31 Mar 2016



4月のレッスン

 先日書きましたように、4月はスタンプ大作戦!で参ります。

 私はのろまなくせにせっかちですから、ウッドブロックをあのように速攻調達したのですが、サンプルを作りながらあれこれ考えるところあり・・・。で、あのブロックは5月に使うことにいたします。4月はもう少し小さなものから始めようかと。
 
 4月は、普通にやるとうっかり子供っぽくなりそうなスタンプの特性を、なんとか違う方向へ持っていこうと企んでいるんです。その方法のひとつとして、スタンプの色を2色に抑える。おしゃれな人って、すごくシンプルに装っているではないですか。それと同じように。

 その2色の組み合わせをひねり出すのが結構難しくて、昨日からずっとああでもない、こうでもないと。クラスのメンバーの皆さんのお顔を思い出しながら、配色が偏らないように心がけました。あらかじめセットにしておくので、お好きな色を選んでいただくことになります。

 さっきやっとこさ色出し完了! ほっとしたら、団子4兄弟みたいなカラーチャートを作るため、試し押しをした紙がなんだか急にアートに見えてきて、紙のフレームにはめてみました。




 画家のミロは、マッチ箱くらいのスケッチを、大きなカンバスに正確にうつし描いたりしたらしい。この絵も拡大したらどんな風になるでしょう。小人になった気持ちで、手のひらサイズのミニミニアートを眺めました。

 参考までに、5月はイギリスでよく目にした昔のタイルをアイデアソースに、スタンプを作ってみるつもりです。連続模様にして、レターにも、封筒にも、ラッピングペーパーにも使えるものを作ります。講師自ら、ワクワクしています。

 材料調達の都合で、4月のレッスンはスミマセン、少し早目にお申し込みを締め切らせて頂きました。お申込みがお済みの方(予約の方も含みます)には、週末までに持ち物メールいたしますね。5月のクラスは、4月いっぱいぐらいまで受付の予定です。ご参加をお考えの方は、お早目にご連絡頂けましたら幸いです。


30 Mar 2016




ユマニチュードの調べ

 先週の土曜の夜、沼津市のプラサヴェルデにて拝聴した、あるお話に感動しました。それは認知症ケアの現場で提唱されているメソッド、「ユマニチュード」についての講演。昨年表紙画を描かせて頂いた『介護民俗学へようこそ!』の著者、六車由美さんが進行役を務められ、講演の後、講師の本田美和子さんと六車さんの対談も行われました。

 「介護」の二文字が他人事でなくなってきた身として、また50代も半ばを過ぎ、内にも外にも起こる変化、生活のリズムやテンポの変調などともなんだかぴったり重なる思いがし、すごく勉強になった。



『ユマニチュード入門』 本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ・著(医学書院)


 ユマニチュード(Humanitude)については、時々TVで紹介されていますから、耳に記憶のある方もいらっしゃるかもしれません。ここで私のような素人が要約できることではないのですが、「介護する側」がユマニチュードを意識し変化することによって、「介護される側」に劇的な変化が起こる。映像をまじえて説明されるその実際の効果には驚きました。抵抗しかする術のないお年寄りが見る見る心を開くさまは、花のつぼみがほころぶように美しいシーンでした。

 この貴重な講演を体験して自分なりに胸に刻まれたことは、何かを丁寧に行うことで生じる平和な空気や気持ち。そしてそれらがもたらしてくれる、「よきもの」、「よきこと」のこと。

 実は「小さな丁寧」が、ヒソカに最近の私のテーマなのです。「くらしのきほん」の松浦弥太郎さんみたいにはとても行きませんが、必用にかられて得たささやかな知恵。

 自分をパソコンに喩えたら、10年前、いや5年前と比べても、かなりメモリーが落ちている。今までその気もナシにできていた小さなことが、ヨイショと思わないとできなかったり、いっぺんに様々なことを同時進行できない。これは、老眼になった時と似たショックです。

 そのとき素早くできない自分に苛立つのではなく、そうか、丁寧にすればいいんだと気付いた。そのことで、仕事自体を愉しめることを発見したんです。

 たとえば外出の時間までに5分もないとき。しかも洗濯物を干してから出かけなくてはならないとき、以前ならアクセルを踏めば難なくスピードが上がった。でも今は、スピードを上げると途端にでこぼこ道になり、つまづいたり失敗したりして余計に時間がかかったりする。だから「とにかく急いで」と思うより、「丁寧に」と思うことにしたんです。するとピンチにものが引っかかったり、重なった薄物がなかなかはがれない、なんてことが減るのです。結果、思ったより早く仕事が終えられ、ストレスもない。

 ユマニチュードには介護の仕事の中に生きるいくつもの技術があり、それを知ることはもちろん大切だけれど、その技術をどういうときにどう使うかという「選択」ができることこそが大事と、本田さんは仰る。そこに私なりの感想ですが、「丁寧」の調べを感じたのでした。

 またユーモラスに、こうも仰っていた。「たとえやさしくない人でも、『やさしさ』を技術としてやっていくと、人は次第にやさしくなっていきます。やっていることと考えていることの差が大きいとつらくなっていくから」と。介護する側に起こる変化は、六車さんの「介護民俗学」にも通じ、これがなにより先ず大事なことなのだとあらためて思いました。

 考えたら私の小さな丁寧は、自分への介助なのかもしれません。

 ユマニチュードについては、4月11日のNHK「あさいち」で特集があるそうですから、よかったらぜひご覧くださいとのことでした。ご興味のある方はその前に上の本も読まれたら、きっと好い予習になると思います。

 

24 Mar 2016



4月のレッスン

 3月のオーバルカードのレッスンも、おかげさまで大好評でした。皆さんが愉しんでくださって、毎月「ああ、やってよかったなー」と思いながら帰宅します。Instagram に4人のメンバー、KyokoさんanzuさんBeckyさんHiraiさんが作品をUPしてくれました。どうもありがとう。

 今年は「手紙」がテーマというのは確かなのですが、「来月はどんな内容ですか?」と訊かれ、決まっている時より、まだ考え中のことのほうが多い。思いついたときのエネルギーで勢いのある内容にしたいのと、人数確定&材料調達の兼ね合いから、ついぎりぎりまで粘ってしまいます。先週のレッスン時には4月の企画、まだ決定していませんでした。

 が、ユリーカ!* 決まりました。「スタンプ」です。自分だけのスタンプを作って、ひと手間かけたレターセットやポストカード、グリーティングカードをセンスよく作りましょう、というレッスンが頭に浮かび、材料も集められそうで、ぜひともやりたくなりました。

 思い立ったが吉日。さっそくホームセンターに行って、ウッドブロックをカットしてもらってきた。

 
 

 (注・木彫りスタンプじゃありません。力を使わず、簡単にできるものを用意しますからご安心を。)

 今回は2回シリーズで、4月の第1回にはスタンプ作りと簡単なカードを制作。5月を第2回として、自作スタンプを使ってのバリエーションを考えます。

 第2回目では、スタンプを使ったMixed media、コラージュ、水彩とミックスして制作してもいいと思うし、大物(ラッピングペーパーやプレゼント用のペーパーバッグなど)も作りたい。個々のスタンプについて、バランスや手書きの文字の組み合わせなど、よりデザイン的に美しい仕上がりになるようアドバイスさせて頂きたいです。せっかく作るのですから、それが最大限生かされるように。いかがでしょう?

 いつものように、午後の部で水彩作品のデモンストレーション(カードのための水彩)もご覧に入れます。 

 材料調達に際し、ご参加の人数がなるべく早く確定すると助かります。東京は4月17日(日)、沼津は21日(木)です。お早目のお申込みをお待ちしております。初めての方も簡単に出来る内容ですので、よかったらぜひ。

 お申込みは、このページの右側メニューの中の 'WEBSITE' から私のHPへ飛んでいただき、Lesson のページよりメールでお知らせください。

 では講師は、せっせとサンプル作りに励みまーす♪


*ユリーカ : Eureka 古代ギリシャ語。「(私は)見つけた」「分かったぞ」の意味。アルキメデスが「アルキメデスの原理」に気付いたとき思わず発した言葉だそうですが、アルキメデスの原理って・・・。何でしたっけ?
 

19 Mar 2016



クートラス

 先週の土曜日、クレマチスの丘、ビュッフェ美術館にロベール・クートラスの展覧会を観た。この日は8月30日まで続く会期の初日で、『クートラスの思い出』の著者であり、画家の最後の恋人であった岸真理子・モリアさんと、晩年の親友、画家の橋場信夫さん、文筆家の佐伯誠さんの貴重なトークショーがあって、早くから予約し愉しみにしていた。

 クートラスを知ったのは、銀座にあったギャラリー無境さんがきっかけ。沼津の和助さんを教えてくださった、故・塚田晴可さんのギャラリーです。機会に恵まれず結局作品展は観られずじまいだったけれど、頂いた案内状はずっと仕事部屋の壁に。机に向かう私の背中を見下している。それは、小さな頭部の彫刻の写真で、その後、あれは芸術新潮だったか、雑誌でもクートラスを目にし、また岸真理子さんのこの本も手元に。目利きの宮下さんから切抜きなどを頂戴したりして、その作品を多く知らないくせに、いつも心のどこかにクートラスの存在があったと思う。

 作品展がこんな近くで開催されるなんて、夢のようにも思える。静かなときめきとともに、ものすごい数のカルト(カード)作品を、とうとうこの目で観ることが叶った。たっぷり時間を取って出掛けたうえに、ランチも取らず作品の前を行きつ戻りつしながら、クートラスの宇宙に全身浸った。

 そして午後、クレマチスの丘ホールで開かれたトークショーがまた素晴らしかった。作家の堀江敏幸さんが「あたたかい気の塊のような人」と表現された理由が一瞬にしてわかる、素適なチャーミングなナチュラルな岸真理子さんだった。

 以下はノートした覚書の一部。



「縁の集積」という皆川明さんの言葉。

「何を見ても何かにつながっている」というヘミングウェイの言葉。

クートラスが静物画に描かれたリンゴをじっと見ていると、リンゴに血が通っているように見えてくる。

クートラスは窓辺に来る鳩と会話する。
 
真理子が水を持って来てくれるから大丈夫、という夢を見た。(クートラス)

私が何かを探しているという姿勢への共感から、クートラスは作品を私に遺したのだと思う。

「手で作る」ということが彼の人生だった。

同時に自分の人生を作る。

(クートラスと居ることで)幸せっていう風な概念からはずれることができた。必ずしも幸せでなくてもいい。幸せって、考えてるようなものじゃない。愛と言うものも、考えてるようなものじゃない。

作った人が全身込めたものは、作品自身が歩いていく。自分はじゃまだな、と思う。諦めた時、作品が転がり始めた。



 会場を出ての後、まだ興奮冷めやらぬ私でしたが、ショップの前で運よく真理子さんと橋場さんにお会いできた。感動を伝えると、吸っていた煙草を急いで消そうとされる。ご著書にサインをお願いしたら、「字が下手なの」と仰りながら笑顔で快く応えてくださった。その有難い数分が、まだ残像です。

 もうひとつ有難かったのは、やはり無境さんで個展を開かれていた阪口鶴代さんともお目にかかり、お話が出来たことです。阪口さんは岩絵の具で、エネルギーを湛えた静謐な抽象の世界を描かれている画家。伊豆にアトリエを持ち制作なさっています。ファンでしたので、この幸運、本当にうれしかった。短い会話の中に絵を描くことへのひたむきな情熱を感じ、少なくないエネルギーを頂いた。

 とてもまっすぐには帰れず、こんな話を喜んで聞いて下さる weekend books さんに寄らせて頂く。話が弾み、美和子さんから、同じくクートラス展にちなんで7月に開かれる、中村好文さんと皆川明さんのトークショーに誘ってもらった。

 縁の集積。

 何を見ても、何かにつながっている。






雨とパン

 大雨も上がり、窓の外はぽかぽか温かい陽ざし。でも安定したパンの発酵には真夏以外、ケースを使う。大型タッパーに、寒い季節には熱湯を張ったカップを入れてぴったり蓋をし、布で二重に保温します。気温によって、お湯の量や布の掛け方を調節しながら。

 発酵やベンチタイムにはいろんなやり方があると思う。堀井和子さんの本には、ビニール袋に生地を入れて口を閉じ発酵させるとあります。濡れ布巾やキャンバス地で生地をカバーするというのも試みたけれど、私にはラップでふんわりカバーしてタッパーのこの方法が楽です。

 堀井さんの生地の作り方でいいなと思ったのは、まず粉の半量をぬるま湯に加え、泡だて器でなめらかに混ぜ合わせた後、残りを入れるという方法。粉が舞いあがらずに落ち着いて作業できるし、混ざり具合もすぐに均一になる。私は二度目の粉の時、菜箸を使う。ある程度菜箸で混ぜた後、へらで混ぜ上げる。

 どんなことも繰り返すうちに、自分に丁度いいやり方を見つける。その工夫が愉しいのですね。

 「一月居座る、二月逃げる、三月去る」。面白い言葉を、教えてくれる人がいる。車窓のようにびゅんびゅん後方へと去ってゆく3月の景色の中で、貴重な言葉や姿にいくつも出合い、励まされたり、胸がつまったり、よし、私もがんばろうって思ったりする毎日でした。

 書きたいことはいーっぱいあった、というか今もあるのですが、書くとなると何から書いていいかわからなくなる。私は感動屋で夢中になるタチだから、つい力が入ってしまうのです。

 何を書こう、と迷った時、「とにかく机の前に座って書きはじめること」と、宇野千代さんが著書の中で勧めている。もしその時雨が降っていたら素直にただ、「雨が降っている」と書き出せばいいのだと。今日の私の場合は、雨が「パン」でした。


7 Mar 2016



モランディと万吉

 のことばかり考えている、今日この頃です。ふたりは背が高い。モランディは190センチ、万吉(俳優の青木宗高さん)は185センチだそうです。そんなことはどうでもいいのですけど、背が高いってどんな気持ちだろう、なんてことまで、暇さえあれば考えてしまう。階段のだいたい2段目くらいから、世界を眺める感じだろうか・・・、とか。

 モランディ展を東京ステーションギャラリーで観たのは、2月の27日でした。このめったにない静かで大きな感動を、うまく言葉になどできそうにないのであっさり諦め、メモしてきた画家の言葉を借りてここに記します。



     私はより多くの時間をかけることで、
     自分自身を繰り返す危険を避けてきたと思います。
     そうして、絵の1点1点が、
     ごくわずかなテーマの変奏となるよう、
     構想してきたのです。


     重要なのは、ものの深奥に、本質に、触れることです。


     実際に見ているもの以上に
     抽象的で非現実的なものは何もない。


     目に見えるものは、描けるのです。


     思索にふけるわたしの性分が、
     こうさせるのでしょう。


     自然の中にあるもの、
     つまり目に見える世界を表現することに、
     心惹かれるのです。


 
 美術館のチラシを額装した。モランディの絵がそうであるように、地味でひかえめなチラシが、にわかに発光を始めた。机の横に掛ける。その日からモランディのアトリエの埃をかぶった壺たちがそこにあって、静かにこっちを見ている。机に向かうと右側の壁。孤独の王国の扉のように存在する絵。毎日何度も見て、「あるな」と安心する。

 会場で流されていたフィルムもよかったし、ショップで売られていたカタログもよいです。カタログと言うものを普段買っても、あまり「読む」ということをしないものですが(私だけかもですけど)、これはみるみる赤い傍線だらけになった。何年か前に京都の三月書房で買ったままになっていた平凡社新書『ジョルジョ・モランディ 人と芸術』(岡田温司氏著)も同じく。

 先週とうとう最終回。ついに終わってしまった、痛快娯楽時代劇を装った妖精物語「ちかえもん」も、なんというか、それについて流暢に語る事などとてもできない。あんなに笑ったのに、あんなに涙したのに、やっぱり無口になってしまう。万吉の風貌や態度から少しは予感していたけれど、あそこまで心のど真ん中をつかれるとは思わなかったです。

 脚本家の藤本有紀さんは、「青木(宗高)くんに出会ったから、私は万吉をみつけられたんです。ちかえもんの物語を書くことができたんです。」と仰るほどで、青木さんのブログを読んでどんな人か少しだけでも知ると、なるほどと納得し、すっかりファンになってしまった。

 もう一人の主役、ちかえもん役の松尾スズキさんもとってもよかったですね。(もー私は最近、この方のツイッターまでチェックしてますから。)

 とにかく出てる人みーんながよかった。作家もディレクターもスタッフも関わった皆さん全員に、こんなTVや映画に消極的な、名もない視聴者の端の端のはしくれですけど、深くありがとうと言いたい。たいしたドラマでした。