薄れてゆく心情の記憶
涼しくなってくると、私はがぜん元気が出る。朝窓を開ける。夏と違って薄暗い。ひんやりと引き締まった空気を胸一杯吸う。誰も見ていないのをいいことに、多分私はニタニタしている。
ルーツに北海道や、富士に近い御殿場があることも、関係しているかもしれない。それと、雪の降った日にこの世に生まれたことや、10月の輝きの後にやってくる長く暗い冬を過ごした、イギリスでの日々の思い出はやはり大きい。
カズオ・イシグロさんの本は読んだことがないけれど、受賞がきっかけで、その言葉に興味を持った。
5歳まで育った長崎。薄らいでゆく日本での記憶を、紙に書き記すことで安全に保存したいと思ったこと。「感覚的なこと」を保存したかったということ。
またそのうち、日本を描く役割を放棄し、普遍的な世界を描く作家として書きたいと強く思ったということ。
抽象的なスタート。舞台をどこにでも動かせる。選択肢が多すぎて、舞台をどこに設定していいかなかなか決められない。
小説の価値は、奥深いところにある。どの設定なら、アイデアに息が吹き込まれるか。
問題の層がいくつもある、異なる世界を作り上げること。人々は異なる世界を欲している。そこに行きたがっている。
どう感じたかを、その場にいるように人に感じさせられるか。心情を伝えること。分かち合うこと。
私の、薄らいでゆく、5年に渡るイギリスでの記憶の存在。自分に決定的な影響を与えたイギリス的な題材を追う時期は、無意識に記憶を保存しよう、保存できると思っていたのかもしれないし、そのような中で、期待される役割に執着できない「心情」もあった。長くもやもやしていた多くのことに、ひとこと「わかるよ」と言ってもらえたような気がしてうれしかった。もちろん自分本位の勝手な解釈。
薄れてゆく記憶を、安全な形で保存する。薄れてゆく心情の記憶・・・。薄れてゆくけれど、ふとしたはずみに、突然よみがえる強い感覚。
イシグロさんの本、読んでみたいと思いました。
写真は、先日東京からの友人を誘いドライブした御殿場。とらや工房と旧岸邸にて。御殿場は、祖父が生まれ育ち、仕事をし、眠っている土地です。