3 Sept 2021

 


やさしい猫

 スリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが名古屋出入国在留管理局で亡くなった。一連の痛ましくショッキングな報道に接するにつけ、遡って昨年春から一年間、読売新聞に中島京子さんが連載された『やさしい猫』が、いかに重要な小説であるかに、一層深く重く感じ入る。

 「今度の小説は難民をテーマに・・・」と伺ったのは、一昨年の秋だったと思う。難民と聞いた時、シリアなど中東の人々、または国を追われたロヒンギャの人たちについて書かれるのかなと、とっさに思った。しかし待ちに待った連載が始まると、それは日本国内に、私たちの隣人として暮らす難民のことだった。

 京子さんのことだから、以前からずっと構想を暖めておられたと思うし、執筆に際しては労を惜しまない丁寧な取材をし、膨大な資料の山と静かに格闘されたことと思う。

 しかしながらこの小説に、社会問題に立ち向かう堅苦しさはまったくない。タイトルからしてまさに「やさしい」し。

 誰もが日々の生活のなかで、目を凝らしその気にさえなれば見えるもの。視界の隅からぐぐっとその景色をセンターに持って来ると、その重いテーマが、私たち一人一人の個人的な問題であることに気付かされる。私たち一人一人が、他者をどのように見ているのか、感じているのか。

 今開催中のパラリンピック。TVをじっと観る時間はなかなか無い。でも、たとえ断片的ではあっても、自分の小ささを思い知らされる驚きと感動の連続。画面の向こうで繰り広げられているのは確かに競争なのだけれど、メダルの色や順位に関係なく、お互いを讃え合っている選手たち。オリンピック、とくに若い選手が活躍したスケートボードにも、同じことを感じた。国の威信をかけて、はもはや昔。オリンピック開催には複雑な思いだったが、以前より「個人」が際立つ世界が目の前に繰り広げられて、大いに学ぶ機会になっている。

 コロナに収束はあっても終息はないと、どこかで読んだ。その収束さえ、どこにいつあるのか、誰にもわからない。気候変動が加速しているのは言わずもがな。人の知恵で、そのスピードを抑え込まないと。自分に出来ることは何か。アフガニスタン。なぜいつまでも、人が人を殺さなくてはならないのか。

 私たち一人一人が、他者をどのように見ているのか、感じているのか。日常生活を送りながら、誰もが仕事や子育てや介護で慌ただしい毎日を送りながら、出来ることって何だろう。

 京子さんの小説は、いつだって弱い者の味方。だから私は、京子さんの描く物語が大好きなんだ。その自然な眼差しで、難民が抱える重い問題を身辺の問題に引き寄せて、私たちが自然に心を開けるように、この小説は存在する。 

 ぜひ今、手にとって読んで欲しい一冊です。

 

『やさしい猫』中島京子 著 / 中央公論新社