19 Mar 2016



クートラス

 先週の土曜日、クレマチスの丘、ビュッフェ美術館にロベール・クートラスの展覧会を観た。この日は8月30日まで続く会期の初日で、『クートラスの思い出』の著者であり、画家の最後の恋人であった岸真理子・モリアさんと、晩年の親友、画家の橋場信夫さん、文筆家の佐伯誠さんの貴重なトークショーがあって、早くから予約し愉しみにしていた。

 クートラスを知ったのは、銀座にあったギャラリー無境さんがきっかけ。沼津の和助さんを教えてくださった、故・塚田晴可さんのギャラリーです。機会に恵まれず結局作品展は観られずじまいだったけれど、頂いた案内状はずっと仕事部屋の壁に。机に向かう私の背中を見下している。それは、小さな頭部の彫刻の写真で、その後、あれは芸術新潮だったか、雑誌でもクートラスを目にし、また岸真理子さんのこの本も手元に。目利きの宮下さんから切抜きなどを頂戴したりして、その作品を多く知らないくせに、いつも心のどこかにクートラスの存在があったと思う。

 作品展がこんな近くで開催されるなんて、夢のようにも思える。静かなときめきとともに、ものすごい数のカルト(カード)作品を、とうとうこの目で観ることが叶った。たっぷり時間を取って出掛けたうえに、ランチも取らず作品の前を行きつ戻りつしながら、クートラスの宇宙に全身浸った。

 そして午後、クレマチスの丘ホールで開かれたトークショーがまた素晴らしかった。作家の堀江敏幸さんが「あたたかい気の塊のような人」と表現された理由が一瞬にしてわかる、素適なチャーミングなナチュラルな岸真理子さんだった。

 以下はノートした覚書の一部。



「縁の集積」という皆川明さんの言葉。

「何を見ても何かにつながっている」というヘミングウェイの言葉。

クートラスが静物画に描かれたリンゴをじっと見ていると、リンゴに血が通っているように見えてくる。

クートラスは窓辺に来る鳩と会話する。
 
真理子が水を持って来てくれるから大丈夫、という夢を見た。(クートラス)

私が何かを探しているという姿勢への共感から、クートラスは作品を私に遺したのだと思う。

「手で作る」ということが彼の人生だった。

同時に自分の人生を作る。

(クートラスと居ることで)幸せっていう風な概念からはずれることができた。必ずしも幸せでなくてもいい。幸せって、考えてるようなものじゃない。愛と言うものも、考えてるようなものじゃない。

作った人が全身込めたものは、作品自身が歩いていく。自分はじゃまだな、と思う。諦めた時、作品が転がり始めた。



 会場を出ての後、まだ興奮冷めやらぬ私でしたが、ショップの前で運よく真理子さんと橋場さんにお会いできた。感動を伝えると、吸っていた煙草を急いで消そうとされる。ご著書にサインをお願いしたら、「字が下手なの」と仰りながら笑顔で快く応えてくださった。その有難い数分が、まだ残像です。

 もうひとつ有難かったのは、やはり無境さんで個展を開かれていた阪口鶴代さんともお目にかかり、お話が出来たことです。阪口さんは岩絵の具で、エネルギーを湛えた静謐な抽象の世界を描かれている画家。伊豆にアトリエを持ち制作なさっています。ファンでしたので、この幸運、本当にうれしかった。短い会話の中に絵を描くことへのひたむきな情熱を感じ、少なくないエネルギーを頂いた。

 とてもまっすぐには帰れず、こんな話を喜んで聞いて下さる weekend books さんに寄らせて頂く。話が弾み、美和子さんから、同じくクートラス展にちなんで7月に開かれる、中村好文さんと皆川明さんのトークショーに誘ってもらった。

 縁の集積。

 何を見ても、何かにつながっている。