2 Dec 2017


やっとこさ

 今日はパンを焼いた。丁寧に作業し、時間をきちんと計って進めてゆけば、ちゃんと美味しいパンが焼ける。そんな当たり前の日常を、あらためて有難く思う。あれ、これって心の余裕? なんかまぶしいな。新鮮だな・・・っていうくらい、家の用事で慌ただしいひと月半を過ごしていました。

 その間の心の拠り所は、尊敬するN子さんからのお手紙(何度も何度も読み返す手紙のお薬)、いつでも電話してください、いつ電話してもいいよと言ってくれる、ケアマネージャーのAさんと妹Y、そして東京と沼津のお教室だった。妹に留守を頼み、物理的に家を離れ、メンバーの皆さんの笑顔や冗談の渦にまみれ(「笑いと集中のミルフィーユ」と私は呼んでいる)、どれだけ気持ちが救われたことでしょう。

 幸い、一大事は徐々に落ち着いて、さて、と家の中を見回す。読まれることなく積まれた新聞、ちっとも調理されないお野菜、返事や処理を待つ手紙や書類、くずれかかった棚のタオル類・・・。あちこちが「もやり」だらけ。これは最近読んだ、伊藤まさこさんの本『家事のニホヘト』で知った、伊藤さんとお仲間の造語です。「滞った空気」とある。


  ふだん目が行き届かなかったり、
  じつは分かっているんだけど見て見ぬふりして、
  やりすごしている場所、
  そこに澱んだ空気が「もやり」です。

 
 よし、少しずつ、気分屋のスローペースなりに・・・だけれど、家の中や庭の「もやり退治」ってものをやってみよう! 一冊の本のおかげで、そんな元気も出てくる。

 今年、ほんのちょっとだけお近づきになれた、山本ふみこさんの本も元気のもと。読ませていただいた中で一番好きな一冊をと言われたら、『片づけたがり』を選びます。どの本も面白いから、何故この一冊?と訊かれてもわからないのですが。

 山本さんのブログを思い出し、久しぶりにページを開く。同い年だけに、「なんで私の考えてることが分かるのだろう・・・」な内容に、またしてもじんと来た。

 旦那様に「つまんないなぁ」と、つぶやいたら、その一言で救われたというお話。私もまた「やんなっちゃうわよ」と、同世代の友人につぶやいてガス抜きしていた。

 これもまた「もやり」なのでしょう。心のもやり。自分のことを放置し、無視して、必要に迫られ今日のことだけを必死にやっていると、置いてけぼりの自分が、陰の方で綿埃だらけになっているのに気づかない。「やんなっちゃう」と言葉にした瞬間、そこにふっと風が送られたような気がしたのです。気持ちがちょっと軽くなった。

 長女気質代表は、この感覚、これからも忘れないようにしよう。




 一大事が始まる前のこと、仕事部屋に新しい机を入れました。途中までの絵が2点。ぼちぼち再開できそうです。






 大きな空も、気持ちを励ましてくれますね。同じスーパーの駐車場から、ひと月ちょっとの時を隔てて撮ったもの。上は葛飾北斎の西の空、下はルネ・マグリットの東の空。