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| 朝日を浴びるホックニーの本たち |
幼い頃から変わらぬ、絵を描くことへのスピリット。いわゆる「達者な絵描き」になるのを拒み続けたお二人の作品に共通することってなんだろう。ホックニーの座右の銘「Love Life」。それに尽きるのではないか。水丸さんの回顧展に感動の後、ホックニーの他界に接し、あらためて感じ入っているところです。
ホックニーの探求心と知性、そして真心には、1970年代に画学生だった世界中の多くの仲間同様、もう半世紀も魅かれ続けている。図書館で借りてきた本を大学ノートに書写し、それをもう何十年も読み返してきました。最近は、東京で数年前に開催された大きな展覧会で求めた、辞書のように分厚い2冊『春はまた巡る』と『絵画の歴史』を、ことあるごとに開き、絵から言葉から、飛び込んでくるメッセージに活力を貰っています。
この地球にもうホックニーはいないのだと思うと、親を亡くしたように寂しい。遺された多くの作品と言葉は無限の泉。これからもずっと学び続けて行くことでしょう。
描くことは見ることです。見るとは五感の一つ。つまり感受すること。新鮮な気持ちで対象である物や景色、また同じように自分の描いた絵からも何かを感じること。はじめは小さなさざ波であっても、真心で描くことによって、おのずと自分だけの「記憶」や「時間」を込めることになる。感動の振れ幅が静かに増してゆく。探求になってゆくのです。
水丸さんの回顧展、素晴らしかったです。自らを「芸術家ではない」と本の中で遺されている水丸さんですが、観る者にとって、水丸さんの作品はアートです。語りかけてくる何かが半端なく豊かだからです。
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| 本棚からかき集めた水丸さん関連の本 |
「ピカソは、自分は絵を芸術作品として描いたことなどついぞなかった。それはいつだって探求だったし、いつだって時間についてのものだった、と言っている」
ホックニーの言葉からの引用です。一方、こうも言っています。
「楽しくないアートなんて駄目さ。遊びがなけりゃ、なんにもできない。遊びっていうのは、すごく大切なんだ。根本においては真面目なことでもある」
これを私はジャズの名曲「スイングしなけりゃ意味がない」的に「愉しくなければアートじゃない」と意訳して唱えます。唱えながら日々、家事もご飯も仕事も庭仕事も、ぜんぶ地続きに遊びたい。
生きていれば色々あるし、気持ちの浮き沈みもある。でも自分の年齢になると急に押し寄せてくる「別れ」や「悲しみ」は躓きとは違う。それも地続きなんだとわかってくる。
Thank you, Mr. Hockney and Mizumaru san.
Love Life.

