雑然と散らかった私
今年もとうとうおしまいの日となりました。あまりバタバタとしていないのは、大掃除ナシ、年賀状ナシ、おせちは手抜きと決めたからです。家族の介護、家のことが忙しくなってきた去年から、無理はしないと決めた。
それでも一夜飾りはNGと、こどものころから聞いて育ったから、昨日は神棚と仏壇の掃除に加え、お飾りや玄関のしつらえを、ああでもないこうでもないと試みました。
たいそうなことではなくて、好きな花を少し求め、頂いた水仙の花と一緒に、バラバラの器に飾って置いただけ。でも今年は、友人の兄上、榎木啓さんのお作品、輪島塗長方皿(銘は「暮色」)があって、これさえ飾らせてもらえばバッチリと言う予感があった。ギャラリーで一目見たときからそう思っていた。果たして!その通り。玄関を通るたびにチラ見しては、自己満足でうれしくなっている。それだけでも、お正月の意味を感じる。
左から啓翁桜、葉牡丹と庭のゼラニウムの葉、菜の花、水仙。桜と菜の花は、ぼちぼち咲いていく。それがまた愉しみ。
玄関は、Yさんが作って下さったクリスマスリースが素敵で、下ろすなんてもったいない。でも和の飾りもしたい、ということで、傍らに餅花を飾ってみた。
竹筒に、餅花と稲穂と緑の葉を挿した。そう可笑しくない取り合わせだと思うのだけど、どうだろう。
室内、自室はまだ「小」掃除の途中。家族みんなが集まるスペースだけは、確保しないといけません。
そういえばこの間、こんな言葉に出合って、いたく励まされた。
If a cluttered desk is a sign of a cluttered mind,
of what, then, is an empty desk a sign?
Albert Einstein
もし雑然と散らかった机が、
雑然と散らかった心の兆候ならば、
カラの机とは、いったい何の兆候なんだろう。
アルバート・アインシュタイン
この言葉をよすがに、「これでいーのだ」の肯定感とともに、ゆるゆる歩きで来年に向かって参りたいと思います。
今年も一年、このページをご訪問いただき、ありがとうございました。皆さまもどうぞ、穏やかでよいお年をお迎えください。