18 Mar 2019




ひびいてゆこう


 おおぞらを
 びんびんと ひびいてゆこう
             
             八木重吉

 
 昨日の明日館のクラスのあと、若い頃に読んだこの詩をふっと思い出した。毎回自分が愛する芸術と芸術家を紹介するレッスンが続いている。3月は、もう40年くらいず-っと好きなフランスの前衛作家、ニキ・ド・サンファルを紹介しました。




 その昔、東京の上野駅前、古いビルの一室に「スペース・ニキ」というギャラリーがあった。そこを美大時代の友人と訪ねた日の記憶は、もう古いことで「鮮明に」というわけにはいかないけれど、この先も忘れることはないだろう。狭いスペースに、ニキのコレクターで、おそらくはパトロンでもあったオーナーの増田静江さんの集めたニキの作品がいくつかあって、ニキの作った映画「ダディ」の上映を観た。

 その後、滞在したロンドンで情報誌にみつけたニキの展覧会は、地図を頼りに訪ねた。冷たい雨の日だった。その時に手に入れたカタログが上の写真の左上の二冊。もう結構ボロボロ。

 増田さんが手がけた那須の美術館にも一度行ったことがある。素晴らしい美術館だったのに、今はもうない。ニキも増田静江さんも、もうこの世界にいない。

 それから年月が経ち、数年前、六本木の新国立美術館で、大規模な展覧会を観ることができたのはうれしかったな。射撃の写真は、そのときのカタログの裏表紙です。

 ニキの作品に接するたびに、圧倒的な迫力にぐいぐい吸引されながら、いくら惹かれても理解し切れないことの矛盾、抵抗。その引っ張り合いの面白さを学ぶような気がする。

 教室にご参加の皆さんには私の好きな芸術の数々を、また私がそれらの芸術作品から日々受け取っているパワーを、お伝えしたい。芸術とは高尚なものではなく、日常に生きる知恵。世界をどう解釈していいのかわからないとき、ヒントを与えてくれる知恵だと考えているからです。これを書いている私の背後には、展覧会で求めたニキの小さなプリント 'Why Don't You Love Me?' があって、静かに「ダイジョウブ、ダイジョウブ」。見守られている感じがする。

 


教室ではご自身の手を動かして、毎回、ある作家から影響を受けたアイデアを、小さな作品に生かしていただく。今回はキラキラ光る、ドイツの紙素材を使ったモザイク。球面に貼り付けることで、反射の具合が変わり、一層キラキラ度が増す。ニキはこの手法を使って、ガラスや鏡で多くの作品を作っている。

 毎回の私の独断レッスンに、これは自分の 'Cup of Tea' ではないわ、と仰る方がいてもおかしくないのですが、皆さん、いつも好奇心いっぱいに受け入れてくださって有難い。時には、こちらが意図した以上のことをなしてくださり、刺激を受ける。それは八木重吉の詩のように、「ひびいて」もらい、こちらも「ひびく」ことなのだ。それが昨日の帰りの車中で、あらためて思ったこと。




 高校時代の恩師、尊敬する飯田敏夫先生の形見分けに頂戴した本。昭和23年の刊です。

 戦後間もない頃の刊行物だけあり、わら半紙のような粗末な紙。先生が掛けたクラフト紙のカバーを外すと崩れそうなくらい傷んでいるからそっと扱う。先生は再読の日付けを、都度、最後のページに記録されている。

 大切にします。





2 Mar 2019



ひとつ ひとつ

 展覧会にこんな素敵なリーフレットを作って頂き、本当に有難く思います。「さんしんギャラリー 善」は、三島市の佐野美術館が企画運営し、三島信用金庫本店のレトロモダンな建物のトップフロアに、まるで美術館の一室のように広々とした空間を構えるギャラリーです。

 お話を頂いた時、広い広いギャラリーが、私の小さな作品で埋まる景色を想像できず、少し迷いました。でもぎっしり並べなくてもよいかもしれない。いや、その方がよい。だんだんそんな風に思えてきて、また初期のものや、原画と印刷物の両方をご覧頂くよい機会かもしれないし、いっそレトロスペクティブな展覧会にしたら、と妄想がふくらんで、気付いたら「よし」という気持ちになっていました。

 フルタイムのイラストレーターになってから、33年がたちました。数えきれないほどの絵を描いてきた。どの一点にも思い出がある。その間、自分なりに画風の変化の時を、いく度か超えてきました。

 

 
 そんなことを思いながら、パンフレットのインタビューを迎える前日、「ひとつ ひとつ」というタイトルが浮かんだ。

 これは星野道夫さんの著書『風のような物語』に登場する、ケニス・ヌコンというアサバスカン・インディアンの友人について星野さんが語る想い出から、私が得た、あるキーワードでもあります。

 ケニスは村を離れ、原野の一軒家にたったひとり、昔ながらに暮らす片腕の男です。星野さんたちは、「ケニス、まだ生きてるだろうか」と気にかける。それほど、年齢を重ねている。

 ある時訪ねると、ケニスは4頭のカリブーを仕留めていたそうです。その4頭をどうやって片腕でスモークハウスまで運ぶのか、星野さんは尋ねました。そのときニコニコしながら答えたケニスの言葉は、

  「シチャ(友達よ、というような意味)、
   少しずつ引きずっていくんだ。
   そうするといつの間にか土手の上まで
   動いているんだよ」

 時間というもの、時の尺度というものは、本当は自分だけのものだ。そう教えられました。そしてそれ以上にある種の余韻を感じ、未来への学びを与えてくれる言葉だと直感しました。

 またケニスのこんな様子にも、星野さんは打たれています。


   寝る前に、ケニスはきちんと着替えて床に入る。
   不自由な片腕で脱いだ服を
   きれいにたたんでいるケニスを見ていると
   原野の生活の中で律している、
   ケニスの持つ暮らしの精神のようなものを感じた。


 このケニスという男の話を、私は物事がうまくいかないとき、なかなかいい絵が描けないとき、焦る気持ちに負けそうなとき、思い出してきました。ケニス・ヌコンという会ったこともないアラスカの原野の老人と、その話を私たちに丁寧に伝えてくれた星野道夫さんを思い出しながら、心に唱えるのが「ひとつ ひとつ」というおまじないなのです。

 知らないうちに描きためてきた絵を、どんな風に展示しよう。4月1日の初日を迎えるためには、まだまだやることがいっぱい。ひとつ、ひとつ、と、この手で作業してゆきます。

 3月3日、明日からは、地元沼津の誇る古書店で、素敵な企画展をなさる weekend books さんの「花の降る街」というグループ展に、小さな作品を出品させて頂きます。

 個展、グループ展、ともに、exhibition のページに詳細をUPしました。ご覧の上、ぜひ観にいらしてください。