4 Oct 2025





田舎道で

 今年も彼岸花の季節がやってきた。年々気候が厳しくなっているからか、この花の風景につく一息が、しみじみ深くなってきた。

 この日は自転車でちょっと遠出。林を抜けた細い道の先に、ゆっくりゆっくり歩いている人がいた。小柄なシルエット。高齢の方だとわかる。近くまで進み追い越しそうになったところに、彼岸花が数輪咲いていた。「こんにちは」とあいさつしてから、青空をバックにスマホで撮影していると「今年は遅いね」と、おじいさん。「あっちにもっとあるよ」。指差すほうを見ると、この群生があった。

 


  「どっかに白いのも咲くんだけど」

 聞けば健康な人が歩いても、ゆうに1時間半はかかるだろう距離を、毎日のように歩いているという。

 前日、ちょっと胸の詰まる悲しいことがあった。お世話になったある方の体調が思わしくないとの知らせ。心を落ち着けたくてサイクリングに出た。

 おじいさんは83歳だそうで、拝見したところ、足腰、それに眼もそのお年相応の感じがした。ちいさな歩幅でゆっくりゆっくり歩く姿、木陰に腰かけて水筒の水を飲む姿、「指輪物語」に登場する妖精の一族のひとりのように思えて、胸の中がほっと暖かくなった。

 秋の朝に、季節も刻もまるで外れではありますが、こんなときいつも浮かぶ、中村汀女の句がある。

 「外(と)にもでよ 触るるばかりに春の月」 



18 Sept 2025

 



あんぱんと詩とメルヘンと

 朝ドラも、大河も、毎回必ずということではないのですが、今年は両方が面白く、もれなく観ています。「あんぱん」、「べらぼう」、どちらも絵描きが登場すること、マスコミュニケーションの世界に生きる人々が描かれていること、自分が歩んできた道と重なる部分もあるので共感が大きい。それに役者、スタッフの方々の情熱あふれるお仕事がまた興味深くて、どちらも画面の隅々まで目を見開いて観ています。

 「あんぱん」はとうとうアンパンマン登場で、クライマックスに近付いていますね。このキャラクターに、私は詳しくはないのですが、幼かった甥や姪の様子から、子供たちの心を鷲づかみにしていることはもちろん知っていました。

 私にとってのやなせ・たかしさんは、世代的に雑誌「詩とメルヘン」。ただ、興味の対象が爆発的に増えるちょうど中高生の頃でしたから、あまりよい読者とは言えませんでした。

 それでもあの頃は「詩」というものが、いつも身近に感じられた時代で、詩やファンタジーが含まれる書籍や雑誌がたくさん出版されていたし、私も少ないお小遣いをはたいて、せっせとそれらを求めました。

 この「やなせ・たかし責任編集 詩とメルヘン」1974年8月号をピンポイントで探し当て、フリマサイトでゲットできたことは、ほとんど奇跡のようです。

 若かった私が偶然出会うこととなったある詩人の方がいらして、不定期ではあったけれどその「本の巣」のようなお部屋に、まるで私塾に通うようにお邪魔していた時期がありました。本だけではなく、ピアノがあって、ヴァイオリンがあって、名札を付けたぬいぐるみの動物たちが大勢いて、キャンバスがあって、本棚のないわずかな壁には香月泰男の小さな絵が飾ってあって、おいしいスープやコーヒーを頂き、本のこと、詩のこと、芸術のこと、とめどなくお話を聴くことができる、当時の私にとってまさに「不思議の国のお部屋」でした。この「詩とメルヘン」を見せてくださった日のことは特に印象に残り、ずっと覚えていた。

 やなせさんによる見開きの挿絵の上に印刷された、その方の詩。まっすぐなまなざしと感受性の賜物。シュールとユーモアが重なりコントラストを生む独特の作風。貨物列車に記されたカタカナの文字が冒頭から躍るコトバの編み物。やなせさんがこの作品を選び、2色や1色ではないカラーの絵を、この詩のために描かれた理由がわかる気がします。





 大好きだった東君平さんの作品も掲載されていました。

 今思えば、高度成長期とはいえ、日本がボロボロに壊れた敗戦から、まだ30年も経っていないころです。親類にも、外地で戦って帰還した伯父、明日の命はないという覚悟で神経を失うような日々を送った伯父たちが何人かいた。幼かった自分にはその心のうちまでは見えなかったけれど、「あんぱん」を観ていると、烈火をかいくぐり生き延びた伯父たちの笑顔の向こうが見えるようで、胸が苦しくなります。

 詩人の加寿子さんからも、街が空襲を受けた時のことを聞いたことがある。飼い犬の繋がれていた杭、たぶん鉄柱だったのでしょう。それだけがぽつんと立っていた光景が忘れられないと。

 父は徴兵を間一髪で免れた世代だったけれど、中高年になるまで、爆撃機が頭上を飛ぶ夢にうなされたという。これもだいぶ後になってから、やっと教えてくれた。思い出すのさえ恐ろしい景色だったのだと想像します。

 『ひとはなぜ戦争をするのか』はアインシュタインとフロイトの往復書簡の本で、図書館で借りてはみたものの読めないまま時間切れで返した。すると間もなくのこと、「駄目だよ」と言わんばかりにラジオで、宗教学者の山折哲雄さんがこの本について語る場面に遭遇した。

 フロイトの説によれば、戦争のひとつの理由は、愛と生、子孫を残すための 「エロス」と、攻撃的、破壊的な欲求の「タナトス」。 人間がそれから逃れることは困難かもしれないが、「文化」が心に与える影響が、その誤った勢いを抑制することはできる。そのような意味のことを語られていた。

 加寿子さんがよく仰っていた言葉。

「人類に残された資源は、想像力だけ」

 もしかしたら創造力? でもきっと「想像力」。真の創造力は、想像力なしにはありえないもの。

 自分の世代は育ててくれた親たちが、若き日に戦争に翻弄された最後の世代だと思う。だからこそ感じること、思うことがある。文化や日々の暮らしを通じて、それを表してゆけたら・・・。ドラマ「あんぱん」とやなせさんの仕事は、その思いを励ましてくれた。残り少ない回も、大切に観届けたいです。

5 Sept 2025

 



不真面目な寄り道

 先延ばしにしていた紫陽花の剪定作業を、先月の暑い中、エイヤッとようやく片づけた。大きめの株が2つあり、昨年の剪定の仕方が悪くなかったようで、今年もたわわに咲いてくれた。

 枯れてゆくさまも美しく、得も言われぬ色彩とテクスチャーを見せてくれる紫陽花の花。今年も目と心に焼き付ける。



 イギリスのCountry Living誌の仕事をしていた時、与えられるテキストから自由に題材を選ぶことが出来た。無理せずに好きな物を選んだ。もともと克明に描くことはしない、というか出来ないので、これをこんな風に描いてくれと言われなかったことで、自分らしさを発見し育てることが出来たと思う。

 日本の文芸誌の仕事も同様で、編集者さんからあれこれ言われることはなく、自由に描かせてもらうことができた。

 こんな風に甘やかされて育ったためか、描けない花というものがある。紫陽花はその一つ。何故かはわからない。




  絵には描かない。でもこの感動はきっといつかどこかで生きる筈。だから、無理はしない。

 目にした感動を、すべて描くことはできない。描けないことに悩むより、今の自分にできることを一歩踏み出せば、きっと次の景色が見えてくる。記憶に刻まれた、たとえば紫陽花の朽ちた色合いがふっと現れ、助けてくれることもあるだろう。

 もうひとつ、ずっと先延ばしにしていたことがあった。パソコンの買い替えです。買い替えることで生じる労働を想像するだけで息苦しくなりながら、重~いパソコンをずるずる引きずっていた。でも、もうへとへとの玄界灘。これもついこの間、とうとう敢行した。

 そんなわけでここ数日、頭がパンパンになっていました。

 長く使った、前のパソコンの時代と今では、ものすごい進化が起こっていた。錆びたブリキみたいな脳に油を注し注し、検索 → ダウンロード → 設定 → 検索 → ダウンロード → 設定・・・を繰り返し、なんとか頑張った。メールアドレスも、今使っているものが、そのうち使えなくなることがわかり急いでメインを変更した。

 11月のグループ展のことも考えなくちゃいけないし、定期的に制作している雑誌の仕事もある。草取りもやらなくちゃ。運動もしなくては・・・。must や have to の日々が続くと、「あ、まずい」と警報が鳴る。

 「もっと不真面目でいーよ」

 暗い空の雲間から声が聞こえる。そうだった。「そんなに必死にならなくても」いーんである。ハッとして「真面目」にブレーキをかける。急ブレーキは危ないから、車の教習所で教わったように、ジュワーッとゆっくり踏む。で、久しぶりにこの、寄り道みたいなブログを書いているというわけです。

 やなせたかしさんは、仕事のエンジンを切らなかったという。先日観た、NHKのアーカイブ番組でそう仰っていた。切っちゃうと、戻るのに時間がかかるのでしょう。小者の私も、この仕事を始めた若い頃からそう感じていたので、恐れ多くも共感した。


「休養してると、だらっとなるんですね。要するに絶えずエンジンをかけっぱなしにしとかないとね、あとの案がもう出なくなっちゃうんです。一日休むともうわからなくなっちゃう。なんというか、ひとつの反射神経みたいなので描いているんで、ちょっと休むともうわからなくなっちゃうんですね。ほんの少しでも仕事してる。寝ててもギャグを考えてる」


 やなせさん、83歳のお言葉。

 このブログを書くこと、意味のないスケッチやコラージュは、エンジンを切らずにできる「寄り道」なのかもしれない。

 しかし、雲間からこっちを見てくれてるのは、いったい誰なんでしょうね?

16 Aug 2025

 



'Knock on Wood'

 この英語の表現を知ったのは、中学か高校の頃、当時ラジオでよく流れていた David Bowie のヒットソングからだった。その20年後、イギリスに暮らしてみると、くしゃみをしたときの 'Bless You!' みたいに、使用頻度の高い言葉だと知ることになる。例えば自分の幸せや幸運を人に語った時、その幸いが逃げてしまわないようにおまじない的に付け加える。近くにある木製のもの(木には精霊が宿ると信じられているから)に触れながら 'Touch wood' または 'Knock on wood' と唱える。

 SNSなどでうれしかったことを記すと、自慢のように映る事もあると思う。しかしうれしいことや幸いを、口をつぐんで誰にも伝えない、と言うのもつまらない。ストレートな悲しみ、喜びの表現は大切。同時に、形を変えて表すということが必要なときもある。

 たとえば、絵を描く、文章や詩に書く、音楽を奏でる、これらは自らの幸せや感動の体験を、他者の五感に訴える形に変形させたもの。変形させることで共感につながる。芸術って、長い歴史の中で人が謙虚に思い至った、世界を理解する偉大な工夫なのだとあらためて思う。

 現在、水彩レッスンと、コラージュレッスンを、オンラインや対面で行なっていますが、どうやら自分という講師は、皆さんの絵のいいなぁ、ってところを、どうしたらお伝えできるかが勝負だと思っているフシがある。こちらも毎回手探り。それが面白い。だからこんなスタンプは、まず使わない。


 

 
 でもじっと見ていたら気付くことがあった。これらはよく、自分が自分に投げている言葉じゃないか。

 先日の「べらぼう」はまたまた、私にとって神回でありました。片岡鶴太郎さん演じるあやかし(妖怪)画家の鳥山石燕が、トラウマに囚われた歌麿に語り掛ける言葉のすべてが、胸の奥までずしっと響いた。以下、ちょっと長くなりますが、覚書を兼ねて記します。

・・・・・・・・・・・・

 石燕:三つ目ー!
 歌麿:憶えてくれてたんですか、
    ちょっと遊んだだけのガキのことを。
 石燕:忘れるかー。あんなに愉しかったのに。
 歌麿:愉しい?
 石燕:ああ、愉しかったぞー。
    お前は愉しくなかったか?


 歌麿の最近の絵、思うように描けずにぐちゃぐちゃに塗りつぶされた作品を見て


 石燕:あやかしが塗りこめられておる。
    そやつはここから出してくれ、出してくれと呻いておる。
    閉じ込められ怒り悲しんでおる。

 石燕:三つ目、なぜかように迷う? 
    三つ目の者にしか見えないものがあろうに・・・。
    絵師はそれを写すだけでいい。
    写してやらねばならぬ、とも言えるがな。
    見えるやつが描かねば、
    それは誰にも見えぬまま消えてしまうじゃろう。
    その目にしか見えぬものを現わしてやるのは、
    絵師に生まれついた者のつとめじゃ。

 歌麿:弟子にしてくだせえ。
    俺は俺の絵を描きてぇんです。
    おそばに置いてくだせえ。


 舞台は変わって、石燕の画室。


 歌麿:先生の三つ目の眼には、
    あやかしが見えるってことですよね。
 石燕:そういうことじゃなあ。
 歌麿:あの、俺もほんとにそんな眼を持ってるんですか?
 石燕:まぁたぶん、持ってんじゃねえかなあ。
 歌麿:たぶん、って・・・。
 石燕:まずはその辺のもん、なんか描いてみろや。
    持ってりゃそのうち、なんか見えて来るさ。
 歌麿:ほんとですか?
 石燕:(絵を描きながら、上の空の調子で)たぶん・・・。
 歌麿:いい加減だなあ。
 石燕:そのくらいでちょうどいいのさ。


 歌麿は鶯さえずる庭に咲く、牡丹の花(歌麿という品種を用意した演出にあっぱれ)のスケッチを始める。今まで見た事もない程、いかにも嬉しそうに花を観る歌麿を演じる染谷将太さん。解き放たれた表情に、わかるよ、歌ちゃん! 胸がいっぱいになりました。

・・・・・・・・・・

 石燕の言葉は、悩める者への、なんと優しい、慈しみに満ちた励ましだろう。他者と自分を比べたり、自分、自分、と自分にこだわり過ぎていると、周囲の世界がほんとうには見えてこない。

 こんな有り難き「べらぼう」が、このドラマには大勢出て来る。面白くてたまらない。




 父が若い頃から使っていた、木製のスタンプケース。この中に、さっきの辛口スタンプも入っていた。

 昔のものは本当によくできている。佇まいが控えめでも、存在感がある。きれいに拭いて、作品に使っているスタンプコレクションを収めた。




 長すぎるブログの最後に、大好きなこの詩を。まだ戦後10年ほどの頃に、武満徹さんがラジオ番組のために作られた曲だそうです。


「小さな部屋で」 作曲:武満 徹 作詞:川路 明

 小さな部屋で 父さんが言った
 おまえに なにもやれないが
 がまんして がまんして
 おまえの胸は 若いんだから

 春が来たけど なにもない
 夏が来たけど なにもない
 なにもないけど あたたかい

 あたたかいのは 空と風
 あたたかいのは 雲と光

 ああ 人のこころの
 人のこころの 暖かければ
 なにもないけど それこそすべて


・・・・・・・・・・


 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

4 Aug 2025




公園にて

 暑い日が続いています。皆さん、いかがお過ごしでしょう。

 うちのあたりでは、街を歩いている人がとても少なくなっています。皆、クルマで移動するから。歩いているのはそれができないお年寄りばかり。出会うたび、「お互い気を付けましょうね」と心でつぶやく。

 自転車やバスで移動すると、こんな風に今まで目に留まらなかったことが見えてきます。お年寄りばかりが炎天下を買い物に歩くという、地方都市の異常事態。自治体は何か解決策を考えなくちゃいけないです。

 自分も、長い距離の自転車移動の際は、途中で休むようにしている。この写真の公園も、休憩場所のひとつ。

 ちょうど正午の頃でした。もしアスファルトの通りを歩いていたら、日陰は皆無でしょう。しかしここには木立があります。大きな傘のように無料の日陰を作ってくれている。ベンチに腰掛け、風が葉っぱを震わせながら立てるザーーーッ、ザワザワ、というコーラスに耳を澄ませた。




 この日は台風が遠くを通過するとの予報でしたから雲の流れも速く、クリアに風があっておかげで意外にも涼しかった。「風はやわらかな化石」と表現された星野道夫さんの言葉を思い出し、土ぼこりが舞う様子、木の葉の揺れ、浮かぶ雲をしばらく眺めながら水筒の冷たいお水を飲み呼吸を整えました。

 そろそろ、と立ち上がると、公園のトイレを掃除している人が居る。市の職員の方かと思った。でもAさんでした。

 うちの近くのゴミステーション掃除は、自治会のメンバーである私たち居住者が順番にやることになっています。しかしお仕事の都合で、その務めが夕方以降になってしまう人も少なくない。Aさんはその前に、カラスが食い散らかした痕や、ルールを無視して出されたごみの片付けなど、人の嫌がる仕事をコツコツとボランティアでやって下さっている。簡単に真似のできることではありません。近所のみんながその労に感謝している。

 しかしあそこからだいぶ距離のある、この公園のトイレまできれいにしてくださっていたとは! 首にタオルを巻き、ペットボトルで水を流しているAさん。感謝の気持ちを伝えた。クルマで動いていたら、知る事のない光景だった。

 休憩しても、ペダルはそれほど軽くなるわけじゃないけれど、心のうちにも風が抜けた。大きな力で背中を押されたような思いのする、昼過ぎの出来事でした。



16 Jul 2025

 



朝めし前の朝めし

 早朝に適した仕事はものを書く事と庭仕事、午前から午後はレッスンと自分の絵の仕事をし、夕方はイギリスから届いた雑誌を観てインスピレーションを高める。就寝前はたっぷり読書。こんな時間割が理想なのだけれど、天気によって左右されたり、たまった仕事を片付けたり、くたびれて昼寝したり、今は家の中の整理も始めていて、思うようにはなかなかゆかない。

 それでも朝一番にこのブログを書くことは大きなよろこびのひとつで、日々の励ましにもなる。書くことや読むことは、少々過剰な感受性を持つ自分にとって、「ごちゃごちゃ荘」的頭の中の掃除になる。散らばった思考のコレクションを、それぞれ適当な場所、後々呼び出しやすい棚に収めてくれる。

この早朝の作業にはそれなりにエネルギーが必要で、パンを数切れ胃袋に入れて、脳に糖分を供給します。一仕事終えたら正規の朝食を「いただきます」と頂く。だからいつの間にか一日4食になってしまった。来客のある時以外はお菓子というものをほぼ食べないから、早朝の一食はおやつと思えばよい。都合よく後づけ解釈した。



 先日 I 家から贈って頂いたボローニャのデニッシュ食パン3斤。有り難く、赤ちゃんを抱くように台所に運んだ。そのままでもイケますが、ちょっと焼いてジャムやマーマレードを塗る。美味しい。ごちそうさまです。



 キラキラ黄金色に輝く柚子のマーマレード。美しくてしばし見とれてしまう。以前、クラスのスケッチ会を2度ほどさせてもらった、埼玉のグリーンローズ・ガーデン。あの素晴らしいオープンガーデンのオーナー、斉藤よし江さんから頂戴したホームメイドです。もったいなくてなかなか開けられずにいましたが、開けてびっくり、こんなの食べたことない!ってほどの絶品でした。

 ここ数日、穏やかならぬ雨と湿度が続いていますね。ガラス窓の向こうの灰色の空。こんな天気でもシジュウカラの夫婦がお隣のアンテナにやってきてキョロキョロしている。きっと、朝ごはんを探しているんだ。

 その向こうに広がる空の景色も、静止画ではない。マーマレードパンを食べながら5分も観ていると、ゆっくり、ドラマチックに変化しているのがわかる。

 この星に生まれた私たちが命を保てるのは「対流圏」と言って、高度たったの10㎞まで。卵の薄皮みたいなこの薄い薄い空間に、命を持つ様々な仲間たちとともに肩寄せ合って生きている。

 この間、ピーター・バラカンさんがラジオで紹介していた Lead Belly の'We're in the Same Boat, Brother' という曲があり、とてもよかった。繰り返し聴いている。女優の高峰秀子さんの料理エッセイ『台所のオーケストラ』にあった言葉、「四海の内 皆兄弟(けいてい)なり/ 顔淵」はいつも胸にある。

 雲の切れ目に朝日が顔を出した。しかし相変わらず雨がザーザー降っている。不思議な光景。薄皮の中の、黄金色のドラマ。

 さて、今朝も対流圏スペクタクルを拝むことができました。私も今日ならではのドラマを、ささやかに始めるとしましょう。

7 Jul 2025

 



響く紫陽花

 この美しい花瓶は、あるとき沼津の生徒さんたちが贈ってくれたもので、大事にしている。私が篠田桃紅さんの作品と著書の大ファンであることを知って、ある生徒さんがネットでみつけてくれたもの。もとはお茶のリキュールが入っていた。

 1960年代の古いもので、蓋のコルクが破損していたため飲むことはためらわれたが、濃い緑でしっかりとしたお茶の香りがした。調べるとサントリーはこのリキュールを現在も販売している。いつか手に入れてみようと思う。紙のラベルには、今も桃紅さんの書が使われている。




 手まり咲きの紫陽花を描くのが苦手で、イラストレーターとしては恥ずかしいことだけれど、気に入ったものができたためしがない。どうしても子どもの頃に流行ったアレ、ぎっしりとカラフルな花で飾られたスイミングキャップみたいに見えてしまうのだ。

 ある年の夏、婦人之友社さんから『花日記』という、大判の3年連用日記に絵を描いてほしいとの依頼を頂いた。期間をひと月半ほど頂いただろうか。すべてのページに絵が入るので、今数えてみたら花の絵を66点(うち数点はガーデングッズ)。それから表紙画も描かせて頂いた。

 性分ってこういう事を言うのだろう。私の小さな水彩イラストレーションの描き方は、下描きなしに何枚も何枚も描いて、一番よくできたものを選ぶというとても非効率なやり方。描きながら、次第に「描き順」も決まってゆく。この手法を、自分は「習字」と呼んでいる。コマーシャルな仕事の場合は、このやり方でないとなかなか納得いくものが生まれない。

 描き順が決まってからが本スタートで、1点につき少なくとも5枚。10枚以上になることも多い。あの夏は来る日も来る日も、小さな花の絵を描く日が続いた。

 当然、梅雨の季節には紫陽花を描かなくてはならない。手まり咲きではない紫陽花。庭のヤマアジサイならひとつひとつの花が独立している。描けると思い試みた。

 でももしかしたら今日の自分、この桃紅さんの器と父が植えた庭の花のコラボレーションを目の前に観た自分なら、新しい気持ちで描けるかもしれないと思ったりする。何を描くにも、心にひどく響くものがないと難しい。今は自由に絵を描く日々なので、特にその思いが強い。

 絵を描く身には幸せなこと。心に深く響く何かは、若い頃より確実に増えている。