4 Oct 2025





田舎道で

 今年も彼岸花の季節がやってきた。年々気候が厳しくなっているからか、この花の風景につく一息が、しみじみ深くなってきた。

 この日は自転車でちょっと遠出。林を抜けた細い道の先に、ゆっくりゆっくり歩いている人がいた。小柄なシルエット。高齢の方だとわかる。近くまで進み追い越しそうになったところに、彼岸花が数輪咲いていた。「こんにちは」とあいさつしてから、青空をバックにスマホで撮影していると「今年は遅いね」と、おじいさん。「あっちにもっとあるよ」。指差すほうを見ると、この群生があった。

 


  「どっかに白いのも咲くんだけど」

 聞けば健康な人が歩いても、ゆうに1時間半はかかるだろう距離を、毎日のように歩いているという。

 前日、ちょっと胸の詰まる悲しいことがあった。お世話になったある方の体調が思わしくないとの知らせ。心を落ち着けたくてサイクリングに出た。

 おじいさんは83歳だそうで、拝見したところ、足腰、それに眼もそのお年相応の感じがした。ちいさな歩幅でゆっくりゆっくり歩く姿、木陰に腰かけて水筒の水を飲む姿、「指輪物語」に登場する妖精の一族のひとりのように思えて、胸の中がほっと暖かくなった。

 秋の朝に、季節も刻もまるで外れではありますが、こんなときいつも浮かぶ、中村汀女の句がある。

 「外(と)にもでよ 触るるばかりに春の月」 



18 Sept 2025

 



あんぱんと詩とメルヘンと

 朝ドラも、大河も、毎回必ずということではないのですが、今年は両方が面白く、もれなく観ています。「あんぱん」、「べらぼう」、どちらも絵描きが登場すること、マスコミュニケーションの世界に生きる人々が描かれていること、自分が歩んできた道と重なる部分もあるので共感が大きい。それに役者、スタッフの方々の情熱あふれるお仕事がまた興味深くて、どちらも画面の隅々まで目を見開いて観ています。

 「あんぱん」はとうとうアンパンマン登場で、クライマックスに近付いていますね。このキャラクターに、私は詳しくはないのですが、幼かった甥や姪の様子から、子供たちの心を鷲づかみにしていることはもちろん知っていました。

 私にとってのやなせ・たかしさんは、世代的に雑誌「詩とメルヘン」。ただ、興味の対象が爆発的に増えるちょうど中高生の頃でしたから、あまりよい読者とは言えませんでした。

 それでもあの頃は「詩」というものが、いつも身近に感じられた時代で、詩やファンタジーが含まれる書籍や雑誌がたくさん出版されていたし、私も少ないお小遣いをはたいて、せっせとそれらを求めました。

 この「やなせ・たかし責任編集 詩とメルヘン」1974年8月号をピンポイントで探し当て、フリマサイトでゲットできたことは、ほとんど奇跡のようです。

 若かった私が偶然出会うこととなったある詩人の方がいらして、不定期ではあったけれどその「本の巣」のようなお部屋に、まるで私塾に通うようにお邪魔していた時期がありました。本だけではなく、ピアノがあって、ヴァイオリンがあって、名札を付けたぬいぐるみの動物たちが大勢いて、キャンバスがあって、本棚のないわずかな壁には香月泰男の小さな絵が飾ってあって、おいしいスープやコーヒーを頂き、本のこと、詩のこと、芸術のこと、とめどなくお話を聴くことができる、当時の私にとってまさに「不思議の国のお部屋」でした。この「詩とメルヘン」を見せてくださった日のことは特に印象に残り、ずっと覚えていた。

 やなせさんによる見開きの挿絵の上に印刷された、その方の詩。まっすぐなまなざしと感受性の賜物。シュールとユーモアが重なりコントラストを生む独特の作風。貨物列車に記されたカタカナの文字が冒頭から躍るコトバの編み物。やなせさんがこの作品を選び、2色や1色ではないカラーの絵を、この詩のために描かれた理由がわかる気がします。





 大好きだった東君平さんの作品も掲載されていました。

 今思えば、高度成長期とはいえ、日本がボロボロに壊れた敗戦から、まだ30年も経っていないころです。親類にも、外地で戦って帰還した伯父、明日の命はないという覚悟で神経を失うような日々を送った伯父たちが何人かいた。幼かった自分にはその心のうちまでは見えなかったけれど、「あんぱん」を観ていると、烈火をかいくぐり生き延びた伯父たちの笑顔の向こうが見えるようで、胸が苦しくなります。

 詩人の加寿子さんからも、街が空襲を受けた時のことを聞いたことがある。飼い犬の繋がれていた杭、たぶん鉄柱だったのでしょう。それだけがぽつんと立っていた光景が忘れられないと。

 父は徴兵を間一髪で免れた世代だったけれど、中高年になるまで、爆撃機が頭上を飛ぶ夢にうなされたという。これもだいぶ後になってから、やっと教えてくれた。思い出すのさえ恐ろしい景色だったのだと想像します。

 『ひとはなぜ戦争をするのか』はアインシュタインとフロイトの往復書簡の本で、図書館で借りてはみたものの読めないまま時間切れで返した。すると間もなくのこと、「駄目だよ」と言わんばかりにラジオで、宗教学者の山折哲雄さんがこの本について語る場面に遭遇した。

 フロイトの説によれば、戦争のひとつの理由は、愛と生、子孫を残すための 「エロス」と、攻撃的、破壊的な欲求の「タナトス」。 人間がそれから逃れることは困難かもしれないが、「文化」が心に与える影響が、その誤った勢いを抑制することはできる。そのような意味のことを語られていた。

 加寿子さんがよく仰っていた言葉。

「人類に残された資源は、想像力だけ」

 もしかしたら創造力? でもきっと「想像力」。真の創造力は、想像力なしにはありえないもの。

 自分の世代は育ててくれた親たちが、若き日に戦争に翻弄された最後の世代だと思う。だからこそ感じること、思うことがある。文化や日々の暮らしを通じて、それを表してゆけたら・・・。ドラマ「あんぱん」とやなせさんの仕事は、その思いを励ましてくれた。残り少ない回も、大切に観届けたいです。

5 Sept 2025

 



不真面目な寄り道

 先延ばしにしていた紫陽花の剪定作業を、先月の暑い中、エイヤッとようやく片づけた。大きめの株が2つあり、昨年の剪定の仕方が悪くなかったようで、今年もたわわに咲いてくれた。

 枯れてゆくさまも美しく、得も言われぬ色彩とテクスチャーを見せてくれる紫陽花の花。今年も目と心に焼き付ける。



 イギリスのCountry Living誌の仕事をしていた時、与えられるテキストから自由に題材を選ぶことが出来た。無理せずに好きな物を選んだ。もともと克明に描くことはしない、というか出来ないので、これをこんな風に描いてくれと言われなかったことで、自分らしさを発見し育てることが出来たと思う。

 日本の文芸誌の仕事も同様で、編集者さんからあれこれ言われることはなく、自由に描かせてもらうことができた。

 こんな風に甘やかされて育ったためか、描けない花というものがある。紫陽花はその一つ。何故かはわからない。




  絵には描かない。でもこの感動はきっといつかどこかで生きる筈。だから、無理はしない。

 目にした感動を、すべて描くことはできない。描けないことに悩むより、今の自分にできることを一歩踏み出せば、きっと次の景色が見えてくる。記憶に刻まれた、たとえば紫陽花の朽ちた色合いがふっと現れ、助けてくれることもあるだろう。

 もうひとつ、ずっと先延ばしにしていたことがあった。パソコンの買い替えです。買い替えることで生じる労働を想像するだけで息苦しくなりながら、重~いパソコンをずるずる引きずっていた。でも、もうへとへとの玄界灘。これもついこの間、とうとう敢行した。

 そんなわけでここ数日、頭がパンパンになっていました。

 長く使った、前のパソコンの時代と今では、ものすごい進化が起こっていた。錆びたブリキみたいな脳に油を注し注し、検索 → ダウンロード → 設定 → 検索 → ダウンロード → 設定・・・を繰り返し、なんとか頑張った。メールアドレスも、今使っているものが、そのうち使えなくなることがわかり急いでメインを変更した。

 11月のグループ展のことも考えなくちゃいけないし、定期的に制作している雑誌の仕事もある。草取りもやらなくちゃ。運動もしなくては・・・。must や have to の日々が続くと、「あ、まずい」と警報が鳴る。

 「もっと不真面目でいーよ」

 暗い空の雲間から声が聞こえる。そうだった。「そんなに必死にならなくても」いーんである。ハッとして「真面目」にブレーキをかける。急ブレーキは危ないから、車の教習所で教わったように、ジュワーッとゆっくり踏む。で、久しぶりにこの、寄り道みたいなブログを書いているというわけです。

 やなせたかしさんは、仕事のエンジンを切らなかったという。先日観た、NHKのアーカイブ番組でそう仰っていた。切っちゃうと、戻るのに時間がかかるのでしょう。小者の私も、この仕事を始めた若い頃からそう感じていたので、恐れ多くも共感した。


「休養してると、だらっとなるんですね。要するに絶えずエンジンをかけっぱなしにしとかないとね、あとの案がもう出なくなっちゃうんです。一日休むともうわからなくなっちゃう。なんというか、ひとつの反射神経みたいなので描いているんで、ちょっと休むともうわからなくなっちゃうんですね。ほんの少しでも仕事してる。寝ててもギャグを考えてる」


 やなせさん、83歳のお言葉。

 このブログを書くこと、意味のないスケッチやコラージュは、エンジンを切らずにできる「寄り道」なのかもしれない。

 しかし、雲間からこっちを見てくれてるのは、いったい誰なんでしょうね?

16 Aug 2025

 



'Knock on Wood'

 この英語の表現を知ったのは、中学か高校の頃、当時ラジオでよく流れていた David Bowie のヒットソングからだった。その20年後、イギリスに暮らしてみると、くしゃみをしたときの 'Bless You!' みたいに、使用頻度の高い言葉だと知ることになる。例えば自分の幸せや幸運を人に語った時、その幸いが逃げてしまわないようにおまじない的に付け加える。近くにある木製のもの(木には精霊が宿ると信じられているから)に触れながら 'Touch wood' または 'Knock on wood' と唱える。

 SNSなどでうれしかったことを記すと、自慢のように映る事もあると思う。しかしうれしいことや幸いを、口をつぐんで誰にも伝えない、と言うのもつまらない。ストレートな悲しみ、喜びの表現は大切。同時に、形を変えて表すということが必要なときもある。

 たとえば、絵を描く、文章や詩に書く、音楽を奏でる、これらは自らの幸せや感動の体験を、他者の五感に訴える形に変形させたもの。変形させることで共感につながる。芸術って、長い歴史の中で人が謙虚に思い至った、世界を理解する偉大な工夫なのだとあらためて思う。

 現在、水彩レッスンと、コラージュレッスンを、オンラインや対面で行なっていますが、どうやら自分という講師は、皆さんの絵のいいなぁ、ってところを、どうしたらお伝えできるかが勝負だと思っているフシがある。こちらも毎回手探り。それが面白い。だからこんなスタンプは、まず使わない。


 

 
 でもじっと見ていたら気付くことがあった。これらはよく、自分が自分に投げている言葉じゃないか。

 先日の「べらぼう」はまたまた、私にとって神回でありました。片岡鶴太郎さん演じるあやかし(妖怪)画家の鳥山石燕が、トラウマに囚われた歌麿に語り掛ける言葉のすべてが、胸の奥までずしっと響いた。以下、ちょっと長くなりますが、覚書を兼ねて記します。

・・・・・・・・・・・・

 石燕:三つ目ー!
 歌麿:憶えてくれてたんですか、
    ちょっと遊んだだけのガキのことを。
 石燕:忘れるかー。あんなに愉しかったのに。
 歌麿:愉しい?
 石燕:ああ、愉しかったぞー。
    お前は愉しくなかったか?


 歌麿の最近の絵、思うように描けずにぐちゃぐちゃに塗りつぶされた作品を見て


 石燕:あやかしが塗りこめられておる。
    そやつはここから出してくれ、出してくれと呻いておる。
    閉じ込められ怒り悲しんでおる。

 石燕:三つ目、なぜかように迷う? 
    三つ目の者にしか見えないものがあろうに・・・。
    絵師はそれを写すだけでいい。
    写してやらねばならぬ、とも言えるがな。
    見えるやつが描かねば、
    それは誰にも見えぬまま消えてしまうじゃろう。
    その目にしか見えぬものを現わしてやるのは、
    絵師に生まれついた者のつとめじゃ。

 歌麿:弟子にしてくだせえ。
    俺は俺の絵を描きてぇんです。
    おそばに置いてくだせえ。


 舞台は変わって、石燕の画室。


 歌麿:先生の三つ目の眼には、
    あやかしが見えるってことですよね。
 石燕:そういうことじゃなあ。
 歌麿:あの、俺もほんとにそんな眼を持ってるんですか?
 石燕:まぁたぶん、持ってんじゃねえかなあ。
 歌麿:たぶん、って・・・。
 石燕:まずはその辺のもん、なんか描いてみろや。
    持ってりゃそのうち、なんか見えて来るさ。
 歌麿:ほんとですか?
 石燕:(絵を描きながら、上の空の調子で)たぶん・・・。
 歌麿:いい加減だなあ。
 石燕:そのくらいでちょうどいいのさ。


 歌麿は鶯さえずる庭に咲く、牡丹の花(歌麿という品種を用意した演出にあっぱれ)のスケッチを始める。今まで見た事もない程、いかにも嬉しそうに花を観る歌麿を演じる染谷将太さん。解き放たれた表情に、わかるよ、歌ちゃん! 胸がいっぱいになりました。

・・・・・・・・・・

 石燕の言葉は、悩める者への、なんと優しい、慈しみに満ちた励ましだろう。他者と自分を比べたり、自分、自分、と自分にこだわり過ぎていると、周囲の世界がほんとうには見えてこない。

 こんな有り難き「べらぼう」が、このドラマには大勢出て来る。面白くてたまらない。




 父が若い頃から使っていた、木製のスタンプケース。この中に、さっきの辛口スタンプも入っていた。

 昔のものは本当によくできている。佇まいが控えめでも、存在感がある。きれいに拭いて、作品に使っているスタンプコレクションを収めた。




 長すぎるブログの最後に、大好きなこの詩を。まだ戦後10年ほどの頃に、武満徹さんがラジオ番組のために作られた曲だそうです。


「小さな部屋で」 作曲:武満 徹 作詞:川路 明

 小さな部屋で 父さんが言った
 おまえに なにもやれないが
 がまんして がまんして
 おまえの胸は 若いんだから

 春が来たけど なにもない
 夏が来たけど なにもない
 なにもないけど あたたかい

 あたたかいのは 空と風
 あたたかいのは 雲と光

 ああ 人のこころの
 人のこころの 暖かければ
 なにもないけど それこそすべて


・・・・・・・・・・


 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

4 Aug 2025




公園にて

 暑い日が続いています。皆さん、いかがお過ごしでしょう。

 うちのあたりでは、街を歩いている人がとても少なくなっています。皆、クルマで移動するから。歩いているのはそれができないお年寄りばかり。出会うたび、「お互い気を付けましょうね」と心でつぶやく。

 自転車やバスで移動すると、こんな風に今まで目に留まらなかったことが見えてきます。お年寄りばかりが炎天下を買い物に歩くという、地方都市の異常事態。自治体は何か解決策を考えなくちゃいけないです。

 自分も、長い距離の自転車移動の際は、途中で休むようにしている。この写真の公園も、休憩場所のひとつ。

 ちょうど正午の頃でした。もしアスファルトの通りを歩いていたら、日陰は皆無でしょう。しかしここには木立があります。大きな傘のように無料の日陰を作ってくれている。ベンチに腰掛け、風が葉っぱを震わせながら立てるザーーーッ、ザワザワ、というコーラスに耳を澄ませた。




 この日は台風が遠くを通過するとの予報でしたから雲の流れも速く、クリアに風があっておかげで意外にも涼しかった。「風はやわらかな化石」と表現された星野道夫さんの言葉を思い出し、土ぼこりが舞う様子、木の葉の揺れ、浮かぶ雲をしばらく眺めながら水筒の冷たいお水を飲み呼吸を整えました。

 そろそろ、と立ち上がると、公園のトイレを掃除している人が居る。市の職員の方かと思った。でもAさんでした。

 うちの近くのゴミステーション掃除は、自治会のメンバーである私たち居住者が順番にやることになっています。しかしお仕事の都合で、その務めが夕方以降になってしまう人も少なくない。Aさんはその前に、カラスが食い散らかした痕や、ルールを無視して出されたごみの片付けなど、人の嫌がる仕事をコツコツとボランティアでやって下さっている。簡単に真似のできることではありません。近所のみんながその労に感謝している。

 しかしあそこからだいぶ距離のある、この公園のトイレまできれいにしてくださっていたとは! 首にタオルを巻き、ペットボトルで水を流しているAさん。感謝の気持ちを伝えた。クルマで動いていたら、知る事のない光景だった。

 休憩しても、ペダルはそれほど軽くなるわけじゃないけれど、心のうちにも風が抜けた。大きな力で背中を押されたような思いのする、昼過ぎの出来事でした。



16 Jul 2025

 



朝めし前の朝めし

 早朝に適した仕事はものを書く事と庭仕事、午前から午後はレッスンと自分の絵の仕事をし、夕方はイギリスから届いた雑誌を観てインスピレーションを高める。就寝前はたっぷり読書。こんな時間割が理想なのだけれど、天気によって左右されたり、たまった仕事を片付けたり、くたびれて昼寝したり、今は家の中の整理も始めていて、思うようにはなかなかゆかない。

 それでも朝一番にこのブログを書くことは大きなよろこびのひとつで、日々の励ましにもなる。書くことや読むことは、少々過剰な感受性を持つ自分にとって、「ごちゃごちゃ荘」的頭の中の掃除になる。散らばった思考のコレクションを、それぞれ適当な場所、後々呼び出しやすい棚に収めてくれる。

この早朝の作業にはそれなりにエネルギーが必要で、パンを数切れ胃袋に入れて、脳に糖分を供給します。一仕事終えたら正規の朝食を「いただきます」と頂く。だからいつの間にか一日4食になってしまった。来客のある時以外はお菓子というものをほぼ食べないから、早朝の一食はおやつと思えばよい。都合よく後づけ解釈した。



 先日 I 家から贈って頂いたボローニャのデニッシュ食パン3斤。有り難く、赤ちゃんを抱くように台所に運んだ。そのままでもイケますが、ちょっと焼いてジャムやマーマレードを塗る。美味しい。ごちそうさまです。



 キラキラ黄金色に輝く柚子のマーマレード。美しくてしばし見とれてしまう。以前、クラスのスケッチ会を2度ほどさせてもらった、埼玉のグリーンローズ・ガーデン。あの素晴らしいオープンガーデンのオーナー、斉藤よし江さんから頂戴したホームメイドです。もったいなくてなかなか開けられずにいましたが、開けてびっくり、こんなの食べたことない!ってほどの絶品でした。

 ここ数日、穏やかならぬ雨と湿度が続いていますね。ガラス窓の向こうの灰色の空。こんな天気でもシジュウカラの夫婦がお隣のアンテナにやってきてキョロキョロしている。きっと、朝ごはんを探しているんだ。

 その向こうに広がる空の景色も、静止画ではない。マーマレードパンを食べながら5分も観ていると、ゆっくり、ドラマチックに変化しているのがわかる。

 この星に生まれた私たちが命を保てるのは「対流圏」と言って、高度たったの10㎞まで。卵の薄皮みたいなこの薄い薄い空間に、命を持つ様々な仲間たちとともに肩寄せ合って生きている。

 この間、ピーター・バラカンさんがラジオで紹介していた Lead Belly の'We're in the Same Boat, Brother' という曲があり、とてもよかった。繰り返し聴いている。女優の高峰秀子さんの料理エッセイ『台所のオーケストラ』にあった言葉、「四海の内 皆兄弟(けいてい)なり/ 顔淵」はいつも胸にある。

 雲の切れ目に朝日が顔を出した。しかし相変わらず雨がザーザー降っている。不思議な光景。薄皮の中の、黄金色のドラマ。

 さて、今朝も対流圏スペクタクルを拝むことができました。私も今日ならではのドラマを、ささやかに始めるとしましょう。

7 Jul 2025

 



響く紫陽花

 この美しい花瓶は、あるとき沼津の生徒さんたちが贈ってくれたもので、大事にしている。私が篠田桃紅さんの作品と著書の大ファンであることを知って、ある生徒さんがネットでみつけてくれたもの。もとはお茶のリキュールが入っていた。

 1960年代の古いもので、蓋のコルクが破損していたため飲むことはためらわれたが、濃い緑でしっかりとしたお茶の香りがした。調べるとサントリーはこのリキュールを現在も販売している。いつか手に入れてみようと思う。紙のラベルには、今も桃紅さんの書が使われている。




 手まり咲きの紫陽花を描くのが苦手で、イラストレーターとしては恥ずかしいことだけれど、気に入ったものができたためしがない。どうしても子どもの頃に流行ったアレ、ぎっしりとカラフルな花で飾られたスイミングキャップみたいに見えてしまうのだ。

 ある年の夏、婦人之友社さんから『花日記』という、大判の3年連用日記に絵を描いてほしいとの依頼を頂いた。期間をひと月半ほど頂いただろうか。すべてのページに絵が入るので、今数えてみたら花の絵を66点(うち数点はガーデングッズ)。それから表紙画も描かせて頂いた。

 性分ってこういう事を言うのだろう。私の小さな水彩イラストレーションの描き方は、下描きなしに何枚も何枚も描いて、一番よくできたものを選ぶというとても非効率なやり方。描きながら、次第に「描き順」も決まってゆく。この手法を、自分は「習字」と呼んでいる。コマーシャルな仕事の場合は、このやり方でないとなかなか納得いくものが生まれない。

 描き順が決まってからが本スタートで、1点につき少なくとも5枚。10枚以上になることも多い。あの夏は来る日も来る日も、小さな花の絵を描く日が続いた。

 当然、梅雨の季節には紫陽花を描かなくてはならない。手まり咲きではない紫陽花。庭のヤマアジサイならひとつひとつの花が独立している。描けると思い試みた。

 でももしかしたら今日の自分、この桃紅さんの器と父が植えた庭の花のコラボレーションを目の前に観た自分なら、新しい気持ちで描けるかもしれないと思ったりする。何を描くにも、心にひどく響くものがないと難しい。今は自由に絵を描く日々なので、特にその思いが強い。

 絵を描く身には幸せなこと。心に深く響く何かは、若い頃より確実に増えている。



29 Jun 2025

 


Haste makes waste

 しばらく見て見ぬふりをしていたので、小さな庭の草が元気いっぱいに茂ってしまった。例年通り「草取り」を朝活の項目に加えている。

 可愛いシロちゃんとシジちゃん(先日から居ついてくれているモンシロチョウとシジミチョウ)に励まされながらの労働。応援団よありがとう!ではあるけれど、どうしても時間の経過とともに作業が雑になっていく。雑になればストレスが心中に澱んでいく。

 絵を描くときも同じだ。フレッシュな気持ちを長時間持続するのは難しく、疲れたまま続けると手と心の距離がどんどん離れて行ってしまう。新鮮な気持ち無しに、手は良い仕事をしてくれない。筆や鉛筆はこの身体の、この手の先の延長のようなものだから、疲れや嫌々やることがストレートに紙の上に表れる。だからいかに心を新鮮に保つか。その工夫をしながら、長年この仕事をしてきたように思う。

 一方、疲れた時こそ良い絵が描けることもあるのだと、篠田桃紅さんが昔、雑誌「銀花」に「手」というタイトルで書かれていた。描いて描いて疲れた頃には、雑念や妙な欲が消えてゆく。透明人間のようになった自分を媒介にし、何ものかが思わぬよい仕事をしてくれる。そのように、芸術家の存在迫る文章を理解した。

 これも昔読んだことだが、タモリさんが、「『等身大』ってのが自分にはわからない」と仰っていた。よくわからない言葉、というものが、こんなに明晰な頭脳を持つ方にもあるのだ。どういうことだろう? それはこの言葉がタモリさんの辞書の中に無い、と言うことかもしれない。等身大でないご自身はいないのかもしれない。自分にも、我が辞書にない言葉ってあるだろうか。

 実は最近流行りの「タイムパフォーマンス」、これがよくわからない。そもそも時間の感覚はその時々、また状況によって伸びたり縮んだりするものだと感じる。集中できない、やる気が起こらない、そのような時間が意味のないことにも思えない。ぼんやり眺める窓の外に、突然幸せの青い小鳥がやってくるかもしれないし。



 幼い頃から急ぐこと、競争する事が苦手だったからだろう。だから自然、ひとり絵を描くことを選んできた。なのに、自分が描いている動画を観ると、小鳥の食事みたいに、または早送りの動画みたいに、チョコマカものすごいスピードで筆を動かしている。これはもちろん「タイパ」とはまるで違う仕組みで起こる現象。

 「勝つ話ばっかりしているから、今は。結果を出すことばかり考えてる。人間が使っている言葉って、植物から来ている。『成熟』とか・・・。『結果』ということは実がつくということ。」

 You Tube で視聴した田中泯さんの言葉。「結果」とは、今すぐそこで点数が出る事ではない。そう泯さんは仰る。(ああ、「国宝」観に行かなくては!)

 地味な草取り作業にミニスツールを動員し、雑になるまでの時間がいくらか長くなったのは幸いです。しかし今度は熱中症に注意。急がば回れ=Haste makes waste な、夏の朝です。

18 Jun 2025



Stepping Stone

 昨日のレッスンで作ったこのポケットスケッチブックのことを、メンバーのYさんが「チビスケブ」と名付けた。「紫式部」みたい。由緒正しき響き(?)が気に入った。

 この夏で20年目を迎える Hiro's Art Class。講師が「こんなもの欲しいな」と思ったものを作る無手勝流で、ありとあらゆるハンドクラフトを作ってきました。メンバーの皆さん、よく付き合ってくださり、面白がってくださって、あっという間の19年でした。

 最近は、講師が準備する素材や道具は最低限、または無くてもできるアイデアを試みています。周囲を見渡せば、皆さんすでになにかしらの素材をお持ちだからです。

 コロナ禍の波にもまれた後、オンラインや自宅での少人数レッスンを通して、お一人お一人の個性を今まで以上に感じるようになりました。みんなで同じ素材、同じものを制作するのではなく、それぞれの生き生きとした感受性を発揮して頂いて、それぞれに合ったレッスンをしたい。水彩クラスでは一足お先に試みていて、よい結果を生んでいます。コラージュとクラフトのレッスンでも、同じようにと少しずつ軌道修正しているところです。

 今回も思わぬアイデアが生まれたり、お手持ちの素材をうまく生かしてくださった。おそらくレッスンの後で一層アイデアが湧いてくるのでは? 私の投げかけるアイデアはシンプルであればあるほどよい。しかし可能性をはらむもの、ワクワクする「何か」でなければなりません。


 この形のミニスケッチブックは、以前イギリスの友人たちに頂いたものを参考に作りました。この通りに作らなくてもよいので、お手持ちの布を使ったり、厚紙を使ったり。工夫すること、自由な発想を形にすることが、脳と心を活性化させます。


 こちらは紙と布でカバーを制作。スナップボタンのパチンという音が快い。やったー!と思ったら一つ失敗に気付く。この位置だと、左ページに跡がついてしまうのです。次に作る時は要工夫。

 失敗には意味があります。こんな小さな何かでも、失敗なしに作ろうとすると心が固まってしまって、のびのびとしたプラスアルファが生まれません。自分で転んで、自分で学べば、この先忘れることもありませんし、失敗が成功のもとであることをこうして身をもって感じれば、生きていく過程での励ましにもなる。大げさなようですが、心からそう思います。 

 Failure is the stepping stone to success.

 願わくば、この「チビスケブ」のページのいくつかが、自分の絵を育てるちっちゃな布石となりますように。

9 Jun 2025




鉛筆

 鉛筆は最も身近な筆記具であり画材です。誰もが幼い頃、掌がまだちっちゃなもみじみたいだった頃から手に馴染み、削りながら大事に使うことを心得る。この筆記用具には、木の匂い、芯の匂い、紙への抵抗、デジタルドローイングでは味わえない趣があります。

 道具として歩んできたその歴史を調べてみると、誕生の地はイギリスでした。1560年代に鉱山でみつかった高品質の黒鉛をそのまま、または糸で巻いたり板にはめこんで使ったのだそう。

 そのうち硫黄の粉と練り固めて、1760年にドイツのカスパー・ファーバーが進化させ、「芯」化。カスパー・ファーバーは、ご存知、ドイツの文房具メーカー、ファーバー・カステルの創業者です。

 


 木の匂いはよいものですが、この全身黒鉛のグラファイト鉛筆は安定感抜群。よく使います。鉛筆にしては少々値が張るけれど、amazonで求めることができます。




 お次はフランス。画家であり化学者でもあったニコラス・ジャック・コンテという人が1795年に、黒鉛を粘土と混ぜ焼き固めることにより、芯の硬度をアレンジできるようになったとか。そうやって今使われている鉛筆の「芯」に「進化」(シツコクテスミマセン)していったのだそうです。スケッチや素描に使われるコンテ(黒や茶の角形棒状のチョーク)は、彼の名から来ている。

 最近、イラストレーターを目指していた若い頃、盛んに使っていたコンテ型のハードパステルが出てきて、新たな気持ちで使い始めています。硬度があるから、ハッチング(斜線の集合で描く事)が可能。粉にすることも可能です。何十年も経てこその発見もあるかもしれない。




 絵には「動き」が必要だと思う。気をつけて観ると、どんなに静謐な世界であったとしても、時代を超えて愛されてきた絵画には大きな、または微かな動きが表現されている。動きがあれば、観る人がその絵に感じるものが立体的になり、時間も感じる。自分が描いているような気持ちになることさえある。描かれた世界に入りこむ事が出来るのですね。だからこそ共感され、愛される絵となる。「動き」について、この画材から学ぶことは大きいです。

 色鉛筆は、昔からイギリスのメーカー、Derwent の水彩色鉛筆を使っています。水を使ったり、水彩とのミクストメディアとして使うこともあれば、そのまま普通の色鉛筆のように描くこともあります。色調で分け、立てて使うと、パッと取り出しやすい。いつまでもお行儀よくケースにしまって置かないでねと、生徒さんたちにもお話します。




 このスケッチは、普通の色鉛筆として使い描きました。筆圧とハッチングの向きに気を配って。



 田植えの季節ですね。先日、新幹線の窓から「おお、お米よ!」と水田を写したら、手前の木々が色鉛筆画のように! 偶然の産物に、また鉛筆愛が高まりました。



3 Jun 2025


 


It's a Good Day

 イギリスのジャズシンガー、Clare Teal のアルバム 'They Say It's Swing' で知ったこの曲は、ペギー・リーと当時の夫、デイヴ・バーバーが作曲した1946年のヒット曲。instagramの投稿にはBGMとしてシェアしました。

 歌詞を読むと、「大河 蔦重」の一週前、太田南畝が放った「めでたし」に通じる人生讃歌に思え、訳してみたくなった。

 
  歌を歌うにめでたき日
  前進するにめでたき日
  何も間違っちゃいないよね
  朝から晩までめでたき日

  靴を磨くにめでたき日
  鬱を払うにめでたき日
  得るはあっても失うはナシ
  朝から晩までめでたき日

  お天道さんにおはようさん
  日は上り輝いてる
  すぐに出発できるよね
  ここゾと気合を見せたなら
  通行証は君の手に

  病気を治すにめでたき日
  料金払うにめでたき日
  深呼吸しよう 薬を捨てよう
  朝から晩までめでたき日



 レッスンの無い日はたまっていた片付け作業、庭仕事、欲しかったものを工夫して作ったり、絵を描きたい気持ちをちょっと脇に置いといて、さもない「めでたき事」をするのが愉しくてなりません。

 この日は、だいぶ前にインテリアファブリックの某輸入会社で求めたサンプルの布を正方形に袋縫い。パン生地を発酵させる際の保温用カバーを作りました。この生地が好きで好きで、以前ひざ掛けに仕立てて、クラフトの個展に出したこともあります。料理研究家、野口英世さんが気に入ってお求めくださり、ブログで紹介してくださったのは有難き思い出です。

 ウールのように見えるけれど、ずっしり重くてちょっとひんやりする。麻、または麻と何かの混紡だと思う。ソファーのカバーやクッション、カーテンなどに使われる上等な布。色も明るさの中に落ち着きがあって好みだし、こんなのもう二度と出逢えないよなぁ・・・。そんなわけで残り数枚を出し惜しみ。なかなか手が付けられずにいたのでした。

 でも、そんなこと言って後生大事に取っておくような年齢ではなくなってきました。好きな物はどんどん暮らしに生かすべし、です。

 コラージュクラスもその方向へ向かっています。新たに素材を買うこともたまにはアリですが、なるべく「今ここにあるもの」をめでたき何かに生かそうという試みを実践中です。またこちらでもご紹介したいです。



31 May 2025



散歩道から

 運動不足でひどい目に遭ったことがあります。わけあって家に引きこもりがちだったある冬の後、腰椎を傷めた。痛みは数か月続いた。以来、毎朝の腹筋運動、ストレッチ、骨を丈夫にするコツコツ体操、クルマは使わずなるべく歩きか自転車、そして手のひらを太陽に!日に当たる事を心がけています。

 「カルシウムはサプリではなく毎日の食べ物から摂りましょう。それならいくら摂っても害にはなりませんよ」。整形のドクターにアドバイス頂く。煮干し、ナッツ類、海藻類、大豆食品に、青菜類もよい。パスタ料理に入れたりする。(余談ですが、お米不足で心配なのは、和食離れです。現にお醤油の減り具合が前と違いますもの)

 先日、少し遠出の散歩をしました。新緑の季節、このトンネルをくぐりたくて。




 緑の景色には、よーく観ると、多様な色が隠されています。レッスンで緑の描写が難しいと質問されることが時々あるのですが、写真を資料に使う際は、そこに写る色に頼り切らないほうがよいとお伝えします。写真や画像の光学的仕組みはよくわからないのだけれど、飛んで消えてしまう色、つぶれてしまう色がかなりあるように思う。この場合、写真は充分ではないのです。

 その場でスケッチできれば一番。でもいつもとはゆきませんね。画像や写真を頼りにするには、まず紙に出力、プリントアウトします。そうすることで、光源として光を発するスマホやPCの画面からより、その時の「印象」がずっと深く心に呼び覚まされる。その「記憶」と「印象」を描くことが何より大切で、そうであればこそ、絵を介し、それを観てくださる人と共感が出来る。これは抽象でもコラージュでも、同じだと思う。

 ただ表面を写すのではなく、その形、色彩、陰影から自分がキャッチした「思い」を表現する。例えば上の写真なら、 


  少しひんやりした空気
  新緑のトンネルに道が一本伸びている
  その向こうには
  いったい何が待っているんだろう


 この風景の要素全てが私に与えるワクワクした気持ちを描かずに、何を描くか、ということです。 

 ここではなく別の道ですが、ハニーサックル(忍冬:スイカズラ)の花があちこちに咲いていた。少し摘んで帰宅。蔓植物の形の面白さ、甘い香りをしばし愉しみました。

26 May 2025



蔦住

 うちの庭は、庭と呼べるか怪しいような、家の角に引っ掛かったL字金具みたいな、短い廊下的、小さな小さな地面です。日当たり、風通し、環境も決してよくない。でも長く暮らすうちにいろいろ工夫を重ね、宿根草の助けもあり、身の丈に合った自分らしさが出てきたと、最近思う。

 ある年、コンクリートのポーチの高さの部分や、父が余ったブロックで作った一段高い花壇の高さの部分など、味気ない灰色部分、目隠ししたいところにアイビー(蔦)を植えた。はじめは点々と数十センチ間隔に植えたものが、あっという間につながってきれいに覆われ、蔦って凄い。パワーを感じました。力強い、でも愛らしい。葉っぱは常緑で、これも自ら敷いた赤煉瓦と相性が良い。

 ロンドン時代の散歩道に建つ家々には、よく名前が付いていた(拙著、『イギリス暮らしの雑記帖』第3章 House Warming 「名前のある家」参)。うちのことも、できたら「アイビー・コテッジ」とかって呼んでみたい。でも昭和の住宅です。ぜんぜん似合わない。

 大河ドラマ蔦重、昨夜も見入ってしまいました。狂歌のシーン、笑った!特に太田南畝が治郎兵衛さんに付けた「おとものやかまし」がツボに入り、笑いこけました。

 そうだ、控えめに「蔦の住宅」、略して「蔦住」はどうだろう。少し気取りたいときには「『蔦の住処』略して「『蔦住』です」と言えばよい(誰に?)。

 ・・・というくらい、いまや蔦がいっぱいです。

 先日はイヌツゲに続き、椿の剪定をした。風通しよくしておかないと「にっくきチャドクガ」にやられてしまうから、こればっかりはのんびりしていられない。

 やり終えて、夕方、達成感と共に眺めていたら、まだ薄緑の紫陽花が愛らしく、上のスケッチを描きました。真ん中が剪定後の椿の木、右の鉢は紫式部です。このコも、じきにきれいな薄紅の小花が咲くんですよ。

 蔦住感、伝わるでしょうか?

23 May 2025




梅雨入り前に

 今年も水蒸気の季節がやってきました。小さな庭の紫陽花は3種類。ヤマアジサイの紅がいち早く咲き始めた。父が植えた濃い紫と淡いブルーは昨年の強剪定にもメゲないで、蕾がどんどん顔を出して愉しみです。梅雨は鬱陶しいけれど、この大振りの花たちを愛でられるのが救いです。

 思いがけず、お隣さんからピンクのバラをたくさん頂いた。蔓バラの一種? 小さめの花が溢れるように咲いた、鮮やかなお美人さんです。棘に気をつけて細い茎をゆっくりほどき、3つの花瓶に生けました。



 
 これは玄関の靴箱スペース。バラは鏡や銀製品と相性が良い。




 May Blossom という名の花瓶に。

 


 ワークルームの棚にも。ハーブと生けると動きが出ますね。これからの酷暑にも耐える強者フェンネル。頼りにしています。

 この日はバラの色に元気をもらって勢いがつき、「新芽、出切ったかな?」のイヌツゲの剪定に、やっと踏み切りました。

 掃除も庭仕事も、やらねば、の気持ちではなく、自然とやりたくなった流れでするのがストレスフリーでいいなと思います。絵を描くのと同じで、そのタイミングがやってくるのを信じて待つのがいい。料理家の有元葉子さんが、掃除は汚れに気付いた時にササッとするから、あえて掃除の時間は設けないとご著書に書かれていて、なんて自由な!と思ったのがきっかけです。

 うちのイヌツゲは、トピアリーみたいな三段刈り。首に手ぬぐい巻いて注意深く脚立に乗り、電気バリカン。高枝切りバサミも駆使する。ふーっ。なんとか無事にやり終え、達成感。自分を誉めてあげる。

 この手のヘビーデューティーをやるときいつも思い出すのは、庄野潤三先生のお嬢さま、夏子さん。尊敬する亥の子の先輩は、こういうことを何でも軽々と、いかにも愉しそうになさるからです。先生の書かれた物語に、そのようなシーンは幾度も登場する。少しでもあのスピリットに近づくのが、庭師ヒロ・ミミ・コットンテイル(庄野夫人と夏子さんが付けてくださった私のニックネーム)の目標です。

 夏子さんたちのお庭とは比べ物にならないほどミニミニサイズなうちの庭ですが、まだ椿2本と金木犀、金柑の木が、スタンバっています。やるからね。みんな信じて待っててね。

19 May 2025




東京国立博物館

 昨夜も笑わされ、唸らせてもらいやした。大河ドラマ「べらぼう」。その蔦重に会いに、先日上野へ行ってきました。

 ↑の建物ではなく、この奥の平成館という建物で開催されている、「特別展 蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」。予想通りの結構な混み具合で、前半はじっくり観るというわけにはゆかず。が、盛況展覧会アルアルで、中盤からは少し空いてくる。ドラマでもいよいよ登場の喜多川歌麿作品を、ゆっくり観ることが出来ました。

 この大河ドラマが無ければ、これほど気合を入れて浮世絵を観ることはなかったと思う。ものすごい数の傑作が展示され、歌麿、写楽以外にも多くの才気あふれる絵師の絵が並んでいました。それでも歌麿という才能が特別な存在だということ、浮世絵に明るくない私にもよく伝わった。

 信じられないような細かな描写、美しい線、テレビも映画も、写真さえなかった時代とは言え、浮世絵師、彫師、摺師の三つ巴の力量。圧倒されます。ドラマの展開が益々愉しみですし、機会があったらもっと浮世絵の世界を知りたいとも思った。

 イギリスにいた頃親しくしてもらった画家一家、エスコフェット家のお父さん、ホセが私の絵を観て「とても日本的だ」と言った。自分なりに西洋の影響を受けて描いていると思っていたので、びっくりした。無口なホセに「それはなぜか」と、英語の下手な私は深く尋ねることをしなかったけれど、日本に帰って来てからその意味が少しずつわかるような気がしています。これについては、またの機会に。




 展示の最後はアミューズメントパークのようでした。ここだけ写真撮影が可能とあり、バチバチ撮りました。おそらく日本中から集まった、大河のファン、蔦重のファン、横浜流星さんのファン・・・、老若男女とはこういうことですね。展覧会としてはとても珍しい、まさに江戸市中のような賑わいの光景。(画像は人が入らないようトリミングしました。)




 アミューズメントコーナーの展示の中に、衣装デザイナーの伊藤佐智子さんによるスケッチもあり感激! このドラマの美しさや人物描写における、とても重要な要素のひとつだと思う。伊藤佐智子さんは、私がティーンエイジャーの頃スタイリストとして活躍されていて、購読していた雑誌、「装苑」だったか「服装」だったか、「an an」だったか・・・、忘れたけれど、カッコいいロックなアイデアに魅せられ、影響を受けたものでした。




 ドラマでは治郎兵衛さんの衣装に、いつも「カッケー!」。心で叫んでおります。

 さて、国立博物館に行ったら必ず訪ねるのは、正面向かって右側に建つ東洋館です。ガンダーラの仏像を拝むためです。ギリシャ彫刻の影響を受けた彫像群。これまた「カッケー!」です。ディスプレイが以前とだいぶ変わって展示が減っていた。それでもこの三体には会えました。




 中国の古い器にも惚れ惚れ。




 戦車や爆弾の代わりになる、「ホメホメ大作戦」というのを若い頃に考えたことがあります。相手にカチンと来たら、そんな時こそお互いの文化を褒め讃え合ってはどうかと思ったのです。どんな国にも地方にも、人が苦労して遺した、素晴らしい文化、文学、芸術作品があるでしょう? お互いにそれを讃え合ううちに、殺し合いがどんなに馬鹿らしいことかハッと気づく。「いや、悪かった」と握手する。そんなストーリーを考えたのです。若気の甘過ぎる妄想? 幻想? でも文化や芸術にはその力があると信じたい。

 上野駅に久しぶりに降り立ったら、「ここって外国?」でした。海外からの観光客が、日本人より多いほどに感じます。世界中、どの観光地もきっと同じでしょう。世界はこれだけグローバルに変化している。共通の悩みもいっぱい抱えている。そろそろ地球は「違い」を尊重しながらの、「共感」の星にならないでしょうか。蔦重と鱗の旦那のように。

16 May 2025



Unpredictable

 レッスン中によく使う言葉です。予測不可能な、という意味。

 余計なことは考えず、自分が心地よい「景色」を観たいがためだけに時間を費やす。作為はもとより、出来得る限り作意なくでき上がったものは、新しい自分を発見する面白さがあります。このコラージュもそんな感じで生まれました。

 でも一晩寝て翌朝になると、あ、ここは違うな、と思うこともある。それは自分が変化したから。逆に昨日はイマイチと思った作品が、あ、面白いかも、と思えることも。これもやはり、昨日の自分と今日の自分が違うからです。

 他との関係から自分は変わってゆく。何かと、誰かと、関わることで変化する。寝る前に読んだ本の数ページ、思いがけず見た夢、朝一番の小鳥の囀り、朝の光、ご近所さんとのあいさつや、スマートフォンに飛び込んだ友人からのメッセージ、などなど。自分自身との関わり、体調の変化も影響します。

 私は紙が大好き。使い古された紙、古切手、キラキラ輝くチョコレートの包み紙、大切な布地をコピーしたり、事務用封筒の裏の模様もポップできれい。アジアの紙、ヨーロッパの紙、百円ショップの紙、なんでもいいなと思った紙は引き出しにしまいます。自分でペイントした紙素材も大切。何気ないそれらの紙切れが、生まれ変わる瞬間に立ち会いたい。

 以前、画家の風間完さんが、なぜ小さなもの、たとえばマッチ箱を愛するかを、TVで話されていた。それは「いつか消えて無くなるものだから」と。

 このままいくと未来の世界では、紙の存在も以前のようではなくなりそうです。それをどこかで感じていて、紙を大事に思うのか。それともただ、子どもの頃から紙に親しみ、絵を描き、切ったり貼ったりしてきた延長なのか。他にも理由はあるかもしれません。

 レンブラントのように描くのに5年かかったが、こどものように描けるまでには長い画家人生がかかった、というような意味のことをピカソが言っている。この切って貼るだけの何のことはないスタイルをもう少し続けたら、何かがわかる。何かが変わる。予測不可能な新しい実験、続けようと思います。

9 May 2025



Another Green World

 最近リーズナブルで、しかも美味しい静岡茶を見つけた。朝いちばん、少し冷ましたお湯でゆっくりと淹れる。この写真のような手入れされた美しい「トピアリー」お茶畑を思い浮かべながら頂くと、香りが一層豊かに感じられ、格別です。

 もう何十年も前になるが、原田泰司さんの小さな画集を、入院していた祖母に持って行ったことがある。日本の田園、里山の風景が描かれた画集。田舎で育った祖母、目を細めて喜んでくれた。

 ところでお米。ニュースでは5キロ4,000円台と盛んに言うけれど、この辺りでは5,000円台が続く。1年経たずに倍以上。お米さえあれば、だったのが、突然高級食材になりつつある日本のお米。

 仲買業者が高値を付けてくれる。しかしコメ離れが起こる心配から値段を下げてくれと頼む農家の方がいる、なんて報道が。

 三食ご飯でもいいくらいご飯大好きな自分でさえ、パンや麺類を食べることが増えた。パンを焼くのは前からだけれど、以前より頻繁になった。




 いったい今までと何が変わってしまったのか。理由は一つではないだろう。未来を見据えて知恵を絞り、この状況を改善してゆく方向へ向かいますように。庶民の胃袋はもちろん、日本の田園や里山の美しい原風景を守るためにも。 




 これは 'HOME FARM' という洋書(Paul Heiney 著 / Dorking Kindersley 刊)より。Country Living magazine のガーデニングページに絵を描いていた頃、向こうで求めた。資料として、大いに頼りがいがあった。多岐にわたる自給自足農業についての本で、内容のほとんどはヨーロッパの農業や牧畜についてなのだが、日本の稲作についての記述もあり、うれしかった。

 当時はロンドンのチャイナタウンのスーパーで、スペイン米を求めていた。粒が大きかったが贅沢は言えません。まあまあ美味しかったし。カリフォルニア米は水田ではなく乾いた土地に空から種を蒔いて育てる大規模な農法だと少し前にテレビで観たが、同じことを試みている日本の若い農家さんもいると、昨日知る。

 農業人口の減少や気候変動への対応・・・。日本の水田は消え、グローバルな農法に移行してゆくのだろうか。

 でもでも、世の中から和服を着る人、居なくならないですよね。水田もその姿をいつまでも留めてほしいと、夢見る「アウト老」(←みうらじゅんさんの新語)、ブツブツつぶやく。