'Knock on Wood'
この英語の表現を知ったのは、中学か高校の頃、当時ラジオでよく流れていた David Bowie のヒットソングからだった。その20年後、イギリスに暮らしてみると、くしゃみをしたときの 'Bless You!' みたいに、使用頻度の高い言葉だと知ることになる。例えば自分の幸せや幸運を人に語った時、その幸いが逃げてしまわないようにおまじない的に付け加える。近くにある木製のもの(木には精霊が宿ると信じられているから)に触れながら 'Touch wood' または 'Knock on wood' と唱える。
SNSなどでうれしかったことを記すと、自慢のように映る事もあると思う。しかしうれしいことや幸いを、口をつぐんで誰にも伝えない、と言うのもつまらない。ストレートな悲しみ、喜びの表現は大切。同時に、形を変えて表すということが必要なときもある。
たとえば、絵を描く、文章や詩に書く、音楽を奏でる、これらは自らの幸せや感動の体験を、他者の五感に訴える形に変形させたもの。変形させることで共感につながる。芸術って、長い歴史の中で人が謙虚に思い至った、世界を理解する偉大な工夫なのだとあらためて思う。
現在、水彩レッスンと、コラージュレッスンを、オンラインや対面で行なっていますが、どうやら自分という講師は、皆さんの絵のいいなぁ、ってところを、どうしたらお伝えできるかが勝負だと思っているフシがある。こちらも毎回手探り。それが面白い。だからこんなスタンプは、まず使わない。
でもじっと見ていたら気付くことがあった。これらはよく、自分が自分に投げている言葉じゃないか。
先日の「べらぼう」はまたまた、私にとって神回でありました。片岡鶴太郎さん演じるあやかし(妖怪)画家の鳥山石燕が、トラウマに囚われた歌麿に語り掛ける言葉のすべてが、胸の奥までずしっと響いた。以下、ちょっと長くなりますが、覚書を兼ねて記します。
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石燕:三つ目ー!
歌麿:憶えてくれてたんですか、
ちょっと遊んだだけのガキのことを。
石燕:忘れるかー。あんなに愉しかったのに。
歌麿:愉しい?
石燕:ああ、愉しかったぞー。
お前は愉しくなかったか?
歌麿の最近の絵、思うように描けずにぐちゃぐちゃに塗りつぶされた作品を見て
石燕:あやかしが塗りこめられておる。
そやつはここから出してくれ、出してくれと呻いておる。
閉じ込められ怒り悲しんでおる。
石燕:三つ目、なぜかように迷う?
三つ目の者にしか見えないものがあろうに・・・。
絵師はそれを写すだけでいい。
写してやらねばならぬ、とも言えるがな。
見えるやつが描かねば、
それは誰にも見えぬまま消えてしまうじゃろう。
その目にしか見えぬものを現わしてやるのは、
絵師に生まれついた者のつとめじゃ。
歌麿:弟子にしてくだせえ。
俺は俺の絵を描きてぇんです。
おそばに置いてくだせえ。
舞台は変わって、石燕の画室。
歌麿:先生の三つ目の眼には、
あやかしが見えるってことですよね。
石燕:そういうことじゃなあ。
歌麿:あの、俺もほんとにそんな眼を持ってるんですか?
石燕:まぁたぶん、持ってんじゃねえかなあ。
歌麿:たぶん、って・・・。
石燕:まずはその辺のもん、なんか描いてみろや。
持ってりゃそのうち、なんか見えて来るさ。
歌麿:ほんとですか?
石燕:(絵を描きながら、上の空の調子で)たぶん・・・。
歌麿:いい加減だなあ。
石燕:そのくらいでちょうどいいのさ。
歌麿は鶯さえずる庭に咲く、牡丹の花(歌麿という品種を用意した演出にあっぱれ)のスケッチを始める。今まで見た事もない程、いかにも嬉しそうに花を観る歌麿を演じる染谷将太さん。解き放たれた表情に、わかるよ、歌ちゃん! 胸がいっぱいになりました。
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石燕の言葉は、悩める者への、なんと優しい、慈しみに満ちた励ましだろう。他者と自分を比べたり、自分、自分、と自分にこだわり過ぎていると、周囲の世界がほんとうには見えてこない。
こんな有り難き「べらぼう」が、このドラマには大勢出て来る。面白くてたまらない。
父が若い頃から使っていた、木製のスタンプケース。この中に、さっきの辛口スタンプも入っていた。
昔のものは本当によくできている。佇まいが控えめでも、存在感がある。きれいに拭いて、作品に使っているスタンプコレクションを収めた。
「小さな部屋で」 作曲:武満 徹 作詞:川路 明
小さな部屋で 父さんが言った
おまえに なにもやれないが
がまんして がまんして
おまえの胸は 若いんだから
春が来たけど なにもない
夏が来たけど なにもない
なにもないけど あたたかい
あたたかいのは 空と風
あたたかいのは 雲と光
ああ 人のこころの
人のこころの 暖かければ
なにもないけど それこそすべて
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。