新しい靴を買いました。靴を履いて出かける機会もめっきり減ったけれど、スペインのメーカー、カンペールの靴が好きで、これでかれこれ4足目。
私の足はなにしろ問題がいっぱいなのです。まずひどい外反母趾。これは若い頃からひとりでタッタッタ・・・、速足で歩く癖が災いしたのだと思う。ヒールの靴は、ほとんど履いていませんでしたから。そして甲高幅広。しかも年齢と共に足の裏が妙に敏感になり、近年厚底がありがたいことに気付きました。
若い頃、イギリスで靴を初めて買った時(イタリア製とスペイン製だった)、履きやすさに感動だった。やっぱりヨーロッパは靴の歴史が違うんだと思った。冬用のコートを買った時(これは英国製)もそうだった。厚手でも、腕をぐるぐる回せるんでびっくりした。
ファッション性が高いのに不思議なネーミング。カンペールとは、スペイン語で「農夫」とか「田舎の」とか「素朴な」という意味だそうです。
今回求めたのは、幼い少女の頃履いていたような、甲の上にストラップがあるタイプ。がしかし、かなりヘヴィーデューティー。靴底↓をご覧ください。スニーカーなのです。
そのごつさに、ちょっとひるんだ。でも意外にも鏡に映すと暑苦しさがない。これこそデザインの技というものですね。いつものように足入れもばっちりだった。スペインでは、私のこの不格好な足みたいなのが定番なのだろうか? そんなわけない。でもなぜかぴったりなんだ。我らが近所の田舎道も、これで恐れる必要はない。どんどん歩くぞ!
靴を求める時に、必ず思い出す本がある。作家の須賀敦子さんの本。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。この印象深い書き出しで始まる『ユルスナールの靴』。
書き出しで心つかまれたわりに、私には難解な内容で、須賀さんが淡々と紡がれている言葉に惹きつけられるものの、テーマであるフランスの作家、マルグリット・ユルスナールという女性の輪郭さえつかめず、なにか煙のような雲のようなぼんやりとした塊としてしか、心にイメージが結ばれなかったのを覚えている。私の経験や知識が少なすぎるせいだと思う。
しかしその煙は、薫り高く、気高く、胸にずっと残る煙。自分の小さな力では計り知れない何かこそ、自分を育ててくれる大切な教えなのだという、いつもの予感があった。
幼い日に与えられた本に、まだやっとひらがなが読めるようになった自分には不釣り合いな、小さな文字の分厚い文学全集の一冊があった。読んでも読んでも意味が分からない。でもその表紙にはひどく惹かれた。大きな森の大樹の根元に小さな鹿が一頭佇んでいる。ヨーロッパのおそらくは古い絵画。ヴィタ・サックヴィル・ウエストの生家で、ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』の舞台となった英国ケント州のノール城を訪ねた時、それと似た景色を観た。ああ、あの本が私をここへ導いたのだなとわかった。そんな、理解を超えた何かというものが確かにあることを、私は信じます。
横道にそれました。
とにかく、ユルスナール本人の本を読んでみたくなった。きっと難しいだろう。でも分からなくたっていい。須賀さんがここまで思い入れを持つ作家なのだもの。つまらないわけがない。この『東方綺譚』には、ウルフや、それからもう一人私の好きな難解作家、ボルヘスにも通じる、奇妙、不思議、悪夢のような物語が静かに繰り広げられる。
久しぶりに本を開くと、たとえば、こんな言葉に私は傍線を引いている。
「人種や民族のかぎりない多様性が全体の神秘的な統一を乱していない」
再び読んでみよう。またきっと発見があるはず。
須賀さんは『ユルスナールの靴』の最後の方で、ユルスナールが実際に履いていた靴について書かれている。ピンタレストで、その靴を発見した。須賀さんが見たのと同じ写真ではない。シチェーションが違う。でもこれに違いないとすぐわかった。ああ、いいなぁと、私も思った。甲にストラップのある、軽くてやわらかくて履きやすそうな、美しい白い靴だった。