストで、その靴を発見した。須賀さんが見たのと同じ写真ではない。シチェーションが違う。でもこれに違いないとすぐわかった。ああ、いいなぁと、私も思った。甲にストラップのある、軽くてやわらかくて履きやすそうな、美しい白い靴だった。

17 Sept 2021

 



急に海が見たくなって

 このコロナ禍の疲れは、私のようにお家大好き、非社交的な者にとっても、じわじわとボディブロウのように効いてきたように思う。

 幸いにして、多くの生徒さんのおかげでオンラインのレッスンは順調で、毎日のようにどなたかと顔を合わせては、愉快な会話と学びに恵まれている。生徒さんたちも、このレッスンを日々の励みに思ってくださり、お互いによいエネルギーの交換が出来ている。本当に、心から感謝しています。

 子どもの頃から楽観と悲観が同居する。そんな自分が今この状況をどう見ているかと言うと、まだ何年も(もしかしたら何十年も)Covid は続くんだろう、いつ終わるかは誰にもわからないだろう。

 加えて、気象の変動もある。それこそ人間と生きものにとっての時間との闘い。時間・・・。親の介護という直近の課題も早10年生・・・。

 課題まみれの毎日を、どうやって乗り越え、またそこから自分は何を得、学んでゆくんだろう。自分の姿勢。それこそが大きな課題だと気づく。

 だからなんとか工夫して、生き方や考え方を変えてゆかねばならないだろう。もう元の世界には戻らないのだから。変えてゆけば急には無理でも、少しずつなんとかなってゆくかもしれない、そんな空中ブランコみたいな宙ぶらりんの信念ではあっても、希望はけっして捨ててはいけない。なぜなら希望は「にもかかわらず」持つものだからです。




 幸いここには、海があり、山がある。しばらく海には行っていなかった。そうだ、ちょっと行って見ようかなと思いついたのは、よりによって小雨が降る暗い日のことだった。

 目の前の鈍色の巨大プール。期待と違って、ちょっと怖い。ここに落ちたらどうなるんだろう。疲れているときには、何事も悪いほうへと考えが向かう。

 それでも、おおきな自然とひとり対面することは、自分の小ささを思い出させてくれた。お薬のように、その後の気持ちを楽に、また積極的にしてくれた。

 波の音に刺激されたのか、聴力が変わった。翌日、朝の散歩で虫の声に耳傾ける自分がいる。秋の野の花の色彩にもハッとする。何かが変わったように思う。

 そうだ、昔からそうだったじゃないか。今ここにない物よりも、あるものに目を向け、「あるもの」で「ないもの」を作るのが自分の仕事だ。自分が持っているものを、すべて生かし切っているだろうか? まだ生かしていないものがあったら、それが古い記憶であれ、身辺の自然であれ、集めたヴィンテージやがらくたであれ、まだ試みていなかった画材であれ、新しいインターネットの機能であれ、生かし切らないと、と思った。鈍色の海を見て。




3 Sept 2021

 


やさしい猫

 スリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが名古屋出入国在留管理局で亡くなった。一連の痛ましくショッキングな報道に接するにつけ、遡って昨年春から一年間、読売新聞に中島京子さんが連載された『やさしい猫』が、いかに重要な小説であるかに、一層深く重く感じ入る。

 「今度の小説は難民をテーマに・・・」と伺ったのは、一昨年の秋だったと思う。難民と聞いた時、シリアなど中東の人々、または国を追われたロヒンギャの人たちについて書かれるのかなと、とっさに思った。しかし待ちに待った連載が始まると、それは日本国内に、私たちの隣人として暮らす難民のことだった。

 京子さんのことだから、以前からずっと構想を暖めておられたと思うし、執筆に際しては労を惜しまない丁寧な取材をし、膨大な資料の山と静かに格闘されたことと思う。

 しかしながらこの小説に、社会問題に立ち向かう堅苦しさはまったくない。タイトルからしてまさに「やさしい」し。

 誰もが日々の生活のなかで、目を凝らしその気にさえなれば見えるもの。視界の隅からぐぐっとその景色をセンターに持って来ると、その重いテーマが、私たち一人一人の個人的な問題であることに気付かされる。私たち一人一人が、他者をどのように見ているのか、感じているのか。

 今開催中のパラリンピック。TVをじっと観る時間はなかなか無い。でも、たとえ断片的ではあっても、自分の小ささを思い知らされる驚きと感動の連続。画面の向こうで繰り広げられているのは確かに競争なのだけれど、メダルの色や順位に関係なく、お互いを讃え合っている選手たち。オリンピック、とくに若い選手が活躍したスケートボードにも、同じことを感じた。国の威信をかけて、はもはや昔。オリンピック開催には複雑な思いだったが、以前より「個人」が際立つ世界が目の前に繰り広げられて、大いに学ぶ機会になっている。

 コロナに収束はあっても終息はないと、どこかで読んだ。その収束さえ、どこにいつあるのか、誰にもわからない。気候変動が加速しているのは言わずもがな。人の知恵で、そのスピードを抑え込まないと。自分に出来ることは何か。アフガニスタン。なぜいつまでも、人が人を殺さなくてはならないのか。

 私たち一人一人が、他者をどのように見ているのか、感じているのか。日常生活を送りながら、誰もが仕事や子育てや介護で慌ただしい毎日を送りながら、出来ることって何だろう。

 京子さんの小説は、いつだって弱い者の味方。だから私は、京子さんの描く物語が大好きなんだ。その自然な眼差しで、難民が抱える重い問題を身辺の問題に引き寄せて、私たちが自然に心を開けるように、この小説は存在する。 

 ぜひ今、手にとって読んで欲しい一冊です。

 

『やさしい猫』中島京子 著 / 中央公論新社


16 Aug 2021

 


I ❤ 野菜

 子どもの頃、夏のおやつはアイスかかき氷、またはトウモロコシかトマトだった。いや、スイカだってあったし、時には、いえ、ごくまれには、メロンやパイナップルだって食べたことはあるけれど、果物の魅力はその姿にあって、幼い私はなぜか野菜の味の方が好きだった。キュウリにお塩を振ってかじるのも好きだった。

 ご近所のEさんは、ご夫婦でお庭をきれいに作られていて、通りに面した家庭菜園も見事。毎朝早くから手を入れて、もちろん無農薬で丹精込めて育てたお野菜を、ご主人が収穫している。

 先日来、続けて二回も立派な茄子を一抱えずつ頂いた。茄子は大好き。その eggplant と呼ばれる形も、茄子紺と云う底知れない深いおもての色も好き。淡白な味わいながら中年以降に突然味を出す名脇役の役者さんみたいに、一旦鍋やボウルに入れたらいろんな役柄を丁寧にこなす。尊敬しています。本当に。




 instagramに今朝アップしたのはまず、向田邦子さんレシピの「茄子の田舎煮」。Eさんのお茄子で作るのは、もうこの夏3回目です。何回だって作りますよん。だって美味しいんだもん。山のように煮ても、すぐなくなっちゃう。だって美味しいんだもん!

 まず茄子のヘタを取って、縦二つに切り、皮目に斜め格子の包丁を入れます。それから大きめに乱切り。小さいと溶けちゃうから。薄い塩水に浸けてアクを出しザルで水切りします。

 鷹の爪を2~3ミリ幅で切る。種は取っておく。この種コレクションがある程度の量になった時役立つ、イギリスでKさんに教わった混ぜご飯があるのだ。またいつか紹介します。

 少し前、深めのフライパンを買った。ステンレス派になるぞと意気込んだけれど、使いこなせずあっさり降参しました。やっぱりコーティングのフライパンはすごく便利。チャーハンも焼きそばもパスタも煮物も何でも来い! そんなフライパン、または厚手の鍋でもいいので、サラダ油を熱し茄子と鷹の爪を炒める。よく炒めます。

 そこに水をひたひたまで入れ、私は茅乃舎のだしを1パックとお砂糖を結構たっぷり入れる。向田さんレシピだとお出しは入れず、茄子6個に大さじ2杯のお砂糖とある。落し蓋をして中火でコトコト煮る。

 お茄子がやわらかくなってきたら、向田さんはシンプルにお醤油ですが、私はめんつゆで味付け。屋上屋を架すようだけど、よりこっくり仕上がるように思う。

 再び落し蓋で、お茄子がしっかり味を含むまで煮て出来上がりです。あら熱が取れたら、保存容器に移し、冷めたら冷蔵庫へ。翌日が最高に美味しいです。




 一方こちらは洋風の一品。平野レミさんのだいぶ以前のお料理本『お料理しましょ』より、その名も「ナソワーズサラダ」。

 ネーミングの天才レミさん。サラダ・ニソワーズのニソワーズから取った・・・とはわかっても、それは何? フランス、ニース風っていうことで、様々な野菜をツナやアンチョビや黒オリーブ、ヴィネグレットソースで頂くとニース風サラダになるということが、Googleのおかげで瞬時にわかった。ひとつ利口になった。

 レミさんレシピでは、茄子を茶せん切りにして直火で焼いて皮をむくとある。パプリカなどでも直火で焼いて皮をむくとよくあるけれど、これは手間がかかるし火傷しそうになって、覚悟の無い私は作る前からつらくなってしまう。なので、電子レンジで蒸すことにします。

 先にピーラーで皮をむいて、ラップで包み、レンジでふっくらやわらかくなるまで加熱しましょう。取り出したら注意深くラップを剥がし(熱いから)、しばらく放置(熱いから)。あら熱が取れたらおもむろに縦に裂き、冷まします。

 ドレッシングを作ります。私はキューピーのイタリアンドレッシングをベースにします。和風でも中華でも、このイタリアンドレッシングからアレンジして作ります。ニース風も例外ではない。アンチョビー、にんにく、玉ねぎのみじん切りを混ぜて、レモン風味のオリーブオイルをタラーッと回して香りを加えた。

 このソースに冷めた蒸し茄子と黒オリーブ、色合いのきれいなトマトやパプリカをカットして、マリネのように冷蔵庫で漬け込んで完成です。パセリを散らしたら、もう立派な前菜ですね。




 もう一丁、オマケ。この混ぜご飯も大好きで、以前はよく作りましたが、久しぶりに作ったところ、この組み合わせの普遍性にあらためて納得。やっぱり美味しい。

 これもレミさんレシピより、です。私の身体は、実は半部以上がレミさんレシピでできています。素材と素材のハーモニーやリズムはレミさんが歌手であることと無縁じゃないと思う。心優しく、でもピリッとシャキッと潔いところ、さりげなく国際性に富んでいてお洒落なところ、それでいて庶民のお財布感覚だし、ちょっとワイルドで乱暴なところも魅力。レミさんのおかげで、様々な食材を知ったし、アレンジの仕方も知らない間に覚えたような気がする。本当に大ファンです。

 搾菜は他にも高峰秀子さんレシピ(『台所のオーケストラ』)で、冷ややっこのたれの絶品があり、冷蔵庫に桃屋の瓶詰めを常備しています。

 その搾菜をまずみじん切り。それから油揚げ。油抜きしてから一枚ずつラップに包み冷凍してあるので、凍ったままお醤油とお酒を混ぜたタレに浸して、両面を弱火のグリルかオーブントースターで炙り焼きにします。途中お醤油たれをつけ直すと一層香ばしい。焼き上がったら、細切りにします。

 温かいご飯に、搾菜とお揚げの香ばしいのを混ぜて、白胡麻を振って、あっという間に出来上がり。レミさんは、三つ葉を散らしてる。お代わりしたくなる美味しさです。


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 美味しいものをこしらえて食べることは、自分を守るし人を守る。よかったら、ぜひ作ってみてください。

6 Aug 2021

 


続・類は友を呼ぶの法則 その1

 英国の刺繍作家でデザイナー、スタイリストでイベントプロデューサーでもある Caroline Zoob さんのことを知ったのは、今から20年ほど前の雑誌、Country Living の誌面でした。当時私はこの雑誌の仕事を始めて3年目。ロンドンから日本に帰国することになり、アートディレクターのヘレン・ブラツビーが、これから私の絵をどうやって使ってゆこうかと考えあぐねていた頃だと思う。なのでこの号に私の絵は掲載されていない。

 その後、当時はまだFAXだったけれど、やり取りを続け、フェデックスで作品を送ることになり、11年も仕事を続けることができた。ヘレンには今も感謝している。

 とにかくこのCaroline の、明快で澄んだ、どこか音楽的なセンスを感じる作品群には一発で参りました。特に、ミシンのボタンホールステッチでアップリケをするテクニックがスタイリッシュでありながら温かく、完全にノックアウトされた。

 その数年後、長期滞在した際には、彼女のグッズを扱うショップがロンドンのクラッパム・ジャンクション駅付近にあるとどこかで読み(当時はスマホはおろか、PCを持つ人もまだ少ない時代)、当てずっぽうに訪ねてみた。でも内装工事中で、お店はお休み。Carolineデザインの愛らしいマグカップを、内装職人の肩越しにうらめしく眺めたのを覚えている。

 滞在中スコットランドに旅した時に、たまたま入った書店で新刊 'Childhood Treasures' が目に飛び込んだ。迷わず手に入れた。





 そんな風に憧れのデザイナーであったCarolineさんと現実にご縁を得る機会を作ってくれたのは、東京で偶然私の個展を見てくれて以来の親しい友、Helenさんだ。

 帰国後ほどなくして、私が毎年個展を開かせてもらっていた麻布十番のギャラリーは、通りに面したガラス張りの広々とした明るいギャラリー。ここでは本当に多くのよき出会いに恵まれた。

 Helenさんはその日、ギャラリーの前でアメリカ人の友人とタクシーを降りたそうだ。「あら、あなたの好きそうな展覧会をやっているわよ」。友人に促され、ふたりで会場に入った途端、Helenさんはビックリした。母国で見慣れた小さなイラストレーションが、会場いっぱいに飾られていたから。Helenさんは、私のCountry Living での仕事を、切り抜いて取っておくほど気に入ってくれていたそうで、まさか遠い日本で、このイラストレーターの絵を観るなんて、想像もしていなかった。

 眼をまん丸にしたHelenさんと会場で話をし出したら、他にも「えっ!?」な偶然が重なっているのがわかり、けっして大げさでなく、これは何か運命的な出会いかもしれないと、お互い感じざるを得なくなった。

 それからもう十数年は経ちますが、遠く離れても途切れることなく親しい関係が続くのは、寛大で優しく、知識豊かでありながら、日本人以上に慎み深いHelenさんのお人柄に、私が多くを学んでいるからだと思う。それからもうひとつ大事なこと。共通のユーモアのセンス。これって友情に不可欠なエッセンスだと私は常々思うのですが、どう思いますか?

 脱線しました。急いでひとつふたつみっつ、駅を飛ばしますと、Helenさんは、なんとCarolineさんと友人であったのです! Carolineさんに会えるかもしれない!!

 このご縁には、もともとHelenさんの紹介で仲良しになった、日本在住のBeckyさんの助けもとてつもなく大きかった。Helen さん、Becky さん、二人のおかげで、私たちHACの有志で敢行した二年前の英国アートツアー(代理店に頼らず、ベッキーさんとゼロから計画を立てた、滅多にない手作りの旅)の際、なんと、Carolineさんのワークルームで、ワークショップの交換をすると言う、みんなして一生の思い出に残る素晴らしい交流を刻むことが出来たんです。ミラクル!!

つづく



 短く枝を切り戻した株から、この暑さにもめげず、フォックスグローブが短くけなげに咲いています。刻々暑くなってゆく朝の草取りも、この子たちのおかげで心穏やかに。

2 Aug 2021

 



ワクチンを打った日

 「しずてつ」というスーパーが沼津駅前のビルと隣の長泉町にあり、今までも時々行っては美味しいものを物色するのが至上の喜びだった。新店舗が、今までより少し車をとめやすく、また少し行きやすい場所にオープンしたので、足しげく通っています。このスーパーには魚河岸寿司という寿司店が入っている。↑のにぎりなど、ワンコインとは言わないまでも、ほぼその感覚で購入できるので、買ってきては好きなお皿に並べて、目もお腹も大満足。本当は毎日でもいいくらいお寿司が好きです。よって、この地に暮らすことは、大きなメリット。




 このスーパーは野菜が美しく、それも魅力です。そもそもはACギャラリーでの「菜画展」をご覧くださった花森家具のNさんが教えてくれた。画題にしたくなる新鮮な地元の野菜が、目に鮮やかに陳列されている。

 今日はまずこのスーパーに保冷バッグを携えて出掛け、夕飯用にと父のお弁当と自分用キーマカレー&ナンを購入してきた。なぜなら、第一回のワクチンの日だったから。万が一、夕飯どころじゃなくなったら困る。念のため、手のかからない食料を調達しておいたのです。

 打ち終えて、もう何時間も経つけれど、幸い副反応はない。熱も出ない。ありがたい。

 市の運営する巨大なイベントスペースには、整然と導線がめぐらされている。市の職員の方々か、スタッフも親切でキビキビと働いていた。同世代の男女の列は、まるで大規模同窓会。問診のドクターも、プスッと痛みのほとんどない注射を一瞬で打ってくれた看護婦さんも優しかった。待機時間の15分をサクサクと終えて帰宅しました。

 出掛ける前に観たTVでは、ワクチンを打ってももはや決定打の解決にはならないということが米国で分かったとかで、今から打つ身にはちょっとがっかりではあったけれど、やっぱりこれは長丁場になるんだなと気を引き締めて腕を差し出してきた。 

 この間も書いたように、コロナ禍の中にあって、以前よりイギリスの友人たちとの距離が縮まり、オンラインで親しく日常の会話をするようになった。みんなもうとっくにワクチンを終えている。あなたはいつ?と訊かれるたび返事に困った。日本はすごくしっかりした国のイメージがあるけれど・・・と言われると、さらに困った。

 ロックダウンについては、この日本で人々が考えるような生易しいものではなく、その様子に接するたび、ショックを覚えた。

 まだ厳しいロックダウン下だった頃、ある友人からうらやましそうにこう言われた。

 「それでも日本ではスーパーで買い物ができるんでしょう?」
 「食料品、生活必需品はすべてデリバリーなの。もう1年も買い物に出かけていないのよ」

 またある時には

 「もう一年以上美容院に行っていなから、自分でやってるの。かなり上達したわ」

 別の友人は、ご主人がカットしてくれると言っていた。

 友だちは勿論、近所に住む家族や孫とも一切会えない。または玄関前で距離を取って会う。家には入れられない。迎えるには、様々な証明書が必要になる。人のいない早朝や夕方に散歩をして、体力を維持する。息子さんの結婚式は延期、また延期・・・。

 ロックダウン全面解除の少し前、ようやくのこと、友人夫婦は息子さんと花嫁さんの結婚式を催すことが出来た。コッツウォルズ独特の石造りの納屋を改造した素晴らしい会場だったそうで、はちみつ色の夢のような景色を想像せずにはいられず、うっとりする。人数を抑えマスクをして、それでも親類や友人たちを呼ぶことが出来、泊りがけで数日間に及ぶお祝いの儀が愉快に行われたという。その話をZoom meeting で聞きながら、別のイギリスの友人が胸を押さえ、涙ぐんでいた。「よかったわね、ほんとうによかった・・・」言葉を詰まらせた。

 その姿を見て、ハッとした。ロックダウンの厳しさを、会話やニュースから知ったようなつもりになっていたけれど、本当には分かっていなかったんじゃないか。自分の口から出た「よかったわね」に相応の重さはなかったことに気付く。軽かった。自分が恥ずかしくなった。

 TVで最近、ロックダウンと言う言葉が、専門家からチラチラ聞こえてくる。私の住むこの国は、どこに向かっているんだろう。

 オリンピックのTVに映る、この禍を共有する地球の仲間たちの様々な顔、顔、顔を見る。特殊な鍛錬を経て、人知れず耐え忍んで、自分を追い込んで、技術を磨いた超人たちの首にメダルが輝く。一方で、私たちみんなの胸にも金メダルを!と思ったのは、私の手から、小さくて素朴な貝がらのメダルが生まれたから。

 室内で気分を上げる小さな何かを、小さな脳内でああでもないこうでもないとこしらえながら、心は常に窓の外へ解き放たれていたい。人類の英知を信じて進んで行くしかない。




Dream a Little Dream

 8月のアートクラスのために、サンプルを作った。もう今日から8月。やることが遅いぞ、自分。足りない材料は明日の発注。どうか最初のオンライン受講メンバー、Tさんの日に間に合いますように。

 ・・・と言う風にいつもギリギリにならないと腰が持ち上がらない。今月は特に、迷走しまくった。それでもこうして、自分がどうしても欲しいもの、ご紹介したいもの、「よし!」と思えるものに行き当たったのだから、感謝です。

 いつもHACのための課題を考える時、自分の中でいくつかの基準があります。


 1.素材が人数分集まるか?(これは大事)

 2.自分が飾りたいものか?使いたいものか?一緒にいたくなるものか?(自分がすごくいいと思ったものなら、10人中10人ではなくても、きっと誰かに伝わるという信念のもと)

 3.今までやったことの無い、初めての試みか?

 4.季節感のあるものか?

 5.時間内に説明可能か?

 6.その後の創作に生かせる内容か?

 そして、

 7.ロンドンの LIBERTY の陳列棚にあっても、不自然ではない質を持っているか?

 
 イギリスにいた頃、大好きでよく行ったデパート、LIBERTY。一昨年訪ねた時は、あいにくなのか、たまたまなのか、商品をあまり愉しめなかった。ザンネン。でもあらためて建築の面白さを味わい、板張りのギシギシいう床を踏みしめながら、そこでの記憶を反芻するだけでも幸せだった。

 私のグリーティングカードが売られていたのを教えてくれたのはミリアムだったなぁ、とか。急いで見に行って、うれしさのあまり、何度も何度も棚の前を行ったり来たりしたことなど。イチジクの香りの香水を買ったこと。ペーズリーの柄のスカーフを買ったこと。気に入った洋服にもいくつか出合った。

 その憧れの LIBERTY の売り場に「もしかして、あってもいいかも!」と思える何かを生み出すことが、厳しい条件でありながら、自分的にはすごくわかりやすい基準なのです。アイデアはポンと出て来ることもあれば、今回みたいに右往左往迷走してしまうこともある。

 今日やっとこさ仕上げたのは、貝殻の Ring Dish 。結果的に、先月のボタンの指輪からバトンタッチみたいになりました。これがまたまた気に入っちゃった。明日も忙しい。そろそろ寝なくちゃ、なのにうれしくて、さっきから手にとっては眺めニンマリしているところ。




 みんなにも気に入ってもらえますように!