16 May 2025



Unpredictable

 レッスン中によく使う言葉です。予測不可能な、という意味。

 余計なことは考えず、自分が心地よい「景色」を観たいがためだけに時間を費やす。作為はもとより、出来得る限り作意なくでき上がったものは、新しい自分を発見する面白さがあります。このコラージュもそんな感じで生まれました。

 でも一晩寝て翌朝になると、あ、ここは違うな、と思うこともある。それは自分が変化したから。逆に昨日はイマイチと思った作品が、あ、面白いかも、と思えることも。これもやはり、昨日の自分と今日の自分が違うからです。

 他との関係から自分は変わってゆく。何かと、誰かと、関わることで変化する。寝る前に読んだ本の数ページ、思いがけず見た夢、朝一番の小鳥の囀り、朝の光、ご近所さんとのあいさつや、スマートフォンに飛び込んだ友人からのメッセージ、などなど。自分自身との関わり、体調の変化も影響します。

 私は紙が大好き。使い古された紙、古切手、キラキラ輝くチョコレートの包み紙、大切な布地をコピーしたり、事務用封筒の裏の模様もポップできれい。アジアの紙、ヨーロッパの紙、百円ショップの紙、なんでもいいなと思った紙は引き出しにしまいます。自分でペイントした紙素材も大切。何気ないそれらの紙切れが、生まれ変わる瞬間に立ち会いたい。

 以前、画家の風間完さんが、なぜ小さなもの、たとえばマッチ箱を愛するかを、TVで話されていた。それは「いつか消えて無くなるものだから」と。

 このままいくと未来の世界では、紙の存在も以前のようではなくなりそうです。それをどこかで感じていて、紙を大事に思うのか。それともただ、子どもの頃から紙に親しみ、絵を描き、切ったり貼ったりしてきた延長なのか。他にも理由はあるかもしれません。

 レンブラントのように描くのに5年かかったが、こどものように描けるまでには長い画家人生がかかった、というような意味のことをピカソが言っている。この切って貼るだけの何のことはないスタイルをもう少し続けたら、何かがわかる。何かが変わる。予測不可能な新しい実験、続けようと思います。