捨てるべきか、捨てぬべきか
7月のコラージュクラスの準備中です。今年はファッションをテーマに制作をしています。今月は梅雨の鬱陶しさを少し爽やかにと思って、白をベースにした作品。「貝殻をドレスに見立てる」というのをやってみます。
素材をあれこれ引っ張り出して、組み合わせながら考えていくのですが、以前買ってあったフレンチヴィンテージの布コードが使えそう。色がとにかくきれいだったので、いくつか求めたものです。
このように、買ったことさえ忘れているような何かに、突然光が当たる瞬間は特別な気持ちになる。もっと言えば、いかにも役に立たないもの、誰も顧みないようなつまらない何かが、作品の中で生き生きと生まれ変わること。そのことこそが、私がコラージュやミクストメディア作品を愛する理由のひとつだと思うんです。
そんなことを考えるとき思い出すのが、アップリケ作家の宮脇綾子さんの言葉です。
どんな小さい端切れも
捨てられないのでしまっておくと
必ず役に立つ。
京都の朝市で買った布、屑屋のおばあさんと仲良しになって譲ってもらった布、高山や近在のお百姓さんからいただいた布、タンスや行李いっぱいに、無地、更紗、レース、藍、縞などに区分した布をためておられたそうです。
例えば畳の縁のびりびりになった端切れでも
同じように大切な布なのだ。
お姑さんからの「3年たえれば、用にたつぞよ」という教え。
どんな端切れでも3年しまっておくと、
いずれ何かの役に立つことを、
名古屋弁でそういうのだ。
断捨離や整理術の達人は、よくこの正反対のことを言います。使わなかったら、トキメカナカッタラ、潔く捨てましょう、と。使わないもの専用の棚があって、一年後、二年後、流れ作業のように手際よく、鮮やかに廃棄していく術をTVで見たこともある。
もちろんそうすべきものがあるのは分かっていますが、少なくとも作品のための材料については、宮脇さんのお姑さんの言葉が、ストンと胸に落ちます。
3年しまっておく。3年たつ間には、自分も周囲も変化をする。物の見方が変わってゆく。ということは、自分にとっての、その物の価値も変わるものなのだ。
「3年たえれば、用にたつぞよ」。この言葉に、ひとの成長をゆったりと見守る、延いては自分の消えた後も、この世界を広げる見えない力を信じるような、あたたかな温もりを感じるのです。
使い捨ての消費社会に生きている自分を否定はできないけれど、ものをいとおしく思う気持ちが、私たちに勇気や元気や自信を与えてくれている。そのことを、今まで以上に思うこの頃です。