31 Dec 2017




雑然と散らかった私

 今年もとうとうおしまいの日となりました。あまりバタバタとしていないのは、大掃除ナシ、年賀状ナシ、おせちは手抜きと決めたからです。家族の介護、家のことが忙しくなってきた去年から、無理はしないと決めた。

 それでも一夜飾りはNGと、こどものころから聞いて育ったから、昨日は神棚と仏壇の掃除に加え、お飾りや玄関のしつらえを、ああでもないこうでもないと試みました。

 たいそうなことではなくて、好きな花を少し求め、頂いた水仙の花と一緒に、バラバラの器に飾って置いただけ。でも今年は、友人の兄上、榎木啓さんのお作品、輪島塗長方皿(銘は「暮色」)があって、これさえ飾らせてもらえばバッチリと言う予感があった。ギャラリーで一目見たときからそう思っていた。果たして!その通り。玄関を通るたびにチラ見しては、自己満足でうれしくなっている。それだけでも、お正月の意味を感じる。




 左から啓翁桜、葉牡丹と庭のゼラニウムの葉、菜の花、水仙。桜と菜の花は、ぼちぼち咲いていく。それがまた愉しみ。

 玄関は、Yさんが作って下さったクリスマスリースが素敵で、下ろすなんてもったいない。でも和の飾りもしたい、ということで、傍らに餅花を飾ってみた。



 
 竹筒に、餅花と稲穂と緑の葉を挿した。そう可笑しくない取り合わせだと思うのだけど、どうだろう。 

 室内、自室はまだ「小」掃除の途中。家族みんなが集まるスペースだけは、確保しないといけません。

 そういえばこの間、こんな言葉に出合って、いたく励まされた。


   If a cluttered desk is a sign of a cluttered mind,
   of what, then, is an empty desk a sign?

                   Albert Einstein


   もし雑然と散らかった机が、
   雑然と散らかった心の兆候ならば、
   カラの机とは、いったい何の兆候なんだろう。

             アルバート・アインシュタイン


 この言葉をよすがに、「これでいーのだ」の肯定感とともに、ゆるゆる歩きで来年に向かって参りたいと思います。

 今年も一年、このページをご訪問いただき、ありがとうございました。皆さまもどうぞ、穏やかでよいお年をお迎えください。 


16 Dec 2017



白い紙

  いつも君は白い紙を持っている。
  それはほとんどの場合、計算のための用紙として使用される。
  しかし、もし君が望むなら
  そこに現実を書き込むことが可能だ。
  意味のないこと。嘘。
  何でも書き込むことができる。
  そしてもちろん、
  破り捨てるのも自由だ。

  リチャード・バック(「イリュージョン」より)


 
 最近、毎日白いシャツを着ています。寒気が南下しても、ユニクロの「極暖」があるから無敵です。

 なんとなく、今年のテーマというものがあって、去年はジーンズが再び好きになり、今年は白いシャツ。来年はなんだろう。「あれ」かな? 少し予感がある。

 白い洋服を着ていた人、と言って浮かぶのは、晩年のルーシー・リー(陶芸家)、そしてエミリー・ディキンソン(詩人)。ジョージア・オキーフ(画家)は白と黒を好んだとばかり思っていたら、カラフルな色の布で縫われた独特なワンピースを着ていたことが、昨年ロンドンで開催された大回顧展画像や、サンタフェのオキーフ美術館のインスタグラムでわかった。いずれにせよ、着るものに大いにこだわっていたのですね。

 リチャード・バックの『イリュージョン』を読んだのは、もう何十年も前のこと。当時高校生だった年若い友人から、「いいですよ」と教えてもらった。他にも多くの抜き書きがあって、よく読み返します。私の絵はほとんどが白いバックを残したままだが、若い頃読んだこの言葉が、いくらか影響しているのだろうか。

 写真はインドの手漉き紙、カディ・ペーパーに、色のきれいなフランスの麻の糸で、チクチク縫ってみたもの。カディの質感の濃さのせいか、まるで小さなオブジェが生まれるようで、続けて作ってみたくなる。

 最近は、洋服をわざと目立つように繕うのがファッションらしい。'visible mending' とか言うみたい。この言葉で検索すると、愉快な繕い物が、いーっぱい出てくる。前衛的なファッションリーダーや、アーティストのインスタグラムを観るのも面白い。

 先日展覧会を拝見した西村玲子さんも、チクチクと縫われた小物をたくさん出品されていて、観るだけでウキウキしました。一緒に行った刺繍好きの友人は、不揃いなチクチク縫いに幾分複雑な心境のようで、その気持ちもわからなくはないけれど、完全ではないもの、傾いてたり、どこかにほつれがあるものにも惹かれる私は、解放された。

 美術館やギャラリー訪問の効能は、それに尽きる。解放され、「よし、また新しい気持ちでがんばろう!」と思える事。

 「破り捨てるのも自由だ」

リチャード・バックのこのカゲキな一行に、若い私は同じ解放感を覚えたのだと思う。今も変わらない。


10 Dec 2017



World 3

 このブログを、前の「日々のこと」からずっと読んでくれている親しい友人がいます。PCをされない奥さまに、コピーして渡してくださる方もいる。個展などでは、初めて会う方に「いつも読んでいます」と言って頂くことがあり、驚く。ありがたい。

 始めた頃(2004年だったかな)には、毎日のように書いていました。よくあんなに書くことがあったと思う。たいていは、仕事を終えて、夕方の家事を始める前のスキマ時間に書いていた。書くことで、元気になる。ブログって、自分のために書くものなんだな、と思いました。

 最近は、自分以外のことに多くの時間が費やされて、前回書いたように余裕がなく、ブログばかりか、手書きの日記や覚え書きさえも途絶えがち。でも何かを書きたい気持ちは、いつもある。

 私はとにかく言葉に励まされ、芸術に支えられて生きている人間なので、今まで力をもらってきた言葉や作品がたくさんあるのだから、再びここに書き写し、見つめなおすのはどうだろう。けっして時間の無駄じゃない、と思いました。こういう時だからこそ、とも。

 図書館から借りた本は傍線が引けないので、百読一写に如かず。若い頃はせっせとノートに書き写していたのです。いつ頃からかやめてしまったけれど、今夢中で(のろのろと)読んでいるヴァージニア・ウルフの本は多くが絶版。これも再開すべきことかもしれない。

 世界には、私たちの外にある物質世界 (World 1) と、私たちが目を閉じると意識される主観的世界 (World 2) がある。そのほかに図書館の世界ともいうべき、私たち人類が創造し、発見して積み重ねてきた「知」の世界がある。オーストリア出身のイギリスの哲学者、サー・カール・ポパー(Sir Karl Popper)がその世界を「World 3」と呼んでいたのに因んで「World 3 Note」と名付けた私の読書ノートたち。 

  
  現代の文明が明日にでも滅びて、
  それにもかかわらずすべての書物が無償のまま残ったとすれば
  後世の人たちがわずか数世代で世界を再建することも可能なのだ。


 若い頃に惹かれた言葉は、これからも私を成長させてくれるだろうか。少しずつ、確かめるように、ここに書いてゆけたらと思います。


・・・・・・・◆・・・・・・・

  
 少女の絵は、Victoria & Albert Museum 所蔵の 'A Girl Writing'  という作品。フランスの画家、Sophie Bouteiller Desaux 、別名 Henriette Browne (1829-1901) によるもの。何ものにも代えがたい程、好きな絵です。


2 Dec 2017


やっとこさ

 今日はパンを焼いた。丁寧に作業し、時間をきちんと計って進めてゆけば、ちゃんと美味しいパンが焼ける。そんな当たり前の日常を、あらためて有難く思う。あれ、これって心の余裕? なんかまぶしいな。新鮮だな・・・っていうくらい、家の用事で慌ただしいひと月半を過ごしていました。

 その間の心の拠り所は、尊敬するN子さんからのお手紙(何度も何度も読み返す手紙のお薬)、いつでも電話してください、いつ電話してもいいよと言ってくれる、ケアマネージャーのAさんと妹Y、そして東京と沼津のお教室だった。妹に留守を頼み、物理的に家を離れ、メンバーの皆さんの笑顔や冗談の渦にまみれ(「笑いと集中のミルフィーユ」と私は呼んでいる)、どれだけ気持ちが救われたことでしょう。

 幸い、一大事は徐々に落ち着いて、さて、と家の中を見回す。読まれることなく積まれた新聞、ちっとも調理されないお野菜、返事や処理を待つ手紙や書類、くずれかかった棚のタオル類・・・。あちこちが「もやり」だらけ。これは最近読んだ、伊藤まさこさんの本『家事のニホヘト』で知った、伊藤さんとお仲間の造語です。「滞った空気」とある。


  ふだん目が行き届かなかったり、
  じつは分かっているんだけど見て見ぬふりして、
  やりすごしている場所、
  そこに澱んだ空気が「もやり」です。

 
 よし、少しずつ、気分屋のスローペースなりに・・・だけれど、家の中や庭の「もやり退治」ってものをやってみよう! 一冊の本のおかげで、そんな元気も出てくる。

 今年、ほんのちょっとだけお近づきになれた、山本ふみこさんの本も元気のもと。読ませていただいた中で一番好きな一冊をと言われたら、『片づけたがり』を選びます。どの本も面白いから、何故この一冊?と訊かれてもわからないのですが。

 山本さんのブログを思い出し、久しぶりにページを開く。同い年だけに、「なんで私の考えてることが分かるのだろう・・・」な内容に、またしてもじんと来た。

 旦那様に「つまんないなぁ」と、つぶやいたら、その一言で救われたというお話。私もまた「やんなっちゃうわよ」と、同世代の友人につぶやいてガス抜きしていた。

 これもまた「もやり」なのでしょう。心のもやり。自分のことを放置し、無視して、必要に迫られ今日のことだけを必死にやっていると、置いてけぼりの自分が、陰の方で綿埃だらけになっているのに気づかない。「やんなっちゃう」と言葉にした瞬間、そこにふっと風が送られたような気がしたのです。気持ちがちょっと軽くなった。

 長女気質代表は、この感覚、これからも忘れないようにしよう。




 一大事が始まる前のこと、仕事部屋に新しい机を入れました。途中までの絵が2点。ぼちぼち再開できそうです。






 大きな空も、気持ちを励ましてくれますね。同じスーパーの駐車場から、ひと月ちょっとの時を隔てて撮ったもの。上は葛飾北斎の西の空、下はルネ・マグリットの東の空。
 

8 Nov 2017




バージニア・ウルフに目覚める

 11月に入りました。2017年ももう日没間近ということに、ドキッとします。

 今年うれしかったことと言えば、バージニア・ウルフの『オーランドー』を読み終えられたことがある。

 ずいぶん前に買ったままになっていて、いや、一度読み始めたんだけど、その時はすくってもすくっても、両手の指の隙間から砂がこぼれるように、ぜんぜん心に入ってこなかった。それは「意味」を求めていたからだと、今になってわかる。

 というのも二度目の試みで、物語というものが持つ要素の中の私が最も愛するものが、少ぉしわかってきたから。それは何かといえば、ひたすらディテイルなのです。この奇妙な小説、『オーランドー』に教えてもらった大事なこと。

 白状すると、いつ頃からか小説に妙なコンプレックスを持っていて、読み始めてはやめ、読み始めてはやめを繰り返すうち、もうほとんど随筆しか読まない、読みたくない人になっていました。でもこの本を読んで、子どもの頃のように、本は好きなように読めばいいのだとわかった。絵は好きなように描けばいいのだし、本も好きなものを、好きなように読めばいいのです。「前のページのことなどすっかり忘れながら読んだっていいのよ。」勝手にちゃっかり都合よく、ウルフからそう教えられたような気持ちになっている。

 とはいえ、ストーリーはあるにはある。以前にここでちょっと書いたので内容は省略しますが、今日の写真は小説の舞台、ウルフの恋人であったヴィタ・サックビル・ウェスト(『オーランドー』は彼女への長い長いラブレターであったとも言われている)の生家、ノール城のものを。ずっとずっと前に訪ねた時に撮りました。(まだフィルムのカメラだった。)
 



  『オーランドー』は、特異な人間の生態(?)が、イギリスの貴族社会を背景にリズミカルに描かれた奇想天外物語。これぞ私が読みたかったもの!と読み終えて興奮気味でしたから、続いて手に取った『ダロウェイ夫人』も当然しっくりきた。これまた不思議な物語で、『オーランドー』と同じく、時間と空間の絡み合いが実にスリリングです。そしてやっぱりディテイルの魔力。

 今読んでいるのは、図書館で借りた『フラッシュ』。これはフラッシュという名のコッカスパニエル犬の目から見た、詩人エリザベス・バレット・ブラウニングの日々が描かれているとのことで、それを聞いただけですでに両肩をつかまれた気分。まだ冒頭ですが、ディテイルのハーモニー(や不協和音)が、たまりません。(次に読むのも取り寄せてある。『灯台へ』です。)

 すごく若い頃に、『自分だけの部屋』を読んだけれど、全く覚えていない。きっと当時の自分には難しかったのだ。これもまた再読予定。

 心に様々な波風が立つ日の終わりに、ベッドの中での読書時間は、何よりの慰めでありよろこびです。たとえ数ページでバタンキューでも・・・ 。




23 Oct 2017



果樹の枝

 6月に水彩レッスンを始めたから、今月で早5回目。少人数でなければやる意味がないと思っているので、7~9名のクラスが東京に2つ、沼津に1つ、お集まりいただけて毎回感謝です。

 数人の経験者を除き、ほぼ皆さん初心者でいらっしゃる。筆を持つのは中学生以来という方が、ほとんどです。

 そんな皆さんに私がお伝えしたいのは、アカデミックな作品ではなくて、小さな優しい絵。便りの隅にちょっと描いたり、手製のグリーティングカードに仕立てる。小さな絵を描いてお友達に送ったり、家族に観てもらうことは、生活を明るくしてくれる。いつか自分の好きなものを気楽に描ける、そのステップになるような絵を、自分の作品から選び、手本にしています。

 10月は果樹がいいと思った。プラムの枝です。こんな小さな絵にも、幹の踏ん張りや、実の重さ、質感などが、いくらか表現できていると思います。

 にじみやぼかしは、透明水彩に与えられた特別な個性です。加えていわさきちひろさんの絵もそうであるように、輪郭線を引かずに絵具の「面的な広がりで形を捉える画法」、没骨法(もっこつほう)で描く練習を、今回も続けます。

 今回は没骨法の説明にうってつけな、芸術新潮のいわさきちひろさん特集号を、資料に持ってゆこうと思う。

 朝、ゴミ出しに行ったら、台風に吹かれてイチョウの葉が散っていた。ひとや車に踏まれていないものを幾枚か拾う。あとで描こうと思います。没骨法で。
 

22 Oct 2017



野菜讃歌

 外出から帰ると、愉しみに待っていた本が届いていた。アマゾンの古書店から。庄野潤三先生の随筆集、『野菜讃歌』です。

 いつかは自分のものにしなくてはいけない本だと、ずっと思っていた。調べたら、ダメージの少なさそうな一冊があり、届いてみるとその通り。帯としおりのリボンが少し傷んでいた以外は、ほとんど新品のようです。

 表紙を開くと、元の持ち主のお人柄が伺えるようなおまけが付いていた。

「『本』1998 11月号」

 筆圧にもその方のお心が伝わる、優しい鉛筆の文字が添えられた雑誌の切り抜き。「野菜のよろこび」と題され、先生ご自身がこの新刊について書かれているページが、黄ばみもせず挿まれてあったのです。

 冒頭に収められ、タイトルにもなった随筆「野菜讃歌」の中に、先生曰く「書き落とした」きゅうりとにんじんについて書かれている。また、表紙に使われる玉葱の絵が「先年、90歳で亡くなった宮脇綾子さんのアプリケである。」と、愉しみにされている様子も。見本の仕上がる前の、お原稿であることがわかる。

 庄野先生は表紙について、けっして注文を仰ることのない先生でした。ラフデザインや色校正さえも、チェックすることはないという意味です。すべての作業が終わり発売日少し前に見本ができて編集者さんがご自宅に届ける。その時に初めて表紙、装幀の様子を御覧になるのです。編集者さんと装幀デザイナー、そして私のような絵描きに、全幅の信頼を寄せてくださっている。頭が下がります。

 この『野菜讃歌』のときもそうだったのでしょう。静かな先生の佇まいを思い出し、有難い思いがこみ上げます。




 担当編集者さんとしてお世話になった鈴木力さんから、「ヒロさんの絵と共通したところがあると思います」と教えていただき(恐れ多くも有難きお言葉!)、大丸の美術館に展覧会を観たのはいつだったでしょう。順路の最初の白百合の作品から、ただ涙でした。以来、宮脇綾子さんは、私の最も尊敬する日本の画家です。(あえてアプリケ作家とは言わずに、画家と言いたいのです。)

 あらためて、この一冊が私のものになったことに、何よりのよろこびを感じ、一冊の本の持つ力、手に頂き、活字を追う以外にも存在する、予期せぬ力を思わずにいられない。




 私は最近、以前に増して野菜の絵を描く。日々の生活の中の小さなよろこびを味わうことに忙しいのと、絵を描く時間をなんとかして確保したいと願う気持ちから、野菜を描くことが、いかにも自然な事になってきたのです。

 ご主人のお世話やお教室に忙しかった宮脇綾子さんも、もしかしたらそうだったのではないかと思う。そんな自分にとって庄野先生の文学が、一層の道しるべの灯りとなってくれるに違いないとも思う。




 これは、昨夜の夕飯に作った白和え。高齢の父はやわらかいものを好む。しかも、冷蔵庫の中の「何か」でできる時短おかずでもあります。こんなに理にかなったおかずはないなと思いながら作る。蕪の葉と椎茸を茹でたものに、柿を刻んで色合いよく。同じ黄色のスリップウェアによそいました。



14 Oct 2017





薄れてゆく心情の記憶

 涼しくなってくると、私はがぜん元気が出る。朝窓を開ける。夏と違って薄暗い。ひんやりと引き締まった空気を胸一杯吸う。誰も見ていないのをいいことに、多分私はニタニタしている。

 ルーツに北海道や、富士に近い御殿場があることも、関係しているかもしれない。それと、雪の降った日にこの世に生まれたことや、10月の輝きの後にやってくる長く暗い冬を過ごした、イギリスでの日々の思い出はやはり大きい。




 カズオ・イシグロさんの本は読んだことがないけれど、受賞がきっかけで、その言葉に興味を持った。

 5歳まで育った長崎。薄らいでゆく日本での記憶を、紙に書き記すことで安全に保存したいと思ったこと。「感覚的なこと」を保存したかったということ。

 またそのうち、日本を描く役割を放棄し、普遍的な世界を描く作家として書きたいと強く思ったということ。

 抽象的なスタート。舞台をどこにでも動かせる。選択肢が多すぎて、舞台をどこに設定していいかなかなか決められない。

 小説の価値は、奥深いところにある。どの設定なら、アイデアに息が吹き込まれるか。

 問題の層がいくつもある、異なる世界を作り上げること。人々は異なる世界を欲している。そこに行きたがっている。

 どう感じたかを、その場にいるように人に感じさせられるか。心情を伝えること。分かち合うこと。




以上は、Eテレで再放送されたレクチャー番組を観ながら走り書きした言葉ですが、「小説」を「絵」や「造形作品」にそっくり置き換えることで、脳内に鈴の音がリンリンと、澄んで響いたよい番組だった。

 私の、薄らいでゆく、5年に渡るイギリスでの記憶の存在。自分に決定的な影響を与えたイギリス的な題材を追う時期は、無意識に記憶を保存しよう、保存できると思っていたのかもしれないし、そのような中で、期待される役割に執着できない「心情」もあった。長くもやもやしていた多くのことに、ひとこと「わかるよ」と言ってもらえたような気がしてうれしかった。もちろん自分本位の勝手な解釈。

 薄れてゆく記憶を、安全な形で保存する。薄れてゆく心情の記憶・・・。薄れてゆくけれど、ふとしたはずみに、突然よみがえる強い感覚。

 イシグロさんの本、読んでみたいと思いました。

 写真は、先日東京からの友人を誘いドライブした御殿場。とらや工房と旧岸邸にて。御殿場は、祖父が生まれ育ち、仕事をし、眠っている土地です。

30 Sept 2017




East meets West

 何かに偏るということに不安があるのか、西洋どっぷりにも、東洋どっぷりにもなれない。その代わり、両方がミックスした表現やデザインには、無性に惹かれます。

 10月の Hiro's Art Class、コラージュのレッスンでは、アジアの紙に華やかな木版プリントが施された紙を使い、ちょっと折り紙のような要領で、ワンピースのガーランドを作ります。

 リバティプリントやモリスのデザインを見てもわかるように、西洋の意匠には、東洋やイスラム文化からの影響がいっぱい。それが不思議と、西洋の形態にしっくりマッチしています。今回はその不思議を、自ら実体験していただきたいと思っているのです。

 東京、沼津とも、お席に若干の余裕がございます。単発レッスンもお受けしていますので、遠慮なくご連絡ください。

 あんまり美しい紙なので、おひとりでも多くの方が、この紙に触ってくれたらなあと思う。私のレッスンでは基本的に、同じ内容を二度繰り返しません。なので、ご興味があったらぜひ!

 な~んて、なんだか選挙運動みたいな調子になってきました(失礼)。

 Lesson のページにもUPしましたので、ご参加の方はご覧くださいませ。


7 Sept 2017




掃除のハナシ

 昨日は、市の健康診断に出掛けました。私はこういうことにまったくマメではなかった。でもやはり、自治体が提供してくれる検査ぐらいは受けておかないといけない。それ相応の年齢になり、やっと自覚したところです。

 駐車場は一杯だったけれど、会場は満員と言う風ではない。意外でした。多くの皆さんは医療機関で、またはお勤め先の検査で、行っているのかな。

 わりに早く済み、午前中に届くものがあったのですぐに帰宅。何かと言いますと、ジャーン! コレです。↓ 




 スティック掃除機。

 お忙しく自宅で仕事をされているある方と、「掃除機をかけるのが面倒」という話になった。大きな掃除機をかけるのは週に一度くらいにして、毎日の掃除にはハンディ掃除機があればいいんじゃないかと仰る。なるほど、それはいいアイデアだと思いました。

 数年前までは、毎朝必ず掃除機をかけていた。それがいつの間にか億劫になり、数日おきに。色々理由はあると思うけれど、年齢とともにひとつの仕事を終えるのに要する時間が微妙に長くなっている。なら!と急げば、足の指をどこかにぶつけて骨折したりする。(一昨年の夏、それを二度もやりました。)掃除機を取り出すのも面倒。ホースをつないだり、コードを伸ばすのも、コードをしまうのも面倒。ま、一言で言って、ナマケモノ化している。

 ハンディ掃除機が欲しいのだと別の人に話したら、それはその方の家にもあるけれど、いつの間にか誰も使わず埃をかぶっていると言う。え、そうなの? そういう、ぶら下がり健康機みたいな末路のものなの?

 迷う。使わないものは、どんなにささやかなものでも、これ以上増やしたくない。

 でも毎日掃除できないストレス、というと大げさだけれど、床のごみや埃を見ると、こんな生活は、やっぱりやだなと思う。箒というテも考えた。(一本、使いやすいのを持っている。)埃が舞わないように、新聞紙を濡らしてちぎって・・・という昭和作戦もアリかなとは思ったけれど、あまり気が進まない。

 そんな時に読んだのが、この間もここで紹介した、有元葉子さんの「使いきる。」でした。有元さんは、このマキタの機種の「通販生活」バージョンを活用されているとあった。これがあれば、気付いた時にパッとゴミを吸い込める。日課に掃除の時間を設ける必要がないと。

 掃除の時間を作らなくていいなんて! 目からウロコがはらはらと落ちました。ちょうど某ポイントがたまっていた。ラッキー。タイミングよく自分へのプレゼントとなった次第です。

 


 早速使ってみる。軽い。私が手に入れたのは、ちょうど1キロの重さのもの。階段も全く苦になりませんし、ヘッドの小ささも便利。なにより引っ掛かって転びそうなコードがないのがいい。

 充電にちょっと時間がかかる(3時間)けれど、普通の掃除なら23分、強で12分、パワフルで8分。ちょっと短いんじゃない、とお思いでしょう? でもやってみると、小さな部屋たちをちょこちょこ掃除するには充分でした。

 そもそも掃除に時間を掛けたくないからコレを手に入れたのだ。ウルトラマンの胸のランプみたいに、時間内に仕事をする励ましになるかもしれない。

 他メーカーも色々出しているけれど、マキタのはお値段も手ごろでアイボリー一色のシンプルさが気に入りました。

 冷蔵庫と食器棚の間の隙間に立て掛けて、いつでもスタンバイ。この可愛い子を使いたくて、どこかにゴミは落ちてないかな~と、キョロキョロしている自分。コラージュ仕事の後の机周りでもよい仕事をしてくれそうな、正式名、「makita の充電式クリーナ」ちゃんなのでした。

22 Aug 2017



「花より花らしく」

 好きな本のタイトルです。しばらく手に取っていなかった。画家の三岸節子さんのこの本のことを思い出したのは、水彩クラスのHさんが、うれしいことを仰ってくださったから。

 8月のレッスン課題は、上のゼラニウムの花とジョウロの絵なのですが、「ゼラニウムの花がとてもシンプルに単純化されている(のに、ゼラニウムとわかる!)」。それを「単純化の素敵さ」とメールに書いてくださいました。

 対象が、その物以上にその物らしく見えたらと念じながら描きます。難しい。それはインスタグラムに投稿する写真も同じで、今自分が見ている美しさそのものを、どうやったら少しでも人に伝えられるだろう、と試行しています。世界中の人々がそこに命を燃やしている・・・と言ったら大げさかな。でも、毎日観ていて飽きないのは、それぞれ、ひとりひとりの生命が、あの小さな四角の中で黄色いの赤いの青いの、様々な炎や灯りとなって燃えているのがわかるからだと思う。




 花より花らしく。自分より自分らしく。自分らしくない絵は描けないし、自分の好まない道は歩けない。刻々と選択しながら、自分に出来ることをしてゆく。そうすることで、無駄がそぎ落とされてゆく。

 三岸さんは本の中でこう言う。

 「一本の線でも強靭な、切っても切れない線を描けるまでになりたいものです。」




 ロンドンに暮らすことになった時、二番目の下宿(友人の家)の部屋の外に鉢植えがあった。ガラス越し、アイビーとブラックベリーの生垣を背に毎日見ていたゼラニウムは、懐かしい花です。

 小さな庭に去年二株植えたところ、丈夫で冬でも枯れないどころか花開くこともあるし、温かくなれば堰を切ったように次々咲かす。春先に一度毛虫にやられかけたものの、ほどなくフッカツ。この暑さや湿度や大雨も、ものともしない。それでいて愛らしい。




 今年はセンテッド・ゼラニウムにも目覚め、なん株か植えました。これまたどれも元気。花瓶に生けるときには、この葉を添えるとよい香りがし一層幸福な気持ちになります。

 明日と明後日は、東京の水彩クラスです。さっきデモンストレーションのリハーサルをしました。ポイントをうまく伝えられるといいなと思います。ご参加の皆さま、よろしくお願いします。 

15 Aug 2017




ことば

 先日の「クローズアップ現代プラス」は、よい内容だった。子どもたちと一緒に世界中で起こっている、紛争や戦争について、テロについて、考えるという企画で、人気子役の子どもたちによる、美輪明宏さん、池上彰さんたち大人との対談を、興味深く観ました。

 美輪さんの戦争体験、被爆体験。「そこから得たものはなにか」と問う子どもに、「反骨精神」と言い切る美輪さんの姿には胸打たれた。

 難民として、文字通り必死の思いで国を出た子どもたちの描いた絵。それをアニメーションにした映像は、意味ある試み。↑にリンクした番組のサイトで観られます。

 シリア難民の15歳の少女の言葉を思わずメモした。


  「私は絵を描くことが好き。希望も悲しみも、絵に込められるから」


 過去の戦争のこと。この季節は特別によくよく思いを馳せ、特集番組を観て、直視に堪えないひどい出来事に向き合う。体験した人の苦しみは、ひ弱な自分がいくら頭に描いてもしきれない、想像を絶するものであるのだから。

 近年、私たちの親の世代が、これまで誰にも言えずにいた酷い体験について語り始めています。自らの老い、今語らねばと言う思いと、他にも様々な思いに突き動かされてではないでしょうか。そのような貴重な証言を含む番組が、今日もオンエアされていた。

 翻訳家で東大名誉教授の柴田元幸さんが、こんな本を出されている。




 日本国憲法制定時に、外国の国々へ向けて英訳された平和憲法。それを、また日本語へと柴田さんが翻訳なさった本です。社会の授業で教えられたものとは言葉づかいが違います。身近で平易な文体となっている。名翻訳家の手によって、内容のニュアンスもよく伝わる。木村草太さんが監修しています。朗読CDも付いています。

 ご興味のある方もおいでかと、紹介したく思いました。今日のこの日に。祈りとともに。




 もう一冊、最近読んだよい本。料理家の有元葉子さんの『使いきる。』と言う本。

 このキッチンミトンは、もう何年もこんな風に繕いながら愛用しています。有元さんのようにおしゃれな方も道具を繕って使われているのだと知り、身近に感じて嬉しかったし、「台所には、台が必要」との一文に刺激され、活用されていなかったミニワゴンをプチ改造したりしました。これは本当に、あると便利です。




 副題の「整理術」と言う言葉に引かれて図書館で借りたのですが、終わりに近づくにつれ、食材や道具を使いきることに限らない、有元さんの深い思いが伝わってきます。

 必要な言葉とは不思議なもので、数珠をつなぐように、続けて目の前に現れることがありますね。昨夜の日曜美術館は魯山人が特集でしたが、ゲストの樹木希林さんの言葉がよかった。


  「持って生まれたほころびを、繕いながら生きている」


 これからこれを私のマントラにしたいくらい。有元さんの本に教わった「使いきる」にぴったりと重なり、番組を観ることができた偶然に感謝しています。

2 Aug 2017




センチメンタル

 父が乗っていた古い、白髪のお爺さんのようなカローラを、この4年半、運転していた。マメに点検に出し、出掛ける前には雑巾でキュッキュッと拭いてあげて、IKEA で買った丸いシートをちょこんとアクセントに置いたりして、一頭の象を飼っているような気持ちで頼りにしていた。

 父の通院の付き添い、近隣で開催の個展やグループ展の搬入搬出、weekend books さん通い、たまには伊豆や箱根くらいまでのドライブに、遊びに来てくれた友人たちの案内など、出不精になりがちな私に、行動範囲と活気を与えてくれた。

 この「カローラ・キング」(好きなキャロル・キングにかけて、そう呼んでいました)、致命傷はないからまだ運転しようと思えばできるんですが、さすがに細かい不具合が起こってきて、修理を選ばず、とうとう別の車に乗り換えることになったのです。

 53歳の終わりから教習所に通い、ガリ勉(?)の甲斐あって54歳ちょうどで免許を持った。車との別れに免疫がない。無器用な運転によく付き合って、私や家族を守ってくれたキングは、この後どうなるのだろう。スクラップだろうか。または船でどこかの遠い国に運ばれて、土埃の中、まだまだがんばるのだろうか。

 車庫入れは4年半たった今も苦手。窓から首を出さないとできません。上の写真は違うけど、初めのうちは、某駐車場で父から猛特訓の日々が続いた。目的地に着くと同時に、膝がへなへな崩れてしまうくらい緊張して運転していました。

 前に村上春樹さんが、自分の英会話の力を量るひとつの方法について書かれていた。経験者は知る、ですが、電話で英語を話すのってほんっとに難しいのです。その時、前もって単語やフレーズなどを調べてからかけるのではまだ甘くて、いちかばちかで下準備なしにかけられたら合格点だと。説得力のある、なるほどのたとえ。

 それと同じに、やっと最近です、乗る前の妙な緊張や、バカ丁寧な道順確認が無くなってきたのは。バッグをポンと後部座席に置いて、すっと車に乗り込める。これも従順に仕えてくれた灰色の象、このカローラ・キングのおかげなのだ。
 



 さっきスーパーに最後のドライブ。ありがとう、と言いながらエンジンをかけ、お疲れさまと言いながらエンジンを切った。

 「人生に出会いと別れはつきもの」・・・などという陳腐な言い回しはしないのであ~る(ちかえもん、懐かしいな)。がしかし、年増の新人ドライバーに「いい気にならない」という大事なことを教えてくれたこの地味な車に、お別れを言うのがひどく寂しい。

 明日からいきなり、鮮やかな色の車になりますが(みんなが似合う、似合いそう、と言ってくれて、さっそくいい気になってる?かも。いかんいかん)、調子に乗らず、偉大なるキングの教えを胸に、もうしばらく安全ご近所運転に励もうと思います。

30 Jul 2017





台所

 ついつい台所の写真ばかり撮ってしまいます。それより自分の仕事や制作に関することを、もっと撮ったらいいのに。そのつもりでインスタグラムを始めたのに、なかなかそうならない。

 質素な台所で、ありきたりの材料で、きまぐれに料理する。無器用で、一度に一つのものをマイペースでしか作れない。たぶん料理家にはなれません。

 実は3年前に軽く体調を崩しかけ、以来揚げ物などの脂っぽいもの、乳製品、卵などを、ゼッタイではないけれど、なるべく摂らないようになりました。ケーキや焼き菓子もモノによっては負担なので控える。お酒は関係ないとドクターに言われたものの、食べるものが簡素になるにつれ、自然と嗜好が縮小。加えてプチ介護もありますから、それまでに比べ、何が面白くて生きているのかと問われそうな食生活です。でもどんなときにも、日々の炊事にはそれなりの発見があるものです。

 お酒と言えばこの間、みうらじゅんさんが、「最近お酒が好きじゃないことが判明して」と朝日の記事で語られていて、お、いいコト言いますね、と思った。でも甘いものは飲みたい。だから燗酒でと仰っていて、なんだ結局好きなんじゃないかと思いましたが、実はそこも共感で、甘いリキュールを炭酸でうーーんと薄めたジュース的食前酒がマイブームです(たしか「マイブーム」もみうらさんの造語)。そんなこんなのお年頃、ってことなのでしょうね。今日も、ラブリーな瓶の「蜜柑酒」というのを初購入。

 脱線しました。とにかく身体のことを考えることは、台所仕事の地平を狭めない。深くする。今までため込んできた知恵(?)を結集。にわかにオリジナル度がアップしてゆく。

 たとえば、上の写真のハム。茅乃舎レシピで作り始めたものですが、とっても簡単なのに、買ったものとは違うマイルドな美味しさで気に入っています。以下、受け売り。

 鶏むね肉300gに、茅乃舎のだし一袋(袋を破って)とお砂糖大さじ1、お塩大さじ1、粉山椒適量を混ぜたものを、まんべんなくまぶしつけます。水が出るので深さのあるお皿に入れラップをして冷蔵庫に一晩。翌日さっと洗い、沸騰まであとちょっとの鍋のお湯に入れて、沸騰したら中火。1分半ほど茹でます。(私は倍の分量で作るので、もうちょっと茹でる。)蓋をして、冷めるまで放っておく。で、出来上がりです。なるべく冷めにくい、分厚いお鍋で作るのがいいみたいです。

 昨夜漬け込んだのは、山椒を使うところを花椒にしてみた。ハーブミックスも加えた。あとで茹で上げます。愉しみです。

 台所は愉しいのに、作るのは面倒。そんな日も正直結構あります。どうするか・・・。解決のおまじないは「ゆっくり、ゆっくり~」。作らなくちゃ、って気分で急ぐから、やる前からプレッシャーがかかりつまらなくなるのだと、これまた「判明」したのです。

 まずは腰を下ろす。誰も見ていなくても、「作ろう」という気配さえなしに腰掛けるのがコツ。冷蔵庫にあるもの、戸棚の中の乾物、缶詰、冷凍食品、レトルト、手持ちのものをそこはかとなく思い浮かべる。

「いそがない、いそがない。ひとやすみ、ひとやすみ。」

 賞味期限の来そうなもの、あれとこれなら相性いいかも、とか、案外すぐにイメージが固まってくる。たしか料理ファイルになにかあったな・・・とパラパラする。

 で、おもむろにエプロンを掛け、冷蔵庫を開け、とうとう何か素敵なお料理を作り出すのか・・・と思えば、土井善晴さん提唱の一汁一菜、具だくさんのお味噌汁だったりするので我ながらズッコケるのですが、その頃には小皿にお漬物や作り置きおかず類を並べるのさえ、ウキウキしているという寸法。

 思えば絵を描いたり作品を作る時も、こんな感じです。自分の力をあんまり信じていない。なんとはなしに自分を通して出来上がるものが見たい。そこにワクワクしたい。だから心して、無理な力が働かないように気を付けています。


 

22 Jul 2017




水彩クラスのお知らせ

 「このお洋服とこのお洋服は仲よし?」が、幼い私の口癖だったらしい。ブラウスとスカート、ソックス、靴、髪飾り、子どもなりに、しかも少ない衣類の中から着るものの組み合わせを考えることは、将来絵を描くことを仕事にする自分の、スタート地点だったかもしれないなぁと、今になって思います。

 この夏、私は白いシャツをよく着ている。あちこちから風が通るようなたっぷりしたもので、同じデザインが3枚。ボタンを付け替えたり、アクセサリーやスカーフで変化をつけ、組み合わせるボトムスとの相性を愉しんでいます。

白はどんな色とも仲がいい。すべての色の正確な個性をこちらに差し出してくれる。人の話を聴くのが上手な人みたいに、個性と個性のバランスを取り、響き合いのステージになってくれる。

 だから机の上は、なるべく白っぽくして、自分が今、なにを描いているか、なにを作っているかの「見晴らし」がきくようにしています。

 


 7月の水彩クラスでは、ベリーのリースを描いてみます。


 

 ご覧のように、英・Country Living のある年の July issue、7月号のために描いた作品をお手本に、グリーティングカードやラベルにも応用できる絵柄を練習したいと思います。

 前回のダリアで、面を塗る練習をしました。今回は線と点。細かい図柄ですが、お道具の筆は穂がそろっていてコシがありますから、コツさえつかめば大丈夫。ただし虫眼鏡、必携でお願いします!

面が描けて、線と点が打てるようになったら、これから様々なバリエーションへ向かっていくことができます。

 東京、明日館での水彩クラス、8月は2回、23日に加えて24日にも行ないます。23日(水)は満席ですが、24日(木)はまだ余裕があります。

 9月は27日(水)の1回のみですが、10月から有難いことに毎月2回ずつ行うことが可能に! 第4木曜日にもお教室が借りられることになったのです。

 スケジュールは lesson のページをご覧ください。基本、第4水曜日と第4木曜日ですが、まれに明日館のスケジュールの都合などで、前後の週になる場合があります。水彩はなるべく少人数で、集中して行いたい。ほっとしました。

 と同時に、沼津クラスでもご要望を頂き、9月から、今までと同じ日程(第3木曜日)の午前中を、水彩クラスとすることになりました。水彩のみ、コラージュのみでの受講も、お席のある限りは可能です。これについても lesson ページに更新いたしましたので、ご覧ください。

 今まで月に2回だったレッスン日が4回になるということで、私もとても愉しみです。張り切って企画を考えてまいりますね。新しい HAC と HIC、どうぞよろしくお願いします♪

30 Jun 2017



捨てるべきか、捨てぬべきか

 7月のコラージュクラスの準備中です。今年はファッションをテーマに制作をしています。今月は梅雨の鬱陶しさを少し爽やかにと思って、白をベースにした作品。「貝殻をドレスに見立てる」というのをやってみます。

 素材をあれこれ引っ張り出して、組み合わせながら考えていくのですが、以前買ってあったフレンチヴィンテージの布コードが使えそう。色がとにかくきれいだったので、いくつか求めたものです。

 このように、買ったことさえ忘れているような何かに、突然光が当たる瞬間は特別な気持ちになる。もっと言えば、いかにも役に立たないもの、誰も顧みないようなつまらない何かが、作品の中で生き生きと生まれ変わること。そのことこそが、私がコラージュやミクストメディア作品を愛する理由のひとつだと思うんです。

 そんなことを考えるとき思い出すのが、アップリケ作家の宮脇綾子さんの言葉です。


   どんな小さい端切れも
   捨てられないのでしまっておくと
   必ず役に立つ。


 京都の朝市で買った布、屑屋のおばあさんと仲良しになって譲ってもらった布、高山や近在のお百姓さんからいただいた布、タンスや行李いっぱいに、無地、更紗、レース、藍、縞などに区分した布をためておられたそうです。


   例えば畳の縁のびりびりになった端切れでも
   同じように大切な布なのだ。


 お姑さんからの「3年たえれば、用にたつぞよ」という教え。


   どんな端切れでも3年しまっておくと、
   いずれ何かの役に立つことを、
   名古屋弁でそういうのだ。


 断捨離や整理術の達人は、よくこの正反対のことを言います。使わなかったら、トキメカナカッタラ、潔く捨てましょう、と。使わないもの専用の棚があって、一年後、二年後、流れ作業のように手際よく、鮮やかに廃棄していく術をTVで見たこともある。

 もちろんそうすべきものがあるのは分かっていますが、少なくとも作品のための材料については、宮脇さんのお姑さんの言葉が、ストンと胸に落ちます。

 3年しまっておく。3年たつ間には、自分も周囲も変化をする。物の見方が変わってゆく。ということは、自分にとっての、その物の価値も変わるものなのだ。

 「3年たえれば、用にたつぞよ」。この言葉に、ひとの成長をゆったりと見守る、延いては自分の消えた後も、この世界を広げる見えない力を信じるような、あたたかな温もりを感じるのです。

 使い捨ての消費社会に生きている自分を否定はできないけれど、ものをいとおしく思う気持ちが、私たちに勇気や元気や自信を与えてくれている。そのことを、今まで以上に思うこの頃です。

19 Jun 2017



きっちり足に合った靴

 先月の末から私にしては家を出たり入ったりが多く、来客や工事や修理も少しあり、遅れ遅れの仕事になかなか手が付けられず・・・。

 しかし自己嫌悪に陥るヒマもなく、昨日はコラージュクラスが東京であって、今月のお題「ジュエリー」も皆さんに愉快に受け入れていただけたことに、ただただほっとしています。ご参加、ありがとうございました。

 今月は思うところあり、課題作品をここにもSNSにもUPしないことにした。ご覧頂けずにちょっと残念なんですが、本当に皆さんご自分を解放されて、素晴らしいフォトコラージュを作られました。ファッションに関わる事なら、私たちは肩に力を入れる必要がないのです。

 女性にとって身に着けるものの重要なことと言ったら。これはもしかして多くの男性に、本当には理解不能なことかも・・・と、人生こんなに経ってからフムフムだったのは、少し前から夢中の作家、ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』のなかの一節を読んで。

 散文様の架空の伝記、とでもいいましょうか。この奇想天外な小説の中で、主人公のオーランドーは、なんと男性から女性に換わっちゃう。時代も何百年とすっ飛んじゃう。読みながら違和感が全く起こらないほど、余りに自然にその変化が訪れるのがまた不思議なんですが、考えたら小説自体が、ストーリーの流れより事象の美しさを味わわざるを得ないような、それこそ宝石のモザイクみたいな構成なので、ページが進んでそういうことが起こる頃には、読者はその世界にいくらか親しんでしまっているのでしょうね。

 オーランドーが男性から女性に換わったときに自らひどく驚くのが、洋服についてだった。ただ好みのためだけに、一日に何度となく着替える自分に、ついこの間まで男性だったオーランドーは客観的にビックリするのです。

 1月に、三島のさんしんギャラリー「善」での展覧会でお目にかかった、染色家の小川良子さんもそう仰っていた。桜で染めた素敵なお着物姿の小川さんでしたから、会話が着るものについて及んだのだと思う。庭仕事などしていて、もし首に巻いたスカーフでもなんでも、「ちょっと違うな」と感じたら、すぐに取り換えずにはいられない、と仰っていた。

 私も同じく。毎朝、外出してもしなくても、(私なりに)真剣になって何を着るかを選び、一日をスタートします。衣類が、アクセサリーが、自分を見えない力で守ってくれている。そんなおまじないのような思いがあるのでしょうか。

 着心地のいい衣類、身につけて安堵するアクセサリー、必要なものが全部収まるバッグ、自分に自分らしさを与えてくれる眼鏡や帽子。そして・・・


    きっちり足に合った靴さえあれば、
    じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
    そう心のどこかで思いつづけ、
    完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、
    私はこれまで生きてきたような気がする。


 これは、須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』の冒頭。

 トップに掲げた写真で私が履いているのは、一番好きな靴です。もう30年も前に、旅行で行ったロンドン、スローンスクエアで求めたスペインの靴。靴紐を表す、'Shoelaces' という言葉さえまだ知らず、お店の女の子に教えてもらった思い出がある。バックスキンの薄い革がやわらかい。いつのまにか私のオカシナ足型に添うような形に変形している。幾度も修理し、手入れしながら、今も現役。足がとても華奢に見えるのは、先端がトゥシューズみたいな形だから。

 和服が長持ちするのはわかっていますが、靴だって洋服だって、決して引けを取らないことに、私くらいの年齢になると突然気付きます。スカートもブラウスも、大事に着れば、おばあさんになっても着れるような気がしてくるんです。そう思って着るものを選ぶようになったワリに、このところジーンズが大好きなので、このヒロおばあさんは、どうやらジーンズを一生履く気らしい。

 須賀さんの『ユルスナールの靴』。おしまいの靴の話も、静かに胸にしみ込みます。




2 Jun 2017



水彩クラス

 とりいそぎ、お知らせです。先日来、ご案内しておりました、明日館で新たに始める水彩クラスのお席が満席となりました。お申込み、ありがとうございました!

 第一回の課題は、このダリアの絵を考えています。

 水彩にご興味をお持ちくださる方が、思った以上にいらっしゃることに喜んでいます。水彩は小学生の頃最初に手にする本格的な画材です。その分、根強いコンプレックスが知らない間にしみ込んでしまって、興味はあってもなかなか再開できずに来た方もおられると思う。

 私の描き方は、ちょっと違いますからご安心ください。まったく新しい試みを始めるつもりでお教室にいらしていただけたらと思います。

 何回参加しなくちゃいけないという決まりはありませんが、なるべく継続してご参加いただきたいです。絵を描くことには、スポーツと同じようなところがあるからです。

 キャンセル待ちは常にお受けいたします。お気軽にお問い合わせいただけましたらうれしいです。 

27 May 2017



新しいレッスン

 先週の日曜日は、明日館のクラスがありました。お教室を始めて満11歳。おかげさまでこの夏、12年目に入ります。

 この日は桜に続くバラの花で、明日館の前庭はご覧の通り。毎年訪れるこの至福の季節に感謝しながら、胸いっぱいにピンクの空気を吸い込みました。私たちのレッスンはいつも日曜日だから、ほぼ毎回ウェディングの風景を目にしますが、その華やぎのシーンが一層胸にしみる季節でもあります。

 


 今まで月に一度のペースを守ってコツコツ進んできた HAC (Hiro's Art Class) ですが、実はこの6月から新しいクラスを始めることになりました。水彩だけを行なうレッスンです。

 今まで通り午前から午後の、その日のうちに完成するコラージュと水彩のミクストメディアレッスンを継続しながら、もうひとつ、午前の2時間、水彩だけに集中するレッスンを設けたのです。

 水彩をお教えしたい気持ちはずっとずっとあって、でもコラージュも愉しいし、企画を先延ばしにしてきたんですが、そんなことしていたらいつまでたっても実現できないことに気付き、明日館のスタッフのFさんに相談してみました。すると幸運にも第4水曜日の午前のお教室が「水彩なら水曜日でしょう」とばかりにずっと空いていた。これはもうやらなくちゃ! 運命の糸(?)を感じた途端、私の重い腰はアレレ、旅に出るビルボ・バギンズさながらに速攻で持ち上がるのでしたー!(説明くどくて、ゴメンナサイ。)

 その名も Hiro's Illustration Class。略して HIC。

 余談ですが、今までHACといえば、静岡・神奈川地区では某薬局チェーン店の名前として有名だったんですけど、なんと近年の合併で名称が変わり、もはや HAC ではなくなった様子。なんとなく肩身の狭さを感じながら HAC、HAC と使わせてもらっていたのが、これからは胸を張って「ハックです!」と言えそうです。

 ハックとヒック。「鏡の国のアリス」に登場する、双子のトゥイードル・ディーとトゥイードル・ダムみたい。なんだかいいカンジ・・・。

 ・・・と始まる前からそんなことで悦に入ってないで、生徒さんにお集まりいただく努力をしないといけません。
 



 レッスンの内容は、私が11年にわたってイギリスの雑誌「COUNTRY LIVING」に描いていた小さなイラストレーション。これをお手本に、水彩ってこんなことができるんですよ、というテクニックをお伝えしたいと思っています。

 私のイラストレーションは、対象を単純化することがまず大事な要素で、ひとつひとつの絵に複雑さはありません。刺繍デザイナーの青木和子さんとお話していて、「そこまで行くのがタイヘンなのよね」と仰っていただいたのが忘れられない。そこが青木さんのお仕事との共通点なのだとわかり、先輩からの温かい励ましがありがたかった。

 単純化しながら、対象の「らしさ」を表すこと。本物より一層本物らしくなるように・・・。

 「そこまで行った絵」のすべてには、試行錯誤の後にわかった「描き順」があります。水彩の難しさは、濃い色の上に淡い色を載せられないこと。思った絵に仕上げるには、描く手順がとても大事なんです。

 色の作り方、息遣いのようなものもお伝えしたいので、個人レッスンに近い試みもしたいと思っています。ですので定員は11名と少なくしました。そして水彩はこう見えてエネルギーを使います。人間、集中できる時間は短い。なので2時間。宿題を出させていただき、次回に講評もいたします。

 だらだらと書いてきた内容をまとめますと・・・

  レッスン名称: Hiro's Illustration Class (HIC)
  内容: 季節にちなんだ小さな水彩画の制作(宿題あり)
  日時: 毎月第4水曜日 10:30~12:30
  会場: 自由学園明日館 小教室マニャーナ
  受講費: 3回で13,500円(資料の精細プリント画を含む)
  定員: 11名
  ※画材をお持ちでない方は、講師おススメのものを事前にご注文いただきます。

 コラージュクラスと違い、可能な限り毎月のご参加をおすすめします。継続して練習することで、どんどん世界が広がってゆきますから。
 
 のちほど、Lesson のページにあらためて詳細をUPいたしますね。第一回は6月28日です。お手紙や葉書きの隅にちょっと小さな絵を描きたい・・・。そんなお気持ちをもし持たれたら、ぜひ! お気軽にお問い合わせください。




 こちらは、5月のレッスンでの生徒さんの作品より。バリエーション豊かに、様々なドレスが生まれました。外のバラにも助けられたでしょうか。愉しいレッスンでした。中央はおまけ。余った素材から作る、グリーティングカードのアイデアです。

 コラージュと水彩のミクストメディアレッスンも、引き続き愉しいアイデアを、絞っては披露、絞っては披露、してまいります。こちらもどうぞ、よろしくお願いします! (6月のHACはジュエリーがテーマです♪)