22 Oct 2017



野菜讃歌

 外出から帰ると、愉しみに待っていた本が届いていた。アマゾンの古書店から。庄野潤三先生の随筆集、『野菜讃歌』です。

 いつかは自分のものにしなくてはいけない本だと、ずっと思っていた。調べたら、ダメージの少なさそうな一冊があり、届いてみるとその通り。帯としおりのリボンが少し傷んでいた以外は、ほとんど新品のようです。

 表紙を開くと、元の持ち主のお人柄が伺えるようなおまけが付いていた。

「『本』1998 11月号」

 筆圧にもその方のお心が伝わる、優しい鉛筆の文字が添えられた雑誌の切り抜き。「野菜のよろこび」と題され、先生ご自身がこの新刊について書かれているページが、黄ばみもせず挿まれてあったのです。

 冒頭に収められ、タイトルにもなった随筆「野菜讃歌」の中に、先生曰く「書き落とした」きゅうりとにんじんについて書かれている。また、表紙に使われる玉葱の絵が「先年、90歳で亡くなった宮脇綾子さんのアプリケである。」と、愉しみにされている様子も。見本の仕上がる前の、お原稿であることがわかる。

 庄野先生は表紙について、けっして注文を仰ることのない先生でした。ラフデザインや色校正さえも、チェックすることはないという意味です。すべての作業が終わり発売日少し前に見本ができて編集者さんがご自宅に届ける。その時に初めて表紙、装幀の様子を御覧になるのです。編集者さんと装幀デザイナー、そして私のような絵描きに、全幅の信頼を寄せてくださっている。頭が下がります。

 この『野菜讃歌』のときもそうだったのでしょう。静かな先生の佇まいを思い出し、有難い思いがこみ上げます。




 担当編集者さんとしてお世話になった鈴木力さんから、「ヒロさんの絵と共通したところがあると思います」と教えていただき(恐れ多くも有難きお言葉!)、大丸の美術館に展覧会を観たのはいつだったでしょう。順路の最初の白百合の作品から、ただ涙でした。以来、宮脇綾子さんは、私の最も尊敬する日本の画家です。(あえてアプリケ作家とは言わずに、画家と言いたいのです。)

 あらためて、この一冊が私のものになったことに、何よりのよろこびを感じ、一冊の本の持つ力、手に頂き、活字を追う以外にも存在する、予期せぬ力を思わずにいられない。




 私は最近、以前に増して野菜の絵を描く。日々の生活の中の小さなよろこびを味わうことに忙しいのと、絵を描く時間をなんとかして確保したいと願う気持ちから、野菜を描くことが、いかにも自然な事になってきたのです。

 ご主人のお世話やお教室に忙しかった宮脇綾子さんも、もしかしたらそうだったのではないかと思う。そんな自分にとって庄野先生の文学が、一層の道しるべの灯りとなってくれるに違いないとも思う。




 これは、昨夜の夕飯に作った白和え。高齢の父はやわらかいものを好む。しかも、冷蔵庫の中の「何か」でできる時短おかずでもあります。こんなに理にかなったおかずはないなと思いながら作る。蕪の葉と椎茸を茹でたものに、柿を刻んで色合いよく。同じ黄色のスリップウェアによそいました。