2 Aug 2021

 



ワクチンを打った日

 「しずてつ」というスーパーが沼津駅前のビルと隣の長泉町にあり、今までも時々行っては美味しいものを物色するのが至上の喜びだった。新店舗が、今までより少し車をとめやすく、また少し行きやすい場所にオープンしたので、足しげく通っています。このスーパーには魚河岸寿司という寿司店が入っている。↑のにぎりなど、ワンコインとは言わないまでも、ほぼその感覚で購入できるので、買ってきては好きなお皿に並べて、目もお腹も大満足。本当は毎日でもいいくらいお寿司が好きです。よって、この地に暮らすことは、大きなメリット。




 このスーパーは野菜が美しく、それも魅力です。そもそもはACギャラリーでの「菜画展」をご覧くださった花森家具のNさんが教えてくれた。画題にしたくなる新鮮な地元の野菜が、目に鮮やかに陳列されている。

 今日はまずこのスーパーに保冷バッグを携えて出掛け、夕飯用にと父のお弁当と自分用キーマカレー&ナンを購入してきた。なぜなら、第一回のワクチンの日だったから。万が一、夕飯どころじゃなくなったら困る。念のため、手のかからない食料を調達しておいたのです。

 打ち終えて、もう何時間も経つけれど、幸い副反応はない。熱も出ない。ありがたい。

 市の運営する巨大なイベントスペースには、整然と導線がめぐらされている。市の職員の方々か、スタッフも親切でキビキビと働いていた。同世代の男女の列は、まるで大規模同窓会。問診のドクターも、プスッと痛みのほとんどない注射を一瞬で打ってくれた看護婦さんも優しかった。待機時間の15分をサクサクと終えて帰宅しました。

 出掛ける前に観たTVでは、ワクチンを打ってももはや決定打の解決にはならないということが米国で分かったとかで、今から打つ身にはちょっとがっかりではあったけれど、やっぱりこれは長丁場になるんだなと気を引き締めて腕を差し出してきた。 

 この間も書いたように、コロナ禍の中にあって、以前よりイギリスの友人たちとの距離が縮まり、オンラインで親しく日常の会話をするようになった。みんなもうとっくにワクチンを終えている。あなたはいつ?と訊かれるたび返事に困った。日本はすごくしっかりした国のイメージがあるけれど・・・と言われると、さらに困った。

 ロックダウンについては、この日本で人々が考えるような生易しいものではなく、その様子に接するたび、ショックを覚えた。

 まだ厳しいロックダウン下だった頃、ある友人からうらやましそうにこう言われた。

 「それでも日本ではスーパーで買い物ができるんでしょう?」
 「食料品、生活必需品はすべてデリバリーなの。もう1年も買い物に出かけていないのよ」

 またある時には

 「もう一年以上美容院に行っていなから、自分でやってるの。かなり上達したわ」

 別の友人は、ご主人がカットしてくれると言っていた。

 友だちは勿論、近所に住む家族や孫とも一切会えない。または玄関前で距離を取って会う。家には入れられない。迎えるには、様々な証明書が必要になる。人のいない早朝や夕方に散歩をして、体力を維持する。息子さんの結婚式は延期、また延期・・・。

 ロックダウン全面解除の少し前、ようやくのこと、友人夫婦は息子さんと花嫁さんの結婚式を催すことが出来た。コッツウォルズ独特の石造りの納屋を改造した素晴らしい会場だったそうで、はちみつ色の夢のような景色を想像せずにはいられず、うっとりする。人数を抑えマスクをして、それでも親類や友人たちを呼ぶことが出来、泊りがけで数日間に及ぶお祝いの儀が愉快に行われたという。その話をZoom meeting で聞きながら、別のイギリスの友人が胸を押さえ、涙ぐんでいた。「よかったわね、ほんとうによかった・・・」言葉を詰まらせた。

 その姿を見て、ハッとした。ロックダウンの厳しさを、会話やニュースから知ったようなつもりになっていたけれど、本当には分かっていなかったんじゃないか。自分の口から出た「よかったわね」に相応の重さはなかったことに気付く。軽かった。自分が恥ずかしくなった。

 TVで最近、ロックダウンと言う言葉が、専門家からチラチラ聞こえてくる。私の住むこの国は、どこに向かっているんだろう。

 オリンピックのTVに映る、この禍を共有する地球の仲間たちの様々な顔、顔、顔を見る。特殊な鍛錬を経て、人知れず耐え忍んで、自分を追い込んで、技術を磨いた超人たちの首にメダルが輝く。一方で、私たちみんなの胸にも金メダルを!と思ったのは、私の手から、小さくて素朴な貝がらのメダルが生まれたから。

 室内で気分を上げる小さな何かを、小さな脳内でああでもないこうでもないとこしらえながら、心は常に窓の外へ解き放たれていたい。人類の英知を信じて進んで行くしかない。