11 Jan 2019



2019

 またまたすっかり間が空いてしまいましたが、おかげさまで元気にやっています。ちっちゃな文字でみっちり書き込んだ「やることリスト」に、矢印が飛んだり、ペケを付けたり、「ぜったい!」などと書き込んだりの日々。残された項目を見ると、スーパーでの買い物や父の病院・・・どころではないボリュームを抱えてはいるものの、ここへ来て行が減ってきたのにはほっとします。

 皆さまの新しい年、健やかで朗らかでありますようにとお祈りします。

 Instagram の方には、いくつか投稿していました。その中の一つ、ジャン・コクトーの言葉を紹介します。若かった一時期、図書館で借りては読書ノートに書き写していたコクトーの本。好きな言葉が沢山ある。




君の作品に最初に与えられた批判を、
注意深く聞き給え。
批評家が好まないのはどこなのか。
そこを耕すのだ。
それこそが君の作品の際立った部分であり
保持する価値があるところ。
批判されたなら、そこを耕せ。
それこそが君自身なのだから。

ジャン・コクトー



 自分の作品に対し、最初に受けた批判のようなものがあったとしたら、あれだな、と思い当たることがある。イラストレーターになろうと模索していた若い日、同僚の男子から「(絵は)色でごまかせるからな」と言われた。その頃はパステルで人物を描いていた。ファッションイラストレーションのようなものを、大きな画面いっぱいにカラフルな色彩で描いていた。投げつけられたその一言に、たぶん私はきょとんとしたと思う。意味がよくわからなかった。

 でもしばらくして、彼はやんわりと批判したのだなとわかった。グラフィックデザイナーとして、センスも才能もある同僚だった。

 そういえば、もっと遡って、小学生の頃、担任の先生に、「河田の絵はいいんだけど、色を塗るとだめになる」と言われたこともあった。そのときも私の反応は「きょとん」だったような気がする。自分では、全くそう思っていなかったからだと思う。

 そんなわけでか、「色」は私の中でもっとも大切にすべき何かだと、ずっと思ってきたフシがある。コクトーの言葉を読んだ時、ストンと腑に落ちるものがあったのも、このような経験からかもしれない。

 一部の生徒さんから時々、「もっと注意してください」とリクエストがあるけれど、私はあまりよい批評家ではない。生徒さんには、私の感じるよい所だけを伝えて、そこをご自身で伸ばしてほしい。私のうかつな注意で、その方の大事な可能性を摘むことになってはいけない。自分が「よいところ」として伝える何かが、願わくばコクトーの言う「批評家の好まぬ部分」であり、その生徒さんが「耕すべき土地」であれ。そこは自分の講師としての技量。今年も力を試されながら、佳き一年としたいです。