25 Mar 2017



ハウス・チョアズ

 家事のことを、英語で 'household chores' とか 'house chores' という。調べると 'chore' には「雑用、はんぱ仕事」という意味のほかに、「面倒な、いやな、退屈な、骨の折れる仕事」ともある。

 家事の中で、私にとって最も「面倒な」のは、夕飯の支度。美味しいものを食べたい気持ちは人並みに旺盛ですし、料理をするのも嫌いではないのに、一日の終わり、仕事からの気分の切り替えがうまくゆかないという理由だけで、むやみにしんどく思う日がある。

 そんなときの一番の助っ人。それは、ベニシアさんのDVDや動画を見る事です。そのために台所に古いタブレットを置いている、と言ってもいいくらい頼り切っている。

 見ていると、ベニシアさんはなんでもゆっくりなさる。のろのろではなく、真剣にゆっくり。そして優しく穏やかに、ユーモアを交えて話される。何ごとも「ねばならない」でやっていないことがじんわり伝わってきて、切り替えに抵抗するイライラ気分がやわらぎ、「仕事」というものの基本を思い出させてもらう。そうして気持ちがいくらか整った私は、おもむろに冷蔵庫を開け、やっとのこと今夜何を作りたいかが見えてくるのです。気付けば、作ったりよそったりを、すっかり愉しんでいる自分がいる。




 山本ふみこさんのことを教えてくれたのは、グループ展のオープニングで、いつもお料理の腕を振るってくださるMさんでした。庄野潤三さんのことが書かれていると言って、山本さんの『台所から子どもたちへ』をプレゼントしてくださった。

 山本さんは庄野先生の本を大切に愛読されている。ブログを拝読するようになって一層それがわかり、毎週更新される「ふみ虫、泣き虫、本の虫。」を、どうやら誕生日の近い同い年、心身に起こる変化も共通することが多く、勝手に一方通行に共感させて頂いています。

 先日のブログには胸が痛んだ。いつも率直な文体で、読者に励ましをくださるふみこさんですが、「お母ちゃま」というタイトルで「母、逝く」と。お母さまがお茶碗を包んでしまっていたという、私にも思い出いっぱいな、昔昔の西武デパートの赤い包装紙の画像も添えられて。

 そしてそんなお辛いときであるのに、ふみこさんはブログの最後に、新刊の『家のしごと』(ミシマ社)の頒布を、前の週と変わらぬ温度でお知らせされていた。迷わず注文。丸善の一筆箋にメッセージの添えらえた、「ヒロさま」のサイン入りご本は、こうして今ここにあるのです。(この頒布は、もう終了されたようです。)

 ヒロさま、と書いてくださったので、私もさっきからふみこさんと書かせていただいてますが、ふみこさんの文章もまた、ベニシアさんマジックと似たエネルギーで、私の家事を応援してくれる、とっておきです。家事をするのも「わるかねえ」(←庄野先生のご長女、夏子さんのご主人さまである邦雄さんの決めゼリフ)と、読むたび思わせてもらえる。

 ずっと前に、まだ妹もここにいた頃のこと、仕事が忙しくて3人分の夕飯の支度がおろそかになり、私は言い訳に「だって忙しいんだもの」と言い放ったら、父が「そんな仕事だったらやめちまえ!」と、珍しく語気を強めたことがあった。その時は娘の仕事に無理解な父へ猛反発。こちらもカッカッと来たけれど、後になればなるほど、父の言葉にうなずく自分がいます。

 ジョン・レノンが言っていた。読書するのは、自分が独りぼっちじゃないと感じられるから、と。自分は一人じゃないという感覚。ベニシアさんとふみこさんの著作からおおらかな家事魂を授けてもらい、私は今日も大好きな台所に立つのです。




 ・・・とは言っても、家事に時間を無制限にかけるわけにもゆかず、ですね。↑は私のまかない飯。搾菜のパスタです。ムサ美の頃、男子の友だちに教えてもらった。茹でたパスタに、大根おろしと刻んだザーサイを載せて、ごま油とお醤油をたら~り。ゴマと刻み海苔をかけて、ただそれだけです。美味しいです。




 料理家の土井善晴さんが近年提唱されている「一汁一菜」にも、肩の荷を軽くしてもらいました。夕飯に何を作ろうかどうしても迷ったら、具沢山のお味噌汁を作ります。土井さんは、日本人の食事はみそ汁とご飯があればいいのだと仰っていて、とりあえず具になりそうなお野菜だけは、いつも野菜庫や、芋類用の甕にストック。「やめちまえ!」の父にも、食べやすく好評です。

 ↑は、前夜の残りとおにぎりのお昼ごはん。