9 Sept 2024

 


本への尊敬

 物心ついた頃から、本を読むのが好きでした。字が読めるようになった5歳か6歳の頃から、その年にしては少し難しい本を父が与えてくれたこと。今も感謝しています。若い頃はずっと読書ノートをつけていて、そのボロボロの大学ノートには、今もよく助けてもらう。

 今年は気象状況が特別激しく、気持ちのざわつくことが多いので、こういう時どうしたらいいだろう。不安なTVニュースは視聴率が上がるそうだから、観すぎるとザワザワが増すばかり。

 amazon Prime の映画もいいし、NHK オンデマンドで美しいドキュメンタリーを観るのも心洗われる。でもそうだ、毎日の読書が一番いい! そう気付きました。

 本を読むって、心の内のお掃除みたい。窓を開けてチリやホコリを外へ掃き出し、乱雑に散らかった部屋を、棚に戻すべきものは戻し、要らないものはゴミ袋に詰める。古今東西の偉大な知恵人たちの声が、耳元に聴こえ胸にしみ入ってくると、自分にとって何が大切なことなのか、何をしようとしていたのか、どこへ行こうとしているのか、気付くことができる。

 オルダス・ハクスレーの小説、『島』に出てくる鳥のさえずりは「キヅキナサイ」「イマココデ」だった。今ここで、すっかり忘却していた大切なことや、思いもよらない全く新しい考え方を、本は気付かせてくれる。本にはそんな目に見えない不思議な力があるのだと、いまさらのように感じ入っている最近です。

 昨年の末に観たヴィム・ヴェンダースの映画 'Perfect Days' の主人公、平山の読書も印象的だった。一時に一冊と決めている。古本屋で文庫本を、一時に一冊買う。そして寝る前のひととき、その一冊を大切に読む。役所広司さんのあの、読書をいつくしむ姿が浮かぶと、頭上に静かな星空の広がる思いがする。

 Hiro's Art Class の課題で、今月は書帙を縫います。古風な言葉。「しょちつ」と読みます。節子・クロソフスカ・ド・ローラさん(私がスラスラとこの長い名前を口にすると皆さん驚かれるので、ちょっと得意)の本で知った、本を入れる布袋のこと。ずっと気になっていて、ずっと欲しかった。水彩クラスのメンバー、Tさんは縫い物名人なので、お知恵を借りました。

 実際サンプルを縫って使ってみて、思い違いに気付くことになる。節子さんとバルテュスのように、お部屋が何十何百もあるお城のようなお邸に住んでいるわけではないのだから、はじめは外出時にバッグの中で、本を傷めないために便利だろうと思うくらいだった。それがちょっと違ったんです。この狭いちっちゃな家の中でも、読みかけの本を入れて持ち運んでいる自分に気付いたとき、本への尊敬というものが形になったもの。それが書帙なのだとわかったんです。

 『クレーの日記』も若き日の愛読書だった。ある日パウル・クレーの絵のような、ゴブラン織りのこの布を「発見」。メンバーの人数分調達できたのも幸運でした。





 今日のお昼はコロッケパン。スーパーで三島コロッケを見たら、どう~しても食べたくなって作りました。美味しかった!