7 Mar 2016



モランディと万吉

 のことばかり考えている、今日この頃です。ふたりは背が高い。モランディは190センチ、万吉(俳優の青木宗高さん)は185センチだそうです。そんなことはどうでもいいのですけど、背が高いってどんな気持ちだろう、なんてことまで、暇さえあれば考えてしまう。階段のだいたい2段目くらいから、世界を眺める感じだろうか・・・、とか。

 モランディ展を東京ステーションギャラリーで観たのは、2月の27日でした。このめったにない静かで大きな感動を、うまく言葉になどできそうにないのであっさり諦め、メモしてきた画家の言葉を借りてここに記します。



     私はより多くの時間をかけることで、
     自分自身を繰り返す危険を避けてきたと思います。
     そうして、絵の1点1点が、
     ごくわずかなテーマの変奏となるよう、
     構想してきたのです。


     重要なのは、ものの深奥に、本質に、触れることです。


     実際に見ているもの以上に
     抽象的で非現実的なものは何もない。


     目に見えるものは、描けるのです。


     思索にふけるわたしの性分が、
     こうさせるのでしょう。


     自然の中にあるもの、
     つまり目に見える世界を表現することに、
     心惹かれるのです。


 
 美術館のチラシを額装した。モランディの絵がそうであるように、地味でひかえめなチラシが、にわかに発光を始めた。机の横に掛ける。その日からモランディのアトリエの埃をかぶった壺たちがそこにあって、静かにこっちを見ている。机に向かうと右側の壁。孤独の王国の扉のように存在する絵。毎日何度も見て、「あるな」と安心する。

 会場で流されていたフィルムもよかったし、ショップで売られていたカタログもよいです。カタログと言うものを普段買っても、あまり「読む」ということをしないものですが(私だけかもですけど)、これはみるみる赤い傍線だらけになった。何年か前に京都の三月書房で買ったままになっていた平凡社新書『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』(岡田温司氏著)も同じく。

 先週とうとう最終回。ついに終わってしまった、痛快娯楽時代劇を装った妖精物語「ちかえもん」も、なんというか、それについて流暢に語る事などとてもできない。あんなに笑ったのに、あんなに涙したのに、やっぱり無口になってしまう。万吉の風貌や態度から少しは予感していたけれど、あそこまで心のど真ん中をつかれるとは思わなかったです。

 脚本家の藤本有紀さんは、「青木(宗高)くんに出会ったから、私は万吉をみつけられたんです。ちかえもんの物語を書くことができたんです。」と仰るほどで、青木さんのブログを読んでどんな人か少しだけでも知ると、なるほどと納得し、すっかりファンになってしまった。

 もう一人の主役、ちかえもん役の松尾スズキさんもとってもよかったですね。(もー私は最近、この方のツイッターまでチェックしてますから。)

 とにかく出てる人みーんながよかった。作家もディレクターもスタッフも関わった皆さん全員に、こんなTVや映画に消極的な、名もない視聴者の端の端のはしくれですけど、深くありがとうと言いたい。たいしたドラマでした。