白い紙
いつも君は白い紙を持っている。
それはほとんどの場合、計算のための用紙として使用される。
しかし、もし君が望むなら
そこに現実を書き込むことが可能だ。
意味のないこと。嘘。
何でも書き込むことができる。
そしてもちろん、
破り捨てるのも自由だ。
リチャード・バック(「イリュージョン」より)
最近、毎日白いシャツを着ています。寒気が南下しても、ユニクロの「極暖」があるから無敵です。
なんとなく、今年のテーマというものがあって、去年はジーンズが再び好きになり、今年は白いシャツ。来年はなんだろう。「あれ」かな? 少し予感がある。
白い洋服を着ていた人、と言って浮かぶのは、晩年のルーシー・リー(陶芸家)、そしてエミリー・ディキンソン(詩人)。ジョージア・オキーフ(画家)は白と黒を好んだとばかり思っていたら、カラフルな色の布で縫われた独特なワンピースを着ていたことが、昨年ロンドンで開催された大回顧展画像や、サンタフェのオキーフ美術館のインスタグラムでわかった。いずれにせよ、着るものに大いにこだわっていたのですね。
リチャード・バックの『イリュージョン』を読んだのは、もう何十年も前のこと。当時高校生だった年若い友人から、「いいですよ」と教えてもらった。他にも多くの抜き書きがあって、よく読み返します。私の絵はほとんどが白いバックを残したままだが、若い頃読んだこの言葉が、いくらか影響しているのだろうか。
写真はインドの手漉き紙、カディ・ペーパーに、色のきれいなフランスの麻の糸で、チクチク縫ってみたもの。カディの質感の濃さのせいか、まるで小さなオブジェが生まれるようで、続けて作ってみたくなる。
最近は、洋服をわざと目立つように繕うのがファッションらしい。'visible mending' とか言うみたい。この言葉で検索すると、愉快な繕い物が、いーっぱい出てくる。前衛的なファッションリーダーや、アーティストのインスタグラムを観るのも面白い。
先日展覧会を拝見した西村玲子さんも、チクチクと縫われた小物をたくさん出品されていて、観るだけでウキウキしました。一緒に行った刺繍好きの友人は、不揃いなチクチク縫いに幾分複雑な心境のようで、その気持ちもわからなくはないけれど、完全ではないもの、傾いてたり、どこかにほつれがあるものにも惹かれる私は、解放された。
美術館やギャラリー訪問の効能は、それに尽きる。解放され、「よし、また新しい気持ちでがんばろう!」と思える事。
「破り捨てるのも自由だ」
リチャード・バックのこのカゲキな一行に、若い私は同じ解放感を覚えたのだと思う。今も変わらない。