30 Jun 2017



捨てるべきか、捨てぬべきか

 7月のコラージュクラスの準備中です。今年はファッションをテーマに制作をしています。今月は梅雨の鬱陶しさを少し爽やかにと思って、白をベースにした作品。「貝殻をドレスに見立てる」というのをやってみます。

 素材をあれこれ引っ張り出して、組み合わせながら考えていくのですが、以前買ってあったフレンチヴィンテージの布コードが使えそう。色がとにかくきれいだったので、いくつか求めたものです。

 このように、買ったことさえ忘れているような何かに、突然光が当たる瞬間は特別な気持ちになる。もっと言えば、いかにも役に立たないもの、誰も顧みないようなつまらない何かが、作品の中で生き生きと生まれ変わること。そのことこそが、私がコラージュやミクストメディア作品を愛する理由のひとつだと思うんです。

 そんなことを考えるとき思い出すのが、アップリケ作家の宮脇綾子さんの言葉です。


   どんな小さい端切れも
   捨てられないのでしまっておくと
   必ず役に立つ。


 京都の朝市で買った布、屑屋のおばあさんと仲良しになって譲ってもらった布、高山や近在のお百姓さんからいただいた布、タンスや行李いっぱいに、無地、更紗、レース、藍、縞などに区分した布をためておられたそうです。


   例えば畳の縁のびりびりになった端切れでも
   同じように大切な布なのだ。


 お姑さんからの「3年たえれば、用にたつぞよ」という教え。


   どんな端切れでも3年しまっておくと、
   いずれ何かの役に立つことを、
   名古屋弁でそういうのだ。


 断捨離や整理術の達人は、よくこの正反対のことを言います。使わなかったら、トキメカナカッタラ、潔く捨てましょう、と。使わないもの専用の棚があって、一年後、二年後、流れ作業のように手際よく、鮮やかに廃棄していく術をTVで見たこともある。

 もちろんそうすべきものがあるのは分かっていますが、少なくとも作品のための材料については、宮脇さんのお姑さんの言葉が、ストンと胸に落ちます。

 3年しまっておく。3年たつ間には、自分も周囲も変化をする。物の見方が変わってゆく。ということは、自分にとっての、その物の価値も変わるものなのだ。

 「3年たえれば、用にたつぞよ」。この言葉に、ひとの成長をゆったりと見守る、延いては自分の消えた後も、この世界を広げる見えない力を信じるような、あたたかな温もりを感じるのです。

 使い捨ての消費社会に生きている自分を否定はできないけれど、ものをいとおしく思う気持ちが、私たちに勇気や元気や自信を与えてくれている。そのことを、今まで以上に思うこの頃です。

19 Jun 2017



きっちり足に合った靴

 先月の末から私にしては家を出たり入ったりが多く、来客や工事や修理も少しあり、遅れ遅れの仕事になかなか手が付けられず・・・。

 しかし自己嫌悪に陥るヒマもなく、昨日はコラージュクラスが東京であって、今月のお題「ジュエリー」も皆さんに愉快に受け入れていただけたことに、ただただほっとしています。ご参加、ありがとうございました。

 今月は思うところあり、課題作品をここにもSNSにもUPしないことにした。ご覧頂けずにちょっと残念なんですが、本当に皆さんご自分を解放されて、素晴らしいフォトコラージュを作られました。ファッションに関わる事なら、私たちは肩に力を入れる必要がないのです。

 女性にとって身に着けるものの重要なことと言ったら。これはもしかして多くの男性に、本当には理解不能なことかも・・・と、人生こんなに経ってからフムフムだったのは、少し前から夢中の作家、ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』のなかの一節を読んで。

 散文様の架空の伝記、とでもいいましょうか。この奇想天外な小説の中で、主人公のオーランドーは、なんと男性から女性に換わっちゃう。時代も何百年とすっ飛んじゃう。読みながら違和感が全く起こらないほど、余りに自然にその変化が訪れるのがまた不思議なんですが、考えたら小説自体が、ストーリーの流れより事象の美しさを味わわざるを得ないような、それこそ宝石のモザイクみたいな構成なので、ページが進んでそういうことが起こる頃には、読者はその世界にいくらか親しんでしまっているのでしょうね。

 オーランドーが男性から女性に換わったときに自らひどく驚くのが、洋服についてだった。ただ好みのためだけに、一日に何度となく着替える自分に、ついこの間まで男性だったオーランドーは客観的にビックリするのです。

 1月に、三島のさんしんギャラリー「善」での展覧会でお目にかかった、染色家の小川良子さんもそう仰っていた。桜で染めた素敵なお着物姿の小川さんでしたから、会話が着るものについて及んだのだと思う。庭仕事などしていて、もし首に巻いたスカーフでもなんでも、「ちょっと違うな」と感じたら、すぐに取り換えずにはいられない、と仰っていた。

 私も同じく。毎朝、外出してもしなくても、(私なりに)真剣になって何を着るかを選び、一日をスタートします。衣類が、アクセサリーが、自分を見えない力で守ってくれている。そんなおまじないのような思いがあるのでしょうか。

 着心地のいい衣類、身につけて安堵するアクセサリー、必要なものが全部収まるバッグ、自分に自分らしさを与えてくれる眼鏡や帽子。そして・・・


    きっちり足に合った靴さえあれば、
    じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
    そう心のどこかで思いつづけ、
    完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、
    私はこれまで生きてきたような気がする。


 これは、須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』の冒頭。

 トップに掲げた写真で私が履いているのは、一番好きな靴です。もう30年も前に、旅行で行ったロンドン、スローンスクエアで求めたスペインの靴。靴紐を表す、'Shoelaces' という言葉さえまだ知らず、お店の女の子に教えてもらった思い出がある。バックスキンの薄い革がやわらかい。いつのまにか私のオカシナ足型に添うような形に変形している。幾度も修理し、手入れしながら、今も現役。足がとても華奢に見えるのは、先端がトゥシューズみたいな形だから。

 和服が長持ちするのはわかっていますが、靴だって洋服だって、決して引けを取らないことに、私くらいの年齢になると突然気付きます。スカートもブラウスも、大事に着れば、おばあさんになっても着れるような気がしてくるんです。そう思って着るものを選ぶようになったワリに、このところジーンズが大好きなので、このヒロおばあさんは、どうやらジーンズを一生履く気らしい。

 須賀さんの『ユルスナールの靴』。おしまいの靴の話も、静かに胸にしみ込みます。




2 Jun 2017



水彩クラス

 とりいそぎ、お知らせです。先日来、ご案内しておりました、明日館で新たに始める水彩クラスのお席が満席となりました。お申込み、ありがとうございました!

 第一回の課題は、このダリアの絵を考えています。

 水彩にご興味をお持ちくださる方が、思った以上にいらっしゃることに喜んでいます。水彩は小学生の頃最初に手にする本格的な画材です。その分、根強いコンプレックスが知らない間にしみ込んでしまって、興味はあってもなかなか再開できずに来た方もおられると思う。

 私の描き方は、ちょっと違いますからご安心ください。まったく新しい試みを始めるつもりでお教室にいらしていただけたらと思います。

 何回参加しなくちゃいけないという決まりはありませんが、なるべく継続してご参加いただきたいです。絵を描くことには、スポーツと同じようなところがあるからです。

 キャンセル待ちは常にお受けいたします。お気軽にお問い合わせいただけましたらうれしいです。