19 Jun 2017



きっちり足に合った靴

 先月の末から私にしては家を出たり入ったりが多く、来客や工事や修理も少しあり、遅れ遅れの仕事になかなか手が付けられず・・・。

 しかし自己嫌悪に陥るヒマもなく、昨日はコラージュクラスが東京であって、今月のお題「ジュエリー」も皆さんに愉快に受け入れていただけたことに、ただただほっとしています。ご参加、ありがとうございました。

 今月は思うところあり、課題作品をここにもSNSにもUPしないことにした。ご覧頂けずにちょっと残念なんですが、本当に皆さんご自分を解放されて、素晴らしいフォトコラージュを作られました。ファッションに関わる事なら、私たちは肩に力を入れる必要がないのです。

 女性にとって身に着けるものの重要なことと言ったら。これはもしかして多くの男性に、本当には理解不能なことかも・・・と、人生こんなに経ってからフムフムだったのは、少し前から夢中の作家、ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』のなかの一節を読んで。

 散文様の架空の伝記、とでもいいましょうか。この奇想天外な小説の中で、主人公のオーランドーは、なんと男性から女性に換わっちゃう。時代も何百年とすっ飛んじゃう。読みながら違和感が全く起こらないほど、余りに自然にその変化が訪れるのがまた不思議なんですが、考えたら小説自体が、ストーリーの流れより事象の美しさを味わわざるを得ないような、それこそ宝石のモザイクみたいな構成なので、ページが進んでそういうことが起こる頃には、読者はその世界にいくらか親しんでしまっているのでしょうね。

 オーランドーが男性から女性に換わったときに自らひどく驚くのが、洋服についてだった。ただ好みのためだけに、一日に何度となく着替える自分に、ついこの間まで男性だったオーランドーは客観的にビックリするのです。

 1月に、三島のさんしんギャラリー「善」での展覧会でお目にかかった、染色家の小川良子さんもそう仰っていた。桜で染めた素敵なお着物姿の小川さんでしたから、会話が着るものについて及んだのだと思う。庭仕事などしていて、もし首に巻いたスカーフでもなんでも、「ちょっと違うな」と感じたら、すぐに取り換えずにはいられない、と仰っていた。

 私も同じく。毎朝、外出してもしなくても、(私なりに)真剣になって何を着るかを選び、一日をスタートします。衣類が、アクセサリーが、自分を見えない力で守ってくれている。そんなおまじないのような思いがあるのでしょうか。

 着心地のいい衣類、身につけて安堵するアクセサリー、必要なものが全部収まるバッグ、自分に自分らしさを与えてくれる眼鏡や帽子。そして・・・


    きっちり足に合った靴さえあれば、
    じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
    そう心のどこかで思いつづけ、
    完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、
    私はこれまで生きてきたような気がする。


 これは、須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』の冒頭。

 トップに掲げた写真で私が履いているのは、一番好きな靴です。もう30年も前に、旅行で行ったロンドン、スローンスクエアで求めたスペインの靴。靴紐を表す、'Shoelaces' という言葉さえまだ知らず、お店の女の子に教えてもらった思い出がある。バックスキンの薄い革がやわらかい。いつのまにか私のオカシナ足型に添うような形に変形している。幾度も修理し、手入れしながら、今も現役。足がとても華奢に見えるのは、先端がトゥシューズみたいな形だから。

 和服が長持ちするのはわかっていますが、靴だって洋服だって、決して引けを取らないことに、私くらいの年齢になると突然気付きます。スカートもブラウスも、大事に着れば、おばあさんになっても着れるような気がしてくるんです。そう思って着るものを選ぶようになったワリに、このところジーンズが大好きなので、このヒロおばあさんは、どうやらジーンズを一生履く気らしい。

 須賀さんの『ユルスナールの靴』。おしまいの靴の話も、静かに胸にしみ込みます。