6 Feb 2020



トーべさん

 またしても、間が空いてしまいました。この間、父が体調を崩し、年が改まり、色々ありました。幸いひと月ほどの療養で、父の体調は穏やかに。ほっとしたところです。

 最近、自分のために始めたことがあります。朝、日の出を観ること。ゴミ出しの日に目にした朝焼けの山並みがあんまり美しく、たぶんその時ちょっと参っていたんだと思う。心に焼き付いて、大きな救いを感じました。すぐに描いたのがこの小さな絵です。Instagram には、若い頃から好きな句と一緒に投稿しました。


 

「峰朝焼 力は登りつつ溜める」 加藤知世子


 それから早朝、眺めのいい近くの山に何度か車で出掛けたりもしましたが、その朝のような感動はもう無いのです。そうだった。探してはいけないのだ。求めてはいけないのだ。ヘッセの『デミアン』にもそう書いてあったじゃないか。

 それでゴミ出しのついでのような気楽な気持ちで、毎朝近所を歩くことにしました。通学途中の小学生はとぼとぼ歩く。中学生は速足。朝日のよく見えるスポットも発見した。ミーアキャットみたいな具合に道端に立ち、小中学生に「おはようございまーす」なんて声掛けしてるヘンなオバサンがいたら、それは私です。

 昨日の朝のことです。暖冬の今年らしく、それにしても早咲きの河津桜を見上げていると、「昨日から咲き始めたわね」。声をかけてくださる年配の女性がいました。その日はそれだけでしたが、今朝もお会いした。

 何処まで歩かれているのか訊くと、往復1時間の「ある場所」までと仰るんで驚く。私の足では、もっとかかりそうな山の上だからです。もう二十年以上欠かさずやってるからと、こともなげに。「60歳の頃から」ということは・・・「満で84歳」とにっこり。とてもとても、そうは見えません。10歳、いやそれ以上お若く見える。溌溂として小柄で、誰かに似ている。そうだ、トーベ・ヤンソンだ。

 サラッとした短い会話の中に、心根の温かさや芯の強さを感じ、なんていい出会いに恵まれたんだろう。低く差すオレンジ色の朝日の中で感謝しました。

 「やっぱり積み重ね、かしらね」

 毎日繰り返される日常の中にこそ、本当の朝日は昇る。いつも行き当たりばったりの私に、朝の光がそっと囁いてくれたような、一日のはじまり。