20 Oct 2023

 


ヒースの花


〇月✕日

 ホームセンターに、コラージュクラスの素材を探しに行くも、見つからない。少し前まではふんだんにあった木材の端材がない。なぜに?

 気分を切り替え、久し振りに花売り場をじっくり見てまわりました。自分の守護花と勝手に思っている、ヒースを見つける。6株購入し、鉢植えにした。

 ヘザーともいうが、この花を最初に知ったのは小説『嵐が丘』。正確に言えば、エミリー・ブロンテの物語を読む前に、このエキセントリックなストーリーを曲にしたケイト・ブッシュの 'Wuthering Heights' で知ったのだった。ミュージックビデオ全盛の時代。リンゼイ・ケンプに弟子入りしていたケイト・ブッシュの、パントマイムのようなダンスが印象深い。

 ロンドンに暮らし始めた頃は、慣れるまで友人の家に間借りをしていました。友人は花が好きで、秋になるとヘザーの鉢植えを窓の外に飾っていた。白い窓枠と灰色の空に、ピンクの小花がよく映えた。花の無い季節、街のショウウィンドウなどでもよく見かけた。

 可憐なベル型の、日本で言うエリカの仲間。しかしこの「カルーナ / ガーデン・ガールズ」と言う種はより小粒です。それでも、懐かしい思いでいっぱいになる。

 もとは荒れ地に咲くツツジ科の花で、可憐な姿と裏腹に、地面に強く根を張って、ちょっとやそっとでは引き抜けない。秋には野の一面にこのピンクの花が絨毯のように咲く景色がイギリスの風物だけれど、5年も居ながら、残念なことに私はそれを観ていない。その代わりに、アイルランドを旅した時、列車の窓からそこら中にポッ、ポッとかたまって咲くヘザーを見た。荒々しい黒い大地だった。そこにこのピンクの色彩が点在する景色が目に焼き付いています。

「彼(エリック・サティ)は僕らに教えた。真に偉大なものは偉大らしい様子を持ち得ないこと、真に新しいものは新しい様子を持ち得ないこと、真に淡白なものは淡白らしい様子を持ち得ないということを」

   『我が魂の告白』ジャン・コクトー 堀口大学 訳 より



〇月✕日

 友人が親友と一緒に、東京から遊びに来た。

 柿田川公園(国の天然記念物)に行きたいとのリクエスト。地元民はいつでも行けると思って滅多に行かないから、観光気分で久しぶりに愉しみました。澄み切った湧水は、磨きぬいたガラスのよう。富士山の雪解け水が長い年月、地下の溶岩の中をくぐって、三島市やこの清水町の柿田川に湧き出る。



 この写真じゃ、魅力が充分お伝え出来てない。ザンネン。↑は通称「ブルーホール」と言うのだそうです。時間によって、輝きが変化します。

 この地にかつてあった、紡績工場の取水口だったこの穴は、高さ3.5m、直径5m。柿田川公園の人気スポットです。三島もそうですが、私の子どもだった頃は工場排水がひどかった。住民の運動と努力で、今はどちらの街も水の美しさを観ようと、観光客、はとバスまで訪れるほどになった。

 駐車場近くに湧水が汲める場所があったので、次は容器を持ってゆこう。


〇月✕日

 ホックニーのiPad作品に感化されて、私のタブレットはアンドロイドなのですが、「もどき」を愉しんでいます。Sketchbook というアプリケーションを導入してみました。タッチペンもちゃちな物なので、思うように描けない。だがしかし、それもまた面白い。

 たとえば、夜寝る前などに水彩を描く、と言う気にはなかなかなれない。でもこれなら出来ます。

 ホックニーは夜明け、暗い寝室の窓から見える朝焼けを描くという。暗い部屋で絵を描く。それができるのが、この新しい画材のすごいところだと、ホックニーの言葉を読むまで全く気づかなかった。やっぱりホックニーってすごい。



 伊豆の韮山にあるギャラリーnoirさんで、友人たちが参加するソーイングの展覧会が開催され、観に行きました。展覧会も愉しかったが、韮山の平野は、今一面の黄金色。見渡す限り稲刈りを待つ稲穂の波、また波。圧倒される。きっとDNAに刷り込まれている。私たちの原風景と言ってもよいこの景色を、帰宅後夢中で描いてみた。

 半年前にはレンゲ畑にミツバチが飛んでいた。水が張られ、田植えをし、梅雨や厳しい夏を経て、豪雨や台風にも耐えて、こうして私たちの身体を作るお米が今ピカピカ光っている。人が長い年月をかけて築いてきた、自然と食のリズム。歴史もなにもかも、ぜんぶひっくるめて、美しいなぁと思う。

 世界中、どんな民族も、今に至るまで必死に命をつないできた。フランスの社会人類学者で思想家、レヴィ・ストロースが言っていた。

「人間は、いたる所であまりちがいませんでした。人間の愛や憎しみは、どこでも同じようなものです。たとえ人類の歴史から10世紀分を抹消してしまったとしても、人間そのものの理解には、さしたる支障にはならないでしょう。しかしとりかえしのつかない形で失われてしまうもの。それは人間がその間につくり出したであろう、創造物です」

(1993年の覚え書きノートより)