12 Feb 2016




ホックニーの Tea Painting

 注文していた 'Ty-phoo Tea' が届いた。いつも買っている PG Tips と同じく、イギリスの庶民の紅茶です。PG派を返上して、今回はなぜかこっちを欲しくなった。

 ご存知と思いますが、庶民の紅茶ではなくても、たとえば「イングリッシュ・ブレックファスト」と名のついた紅茶は、たとえ高級銘柄のものであっても結構濃く出る。ミルクをたっぷり入れて飲むと美味しいようにできているのがイギリスの紅茶で、お世話になった絵本作家のキャロリン・ダイナンはそのような濃いミルクティーのことを、「ハツカネズミが表面を駆け足できるくらい濃い、というのよ」と教えてくれた。

 Ty-phoo Tea のパッケージを見て、これはやはり「あのホックニーの絵」をいま一度観なくてはいけない、と、画集を久し振りに開いてみました。

 私の年代でアートに興味のある人なら、ホックニーの洗礼を受けていない人はいないだろう。イラストレーションと言ってもいいくらい洗練されチャーミングな作品の数々。カリフォルニアの乾いた空気の中で描かれた鮮やかな色彩に、配色と構図の絶妙なバランス。色鉛筆で描かれた繊細な肖像画。かと思えば晩年のピカソみたいに対象を単純化した絵や、舞台美術、ポラロイド写真をモザイクのように配置した作品、コピー機を使った版画に、最近は故郷イギリスのブラッドフォードの風景画まで、デビューからずっと変化をし続け、しかも淡々と我が道を歩む画家。誰もやっていない新しいアイデアやカラフルな挑戦を、こともなげにやり続けているように見える。こちらもずっと打たれ続けています。

 このパッケージの絵は1961年、ホックニーの初期の頃の作品。スタジオに紅茶のパッケージが、絵の具の缶やチューブと一緒に山になっていた。それはいつもそこにあって、ある意味、静物画のモチーフであることに気付いたホックニー。しかしパッケージのデザインそのものに興味があったので、静物として扱うよりはこのようなアプローチになったのだ、と画集にある。この絵は、誰もが解るイメージを絵の中に取り込む最初の試みだった、とも。

 絵の中に言葉を書きこむことについても、葛藤の末始まったことが、手元にある古い本、『ホックニーが語るホックニー』(パルコ出版)に書かれていて、若い私はそこに感銘を受けた。今なら誰にとっても抵抗のないことが、ホックニーが悩んだ当時は違ったのだと思う。

 さっき、「こともなげに」とうっかり書いたけれど、そんなことはきっとない。昨夜NHK木曜時代劇「ちかえもん」の中で、松尾スズキ演じる近松門左衛門のせりふを思わず冷蔵庫に貼ったメモ用紙に走り書きしたのですが、それはこんな言葉です。

  ・・・などという陳腐な言い回しは、わしのプライドが許さんのである。

 いかにもあたりまえな表現や常套句を使ってしまった直後、その行を 'delete' ボタンで慌てて削除するかのようにこの言葉を放つちかえもん。Ty-phoo Tea から、なぜか「ちかえもん」バナシになってしまったけれど、変化を続けた「チ、チ、チ、チ、チェインジーズ♪」のボウイもそうだった。枕の冷たいところを探すように変化しながら作品を生み出す、勇気ある芸術家の仕事を私は尊敬します。

 P.S. 「ちかえもん」観てる方いらっしゃいますか? めちゃくちゃ面白くて、あと3回しか観られないのがすでにさびしい私です。