あんぱんと詩とメルヘンと
朝ドラも、大河も、毎回必ずということではないのですが、今年は両方が面白く、もれなく観ています。「あんぱん」、「べらぼう」、どちらも絵描きが登場すること、マスコミュニケーションの世界に生きる人々が描かれていること、自分が歩んできた道と重なる部分もあるので共感が大きい。それに役者、スタッフの方々の情熱あふれるお仕事がまた興味深くて、どちらも画面の隅々まで目を見開いて観ています。
「あんぱん」はとうとうアンパンマン登場で、クライマックスに近付いていますね。このキャラクターに、私は詳しくはないのですが、幼かった甥や姪の様子から、子供たちの心を鷲づかみにしていることはもちろん知っていました。
私にとってのやなせ・たかしさんは、世代的に雑誌「詩とメルヘン」。ただ、興味の対象が爆発的に増えるちょうど中高生の頃でしたから、あまりよい読者とは言えませんでした。
それでもあの頃は「詩」というものが、いつも身近に感じられた時代で、詩やファンタジーが含まれる書籍や雑誌がたくさん出版されていたし、私も少ないお小遣いをはたいて、せっせとそれらを求めました。
この「やなせ・たかし責任編集 詩とメルヘン」1974年8月号をピンポイントで探し当て、フリマサイトでゲットできたことは、ほとんど奇跡のようです。
若かった私が偶然出会うこととなったある詩人の方がいらして、不定期ではあったけれどその「本の巣」のようなお部屋に、まるで私塾に通うようにお邪魔していた時期がありました。本だけではなく、ピアノがあって、ヴァイオリンがあって、名札を付けたぬいぐるみの動物たちが大勢いて、キャンバスがあって、本棚のないわずかな壁には香月泰男の小さな絵が飾ってあって、おいしいスープやコーヒーを頂き、本のこと、詩のこと、芸術のこと、とめどなくお話を聴くことができる、当時の私にとってまさに「不思議の国のお部屋」でした。この「詩とメルヘン」を見せてくださった日のことは特に印象に残り、ずっと覚えていた。
やなせさんによる見開きの挿絵の上に印刷された、その方の詩。まっすぐなまなざしと感受性の賜物。シュールとユーモアが重なりコントラストを生む独特の作風。貨物列車に記されたカタカナの文字が冒頭から躍るコトバの編み物。やなせさんがこの作品を選び、2色や1色ではないカラーの絵を、この詩のために描かれた理由がわかる気がします。
大好きだった東君平さんの作品も掲載されていました。
今思えば、高度成長期とはいえ、日本がボロボロに壊れた敗戦から、まだ30年も経っていないころです。親類にも、外地で戦って帰還した伯父、明日の命はないという覚悟で神経を失うような日々を送った伯父たちが何人かいた。幼かった自分にはその心のうちまでは見えなかったけれど、「あんぱん」を観ていると、烈火をかいくぐり生き延びた伯父たちの笑顔の向こうが見えるようで、胸が苦しくなります。
詩人の加寿子さんからも、街が空襲を受けた時のことを聞いたことがある。飼い犬の繋がれていた杭、たぶん鉄柱だったのでしょう。それだけがぽつんと立っていた光景が忘れられないと。
父は徴兵を間一髪で免れた世代だったけれど、中高年になるまで、爆撃機が頭上を飛ぶ夢にうなされたという。これもだいぶ後になってから、やっと教えてくれた。思い出すのさえ恐ろしい景色だったのだと想像します。
『ひとはなぜ戦争をするのか』はアインシュタインとフロイトの往復書簡の本で、図書館で借りてはみたものの読めないまま時間切れで返した。すると間もなくのこと、「駄目だよ」と言わんばかりにラジオで、宗教学者の山折哲雄さんがこの本について語る場面に遭遇した。
フロイトの説によれば、戦争のひとつの理由は、愛と生、子孫を残すための 「エロス」と、攻撃的、破壊的な欲求の「タナトス」。 人間がそれから逃れることは困難かもしれないが、「文化」が心に与える影響が、その誤った勢いを抑制することはできる。そのような意味のことを語られていた。
加寿子さんがよく仰っていた言葉。
「人類に残された資源は、想像力だけ」
もしかしたら創造力? でもきっと「想像力」。真の創造力は、想像力なしにはありえないもの。
自分の世代は育ててくれた親たちが、若き日に戦争に翻弄された最後の世代だと思う。だからこそ感じること、思うことがある。文化や日々の暮らしを通じて、それを表してゆけたら・・・。ドラマ「あんぱん」とやなせさんの仕事は、その思いを励ましてくれた。残り少ない回も、大切に観届けたいです。